1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 巨人 1勝1敗 小松原博喜
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 東急 0勝2敗 黒尾重明
勝利投手 小松原博喜 1勝0敗
敗戦投手 黒尾重明 0勝1敗
二塁打 (巨)千葉、川上
勝利打点(巨)川上哲治 1
小松原博喜、完封でプロ入り初勝利
開幕週2日目、後楽園の第2試合は小松原博喜と黒尾重明の先発で午後3時5分、澤球審の右手が上がりプレイボール。
巨人は初回、先頭の山川喜作が四球を選んで出塁、黒沢俊夫は捕邪飛、スコアカードにバント失敗の記載はないがここは送りバント失敗の可能性がある。千葉茂が左中間に二塁打を放って一死二三塁、川上哲治の二ゴロの間に三走山川が還って1点を先制する。
巨人は2回以降、2つの併殺でチャンスを潰すなどして無得点が続く。
4回までノーヒットの東急は5回裏、一死後黒尾が右前にチーム初ヒットを放つが続く大沢喜好が投ゴロ併殺に倒れて無得点。
東急は7回裏、先頭の飯島滋弥がレフト線にヒット、大下弘の一ゴロでランナーが入れ替わり、長持栄吉の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー。
小松原博喜は9回一死から鈴木清一に中前打を許すが後続を抑え、3安打1四球4三振の完封で1勝目をあげる。昭和17年に大和でプロ野球人生をスタートした小松原は戦前は未勝利、この勝利がプロ初のものとなった。
昭和13年第15回センバツ、横浜商業時代の小松原は初戦で前年優勝投手の浪華商業村松長太郎と対戦した。小松原は40歳で早逝することになるが、戦時中の飛行訓練中に事故死した村松とは対照的に戦後はプロ野球の世界で長く活躍することとなる。
小松原はY校時代は外野手、ショート、投手をこなす運動能力に秀でたプレイヤーであった。プロでは投手からスタートするが、昭和22年に多田文久三が投手に専念することになり小松原は野手に転じてその才能を開花させる。多田は、昭和17年に小松原が1試合最多四球14個(当時、1994年に野茂が16個で更新)を記録した時の対戦投手でもあった。
走攻守に優れた成績を残しており、昭和30年の国鉄時代にはリーグ最多二塁打を記録する。本塁打はパワーがあれば誰にでも打てるが、二塁打は打撃技術が高いバロメーターとして評価できる。昭和30年首位打者の川上は147安打で二塁打15本であるが、小松原は98安打で二塁打29本である。川上のパワーが落ちていた時代ではあるが、小松原の打撃技術の高さを物語っている。
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