2013年7月31日水曜日

唖然



 Wikipediaの「近藤久」の項には「川上哲治に初ヒットを打たれた投手でもある」と書かれていますがこれは間違いです。川上の初ヒットは昭和13年5月14日のイーグルス戦で亀田忠から放った中前打です。同年5月29日のライオン戦で近藤から打った二塁内野安打は通算2本目のことです。間違いの元が「元ベースボールマガジン編集長・U氏」のブログだというのも唖然とさせられますね(2013年7月30日現在)。スコアブックを見なくても、ベースボール・マガジン社発行「日本プロ野球記録大全集」を見れば分かるのですが。


 因みに、Wikipediaの「小田野柏」の項には「川上哲治がプロ入りして最初に対戦した投手が小田野柏である(結果はセンターフライ)」と書かれていますがこちらも間違いで、昭和13年5月1日の阪急戦で川上が小田野と対戦したプロ入り初打席は「ライトフライ」と記録されています。こちらはスコアカードを見ないと分からないでしょうが。小田野柏の母校である岩手県立福岡中学校(現・岩手県立福岡高等学校)の「野球部創部100周年誌」である「陣場台熱球録」では「プロに進んだ5人のサムライたち」として小田野柏が紹介されていますが、「後に打撃の神様と呼ばれる川上哲治がプロ入りして最初に対戦した投手が小田野柏であった。この時は、見事センターフライに打ち取っている。」と誤った記述が見られます。同誌は立派な出来であるだけに惜しいことです。





*昭和13年5月14日、川上哲治は3回の第一打席でプロ入り初ヒットとなる中前打を記録しましたが、この時の対戦相手はイーグルスの亀田忠でした。








*昭和13年5月29日、川上哲治は3回の第一打席でプロ入り2本目のヒットとなる二塁への内野安打を記録しましたが、この時の対戦相手がライオンの近藤久だったのです。











*昭和13年5月1日、川上哲治はプロ入り初打席でライトフライに倒れています。この時の対戦相手は小田野柏でした。当時の記録者の「9」と「8」は肉眼では判別し辛いのは事実ですが、拡大鏡で見れば確実に判別できますので川上のプロ入り初打席は「右飛」です。三原脩の第一打席「F-8」と見比べてみてください。筆者は全てのプレーを拡大鏡を使って確認しておりますのでご安心ください。













 

2013年7月30日火曜日

15年 金鯱vsライオン 13回戦


11月30日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 金鯱      34勝61敗7分 0.358 古谷倉之助
0 2 1 0 0 1 0 0 X  4 ライオン 24勝73敗4分 0.247 近藤久

勝利投手 近藤久        9勝20敗
敗戦投手 古谷倉之助 9勝18敗

二塁打 (金)上野
本塁打 (金)坪内 1号

勝利打点 坪内道則 3


近藤久、最後の勝利

 ライオンは2回、一死後前田諭治がストレートの四球で出塁、近藤久の三前バントが内野安打となって一死二塁、トップに返り坪内道則の左前タイムリーで1点を先制、鬼頭政一が四球を選んで一死満塁、野村高義の二ゴロの間に三走近藤が還って2-0とする。

 ライオンは3回、二死後前田が左前打で出塁、レフト黒澤俊夫が逸らす間に前田は二進、近藤の二ゴロをセカンド五味芳夫が失する間に前田が還って3-0とする。

 ライオンは6回、一死後坪内がレフトにホームランを放って4-0とする。

 近藤久は初回、一死後室脇正信に中前打を許すが森田実を遊ゴロ、黒澤を二ゴロに打ち取る。
 近藤は2回、先頭の上野義秋に四球を与え、一死後古谷倉之助に右前打を許すが柴田多摩男を中飛、五味を投ゴロに打ち取る。


 近藤は4回、先頭の上野に左前打を打たれ、一死後古谷に四球を与えて一二塁とするが柴田を三ゴロ併殺に打ち取る。得意のスクリューボールでしょうか。

 近藤は6回、二死後上野に左中間に運ばれ二塁打とするが倉本信護を右飛に打ち取る。

 近藤は8回、二死後黒澤に三塁内野安打を許すが上野を三ゴロに打ち取る。

 近藤久は最終回の金鯱の攻撃を遊ゴロ、二飛、三振の三者凡退に抑えて5安打4四球5三振、今季6度目の完封で9勝目をあげる。


 昭和11年からプロに在籍している近藤久は今季限りでプロの世界を去ることとなる。恐らく応召でしょう。昭和11年には勝星がないので、当ブログは近藤が記録した昭和12年以降の33勝、10完封を全てお伝えしてきました。当ブログに欠かせない名物投手でした。近藤は愛知県の名門・名古屋商業の出身です。当ブログでは近藤の投手人生を同校の後輩となる城山三郎の代表作である「粗にして野だが卑ではない」と表現させいただきました(2013年3月9日付けブログ「15年 南海vsライオン 10回戦 」参照)。








          *近藤久は今季6度目の完封で9勝目、プロ生活最後の勝利を飾る。








 

15年 黒鷲vsライオン 13回戦


11月29日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 2 3 2 0 0 0 8 黒鷲      46勝50敗4分 0.479 亀田忠 中河美芳
1 0 0 0 0 0 5 0 0 6 ライオン 23勝73敗4分 0.240 菊矢吉男 井筒研一 福士勇 山本秀雄

勝利投手 亀田忠 26勝21敗
敗戦投手 福士勇   7勝21敗
セーブ     中河美芳 2

二塁打 (黒)中河
三塁打 (黒)木下

勝利打点 山田潔 4


亀田忠、ヨレヨレの26勝目

 黒鷲は初回、一死後杉田屋守が四球で出塁するが寺内一隆の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 ライオンは初回、先頭の坪内道則が三前にセーフティバントを決め、村上重夫の遊ゴロの間に坪内は二進、更に三盗を決めて一死三塁、灰山元章は三振に倒れるが、鬼頭数雄が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 黒鷲は2回、先頭のサム高橋吉雄が左前打で出塁、亀田忠も左前打で続いて無死一二塁、しかし中河美芳の二ゴロは「4-6-3」と渡ってダブルプレー、二死三塁から木下政文が右前にタイムリーを放って1-1の同点とする。

