2025年9月5日金曜日

22年 太陽vs南海 11回戦

7月20日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 太陽 21勝35敗1分 0.375 井筒研一 
1 1 0 0 1 0 0 0 X 3 南海 30勝24敗3分 0.556 中谷信夫

勝利投手 中谷信夫 6勝8敗 
敗戦投手 井筒研一 4勝4敗

二塁打 (太)藤井 (南)中谷
本塁打 (南)飯田徳治 2号

勝利打点(南)堀井数男 4

猛打賞 (南)河西俊雄


中谷信夫、プロ入り初完封

 甲子園の第2試合は井筒研一と中谷信夫の先発で午後3時14分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 中谷は初回、三者三振の立ち上がり。

 南海は1回裏、先頭の安井亀和が左前打で出塁、河西俊雄も三塁に内野安打、田川豊の左前打で無死満塁、一死後堀井数男の左犠飛で1点を先制する。

 南海は2回裏、先頭の中谷が右越えに二塁打、小林悟楼が送って一死三塁、トップに返り安井の右犠飛で2-0とする。

 南海は5回裏、二死後怪我から復帰してきた飯田徳治がレフトスタンドに第2号ホームランを叩き込んで3-0とする。

 中谷信夫は6安打1四球7三振でプロ入り初完封、6勝目をマークする。初回の三者三振で勢いに乗った。

 中谷は京都第一工業(現・京都市立洛陽工業)の出身。昭和9年の夏の京都府予選で京都第一工業は沢村栄治にノーヒットノーランをやられた。この時中谷は14歳、旧制中学の時代なので既に入学していて沢村の快投を見ていたかもしれない。

 京都第一工業の後輩となる岡本伊三美は昭和24年に南海に入団してきて先輩の中谷と同僚になる。その後は南海球史に残る名内野手として活躍することになるのはご存じのとおり。

 ニデックの創業者である永守重信氏も京都第一工業から校名変更した京都市立洛陽工業の出身。残念ながら一昨日不適正会計が発覚して昨日のニデック株はストップ安。本日は少し戻しているが・・・。

 男子バレー日本代表だった横田一義も京都市立洛陽工業の出身で、父親はミュンヘンオリンピック金メダリストの横田忠義である。大古、森田とのアタッカートリオに名セッター猫田で一世を風靡した。腰に爆弾を抱えていたがチューブで固定しながらのプレーが印象的だった。ミュンヘンオリンピックの前にテレビ放映された実写映像とアニメを組み合わせたアニメドキュメント「ミュンヘンへの道」でもお馴染み。この番組で紹介された、コーチがネットに入れたボールをぐるぐる回してそれを飛び越えてマットに飛び込む特訓はみんな真似したものです。

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