2011年9月19日月曜日

14年 イーグルスvs金鯱 4回戦


5月14日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 1 0 0 2 イーグルス 11勝14敗1分 0.440 中河美芳
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 金鯱        6勝18敗      0.250 中山正嘉


勝利投手 中河美芳 4勝3敗
敗戦投手 中山正嘉 5勝6敗


二塁打 (イ)中河 (金)佐々木、古谷

イーグルス、4併殺で守り勝ち


 細かい雨が降り続きグラウンドコンディションは悪かったが、イーグルス守備陣が悪条件の中で守り抜いた勝利であった。

 イーグルスは初回、先頭の寺内一隆が四球で歩き山田潔が送りバントを決めたが後続無く、2回も杉田屋守のヒットと辻信夫の四球で一二塁とするが無得点。3回、先頭の寺内が中前打で出塁、山田の送りバントは強すぎてファースト古谷倉之助が二塁に送球してフォースアウト、しかし中山正嘉が太田健一、中河美芳に連続四球を与えて一死満塁、菅利雄が押出し四球を選んで1点を先制する。

 4回~6回は無安打に終わったイーグルスは7回、先頭の寺内が中前打で出塁、山田が本日2つ目の送りバントを決めて一死二塁、太田は二飛に倒れるが中河が前進守備のレフトの頭上を抜く二塁打を放って2-0とする。

 金鯱は8回、先頭の山本次郎に代わる代打岡野八郎が四球で出塁、佐々木常助が送って一死二塁、武笠茂男が左前打を放って一死一三塁、野村高義の右邪犠飛で岡野が還って1-2とする。

 金鯱は9回、一死後中山が四球を選んで出塁、浅井太郎に代わる代打磯部健雄が右前打を放ち、磯部の代走に永井正尚が起用されて一死一二塁と一打同点のチャンスを作るが、荒川正嘉は三ゴロに倒れてサード漆原進が三塁ベースを踏んで二死一二塁、岡野が投ゴロに倒れて試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 イーグルスのトップバッター寺内一隆が4打数2安打1四球2得点、2本の中前打で出塁するといずれもホームに還ってきた。

 イーグルス守備陣は4つの併殺を完成させた。2回の一死一二塁で「1-4-3」、4回の無死一塁で「6-4-3」、6回の一死一塁で「1-6-3」、7回の一死満塁で「5-2-3」と、バッッテリーを含む内野陣全員が関与した。

 中河美芳は9安打を浴びながら4四球1死球3三振で三試合連続完投勝利を飾った。


 このところ金鯱の三番に定着してきた野村高義が右邪犠飛を記録した。ファウルフライが犠牲フライとして記録されたのは公式記録ではこれが史上初となる。野村は花の13年組として享栄商業からジャイアンツに入団したが13年は春秋合計で17打数1安打に終わり今季金鯱に移ってきた。巨人を出たのは大正解で金鯱の三番に定着してきた。今季は13本の二塁打を打つこととなるが、一位の中島治康の22本には敵わないが吉原正喜の14本と比べても遜色はない。三塁打は6本打つこととなるが、一位の川上哲治の12本には敵わないが中島治康の8本と比べても遜色はない。


 巨人を出て成功したピッチャーは山内、松原等多いのですが打者では船田和英が成功事例として知られています。巨人で燻ぶっていた船田は1966年、田中久寿男とのトレードで西鉄ライオンズに移り主力打者に成長します。ヤクルトに移ってからも主力打者として活躍し続け、特に1978年の日本シリーズでも活躍してヤクルト初の日本一の立役者となり、紅白歌合戦では角、若松と共にゲスト出演しています。審査員は山本浩二でしたが。因みにこの年の紅組のトリを務めた山口百恵はプレイバックPart2を歌う際、他のNHKの番組では「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤な車」と歌っていたところ、紅白の場で「真っ赤なポルシェ」と歌いました。「いいのかよー」と思った覚えがあります。徐々に世の中に商業主義が押し寄せてきた頃のことです。

 巨人と西鉄間は意外とトレードが多く、巨人はONの後ろの五番打者を西鉄のベテランに求める傾向がありました。船田との交換で獲った田中久寿男もそうですが、最大の成功事例は宮寺勝利との交換で獲った高倉照幸でしょう。ONが不振の時にホームランを連発し、当時の読売新聞に高倉がダイヤモンドを回る写真と共に「ONが打たなくても」という見出しが躍っていました。

 黒い霧後に川上が稲尾に同情して高橋明を譲ったという美談が伝わってますが、この時も交換で広野功を獲っています。私は川上が広野を狙っていただけと踏んでいます。広野はこの年、代打逆転サヨナラ満塁本塁打を打っています。正確には、この時のトレードは高橋明・田中章・梅田邦三と広野功・浜村健史の三対二の交換トレードです。巨人でも準エースだった高橋明には不満があったようですが、田中章は巨人では全く出番は無く西鉄でリリーフエースに成長し、梅田も巨人では出番が無く西鉄に移って球界随一のフィールディングを誇る守備の名手として活躍しました。広野は慶大時代からスラッガーとして知られており、浜村もドラフト一位の大型内野手ですから巨人は全く損をしておらず、美談が権力者サイドによる作り話であることは見え見えです。





*西鉄時代の船田のサイン。船田が28を着けていたのは1966年の一年間だけですから貴重なものです。








*高倉のライオンズ・メモリアルのサイン入りカード。高倉氏は地元でリトルシニアの指導者をされているようです。福岡南リトルシニアのホームページによると、現在は会長兼総監督を務めておられるようです。







*船田、広野、高橋明のカバヤ・リーフ ベースボールカード







*カバヤ・リーフは1960年代ですから40年以上前のカードがこれだけの状態で残っているのは貴重でしょう。







          *広野は中日時代になります。








*高橋明が西鉄に移籍してきた時、同姓同名の「高橋明」外野手がいました。あまり試合には出ていませんが、出場した時はスコアボードには「高橋外」と表示されました。



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