 黒鷲は3回、先頭の岩垣二郎が四球で出塁、ここでライオンベンチは先発の菊矢吉男から井筒研一にスイッチ、2回から杉田屋に代わってライトの守備に入っている太田健一が四球を選んで無死一二塁、寺内一隆の投ゴロで二走岩垣は三封、高橋が四球を選んで一死満塁、亀田の遊直にに二走寺内が飛び出しダブルプレー。黒鷲は3イニング連続ゲッツーを喫した。

 黒鷲は4回、先頭の中河美芳が左中間に二塁打、ライオンベンチは井筒に代えて三番手として福士勇をマウンドに送る。木下の三ゴロで二走中河が飛び出しサード鬼頭政一が二塁に送球、中河は三本間に挟まれるがセカンド戸川信夫からの送球を鬼頭(弟)が落球して中河は二塁に戻り無死一二塁、清家忠太郎の三前バントが内野安打となって無死満塁、山田潔の右犠飛で2-1、トップに返り岩垣の右前タイムリーで3-1とする。

 黒鷲は5回、先頭の大田が2打席連続四球を選んで出塁、二死後亀田が中前打、中河が左前にタイムリーを放って4-1、木下の右中間三塁打で二者還って6-1と突き放す。ライオンベンチは四番手として山本秀雄をマウンドに送り、清家は二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 黒鷲は6回、先頭の山田が右前打、トップに返り岩垣は三前にバントヒット、5回から太田に代わってライトに入っている谷義夫が右前にタイムリーを放ち7-1としてなお一死一三塁、寺内は遊飛に倒れるが、高橋の三塁内野安打で三走岩垣が還って8-1とダメ押したかに見えた。

 ライオンは7回反撃を開始、6回まで7三振6四球の亀田忠のコントロールはますます乱れ、山本、坪内、村上に12球連続ストライクが入らず三者連続ストレートの四球、灰山がツースリーから押出しの四球を選んで2-8、鬼頭(兄)の左犠飛で3-8、鬼頭(弟)がワンスリーから四球を選んで一死満塁、戸川がツースリーから押出し四球を選んで4-8、黒鷲ベンチはここで亀田を下げてファーストの中河をマウンドに送る。伊勢川眞澄は三振に倒れて二死満塁、加地健三郎が中前に2点タイムリーを放って6-8と追い上げる。


 中河美芳は8回、9回のライオンの反撃を無安打に抑える。亀田忠は6回3分の1を投げて137球で3安打12四球7三振6失点とヨレヨレのピッチングながら26勝目をあげる。好リリーフの中河には当ブログルールによりセーブが記録される。水島新司作・野球狂の詩で岩田鉄五郎が登場するのは「よれよれ18番」でした(笑)。










           *亀田忠は6回3分の1を投げて12四球ながら26勝目をあげる。











 

2013年7月29日月曜日

ドラフトへの道 2013 ⑦



 本日は神奈川の準決勝です。


 第一試合は横浜高校が東海大相模を7対0で降しました。横浜vs相模戦は常に満員札止めとなりますが、本日も横浜球場は満員札止めでした。筆者が横浜に住んでいた頃、横浜球場には自転車で通っていましたが、夏の高校野球は満員札止めで入れないことがよくありました。2001年の決勝、横浜vs桐光学園戦はライトスタンドで見ていましたが、この時横浜高校のセンターは1年生の荒波翔でした。こういう奴がプロに行くんだろうな~と思って見ていました。この年甲子園で見せた低い弾道の右中間三塁打を覚えている方も少ないでしょう。筆者がプロ入りを確信した瞬間でした。


 第二試合は平塚学園が桐蔭学園を3対2で降して98年の甲子園出場以来15年ぶりの決勝進出を果たしました。98年は80回記念大会で平塚学園は“西神奈川代表”でしたので、“神奈川代表”を賭けて戦うのは初めてのこととなります。初回に2点を取られながら粘り強く試合を進め、5回に犠飛で1点、8回に相手ボークで同点に追い付き、9回は二死無走者からのサヨナラ勝ちでした。横浜有利は否めないところではありますが、当ブログが応援するのは平塚学園となります。




 

2013年7月28日日曜日

15年 金鯱vs名古屋 13回戦


11月29日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 金鯱     34勝60敗7分 0.362 中山正嘉 内藤幸三 
1 5 0 0 1 0 0 0 X  7 名古屋 55勝41敗5分 0.573 村松幸雄

勝利投手 村松幸雄 21勝13敗
敗戦投手 中山正嘉 18勝28敗

二塁打 (名)三浦
本塁打 (名)村瀬 3号

勝利打点 桝嘉一 5


村瀬一三、満塁ホームラン

 名古屋は初回、先頭の村瀬一三が四球で出塁、芳賀直一が送って一死二塁、桝嘉一が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 名古屋は2回、先頭の三浦敏一が左翼線に二塁打、中村三郎の三前バントが内野安打となって無死一三塁、本田親喜が四球を選んで無死満塁、続く村松幸雄の打席は「1-4’A」と記録されている。ピッチャー中山正嘉からの送球を一塁ベースカバーに入ったセカンド五味芳夫が落球したものであるが、五味が一塁ベースカバーに入ったということはスクイズを警戒してファーストの上野義秋は突っ込んできたのでしょう。スクイズであれば村松に犠打が記録される可能性が高いので、前進守備の裏を突いてヒッティングに出たものと推測できる。村松には打点が記録されています。ということで2-0としてなお無死満塁、トップに返り村瀬がレフトスタンドに満塁ホームランを叩き込んで6-0とする。

 金鯱は3回から先発の中山正嘉に代えて内藤幸三をマウンドに送り込む。

 名古屋は5回、一死後吉田猪佐喜が左前打から二盗に成功、三浦が右前にタイムリーを放って7-0とする。

 村松幸雄は3安打2四球2三振、2試合連続完封で21勝目をあげる。


 進藤昭著「戦場に散ったエース 村松幸雄の生涯」には村松と小西得郎監督の「絆」についての記述が見られる。この年、綿布加工製品を主に取り扱っていた村松の実家「村友」は戦時統制により廃業することとなり、村松の一家は東京に出てくる。村松の妹の静枝さんは小西の自宅に下宿して鐘紡銀座店に勤めることとなった。食費を渡そうとすると、「そんなものはいらないよ。お金をもらうくらいなら預からないよ。」。


