2016年5月4日水曜日

「飛び蹴り」から「トビウオ」へ



 筆者の実家は千葉県市川市国分4丁目、JR市川駅から北へ約2キロとなります。目の前にある「国分尼寺跡公園」は昭和42年の発掘調査の跡地です。その発掘前の空き地時代は筆者の主戦場でした。近所の年上のガキ大将に野球で対抗できるのは筆者だけで、随分可愛がってもらいましたね。

 そこから数百メートル北に千葉商科大学付属高等学校(以下「商大付属」=地元ではみんなこう呼んでいます)があります。小学校時代はよく校庭に忍び込んで遊んでいました(笑)。


 商大付属が天下にその名を知らしめたのは1982年センバツ、大会屈指の剛腕と言われた平沼定晴を擁して甲子園に乗り込んだ時でした。中日に入団した平沼はロッテに移籍して球史に残る事件の主人公となります。1989年9月23日、清原に投じた内角球を清原が避けずに当たり、逆上した清原がマウンドの平沼にバットを投げつけて突進、平沼もマウンドを降りて応戦したところに清原の飛び蹴り(実際は体を反転させてのヒップボンバー)が炸裂しました。

 通算18勝の平沼定晴はこの一件で球史にその名を刻んでいます。


 あれから四半世紀、商大付属がオリンピック選手を輩出しました。現在2年生の持田早智がリオデジャネイロオリンピック水泳女子800メートルリレーの代表に選出されたのです。

 奈良県出身の持田は小学校3年の時に千葉市に引っ越してきたそうです。家の近所のルネサンス幕張で研鑽を積んでオリンピック代表の座をもぎ取りました。幕張からどうして市川の商大付属まで通っているのかは分かりませんが、総武線沿線で水泳環境が整っている高校を選択したのでしょう。


 市川には水泳の下地があります。今では日本一のスポーツクラブとなったセントラルスポーツ(現・水連会長の鈴木大地も一時所属していました)を立ち上げた東京オリンピック水泳代表の後藤忠治が、市川の和洋女子大のプールを借りてセントラルスイムクラブを開いたのは筆者が小学生時代のことです。近所のガキどもが全員通っていました。当時は後藤さんが直接指導していましたね。筆者には水泳センスがなかったので記録は全く伸びませんでしたが(笑)。セントラルスポーツの成功の原点は和洋女子大にあったのです。


 「飛び蹴り」で名を馳せた平沼定晴から「トビウオジャパン」の期待の星となった持田早智へ、商大付属の歴史は連綿と受け継がれていきます。


 

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