2019年5月20日月曜日

復活


 「翌16日、私は、早速大阪・中之島にある朝日新聞大阪本社を訪ねた。そのころ運動部の姿は消えていた。戦前最後の同社運動部長だった渡辺文吉氏は、当時厚生部長の任にあった。・・・飛行機事故でなくなった東口真平氏のお悔やみを述べた。東口氏は大阪本社の運動部長で、戦前の全国中等学校優勝野球大会育ての親とも言うべき人だったが、終戦直前の7月13日に殉職された。あいさつを終わった後、昨日、奈良公園で考えたことどもを述べた。青少年に光明を与えるため、一日も早く中等学校野球大会を再開してほしいと熱を込めて話した。自分もそのためには最善の努力をすると誓った。」
 *佐伯達夫著「佐伯達夫自伝」より

 朝日新聞社内では「時期尚早」論が大宗を占めていたが、佐伯の訪問を契機として、中等学校野球大会復活に向けて動き出し、運動部次長・芥田武夫らの活躍により、全国中等学校野球連盟が結成されることとなる。

 佐伯が朝日を訪れたのは昭和20年8月16日、敗戦の翌日のことであった。

 

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