 村松幸雄の戦死公報が届いた日に小西が村松の実家にいたのは、こうした経緯から小西一家が村松の実家に疎開していたからであった。


 満塁ホームランを放った村瀬一三と2試合連続完封を飾った村松幸雄は戦死することとなる。


 筆者の実家は戦前まで大阪で金物商を営んでいたようですが倒産したと聞いています。詳しい経緯は知りませんが、戦時統制により金物を扱えなくなったからでしょう。







        *村松幸雄は好調金鯱打線を3安打に抑えて2試合連続完封を記録する。












     *村瀬一三が満塁ホームランを放った名古屋打線。













          *村松幸雄と固い「絆」で結ばれていた小西得郎のサイン色紙。








 

昭和15年東西対抗



 ここで一旦ペナントレースを中断して東西対抗が行われました。


 11月23日の第一戦は4対3で東軍の勝ち、24日の第二戦は1対0で西軍の勝ち、11月25日付け読売新聞によると若林忠志が完封、決勝点も「三塁走者岩本(義行)と呼吸を合わせて若林の敢行したスクイズ気味のヒットエンドランが見事に的中したものであって攻守にわたる若林の功績は大きい。」とのことです。三塁に走者を置いてのヒットエンドランと言えば、2012年現在でも村中監督率いる東海大甲府が得意としている戦法です。若林の記録は3打数無安打1打点で、試合展開からして第4打席は回ってきていませんのでスクイズによる犠打が記録されたのではなく、内野ゴロによる1打点が記録されたこととなります。


 25日の第三戦は近藤久-若林忠志の完封リレーで西軍が3-0で勝ちました。この試合の勝利投手は近藤なので6回からリリーフした若林にはセーブが記録されたことになります。東軍は左腕近藤久の先発を読んでいたようで、セカンドに苅田久徳、レフトに千葉茂を起用しています。


 この大会では若林忠志が最高殊勲選手に選出されました。





 

15年 翼vs名古屋 13回戦


11月20日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 6 2 0 0 2 12 翼       52勝37敗10分 0.584 浅岡三郎
0 0 0 0 2 0 0 3 0  5 名古屋 54勝41敗5分 0.568 松尾幸造 西沢道夫 岡本敏男 大沢清

勝利投手 浅岡三郎 13勝9敗
敗戦投手 松尾幸造 11勝13敗

二塁打 (翼)苅田、石井、小林 (名)中村
三塁打 (翼)西岡 (名)本田
本塁打 (名)大沢 2号

勝利打点 なし


西岡義晴、走者一掃の三塁打

 翼は初回、苅田久徳、横沢七郎が連続四球、高橋輝彦は中飛に倒れ、続く小林茂太の中飛で二走苅田はタッチアップから三進、柳鶴震の遊ゴロをショート村瀬一三がファンブルする間に三塁に進んでいた苅田が還って1点を先制してなお二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて2-0、無安打で2点を先制する。

 翼は5回、先頭の苅田が四球で出塁、横沢は三飛に倒れるが高橋、小林連続四球で一死満塁、名古屋ベンチはここで先発の松尾幸造から西沢道夫にスイッチ、柳が左前に2点タイムリーを放って4-0、浅岡三郎はストレートの四球で一死満塁、西岡義晴が左中間に走者一掃の三塁打を放って7-0、佐藤武夫が左前にタイムリーで続いて8-0とする。

 4回まで浅岡の前に内野安打1本に抑えられてきた名古屋は5回裏、先頭の中村三郎は左中間に二塁打、一死後本田親喜が右中間に三塁打を放って1-8、西沢道夫が中前にタイムリーを放って2-8と追い上げる。

 名古屋は6回から三番手として岡本敏男がマウンドに上がる。

 翼は6回、二死後小林が四球で出塁、柳の右翼線ヒットで二死一三塁、浅岡が右前にタイムリーを放ってなお二死一三塁、西岡が中前にタイムリーを放って10-2と突き放す。

 名古屋は8回からサードの大沢清が四番手のマウンドに上がる。

 名古屋は8回裏、先頭の三浦敏一が右前打で出塁、桝嘉一の遊ゴロをショート柳がファンブルして無死一二塁、四番ピッチャー大沢が右翼スタンドにスリーランホームランを叩き込んで5-10と追い上げる。

 翼は9回、苅田が左翼線にヒットを放つが二塁を欲張ってタッチアウト、しかし横沢が左前打、石井豊が左翼線に二塁打を放って一死二三塁、小林が右翼線に二塁打を放って12-5として試合を決める。

 浅岡三郎は9安打5四球2三振の完投で13勝目をあげる。


 西岡義晴が4打数2安打1得点4打点、三塁打1本の活躍を見せた。5回の満塁走者一掃の三塁打が光ったが、翌日の読売新聞では「柳の三塁打が満塁の走者を一掃し」と誤報道されていますのでご注意ください。真実は当ブログにあります。


 大敗を喫した名古屋ではリリーフに出た大沢清が得意の右打ちで右翼スタンドに本塁打を放った。大沢はプロ通算で46本塁打を記録することとなるが、“ピッチャー大沢”としての本塁打はこの1本だけの可能性があります。大沢は昭和12年に名古屋に入団していますので当ブログでは大沢清のプロでのプレーは全て把握しています。この日のホームランがプロ入り後通算5本目となりますが、過去の4本はピッチャーの時ではありません。なお、プロ入り後放った5本のホームランは全てライトスタンドに叩き込んだものです。大沢清の右打ち伝説には欠かせないエピソードとなるでしょう。昭和13年5月28日の甲子園でのセネタース戦の3回にも右翼にホームランを放っていますがこの試合は降雨コールドゲームとなっていますので読売新聞の記事は残されておらず、スタンドインしたのかどうかは分かりません。ランニングホームランの可能性もあります。広い甲子園で右にホームランを打ったことが確認できている右打者は景浦将だけなので、ノーゲームとは言え大沢清がスタンドインさせていれば歴史的意義は大きいのですが。


 16安打で12得点の翼打線の強打が目立ったが、初回の2点を先制した場面は無安打であった。小林茂太の右飛で二走苅田久徳が三塁を奪った走塁が光る。遊失での得点もダブルスチールも苅田の走塁が呼び込んだものであった。









                 *浅岡三郎は9安打完投で13勝目をあげる。










     *大量12得点の翼打線。










     *大沢清がライトスタンドにスリーランを放った名古屋打線。

























 

