7月18日 (日) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 大和 22勝22敗1分 0.500 畑福俊英 石田光彦 片山栄次
0 0 0 0 0 0 0 4 X 4 名軍 26勝15敗4分 0.634 石丸進一
勝利投手 石丸進一 9勝3敗
敗戦投手 石田光彦 7勝4敗
二塁打 (和)渡辺 (名)石丸藤吉、金山
勝利打点 金山次郎 1
金山次郎、決勝二塁打
名古屋は6・7月(6月19日~7月13日)の投手部門月間MVPに輝いた石丸進一が先発、同月の打撃部門月間MVP鈴木秀雄、木村孝平2名を輩出した好調大和と対戦する。
両軍とも前半戦は走者を出しながら得点無しで試合は進んでいく。
大和は初回、先頭の木村孝平が三遊間に内野安打、しかし岡田福吉は送りバント失敗から強攻策に出て投ゴロ、これが「1-6-3」と渡ってダブルプレー。2回、3回とヒットが出るが無得点。
名古屋は1回裏、先頭の石丸藤吉が左前打で出塁、5月30日の巨人戦以来の出場となる桝嘉一が四球を選んで無死一二塁、しかし小鶴誠は捕邪飛に倒れて一死一二塁、吉田猪佐喜の当りはライトライナー、一走桝が飛び出しておりライト杉江からの送球でダブルプレー。試合から遠ざかっていたベテラン桝は試合勘が戻っていないようだ。
名古屋は2回、大和先発の畑福俊英から2つの四球を得るが無得点。3回、先頭の石丸藤吉がレフト線に二塁打、大和ベンチはここで畑福から石田光彦にスイッチ、桝は二飛に倒れるが、小鶴が四球を選んで一死一二塁、吉田の当りはセカンドライナー、これも一走小鶴が戻れず「L4-3」と渡ってダブルプレー。吉田は2打席連続「ライナーによる併殺打」を記録した。
大和は4回、二死後高橋吉雄、杉江文二が連続四球を選ぶが、石田が左飛に倒れて無得点。
名古屋は4回裏、先頭の加藤正二が中前打、芳賀が送って一死二塁、しかし藤原鉄之助は中飛、金山次郎は遊飛に倒れて無得点。
両チーム4回まで5残塁ずつを記録して無得点。
大和は7回、一死後渡辺絢吾がレフト線に二塁打、トップに返り木村が左前打を放って一死一三塁、岡田の三ゴロの間に三走渡辺が還って1点を先制する。
名古屋は8回裏、先頭の小鶴の遊ゴロをショート木村がエラー、吉田が四球を選び、加藤が送りバントを決めて一死二三塁、芳賀に代わる代打西沢道夫が四球を選んで一死満塁、藤原が押出し四球を選んで1-1の同点、大和ベンチはここで石田から三番手の片山栄次にスイッチするがこれが裏目に出た。金山がレフトに決勝の二塁打を放って3-1、石丸進一もライト線にタイムリーを放って4-1と逆転に成功する。
石丸進一は7安打4四球7三振の力投で9勝目をあげる。これで5連勝と、エースの座を不動のものにしている。
決勝の二塁打を放った金山次郎は今季豊国商業(現・豊国学園高等学校)から入団したルーキー。開幕からショートのレギュラーとして使われ、春季は守備だけの選手であったがここにきて打撃面での心境は著しい。
豊国商業からは阪急に天保義夫と笠石徳五郎も入団しており、戦後は広島の「代打の切り札」宮川孝雄を輩出することとなる。金山の10年先輩が大岡虎雄で、大岡は戦前はプロ入りしないが、景浦将、宮武三郎と並んで、「戦前の昭和の三大打者」であると考えられる。昭和6年の日米野球では、日本人選手としては唯一のホームランを放った選手です。それも1試合の出場だけで2本。大岡の活躍をお伝えするのは、37歳で大映スターズに入団する昭和24年までお待ちください。
*夏季リーグ戦に入って打撃好調の金山次郎。松竹ロビンスでは豊国商業の10年先輩となる大岡虎雄と共に水爆打線の一員となる。
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