2023年3月20日月曜日

21年 グレートリングvs中部日本 15回戦

11月5日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 3 0 0 0 0 1 0 4 グ軍 65勝38敗2分 0.631 別所昭 丸山二三雄 
3 0 0 0 0 2 0 2 X 7 中部 42勝60敗3分 0.412 清水秀雄

勝利投手 清水秀雄 2勝1敗(10勝3敗)
敗戦投手 別所昭  19勝13敗

二塁打 (グ)山本 (中)小鶴、杉浦
三塁打 (グ)堀井
本塁打 (中)笠石徳五郎 1号

勝利打点(中)笠石徳五郎 1

猛打賞 (中)杉浦清 4


最終戦は笠石徳五郎が決勝本塁打

 昭和21年度最終戦は、第1試合で巨人が負けてグ軍の優勝が決まってしまったため、気の抜けたサイダーのような消化試合となる懸念があったが、面白いゲームとなった。

 最終節最終日の第2試合は別所昭と清水秀雄の先発で午後2時22分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 古巣に対することになった清水は勝てばパ軍と並び単独最下位から抜け出せるとあって気合十分のピッチング。

 一方、胴上げ投手を狙っていた別所は気合不足だったかもしれない。

 中部は初回、先頭の岩本章が四球を選んで出塁、金山次郎は中前打、古川清蔵の三ゴロはサード河西俊雄がベースを踏んで岩本は三封、1試合休んで四番復帰の小鶴誠が左中間に2点タイムリー二塁打を放ち2-0、杉浦清監督が中前タイムリーで続き3点を先制する。

 グ軍は3回表、先頭の筒井敬三がストレートの四球で出塁、宮崎仁郎の一ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返り安井亀和もストレートの四球で一死一二塁、河西が三前にバントヒットを決めて一死満塁、田川豊の右犠飛で1-3、二走安井もタッチアップから三塁に進み、河西も二盗を決めて二死二三塁、山本一人監督がレフト線に同点の2点タイムリー二塁打を放ち3-3と追い付く。

 戦後初年度優勝の原動力となった機動力を活かしたグ軍らしい攻撃であった。

 別所は4回、5回を三者凡退に抑えて立ち直ったかに見えたが、6回に捕まった。

 中部は6回裏、先頭の古川が中前打で出塁、小鶴の三ゴロは「5-4-3」と渡るゲッツー、杉浦が左前打を放って二死一塁、ここで笠石徳五郎がライトスタンドにツーランホームランを放ち5-3と勝ち越す。

 グ軍は8回表、二死後堀井数男が右中間に三塁打、別所に代わる代打丸山二三男が右前にタイムリーを放ち4-5と追い上げる。

 グ軍のマウンドにはそのまま丸山が上がる。

 中部は8回裏、先頭の金山がストレートの四球で出塁、一死後金山が二盗を決め、二死後杉浦がレフト線にタイムリー二塁打を放ち6-4、笠石も中前にタイムリーで続き7-4と突き放す。

 清水秀雄は7安打4四球2三振の完投でグ軍から移籍後2勝目、グ軍在籍時の8勝と合わせて10勝目をマークする。

 清水は夏場はプロ野球の場に顔を見せなかった。故郷に戻って松江中学を指導して甲子園に出場、プロ野球などやっているヒマはなかったのである。

 中部はパ軍と同率で並び単独最下位から抜け出した。最終戦の殊勲者は決勝ホームランと追撃のタイムリーを放った伏兵笠石徳五郎であった。

 グ軍は機動力野球で戦後初年度ペナントレースを制した。河西俊雄と田川豊のシーズン途中加入により安井-河西-田川と並ぶ上位打線を形成して塁上をかき回し、95打点で2位大下を20点以上引き離し打点王に輝いた山本一人監督が還すパターンで得点を重ねた。河西が39個で盗塁王、安井が32個、田川が26個で、山本まで32個の盗塁を記録した。この4人が盗塁数上位5位までにランクイン(他チームでは山田伝が36個で2位、坪内道則が26個で5位タイ)したのである。

 グ軍の機動力野球は本を読んだり数字を眺めただけでもある程度の概要を把握することはできるが、どのような経緯で形成され、どのような経過を辿っていって優勝に結び付いたのかは当ブログが解き明かすまで誰も理解していなかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