2013年7月27日土曜日

ドラフトへの道 2013 ⑥



 混戦の千葉県を制したのは木更津総合(旧・木更津中央)でした。千葉を連覇したのは96年~98年に三連覇した市立船橋以来のこととなります。当ブログでは千葉県高校野球史をシリーズでお伝えする予定にしておりますが、まだまだ資料を収集中ですので今しばらくお待ちください。本日はほんのさわりだけお伝えいたします。


 市船以前の連覇は73年、74年の銚子商業でした。74年はエース土屋、2年生の篠塚を擁して全国制覇したのはご存知のとおりです。銚子商業は69年~72年まで東関東大会に4年連続出場していますので六連覇の可能性がありましたが72年までは千葉県予選は準決勝で打ち切られていましたので決勝戦は行われておりません。千葉と茨城から2校ずつ出場する東関東大会で甲子園出場校が決まる訳です。


 木更津総合は4回目の夏の甲子園となりますが、木更津中央時代は銚子商業、習志野、千葉商業の後塵を拝して夏の甲子園には出たことがありませんでした。71年のセンバツに出場した時は「銚子商業、習志野じゃなくてだいじょうぶなのかなぁ~」と思いながら神戸の祖母宅で見ていたところ、何と次々と強豪を破ってベスト4に進出して野球王国千葉を立証しました。夏の千葉県予選では67、68、70年がベスト4、73年は決勝に進出しましたが延長12回の激戦の末9対7で銚子商業に敗れました。79年、81年はベスト4、96年もベスト4でした。2000年には決勝に進出しましたが浜名翔の東海大浦安に敗れています。2003年に木更津総合に校名を変更して夏の甲子園に初出場、今回が4度目となります。昨年は初戦で大阪桐蔭に当たってしまいましたが今年はどうでしょうか。


 一方、四強寡占状態の神奈川は横浜高校、東海大相模、桐蔭学園、平塚学園が準決勝に進出しました。横浜と桐光学園の星の潰し合いがありましたので四強に次ぐ平塚学園がベスト4に進出、準々決勝では今大会旋風を巻き起こした向上高校を5対4で破りました。平塚学園は98年夏の甲子園に出場していますがこの大会は80回記念大会で神奈川県は東西に分割されて平塚学園は西神奈川代表でした。因みに東神奈川代表は松坂大輔を擁して優勝した横浜高校です。平塚学園は転校前の中居正広が在籍していたことでお馴染みですね。「男の勲章」の嶋大輔も平塚学園ですが、中居君もかなりのヤンキーだったようです。


 向上(こうじょう)高校は古くからの神奈川県高校野球ファンにとっては懐かしい名前です。84年には決勝に進出して桐蔭学園に延長14回の末9対6で敗れました。14回表に桐蔭に5点を取られながら14回裏には2点を返して粘りを見せています。この時の向上のエースが高橋智でした。194センチと体がデカかったことから阪急では「デカ」と呼ばれました。あぶさんにもよく登場していましたね。プロでは打者に転向して2年連続20本塁打を記録しました。桐蔭のエースは志村でした。慶應大学でも活躍した志村はプロには進まず三井不動産に就職して“元祖・投げる地上げ屋“桑田に次いで“二代目・投げる地上げ屋”を襲名しました。










            *“二代目・投げる地上げ屋”志村亮の直筆サインカード。







 

15年 黒鷲vs金鯱 13回戦


11月20日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 黒鷲 45勝50敗4分 0.474 中河美芳
0 0 0 0 0 0 0 4 X 4 金鯱 34勝59敗7分 0.366 古谷倉之助 中山正嘉

勝利投手 中山正嘉 18勝27敗
敗戦投手 中河美芳   7勝14敗

二塁打 (黒)岩垣 (金)上野

勝利打点 山川喜作 1


秘蔵っ子

 金鯱先発の古谷倉之助は5回まで黒鷲打線をのらりくらりと3安打無得点に抑える。

 一方、黒鷲先発の中河美芳もスローカーブが冴えて5回まで好調金鯱打線を無安打無得点に抑える。

 黒鷲は6回、先頭の寺内一隆が四球で出塁、サム高橋吉雄が中前打を放って無死一二塁、中河の投ゴロをピッチャー古谷が三塁に送球するがサード倉本信護が落球して無死満塁、太田健一の中飛義で1点を先制する。

 金鯱は6回裏、松元三彦が中前に初安打、五味芳夫の三前バントが内野安打となって無死一二塁、トップに返り濃人渉の投前送りバントはピッチャー中河が三塁に送球して松元は三封、室脇正信の三ゴロはサード木下政文がそのままベースを踏んで後には三封、森田実の一塁内野安打で二死満塁、しかし黒澤俊夫は二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 金鯱は7回から古谷に代えて中山正嘉をマウンドに送る。

 金鯱は8回、松元が左前打で出塁、五味がストレートの四球を選んで無死一二塁、トップに返り濃人は左飛に倒れるが、室脇がツースリーから四球を選んで一死満塁、森田が中前に同点タイムリーを放ち1-1としてなお一死満塁、石本秀一監督はここで前の打席で満塁のチャンスに二ゴロに終わった四番黒澤に代えて代打に山川喜作をおくる。山川は期待に応えて中前に決勝タイムリーを放って2-1と逆転、上野義秋が左翼線に止めの二塁打を放って4-1とする。

 リリーフの中山正嘉は3イニングを無安打1四球1三振無失点に抑えて18勝目をあげる。


 四番黒澤俊夫に代わる代打に出て決勝打を放った山川喜作は13日の黒鷲戦では代打でタイムリー、15日の阪神戦でも延長11回に代打で同点タイムリー、16日の阪神戦ではスタメンでサードに起用されて2打数1安打2四球、そして本日の決勝タイムリーという活躍ぶりを見せいる。


 1922年生まれの山川は現在18歳、活躍ぶりは戦後の巨人時代と山川武範に改名する広島時代の方が有名かもしれませんが、プロ入り直後からこの活躍であったことをお忘れなく。「Wikipedia」には「石本秀一の秘蔵ッ子」と書かれており引用先は「竹中半平『背番号への愛着』」となっています。同著には「金鯱以来の子飼いの山川」、「石本は特に山川に目をかけていたと見えて」、「秘蔵っ子というかんじであったが」などと書かれている。


