7月3日 (月) 甲子園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 朝日 5勝11敗1分 0.313 大橋一郎 内藤幸三
0 0 0 0 3 1 0 0 X 4 阪神 13勝3敗1分 0.813 若林忠志
勝利投手 若林忠志 11勝2敗
敗戦投手 大橋一郎 0勝2敗
二塁打 (神)御園生
三塁打 (神)塚本
勝利打点 塚本博睦 1
御園生崇男が2点タイムリー二塁打
阪神の先発は森田明義。森田のプロでの登板はこの1試合だけとなる。
朝日は2回、先頭の菊矢吉男が三塁にヒット、大橋一郎が中前打を放って無死一二塁、大島渡の投前バントをピッチャー森田が三塁に送球して二走菊谷は三封、広田修三が四球を選んで一死満塁、続く田端義夫の初球はボール、阪神はここで森田を下げて若林忠志監督がマウンドに上がり、田端の三ゴロで三走大橋は本封、トップに返り酒沢政夫は投ゴロに倒れて無得点。
阪神は5回、先頭の門前真佐人が死球を受けて出塁、続く若林も死球を受けて無死一二塁、武智修が送りバントを決めて一死二塁、トップに返り塚本博睦の中犠飛で1点を先制、金田正泰の一塁ヒットで二死一三塁、御園生崇男の右中間二塁打で二者還り3-0とする。
阪神は6回、先頭の呉昌征がストレートの四球で出塁、続く本堂保次の打席で呉は二盗、本堂は左飛、門前真佐人は左邪飛に倒れるが、若林の打席で呉が三盗を決めて二死三塁、更にキャッチャー吉田弘の三塁牽制が悪送球となって呉が生還、4-0とする。
阪神は森田と若林で完封リレー、若林は11勝目をあげる。
森田明義は通算登板数1試合。1回3分の1を投げて2安打2四球無三振無失点、キャリアの通算防御率は0.00である。森田は昭和17年と18年も阪神で選手登録されていたが未出場。プロでの成績は昭和19年だけとなるが、10年後の昭和29年に四国鉄道局の三番ファーストで第25回都市対抗野球大会に出場することとなる。
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