2026年7月31日金曜日

22年 中日vs大阪 13回戦

8月31日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 中日 47勝31敗1分 0.603 清水秀雄 
0 0 0 0 0 2 0 0 X 2 大阪 54勝27敗3分 0.667 若林忠志

勝利投手 若林忠志 17勝9敗 
敗戦投手 清水秀雄 14勝7敗

勝利打点(大)藤村富美男 9


大阪が首位独走を決定付ける勝利

 後楽園の第2試合は清水秀雄と若林忠志の先発で午後2時53分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 二位中日と首位大阪の差は4.5ゲーム差。中日はこの試合に勝てばまだチャンスは残る。月間MVPを狙う清水も負けられない一戦。

 前半戦は両投手の好投で5回まで両軍無得点。

 大阪は6回裏、先頭の呉昌征が四球を選ぶと、続く塚本博睦の初球に二盗に成功、塚本の当りは三ゴロ、これをサード三村勲がエラー、無死一三塁から金田正泰の投ゴロで三走呉は動かず塚本は二進して一死二三塁、このチャンスに藤村富美男が中前にタイムリーを放ち二者を迎え入れて2-0とリードする。

 若林忠志は4安打無四球1三振で今季5度目の完封、17勝目をマークする。 

 大阪は二位中日に5.5ゲーム差を付けた。この試合から首位独走態勢を固めたと言える貴重な1勝であった。

 清水秀雄は8イニングを6安打1四球5三振2失点、自責点1であった。史上稀に見る激しい月間MVP争いを続ける清水としては、1敗以上に大きい敗戦となった。

 中日としては名手三村勲の失策が痛かった。

 三村勲は飯塚商業で2年先輩の小鶴誠の後輩となる。昭和21年に中日入りするきっかけは先輩小鶴の存在が大きかった。赤嶺旋風など、この後は小鶴誠と行動を共にすることになり、昭和25年の松竹水爆打線では二番打者として貴重な活躍を見せてセ・リーグ初優勝に貢献する。二番ながら16本塁打で犠打はゼロであった。現在では二番に強打者を配置するのは常識になっている。日本では西鉄の豊田泰光が「強打の二番打者の元祖」と言われることが多いが、史実としては「強打の二番打者の元祖」は三村勲であったと言えるのではないか。この点については、もう少し事実関係を精査してから発表する予定である。

 昭和21年から23年の3年間で2本塁打だった三村が、昭和24年と25年に二桁本塁打を記録したのはラビットボールの影響であったが、この2年間で三村は打法転換に成功し、昭和25年から27年の3年間はリーグ最多三振と振り切る打撃に転換し、ラビットボール廃止後にも2度二桁本塁打を記録することになる。

2026年7月24日金曜日

「2-4-3IP」

 昭和22年8月31日、後楽園の第1試合巨人vs東急戦、1回表巨人の攻撃。二死満塁の場面で「2-4-3IP」により三走田中資昭にスリーアウト目が記録された。

 スコアカードの記載を解説すると、キャッチャー鈴木圭一郎が二塁に送球して三走田中資昭がファースト熊耳武彦の守備を妨害して「イリーガルプレー」が記録されたことになる。

 この試合の熊耳の刺殺数を確認しても、このプレー以外の刺殺は6個で、この試合の熊耳の刺殺数は7個なので、このプレーで熊耳に刺殺が記録されたことは間違いない。

 公認野球規則によると、

「走者が野手を妨害してアウトが宣告された場合ーーー妨害された野手に刺殺を与える。」

とされている。

 筆者が見ている公認野球規則は「9.09(C)(6)」であるが、公認野球規則は毎年更新されるので最新版では「条ずれ」が生じているはずである。

 「2-4-3IP」は田中資昭のスリーアウト目に記録されているので、三走田中の守備妨害によりファースト熊耳に刺殺が記録されたことは間違いない。

 二走川上が離塁したのは、ディレードスチールを仕掛けたのかと考えられるが、川上の離塁を見てキャッチャー鈴木圭一郎は二塁ベースカバーに入ったセカンド苅田久徳に送球した。その後に三走田中がホームに走り、ファースト熊耳の守備を妨害して田中にインターフェアが宣告されてスコアカードには「イリーガル(I.P.)」が記載された。