 翌日の読売新聞には「・・・同点とすると石本監督は秘蔵の山川を繰り出し・・・」と書かれており「山川の一打こそ洵に千金に値すべく、対黒鷲戦の快勝、対阪神戦の奇勝といい、山川の代打成功は金鯱に重大勝因を齎しその大活躍は大いに賞揚する。」とも書かれている。竹中半平先生の脳みそに「山川は石本監督の秘蔵っ子」とインプットされたのは、この記事を読んでいたからでしょう。








           *四番黒澤俊夫の代打山川喜作が決勝打を放った金鯱打線。







 

2013年7月26日金曜日

ドラフトへの道 2013 ⑤



 松井の夏が終わりました。明暗を分けた1球は初回、1点を先制してなお一死一三塁で迎えた松井の第一打席、ワンストライクからの2球目を引っ張って飛距離は十分でしたがポールの右に切れました。あれが入っていれば桐光学園が準決勝に進出していたでしょう。


 昨夜の④では2回まで見た段階で「ストレートが高目に浮いている。まだ立ち上がりだからでしょうが。」と書かせていただきました。4回、高浜に打たれた同点ホームランはチェンジアップが落ちずに絶好のホームランボールとなったものを捕えられました。7回、浅間に打たれたストレートは高目の失投、コーナーに決まっていればあの高さでも打ち取れたでしょうが、ボール一つ中に入ったところを見逃さなかった浅間に狙い打たれました。春の関東大会の花咲徳栄戦で打たれた2本の二塁打も高めの失投でした。


 伏線となったのは背番号17の九番根本の打席でした。根本はグリップを離して構えるいかにも粘り強そうなタイプ、ツーツーからの松井が決めに行ったインストレートを強振してレフトにファウルした時点で勝負あったという感じでした。6球目のスライダーが高目に抜けてツースリーからの7球目は一塁へのポップフライ、一塁手が手を上げて二塁手がカバーに回ったところで一塁手がベースに走ってしまいました。白球は内野にポトリと落ちて内野安打、お見合いに見えたかもしれませんが経緯は前述のとおりです。


 松井はこの1年、トーナメント用のピッチングを続けてきました。昨年の活躍から、今年は甲子園制覇しか目標が無くなってしまったことに起因しています。その一つがチェンジアップにあった訳ですが、それがアダとなりました。プロでは連投はないので、本来のピッチングを見せてくれると考えます。多少高目に浮いてもコーナーに決まれば打てないので微妙なコントロールを磨くことです。左ピッチャーのくせに牽制が下手なので足でかき回される可能性が高い。


 ともあれ、あのスライダーの魅力には勝てません。当ブログのドラフト1位候補は桐光学園の松井、2位候補は東海大甲府の渡邉諒で変わりません。


 横浜の2年生高浜はロッテの高浜の弟で2014年ドラフト上位候補です。既にプロ並みのスウィングと見ているのは当ブログだけではないでしょう。同じく2年生の浅間も二番打者とは言え1年生の昨年、神奈川予選で2ホームランを放っている好打者で、ドラフトされてもおかしくはありません。「ドラフトへの道 2014」も乞うご期待(笑)。




 

15年 阪急vs 名古屋 13回戦


11月17日 (日) 神戸市民

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急     59勝36敗5分 0.621 浅野勝三郎
0 0 0 0 0 0 1 0 X  1 名古屋 54勝40敗5分 0.574 村松幸雄

勝利投手 村松幸雄     20勝13敗
敗戦投手 浅野勝三郎 11勝7敗

勝利打点 なし


勝負師

 阪急は2回、先頭の上田藤夫の三ゴロをサード芳賀直一がエラー、しかし新富卯三郎の送りバントは捕邪飛に終わり、上田が二盗を試みるもキャッチャー三浦敏一からの送球にタッチアウト、この後伊東甚吉、中島喬が連続左前打を放つがフランク山田伝は中飛に倒れる。

 名古屋は2回裏、先頭の大沢清が四球で出塁、吉田猪佐喜が中前打を放って無死一二塁、しかし中村三郎の三ゴロは「5-4-3」と「黒田の蟻地獄」にはまりダブルプレー、三浦敏一も左飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 阪急は5回、二死後山田が左前打、黒田健吾が右前打を放って一二塁とするが浅野勝三郎は中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 6回まで浅野勝三郎と村松幸雄による投げ合いが続いて0対0。

 名古屋は7回、先頭の大沢が四球で出塁、吉田の遊ゴロをショート上田が二塁に送球するがセカンド伊東が落球、中村の三前送りバントをサード黒田が一塁に悪送球、犠打エラーとなって無死満塁、三浦の三ゴロはサード黒田が本塁に送球して三走大沢は本封、キャッチャー井野川利春は返す刀で一塁に送球するがセーフ、この隙を突いて二走吉田は三塁ベースを蹴ってホームに突っ込みホームイン、1点を先制する。

 村松は7回、8回と走者を出すが中飛、投直でラッキーなダブルプレー。9回二死から伊東に左前打を打たれ、代走西村正夫は決死の盗塁を試みるが又もキャッチャー三浦が刺して試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 村松幸雄は7安打3四球2三振で今季初完封、20勝目をあげる。


 村松を伝える進藤昭著「戦場に散ったエース 村松幸雄の生涯」には古川清蔵による回想が掲載されている。「村松は西沢より確実性があってエースとして認められていた。緩い球ではぐらかしたかと思うとスーッと真ん中に速い球を投げる、という具合で巧者といえた。速い球ではなかったが軟投というほどでもない。先発もリリーフもいけた。とにかく勝負強かった。」


 終戦直後の昭和20年8月24日、村松の戦死公報が届いた時、小西得郎は村松の実家に疎開していた。「昭和19年9月30日マリアナ諸島で戦死」とあった。「幸のような運の強いやつが死ぬわけがない。あいつは麻雀でもものすごく勝負強かったんだ。きっと帰ってくるよ。」戦死と聞いた瞬間、小西も言葉を詰まらせたがすぐに、その場を陽気にとりなした。皆を元気づけようとの気配りだった。


 20勝目をあげたこの日の村松のピッチングは、その勝負強さを遺憾なく発揮したものであった。








            *村松幸雄は勝負強さを発揮して完封で20勝目をあげる。








 

