第17節の九州遠征は3日目で終了し、4日目と5日目は後楽園で2試合ずつ。
第1試合はプロ入り初先発となる野村清と中尾輝三の先発で午後1時5分、国友球審の右手が上がりプレイボール。
巨人は初回、一死後山川喜作がライトに二塁打、千葉はストレートの四球で一死一二塁、川上のニゴロでセカンド大沢喜好が二塁ベースカバーのショート鈴木清一に送球して千葉はフォースアウト、鈴木からの一塁送球はセーフ、この間に三塁に達していた二走山川がホームに突っ込み、ファースト飯島がホームに送球するが悪送球となって山川が生還し1-0、打者走者の川上は二塁に進む。この一打で川上に打点が記録されている。飯島にもエラーが記録されており、山川のホームインは飯島の送球が悪送球でなくてもセーフと判断されて川上に打点が記録され、川上の二塁進塁に対して飯島にエラーが記録されたともの考えられる。ということで二死二塁、鬼頭の右前打で二死一三塁、中島の左前タイムリーで2-0とする。
セ軍は2回表、一言、長持、野村が3連続四球で無死満塁、続く熊耳の初球もボール、全くストライクが入らなくなった中尾が降板してセンターの多田文久三がマウンドに上がり、熊耳の左犠飛で1-2、大沢は一邪飛に倒れて二死二三塁、トップに返り横沢七郎は四球を選んで二死満塁、鈴木が押出し四球を選んで2-2、セ軍はこの回無安打で同点に追い付く。
セ軍は5回表、先頭の飯島がレフトスタンドに勝ち越しホームランを叩き込んで3-2、大下が四球から二盗に成功、一言は三塁に内野安打、二走大下は動けず無死一二塁、長持が四球を選んで無死満塁、ここで野村が右前にプロ入り初ヒットとなるタイムリーを放ち4-2、熊耳がこの日2本目の犠飛をライトに打ち上げて5-2、二走一言と一走長持もタッチアップから進塁して一死二三塁、清水喜一郎は投邪飛に倒れて二死二三塁、これはスクイズ失敗か、トップに返り横沢が左中間に2点タイムリー二塁打を放ちこの回5点、7-2と大きくリードする。
巨人は5回裏、先頭の川上は一ゴロ、続く黒沢は四球、セ軍ベンチはここで先発の野村から黒尾重明にスイッチ、黒尾が後続を抑える。
巨人は8回裏、一死後谷口記念治が左前打で出塁すると二盗を試み、キャッチャー熊耳からの二塁送球をセカンド清水が後逸して谷口はセーフ、タイミングはアウトであったようで「盗塁」は記録されていない。呉新亨が左前打を放って一死一三塁、トップに返り山田潔は三ゴロに倒れて二死二三塁、山川が四球を選んで二死満塁、千葉のニゴロを又も清水がエラーする間に三走谷口が還って3-7、しかし一発出れば同点という場面で川上は二飛に倒れて反撃もここまで。
野村清は4回3分の1で降板したが「勝利投手」が記録された。前日の八幡大谷球場でのゴ軍vs阪急戦ではリードしたまま4回3分の2で降板した江田孝には「勝利投手」は記録されておらず、リリーフの内藤幸三が勝利投手となっている。この時期には「勝利投手」の定義はかなり明確となっており、「先発投手が5回を完了せずに降板して勝利投手」は戦前ほど見られなくなっているので、野村清の「先発して4回3分の1で降板しての勝利投手」は戦後では極めて珍しい記録であると言える。
リリーフの黒尾重明は4回3分の2を4安打1四球無三振1失点、実況のとおり自責点はゼロであり、リリーフ投手の投球内容が悪かったため5回を完了していない野村清に勝利投手が記録されたとは説明しにくい状況であった。
なお、珍しいことは重なるもので、高校野球史、社会人野球史、「武史」改名後には二リーグ分裂後のプロ野球史に重要な足跡を残した野村清の一リーグ時代のプロでの勝利はこの試合だけである。
*「武史」改名後、毎日時代の直筆サイン入りカード。写真からも分かるとおり二リーグ分裂後は下手投げであった。高校時代から下から投げていたかどうかは不明。岐阜商業時代は左腕速球派の松井栄造、大島信雄との二枚看板で甲子園を沸かせた。
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