 キャッチャー鈴木圭一郎が二走川上の離塁を見て二塁に送球し、川上が二三塁間に挟まれた際、ファースト熊耳は、二死満塁の場面なので、一塁走者は無視してホームベースカバーに走った。三走田中は二三塁間挟殺プレーの隙を見てホームに突っ込んだが、ファースト熊耳が三本間に陣取っており、セカンド苅田から熊耳に送球されて、田中が熊耳に体当たりして守備妨害を取られたということか。この際、キャッチャー鈴木圭一郎はホームベースをカバーしており、ファースト熊耳は三走田中の動きを警戒し、一塁の守備位置から走って来て三本間の挟殺プレーに備えて三塁ベース寄りにポジションを取っていたと考えられる。

 三走田中は二走川上の動きを見ながらスタートを切り、セカンド苅田は二走川上を追いながら横目で三走田中を警戒していたので、田中がスタートを切ると三本間のカバーに入っていたファースト熊耳に送球し、熊耳がセカンド苅田からの送球を受けた際に三走田中がぶつかってきて落球したが、守備妨害を宣告されて、スコアカードにはイリーガルプレー(I.P.)と記載されたと考えられる。

 ファースト熊耳はキャッチャー鈴木圭一郎の後ろに入って挟殺プレーが続くケースに備える手もあったが、熊耳は鈴木とキャッチャーを交互にやっているので本塁守備には慣れており、自分が先に三本間の挟殺プレーに備えて鈴木の前に陣取ったと考えられる。

 この試合が後楽園であれば公式記録員山内以九士が状況を「雑記」欄に記載しているはずだが、甲子園の試合ではほとんど「雑記」欄に記載されることはないので、「2-4-3IP」でファースト熊耳に刺殺が記録されて三走田中がアウトになったケースとしては上記のプレーが考えられるのである。

*スコアカードには田中資昭のスリーアウト目が「2-4-3IP」と記載されている。画像では見ずらいと思うが、拡大鏡で確認しているので間違いない。



2026年7月22日水曜日

22年 巨人vs東急 12回戦

8月31日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 1 0 3 0 5 巨人 39勝42敗1分 0.481 多田文久三 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 東急 30勝47敗2分 0.390 白木義一郎

勝利投手 多田文久三   9勝8敗 
敗戦投手 白木義一郎 15勝19敗

二塁打 (巨)千葉 (東)大沢
三塁打 (巨)千葉、小松原 (東)大下

勝利打点(巨)平山菊二 8 

猛打賞 (巨)千葉茂  10、川上哲治 5


千葉と川上が猛打賞

 第20節4日目、甲子園の第1試合は多田文久三と白木義一郎の先発で午後1時32分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 巨人は初回、先頭の山川喜作が右前打で出塁、田中資昭も二遊間ヒットで続いて無死一二塁、千葉茂はセオリーどおり三前に送りバントを決めて一死二三塁、川上哲治は四球で一死満塁、平山菊二が左前タイムリーを放ち1点を先制、小松原博喜は三邪飛に倒れて二死満塁、続く林清光の打席で三走田中が「2-4-3IP」でアウトとなってチェンジとなる。

 「2-4-3IP」については特集記事で詳述するので先を急ごう。

 巨人は2回と5回は併殺でチャンスを潰し、3回は2安打でチャンスを作るが無得点。

 巨人は6回表、先頭の千葉が中越えに三塁打、川上の右前タイムリーで1点追加して2-0とする。

 巨人は8回表、先頭の千葉は捕邪飛、これをキャッチャー鈴木圭一郎が落球、鈴木には失策が記録されて、命拾いした千葉は次の球を右越えに二塁打、川上は今度は左前に流して二走千葉を迎え入れるタイムリーを放ち3-0、一死後小松原が右中間にタイムリー三塁打を放ち4-0、中島治康が左前にタイムリーを放ち5-0として試合を決める。

 多田文久三は5安打無四球1死球5三振で今季2度目の完封、9勝目をマークする。

 巨人は平山菊二、小松原博喜を中心に下位打線の活躍が目立っていたが、この日は主軸の千葉と川上が共に猛打賞の活躍を見せた。ベテラン中島もタイムリーを放ち、久々に二盗も決めた。