ドラフトへの道 2013 ④



 本日は少し視点を変えてベスト16が出揃った5回戦の試合を分析してみましょう。準々決勝進出をかけた5回戦は合計8試合が行われます。千葉県の8試合の得点差は1点差が3試合、2点差が1試合、3点差が2試合、5点差が1試合、7点差が1試合でした。神奈川県は引分け再試合が1試合、1点差が1試合、3点差が1試合、4点差が1試合、5点差が1試合、6点差が2試合、10点差が1試合でした。


 当ブログは常々、千葉は30校にチャンスがあり、神奈川は四強に集中していると書いていますが、5回戦の得点差がそれを物語っていますね。千葉県の16強はどこが甲子園に行ってもおかしくはない程実力差がないので5回戦でも接戦が多い。神奈川は四強に素質のある選手が集中するので5回戦当たりではまだまだ得点差が大きい。千葉からは3年連続してセンバツには選出されていないことからも分かるように、素質のある選手がばらけて突出したチームができにくい。


 これは両県の人口移動動向と密接に関係しています。


 神奈川県では昔から横浜、川崎、相模原に人口が集中しているので、それぞれの地域を代表する横浜高校、桐蔭学園、桐光学園、東海大相模に有力選手が集中します。それに続くのが横浜隼人、慶應ブランドを利用して特待生を集める慶應高校で、地価が高くて面積が小さい湘南地区は人口が増えにくいので名門・日大藤沢は近年苦戦が続きます。


 千葉県は房総地区の公立校の凋落が激しく、県央の木更津総合(旧・木更津中央)が何とか踏ん張っていますが、銚子商業と成東が没落し、昔は上位進出の常連であった安房、君津も近年は厳しい戦いが続いています。近年急激に開発されて人口が急増している東葛地区北部(野田市、流山市、柏市、我孫子市、松戸市、鎌ケ谷市)に近年の強豪校が集中してきています。その中でも異彩を放つのが昔からベスト8の常連ながら甲子園出場のない専大松戸です。持丸監督を招聘して機が熟してきました。千葉県の甲子園出場校を予想するのは無謀ではありますが、当ブログは専大松戸が初出場を果たすと予想しております。


 本日の神奈川準々決勝で横浜高校が松井を破りました。桐光学園が甲子園に行かないという予想は当たりましたがシナリオは少し変わりました。テレビ神奈川のネット配信は予想通りアクセスが殺到しているようで、途切れ途切れの中継になっており、まだ2回までしか見れていませんので④を先にアップして、⑤で松井のピッチングを分析する予定です。2回まで見たところでは、ストレートが高目に浮いている。まだ立ち上がりだからでしょうが。


 それにしてもテレビ神奈川で高校野球中継を担当する佐藤亜樹アナの取材力は素晴らしい。こういう中継を聞いていると気分が高揚してきますね。本当にスポーツ中継が好きなんだなというのが伝わってきます。





 

2013年7月25日木曜日

15年 ライオンvs南海 13回戦


11月17日 (日) 神戸市民

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 1 2 ライオン 23勝72敗4分 0.242 山本秀雄 福士勇 菊矢吉男
6 0 0 0 0 0 0 1 X 7 南海      26勝68敗6分 0.277 政野岩夫
 
勝利投手 政野岩夫 11勝23敗
敗戦投手 山本秀雄   0勝1敗

二塁打 (ラ)鬼頭(兄)
三塁打 (南)前田貞行

勝利打点 清水秀雄 9


清水秀雄9個目の勝利打点

 南海は初回、先頭の岩出清がセンター右にヒット、岡村俊昭の一ゴロで岩出は二封、岩本義行が四球を選んで一死一二塁、清水秀雄が右前に先制タイムリーを放って1-0、ライオンベンチは早くも先発の山本秀雄をあきらめて福士勇を投入、吉川義次が左翼線にタイムリーを放って2-0、上田良夫が左前にタイムリーを放って3-0、政野岩夫は三振に倒れるが、藤戸逸郎が左翼線にタイムリーを放って4-0、前田貞行が左中間に三塁打を放って6-0、ライオンベンチは福士もあきらめて三番手として菊矢吉男を投入、トップに返り岩出が二ゴロに倒れてようやく南海の攻撃が終了する。

 南海先発の政野は6回までライオン打線を1安打無得点に抑える。

 ライオンは7回、先頭の鬼頭数雄が右中間に二塁打、鬼頭政一は四球、戸川信夫に代わる代打近藤久の一ゴロの間に鬼頭兄弟が進塁して一死二三塁、前田諭治に代わる代打野村高義は三振に倒れるが、広田修三が左前にタイムリーを放って1-6とする。

 南海は8回、二死後岩出、岡村が連続四球、岩本が右前にタイムリーを放って7-1と突き放す。

 ライオンは9回、先頭の鬼頭(兄)が中前打、鬼頭(弟)の遊ゴロをショート前田貞行は二塁に送球するがセカンド上田が落球、加地健三郎に代わる代打伊勢川眞澄がセンター右にヒットを放って無死満塁、野村の右犠飛で2-7とするがここまで。

 政野岩夫は5安打5四球3三振の完投で11勝目をあげる。ライオン三番手の菊矢吉男は7回3分の1を投げて4安打5四球1三振1失点であった。


 鬼頭数雄が3打数2安打を記録して今季通算成績を380打数122安打として3割2分1厘、後楽園球場の川上哲治も4打数2安打を記録して今季通算成績を376打数117安打として3割1分1厘、鬼頭数雄が1分の差を付けていよいよ終盤戦に突入する。










                 *政野岩夫は5安打完投で11勝目をあげる。













 

2013年7月24日水曜日

15年 巨人vs阪神 13回戦


11月17日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 1 0 0 2 巨人 73勝27敗 0.730 須田博
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 阪神 60勝36敗3分 0.625 三輪八郎 藤村隆男

勝利投手 須田博     37勝11敗
敗戦投手 三輪八郎 14勝5敗

二塁打 (巨)吉原2
三塁打 (巨)川上(弾丸ライナー)

勝利打点 川上哲治 18


弾丸ライナー

 巨人vs阪神の今季最終戦は須田博、三輪八郎の先発で午後1時45分、横沢三郎主審の右手が上がりプレイボール。

 巨人は4回まで毎回ヒットを放つが3回、4回と併殺を喫して無得点。

 巨人は5回、先頭の呉波が四球で出塁すると二盗を試みるがキャッチャー土井垣武からの送球にタッチアウト。更に平山菊二が四球で出塁すると二盗を試みるが又も土井垣からの送球にタッチアウト。

