2019年6月28日金曜日

吉江一行の奮闘


 飛田穂州の指示により相田暢一が買い集めておいた野球用具は相田の応召後、早稲田大学野球部倉庫に眠っていた。この乱雑に積み重ねられていたボール300ダース、バット300本、ノックバット10数本を管理したのが早稲田大学野球部戦前最後の主将、福島県磐城中学出身の吉江一行であった。

 当ブログで伝えている各校の復活戦では、早稲田大学野球部に残されていた野球用具が使用されたのである。吉江は応召後、戦病死する。相田は2014年に野球殿堂入りし、近年急速に評価が高まっている。



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