0 3 1 0 0 0 0 0 1 5 巨人 4勝7敗 0.364 小松原博喜 川崎徳次
0 0 0 4 0 1 5 0 X 10 近畿 8勝3敗 0.727 丸山二三男 中谷信夫
勝利投手 中谷信夫 2勝1敗
敗戦投手 小松原博喜 2勝1敗
二塁打 (巨)内堀、小松原、川上 (近)山本、飯田2
三塁打 (近)筒井
勝利打点(近)飯田徳治 1
猛打賞 (近)飯田徳治(4安打)1
仏の徳さん
甲子園の第2試合は丸山二三男と小松原博喜の先発で午後3時22分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。
巨人は2回表、先頭の川上哲治が左前打で出塁、平山菊二はストレートの四球で無死一二塁、ここで二走川上が丸山の牽制に釣り出されてタッチアウト、中島治康の三ゴロで平山は二進して二死二塁、丸山の二塁牽制がセンターに抜ける悪送球となる間に平山が生還して1点を先制、多田文久三は四球で出塁、内堀保の左越えタイムリー二塁打で2-0、小松原もレフト線にタイムリー二塁打を放ち3-0とする。
巨人は3回表、一死後千葉茂が四球で出塁、川上の右越え二塁打で一死二三塁、近畿はここで丸山から中谷信夫にスイッチ、平山の遊ゴロで三走千葉が還って4-0と突き放す。
巨人は4回表、先頭の多田が四球で出塁、内堀の二遊間ゴロをセカンド安井亀和が捕球すると二塁ベースを踏んで一塁転送してゲッツー、この併殺で試合の流れが変わった。
近畿は4回裏、先頭の田川豊が四球で出塁、山本一人監督の右中間タイムリー二塁打で1-4、飯田徳治のレフト線にタイムリー二塁打を放ち2-4、堀井数男は四球で無死一二塁、中谷の二飛に二走飯田が飛び出してしまいゲッツー、しかし筒井敬三がセンター左奥にタイムリー三塁打を放ち3-4と1点差、朝井昇の「遊ゴロをショート田中資昭が失して4-4の同点に追い付く。
近畿は6回裏、先頭の山本が四球から二盗に成功、飯田が中越えに2打席連続となるタイムリー二塁打を放ち5-4と勝ち越す。
近畿は7回裏、先頭の朝井が三遊間を抜いて出塁、巨人ベンチはここで先発の小松原から川崎徳次にスイッチ、トップに返り安井の投ゴロでランナーが入れ替わり、河西俊雄の右前打で一死一三塁とチャンスを広げ、田川の右前タイムリーで6-4、山本が四球を選んで一死満塁、飯田が左前に2点タイムリーを放ち8-4、堀井も中前にタイムリーを放ち9-4、中谷は四球で一死満塁、筒井の遊ゴロ併殺崩れの間に三走飯田が還ってこの回5点、10-4と突き放す。
巨人は9回表、3本のヒットで1点返すが時すでに遅し。
没落する巨人と上昇気流に乗る近畿を象徴する試合となった。
ルーキー飯田徳治は開幕から5番に抜擢されてきたがここまで打率2割2分5厘と期待に応えられなかった。この日は4打数4安打4打点二塁打2本と爆発。通算1,978安打を記録することとなる飯田にとって、この試合が起点となったのである。
後年、横浜平和球場で行われた引退試合。皆川に追い込まれてからの外角球はストライクにも見える際どい球で田代球審の右手が上がりかけたが、キャッチャー野村が咄嗟に「今のはボールです」。田代の右手は上がらず、難を逃れた飯田はその後の球を右中間に弾き返して引退試合に花を添えたのである。
温厚な性格から「仏の徳さん」と慕われた飯田徳治らしいエピソードである。
*1965年3月27日に飯田徳治の引退試合が行われた横浜平和球場(通称:ゲーリッグ球場)。
写真は1976年7月、神奈川軟式準決勝。打席のスラッガーは筆者。平和球場はこの年を最後に解体され、現在の横浜スタジアムに生まれ変わりました。
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