 一方、須田は完璧な投球を見せて阪神は5回まで毎回三者凡退、すなわちパーフェクトピッチングである。

 巨人は6回、一死後水原茂が三塁に内野安打、中島治康は右飛に倒れるが、川上哲治が痛烈に右中間を破る三塁打を放ち1点を先制する。

 巨人は7回、先頭の吉原正喜が左前打で出塁、呉が死球を選んで無死一二塁、阪神ベンチはここで先発の三輪をあきらめて藤村隆男をマウンドに送る。平山の投ゴロで二走吉原は三封、須田が中前にタイムリーを放って2-0とする。

 阪神は8回、中田金一に代わる代松木謙治郎が中前打、土井垣に代わる代打カイザー田中義雄の遊ゴロの間に松木は二進、藤村の右前打で一死一三塁、宮崎剛に代わる代打若林忠志が四球を選んで一死満塁、トップに返りジミー堀尾文人の遊ゴロをショート白石敏男が失する間に三走松木が還って1-2とする。

 巨人は7回~9回にも併殺を喫して合計5併殺を記録するが阪神に快勝して秋季シリーズは対阪神戦4連勝となった。

 須田博は4安打2四球3三振の完投で37勝目をあげる。


 6回に川上哲治が右中間に放った三塁打は“弾丸ライナー”であった。当時、都新聞の記者であった大和球士は翌日の都新聞に「最も見ごたえのあったのは、6回、水原を還した川上の三塁打である。・・・低目の直球を川上が猛振すると、球は快音を立て、内野線を地上5尺位いの低目で飛んでいくライナーになって、そのまま球は伸びに伸びて右中間の塀に4バウンドで達したのであった。日本球界広しと云えども川上ただ一人しか打てない“弾丸ライナー”である。」と書いた。これが現在でも頻繁に使われる“弾丸ライナー”が初めて活字となった瞬間である。





               *須田博は4安打完投で37勝目をあげる。






     *川上哲治が6回に“弾丸ライナー」を放った瞬間。


























 

ドラフトへの道 2013 ③



 各県の予選も終盤戦に突入しております。全国随一の激戦区、神奈川県もベスト8が出揃いました。今年は横浜高校がAシードではなかったため、左ブロックに東海大相模、桐光学園、横浜高校に加えて横浜隼人が集まり、右ブロックは桐蔭学園と日大藤沢がAシードとなりました。


 5回戦を勝ち上がってベスト8に進出したのは左ブロックからはBシードの横浜隼人を激戦の末に降した横浜高校、松井を温存しながら圧勝を続ける桐光学園、県立の強豪が集まったブロックからはBシードの県立湘南を3回戦で破って勝ち上がってきた県立海老名を破ってCシードの県立弥栄が勝ち上がり、東海大相模が順当に勝ち上がってきました。右ブロックはくじ運に恵まれたCシードの慶應義塾高校、4回戦でAシードの日大藤沢を破って波に乗るノーシードの向上高校、密かに甲子園を狙うBシードの平塚学園、桐蔭学園が勝ち上がってきました。但し桐蔭学園は昨日の横浜創学館戦で延長15回2対2引の分け再試合、本日4対3で振り切って勝ち上がってきたものです。


 準々決勝最大の注目は桐光学園vs横浜高校となります。当然松井が先発するでしょう。テレビ神奈川では準々決勝以降の試合を夜10時からネット放映しますので是非ご覧ください。アクセス殺到でつながらなくなると予想しておりますが(笑)。県立の星・弥栄も相模には苦戦するでしょう。向上vs平塚学園は順当に平塚学園でしょうか。桐蔭学園vs慶應高校は慶應にチャンス到来です。連日の激戦となった桐蔭は中1日の休養では厳しいのではないでしょうか。今年の軟式では1回戦で桐蔭学園が慶應高校を1対0で降しました。硬式は雪辱すると見ています。


 決勝に進出するのは桐光学園と慶應高校と予想します。甲子園には松井を破って我が母校となるのではないでしょうか(笑)。まぁ特待生だらけですから威張れませんが。


 と言うことで、当ブログのドラフト1位候補は桐光学園の松井、2位候補は東海大甲府の渡邉諒で変わりません。




 

2013年7月23日火曜日

15年 翼vs黒鷲 13回戦


11月17日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 2 0 0 0 3 6 翼     51勝37敗10分 0.580 金子裕 三富恒雄 浅岡三郎
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 黒鷲 45勝49敗4分 0.479 中河美芳
 
勝利投手 浅岡三郎 12勝9敗
敗戦投手 中河美芳   7勝13敗

二塁打 (翼)佐藤、高橋、織辺、小林 (黒)木下
本塁打 (翼)小林 4号

勝利打点 小林茂太 7


小林茂太4打点

 黒鷲は初回、二死後寺内一隆の三ゴロをサード横沢七郎がエラー、サム高橋吉雄が左前打を放って二死一二塁、中河美芳が左前打、二走寺内は強引にホームに突っ込み、タイミングはアウトであったがレフト織辺由三からのバックホームをキャッチャー佐藤武夫が後逸する間に寺内がホームイン、1点を先制する。

 翼は3回、先頭の苅田久徳が四球で出塁、横沢が送って一死二塁、高橋輝彦が左翼線にヒット、送球の間に高橋が二塁に進んで一死二三塁、小林茂太の遊ゴロで二走高橋が一瞬飛び出すとショート山田潔は二塁に送球、しかし高橋はセーフ、野選が記録されて一死満塁、柳鶴震の右犠飛で1-1の同点に追い付く。

 翼は5回、先頭の苅田が左翼線にヒットを放つが二塁を欲張りタッチアウト、二死後高橋が左中間に二塁打、小林が左翼スタンドに決勝のツーランホームランを叩き込んで3-1と逆転する。

 翼は9回、先頭の織辺が左中間に二塁打、トップに返り苅田の一塁内野安打で無死一三塁、一死後高橋が中前にタイムリーを放って4-1、小林が右中間に止めの二塁打を放って6-1として勝負を決める。