2026年7月20日月曜日

専松vs商大付属

 本日の千葉県予選5回戦は専修大学松戸高校(以下「専松」)と千葉商科大学付属高校(以下「商大付属」)が対決。

 Cシードの商大付属がAシードの専松に挑んだ試合は2対1で専松が地力の差を見せましたが、商大付属の健闘に拍手。

 筆者の実家は市川市の北側、千葉県市川市国分4丁目(当時は国分町1965)で、商大付属までは歩いて10分もかからない。専松はその北方で、筆者から見れば地元対決になります。

 現在では千葉では木更津総合と並んで甲子園常連校となった専松ですが、甲子園出場は商大付属の方が早かったことはあまり知られていないと思うので説明しよう。

 1982年センバツ、剛腕平沼を擁して甲子園初出場を果たしました。筆者の実家の前の道で「チャカチャカ」と音がしてくると、「商大付属の野球部の連中だな」と分かりました。アスファルトの道をスパイクでランニングしていたようです。当時は商大付属も専松も甲子園に行けるとは思ってもみなかった時代でしたが、平沼定晴が出てきた時は地元でも「行けるか」の声が高まっていました。社会人2年目で仕事も忙しくなってきた時期だったので球場に行くことはなかったですが、思ってもみなかった甲子園初出場を誇らしく思ったのはいい思い出です。

 平沼の名前が全国区になったのは中日からロッテ移籍後のこと。清原の内角に投げたツーシームが清原の肘に当たり、激高した清原が平沼にバットを投げつけて向かってきます。平沼はひるむことなく清原に向かって突進、清原も負けじと平沼にフライングニ―ドロップ、と思った瞬間清原も「まずい」と思ったか体を反転させてヒップドロップとなって平沼がひっくり返りました。

 清原が体を反転させずに「ひざ蹴り」が平沼に直撃していたらとんでもないことになっていたでしょう。平沼が重症だったら清原は引退を迫られたかもしれません。清原の「防衛本能」とたぐい稀な「運動神経」が大惨事を免れた要因でした。

 翌日、清原が謝罪に来ましたがロッテのベテラン陣に怒鳴り付けられて直接の謝罪はできなかったようです。後年、テレビ番組で清原が謝罪して、今では仲の良いコンビになっていますね。

 名将持丸監督を招聘して今では甲子園常連校となった専松、共学校に変わって水泳では何人もオリンピック選手を輩出している商大付属、時代が変わって今では筆者も横浜に住んでいますがチバテレは見ることができます。高校野球は千葉ですね。

 ということで、本日までは商大付属を応援していましたが、明日からはベスト8に進んだ専松の応援に専念できることになりました(笑)。


2026年7月18日土曜日

訂正のお知らせ

 2025年11月16日付けブログ「22年 7月 月間MVP」において、打撃部門受賞の森下重好について「初受賞」とお伝えしていましたが、森下重好は21年 5月にも受賞していますので、「通算2度目」に訂正させていただきます。

 読者の方からのご指摘で訂正することが多いですが、これは自分で気が付きました。

 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。 


2026年7月17日金曜日

22年 阪急vs金星 15回戦

8月31日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 3 1 0 0 4 阪急 40勝42敗3分 0.488 野口二郎
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 金星 30勝49敗2分 0.380 重松通雄 江田孝

勝利投手 野口二郎 17勝12敗 
敗戦投手 重松通雄 10勝10敗

二塁打 (金)西沢
三塁打 (急)青田 (金)大友
本塁打 (急)青田昇 10号


青田昇が10号ホームランでトップに立つ

 第20節4日目、後楽園の第1試合は野口二郎と重松通雄の先発で午後1時丁度、西垣球審の右手が上がりプレイボール。

 重松は3回まで毎回四球を出すが無失点。4回、5回は三者凡退に抑える。

 野口二郎は4回までパーフェクトピッチング。5回、打撃好調の西沢道夫に右中間二塁打を許すが無失点で切り抜ける。

 阪急は6回表、一死後青田昇がレフトスタンドに第10号ソロを叩き込んで1点を先制、野口明は四球、昨日4安打の田中幸男は左前打、野口二郎はストレートの四球で一死満塁、二死後日比野武の左前タイムリーで2-0、金星ベンチはここで重松から江田孝にスイッチ、安井鍵太郎が押出し四球を選んで3-0とする。

