実況のとおり、昭和21年9月12日、中部vsタ軍のダブルヘッダー第2試合は語り継がれるべき名勝負となりました。
杉浦清監督は1点リードの8回裏に手痛いタイムリーエラーを犯しますが、9回裏には藤村富美男監督のサヨナラ二塁打を防ぐ中継プレーを見せ、12回表に決勝の2点タイムリー三塁打を放ちました。
藤村富美男監督も5回裏に逆転の2点タイムリー二塁打を放ち、8回表には一死二三塁で杉浦清監督の三ゴロをバックホームして三走服部を刺し、12回裏には中前打で出塁して御園生の三塁打で1点差に迫るホームを踏むなど、両軍監督の意地と意地がぶつかり合う好ゲームとなったのです。
当ブログは森下博と藤原鉄之助の走塁が勝負の分岐点と見ました。森下はこの日がプロ入り3試合目の出場で3回裏に初めて打席に立ち四球で初出塁、長谷川善三の右飛に目測を誤り併殺を喫ました。これは試合経験の不足が原因です。藤原は5回表に先頭打者で三塁打を放ち、三村の二ゴロでスタートを切りかけますがセカンド宮崎剛がサードに送球すると帰塁して野選を誘いました。中部はここから5点を取ります。
中盤のこの二つの走塁が勝負の明暗を分けたと見ます。
客観的に見て、タ軍が戦後復活初年度の優勝を逃した最大の原因はこの日の最下位中部とのダブルヘッダーに連敗したことにあります。
最下位に低迷する中部は9月7日のゴ軍戦で16対1の快勝をしてチームが変わりました。この日のダブルヘッダーで10対7、10対9の死闘を制したことで、選手たちの勝負に対する考え方も変わったと考えられます。
藤原鉄之助は赤嶺旋風で昭和24年に巨人に移り、正捕手として巨人の戦後初優勝に貢献します。
小鶴誠、金山次郎、三村勲は松竹水爆打線に名を連ねてセリーグ初代優勝の核となります。
加藤正二はプロでは優勝経験がありませんが、現役引退後は母校の中央大学監督としてリーグ戦優勝に導きます。
服部受弘は8年後も中日ドラゴンズに在籍しており、チーム初優勝に貢献します。
古川清蔵は現役引退後は競馬評論家に転じて勝負の世界に生き続けます。
このような語り継がれるべき試合を語り継ぐのが、当ブログの使命です。
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