8月3日 (火) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 2 西鉄 17勝29敗5分 0.370 近藤貞雄 野口二郎
0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 大和 22勝25敗3分 0.468 畑福俊英 片山栄次
勝利投手 近藤貞雄 1勝2敗
敗戦投手 片山栄次 8勝14敗
セーブ 野口二郎 2
勝利打点 なし
近藤貞雄、プロ入り初勝利
4回まで三者凡退3度で無安打の大和は5回、先頭の苅田久徳が左前打で出塁すると二盗に成功、畑福俊英の遊ゴロの間に苅田は三進、渡辺絢吾に代わる代打小島利男の遊ゴロの間に苅田が生還して1点を先制する。
西鉄打線は大和先発の畑福俊英に7回まで4安打無得点に抑え込まれる。
大和は8回から畑福に代えて片山栄次をマウンドに送り逃げ込みを図る。
西鉄は9回、先頭の北浦三男の当りは遊ゴロ、これをショート木村孝平がエラーして無死一塁、代走に村瀬秀孝を起用、黒沢俊夫が送って一死二塁、野口明は三邪飛に倒れ、濃人渉が四球を選んで二死満塁、富松信彦に代わる代打野口二郎が中前に同点タイムリーを放って1-1と追い付く。
西鉄は10回、先頭の近藤貞雄が右前打で出塁、鵜飼が三前に送りバントを決めて一死二塁、トップに返り中村信一は左飛に倒れて二死二塁、佐藤武夫に代わる代打中村民雄が左前打を放ち近藤が生還して2-1と勝ち越す。
このプレーでは、最初、三塁塁審沢東洋男が「7-4-5」のアウトを宣告した。これに対して西鉄が抗議し、25分間の中断を経て「三塁手守備妨害」として「オブストラクション」が宣告され、近藤貞雄の生還が認められて決勝点となった。記録はレフト小松原博喜の悪送球とされ、中村民雄には打点が記録されていないので、この試合の勝利打点は「なし」となる。
西鉄は10回裏から野口二郎がマウンドに上がり、二死後木村孝平に中前打を許すが岡田福吉を中飛に打ち取り試合終了。
近藤貞雄は9回を投げて2安打6四球3三振1失点、野口二郎のリリーフを仰いだが、プロ入り初勝利をあげる。
近藤は巨人時代の1946年に23勝をあげるが、その年の秋に進駐軍のジープにはねられそうになって避けた際に手を突いたところにガラス破片があり右手の指を怪我するが、これを利用してナチュナルチェンジアップを駆使して活躍を続ける。現役引退後も様々な形で球界に貢献し、1999年に野球殿堂入りすることとなる。この試合では「オブストラクションによる生還」で決勝のホームを踏んだが、波乱の野球人生を予感させるものであったかもしれない。
*「雑記」欄に走塁妨害の経緯が書かれている。
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