2011年9月7日水曜日

14年 イーグルスvsジャイアンツ 3回戦



5月5日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10  計
0 0 1 0 0 0 1 0 0  0   2 イーグルス     6勝13敗1分  0.316 望月潤一
0 0 1 0 0 0 0 1 0 1X  3 ジャイアンツ 13勝5敗          0.722 中尾輝三 スタルヒン


勝利投手 スタルヒン 8勝3敗
敗戦投手 望月潤一  0勝3敗


二塁打 (イ)中河、漆原 (ジ)水原、白石、井上、スタルヒン

千葉茂、サヨナラ快打


 4月29日~5月2日にかけて甲子園球場でトーナメント方式による「大毎杯争奪戦」が行われた。すなわちリーグ戦の途中にトーナメント戦が行われるという強行軍である。決勝はジャイアンツが阪急を破って優勝したが、恵まれた環境に慣れきった現在の選手会であれば、またぞろ「ストライキだぁ~」と騒ぎだすことでしょう。

 イーグルス先発は望月潤一、ジャイアンツ先発は中尾輝三と両左腕ピッチャーの対決。病気療養後の望月は3月29日以来の登板、中尾も怪我をしていたようで3月31日以来の登板となる。

 ジャイアンツは五番センターにアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)を起用する。リベラは4月26日に来日して大毎杯を見物しながら練習に励んでおり、既に聯盟登録も終えている。センターのレギュラーだった千葉茂はレフトに入る。

 ジャイアンツは初回、先頭の白石敏男が四球で出塁、続く水原茂が左翼線に二塁打を放っていきなり無死二三塁のチャンスを作る。しかし千葉は投ゴロ、中島治康、リベラは連続三振に倒れる。この場面を翌日の読売新聞は「望月の好投は・・・中島、リベラと続けざまに懸河の如きドロップを以って三振に退けた・・・」と伝えている。

 イーグルスは3回、先頭の寺内一隆が左前打で出塁、山田潔の投ゴロをスタルヒンは二塁に投げるがベースカバーに入ったショート白石がこれをエラーして無死一二塁、太田健一が送って中河美芳の二ゴロの間に寺内が還って1点を先制する。

 ジャイアンツは3回裏、先頭の白石が右翼線に二塁打、水原死球でこちらも無死一二塁、千葉の捕前送りバントはキャッチャー伏見五郎から三塁に送られてフォースアウト、中島が左前にタイムリーを放って1-1の同点に追い付く。

 イーグルスは7回、先頭の漆原進が左翼線に二塁打、寺内の投前送りバントを中尾が一塁に送球するがこれをファースト永澤がエラーする間に漆原が還って2-1と勝ち越す。続く山田が四球を選ぶとジャイアンツベンチは中尾を下げてスタルヒンを投入して後続を断ちきる。

 ジャイアンツは8回、先頭のスタルヒンの遊ゴロをショート山田が一塁に悪送球、白石が送って一死二塁、水原の三ゴロをサード漆原がエラーする間にスタルヒンが還って2-2の同点に追い付く。


 スタルヒンは代わってから10回まで一人の走者も出さずにパーフェクトリリーフ。

 ジャイアンツは10回裏、先頭のスタルヒンが右翼線に二塁打、白石の送りバントが内野安打となって無死一三塁、白石が二盗を決めると水原敬遠で無死満塁、ここで千葉が右翼線に快打を放ってサヨナラ勝ち。

 日本デビューを果たしたアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)は三振、遊ゴロ、投ゴロで3打数無安打に終わった。因みに「日本プロ野球50年史(ベースボール・マガジン社編)」でも「アチラノ・リベラ」表記となっています。




          *中尾輝三、望月潤一ともに久々の登板。




2 件のコメント:

  1. 親父のこの時期の病気療養に関してですが、私の全くの想像ではありますが、兵役に関係したことで大学へ入学手続きをとり、ある程度実際に授業を受け、学生の身分を取得するための期間だったのではないでしょうか。(当時はまだ学徒出陣前) 時期が4月であり、親父が「俺も大学生だったことがある。」との言っていたのを思い出してハッとしました。目的は1つですが、当時それは本人も関係者も口が裂けても言えないことだったと推測します。

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  2. 兵役免除を目的に大学に籍を置くことは当時のプロ野球選手では多く見られたようですが、中河美芳の場合はこれが原因で憲兵に目を付けられたようです。

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