4月28日 (日) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ゴ軍 0勝2敗 0.000 内藤幸三
0 0 1 0 0 0 0 0 X 1 セ軍 1勝1敗 0.500 白木義一郎
勝利投手 白木義一郎 1勝0敗
敗戦投手 内藤幸三 0勝1敗
勝利打点 (セ)大下弘 1
白木義一郎、初勝利初完封!
後楽園の第1試合は内藤幸三と白木義一郎との新旧両投手の先発で午後1時5分プレイボール。「旧」の内藤は30歳、白木は「新」と言っても26歳のベテランである。
白木は3回までゴールドスター打線をパーフェクトに抑える立ち上がり。
内藤も初回、先頭の横沢七郎と二番鈴木清一を連続三振、大物ルーキーの呼び声が高い大下弘も投ゴロに打ち取る。
セネタースは3回裏、一死後白木がストレートの四球で出塁、こちらも前評判の高い白木に対して内藤は力が入ったか。トップに返り横沢もストレートの四球、鈴木もスリーボールツーストライクから四球を選んで一死満塁、内藤は続く大下にもストレートの四球、セ軍は押出しで1点を先制する。
内藤は4回までに6四球を出すが5回以降は無四球ピッチング。
ゴ軍は4回表、一死後田中宣顕がセンターにクリーンヒット、坪内道則も三遊間にヒットを放ち一死一二塁、しかし菊矢吉男は投ゴロ、早川平一はサードライナーに倒れて無得点。
ゴ軍は5回表、先頭の大友一明の当りはレフトへのフライ、これを家村相太郎が落球、続く内藤幸三は初球ファウル、2球目ストライクでツーストライクナッシング、ここでセ軍横沢三郎監督はレフトを家村から一言多十に交代、内藤は三ゴロに倒れサード坂本勲が二塁に送球して大友は二封、横沢三郎監督が何を思ってレフトを家村から一言に代えたのかは歴史の闇に隠れてしまっているが、白木のスピードを内藤は引っ張り切れずと見て直前に落球したレフト家村を交代させた可能性は考えられる。実際、内藤の打球は反対方向のサードに飛んだ。続く辻功の遊ゴロををショート鈴木が二塁に送球するがセーフ、野選が記録されて一死一二塁、しかし坂本は右飛、トップに返り酒沢は一直に倒れて無得点。
ゴ軍は8回表、先頭の辻がレフトにクリーンヒット、しかし坂本の送りバントは投飛となり白木が一塁に送球して辻は戻れずダブルプレー、粘るゴ軍はトップに返り酒沢が中前打を放つと二盗に成功、田中のスウィングが熊耳武彦のミットに当たって打撃妨害、二死一二塁と一打同点のチャンスを作るが期待の坪内は右飛に倒れる。
白木義一郎は9回のゴ軍の反撃も三者凡退に抑えて、4安打無四球3三振でプロ入り初勝利を完封で飾る。
勝利打点は押出し四球の大下弘、大下は第4打席でプロ入り初ヒットを放った。
家村相太郎の名前を聞いて懐かしく感じる読者の方も多いのではないでしょうか。2010年3月17日、「ライパチ君の意地」で紹介して12年春第1節の「殊勲賞」に選出した「元祖・意外性の男」。開幕戦で昭和14年以来の出場を果たし、この日は七番レフトでスタメン出場した。
この年でプロ野球の世界を去る家村はその後長きにわたってアマチュア球界の指導者として活躍する。天理高校監督として甲子園出場、1958年には母校川越高校監督に就任し翌59年に夏の甲子園出場、習志野高校でもコーチを務めて同校を全国屈指の強豪校に導くこととなる。
*家村相太郎がスタメンに名を連ねたこの試合、大下と飯島がプロ入り初ヒット、白木はプロ入り初勝利&初完封。
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