 阪急は7回表、一死後青田が右中間に三塁打、野口明の中犠飛で4-0と突き放す。

 金星は7回裏、先頭の大友一明が右中間に三塁打、一死後西沢が三遊間にタイムリーを放ち1-4とするが反撃もここまで。

 野口二郎は4安打無四球1三振の完投で17勝目をマークして藤本英雄とハーラー二位タイに並ぶ。野口二郎は7月28日の段階では10勝11敗であったが、それ以降は7勝1敗。8月の月間MVP投手部門は真田重蔵、清水秀雄、川崎徳次の争いに見えたが、野口二郎もダークホースに浮上してきた。

 青田昇が2試合連続の第10号本塁打を放ってトップに立った。二位タイは森下重好、大下弘、山本一人が9本で並んでいる。本塁打王争いも激しくなってきた。

2026年7月12日日曜日

22年 東急vs太陽 10回戦

8月30日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 4 0 1 3 8 東急 30勝46敗2分 0.395 黒尾重明 
0 1 0 0 0 0 0 2 0 3 太陽 36勝44敗3分 0.450 湯浅芳彰

勝利投手 黒尾重明 10勝12敗 
敗戦投手 湯浅芳彰   1勝3敗

二塁打 (東)大下、白木、清水 (太)森下2

勝利打点(東)鈴木圭一郎 1

猛打賞 (東)白木義一郎 1


鈴木圭一郎が4打点の活躍

 甲子園の第2試合は黒尾重明と湯浅芳彰の先発で午後3時14分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 太陽は2回裏、先頭の中谷順次が左前打で出塁、伊勢川真澄の三ゴロの間に中谷は二進、荒川昇治の右前タイムリーで1点を先制する。

 太陽先発の湯浅芳彰は5回まで1安打無失点の好投を見せる。

 東急は6回表、先頭の苅田久徳監督の当りは三ゴロ、これをサード中谷が一塁に悪送球する間に打者走者の苅田は二塁に進み、長持栄吉の遊ゴロで苅田がスタートを切ってショート松井信勝が三塁に送球するがセーフ、野選が記録されて無死一三塁、大下弘は四球で無死満塁、五番ファースト白木義一郎が中前にタイムリーを放ち1-1の同点、鈴木圭一郎が中前に2点タイムリーを放ち3-1と勝越し、センター森下重好からの三塁送球が悪送球となる間に一走の白木まで生還して4-1とリードする。打者走者の鈴木は三塁に進んで無死三塁、ここで太陽はサードを中谷から平野徳松に交代、記録はセンター森下の悪送球であったが藤本定義監督の目にはサード中谷が捕れたと映ったか、大沢喜好の三ゴロで平野が三走鈴木を本封したのでこの交代は正解であった。

 東急は8回表、先頭の大下が一塁線を破る二塁打、白木も三塁線を抜くタイムリー二塁打を放ち5-1と突き放す。

 太陽は8回裏、一死後森下が左中間に二塁打、二死後伊勢川が二遊間をゴロで抜く中前タイムリー、これをセンター一言多十が後逸する間に伊勢川は二塁、三塁を回って一気にホームイン、記録はシングルヒットで打点は1だったが3-5と追い上げる。

 東急は9回表、先頭の清水喜一郎が三塁線を破る二塁打、トップに返り一言はストレートの四球、苅田もストレートの四球で無死満塁、長持の二ゴロで三走清水は本封、一死満塁から大下が押出し四球を選んで6-3、二死後鈴木圭一郎が中前に2点タイムリーを放ち8-3として試合を決める。

 黒尾重明は10安打2四球3三振の完投で10勝目をマークする。

 鈴木圭一郎は2本の2点タイムリーを放って4打点の活躍であった。

 鈴木圭一郎は、現在は熊耳武彦と併用されているが、1952年と53年は捕手として全試合全イニング出場を記録することになる。娘は有名ピアニストである。