 小林茂太が5打数3安打1得点4打点、二塁打1本、本塁打1本の活躍を見せた。当ブログでは「戦前最高のクラッチヒッター」と呼んでいます。小林は今季限りでプロ野球を去ることとなる。恐らく応召でしょう。小林はプロで通算10本の本塁打を記録しましたが、本日の本塁打が通算10本目となります。今季は49打点を記録しますが、中島治康、川上哲治、吉田猪佐喜に次いで第四位、首位打者の鬼頭数雄を上回ることとなります。





     *小林茂太が4打点を記録した翼打線。
















 

2013年7月22日月曜日

考察



 今年のオールスターゲームではホームランが出ませんでした。これは昭和28(1953)年以来、60年ぶりとのことです。この点に関しては、明日以降各種マスコミ、サイトが色々と書くでしょうから、実況中継をお休みして他の方々の意見を拝見する前に当ブログの見解を公表します。


 各投手が渾身のストレートを投げたからホームランが出なかったという記事が多く出ると思いますが、ストレートにタイミングを合わすことができない各打者のレベルが落ちていることに起因していると思います。トップレベルの一流打者がメジャーに流出しているのでこれは至極当たり前のことであると考えています。日本に残るトップのレベルの天井が低くなっている訳ですから、それに続く層のレベルも低くなるのは物理的に当り前のことであると考えます。


 現在の“互助会”マスコミでは、投手のレベルが上がって150キロ以上の球を投げて打者も渾身のスウィングで応えているのだから打てなくても仕方がない、清々しい名勝負であった、と礼賛記事のオンパレードとなる事は目に見えていますが、私はトップレベルの水準が低下しているからであると考えています。


 私の目には、オリックスの佐藤達也のボールだけは勢いのあるボールに見えました。他のピッチャーのボールはどうでしょうか。スピードガンの数字だけに頼るのは危険です。


 マスコミが批判記事を書かなくなったのは取材拒否を恐れてのことだと思いますが(と、批判を恐れず敢えて書かせていただきます)、マスコミが体制におもねて批判精神を忘れては存在意義を否定することになるのではないでしょうか。これが杞憂であって、当ブログに同調する記事があふれることを期待しますが、まぁ無理でしょう。私にも現状認識くらいはできますので。



 当ブログの見解は今思い付いた訳ではなく、常々考えてきたことです。ようやくここにきて勢いのある若手が増えてきたことは認めています。私が日本のプロ野球を見なくなってからかなりの年数が経ちますが、数年ぶりにスカパーと契約してみようかと考えているのも事実です。本来であればあまり見ていない現在の日本のプロ野球に関して口を挟む資格はないのですが、また少しずつ見ていこうかと考えている次第です。




 

2013年7月21日日曜日

15年 南海vs阪急 12回戦


11月16日 (土) 神戸市民

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12  計
0 1 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0   1 南海 25勝68敗6分 0.269 清水秀雄
0 0 0 0 1 0 0 0 0  0   0  1X  2 阪急 59勝35敗5分 0.628 橋本正吾 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 28勝12敗
敗戦投手 清水秀雄 11勝23敗

二塁打 (南)伊藤 (急)山田

勝利打点 なし


精密機械vs奪三振マシン

 阪急は初回、西村正夫、フランク山田伝、森田定雄が三者連続三振。ここから清水秀雄の奪三振ショーが始まった。2回は日比野武、伊東甚吉が連続三振、3回は二死一二塁で森田が2打席連続三振に倒れる。

 南海は2回、先頭の清水が右前打で出塁、吉川義次は左飛に倒れるが、伊藤経盛が左中間に二塁打を放って清水がホームに還り1点を先制する。阪急ベンチはここで先発の橋本正吾を下げて森弘太郎をマウンドに送る。ここから森の精密機械のような投球が始まった。

 4回は無三振だった阪急は5回、一死後森が四球を選んで出塁、西村に代わる代打中島喬の三ゴロの間に森は二進、山田が左中間に同点二塁打を放って1-1とする。森田は3打席連続三振に倒れてスリーアウトチェンジ。

 阪急は6回、浅野勝三郎と池田久之が三振。7回は中島、山田が連続三振で清水はここまで11奪三振を記録する。

 阪急は8回、森田に代わる新富卯三郎、浅野に代わる代打山下好一が連続三振。9回も池田に代わる代打井野川利春、伊東に代わる代打田中幸男が連続三振、清水は9回で15奪三振を記録した。

 一方、南海打線は森の精密機械のような投球の前に手も足も出ず9回まで無得点、延長戦に突入する。


 南海打線は10回~12回まで無安打で得点はできず。

 阪急は10回、中島がチーム16個目の三振。11回は井野川が17個目の三振を喫す。

 阪急は12回裏、一死後中島が四球で出塁、山田の二ゴロをセカンド上田良夫がエラー、新富が四球を選んで一死満塁、山下好一の投ゴロをピッチャー清水が痛恨のエラー、三走中島がサヨナラのホームを踏む。

 森弘太郎は10回3分の2を投げて5安打1四球2死球7三振無失点で28勝目をあげる。

 清水秀雄は11回3分の1を完投して4安打10四球17三振であった。清水は10月11日のセネタース11回戦でも延長12回を投げて12三振無失点で0対0で引き分けている。


 翌日の読売新聞は「三振十七 清水の力投空し」の見出しと共に「阪急から奪った三振数は実に十七、これは聯盟三振獲得数の最高記録であり」と伝えている。しかし、昭和13年9月16日のイーグルスvsジャイアンツ戦で亀田忠が延長14回で20奪三振を記録している。この時の12回時点での亀田の奪三振も17個であった。9回時点では13個なので、この日の清水は9回時点で15奪三振を記録しているので清水が上になります。









          *森弘太郎は28勝目をあげる。清水秀雄は17奪三振を記録した。











     *清水秀雄の前に17三振を喫した阪急打線。














 

2013年7月20日土曜日

15年 ライオンvs名古屋 13回戦


11月16日 (土) 神戸市民

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 0 1 1 0 0 0 0  0  2 ライオン 23勝71敗4分 0.245 近藤久 井筒研一
0 1 0 0 0 0 0 0 2X 3 名古屋  53勝40敗5分 0.570 西沢道夫

勝利投手 西沢道夫 19勝9敗
敗戦投手 近藤久       8勝20敗

二塁打 (ラ)広田

勝利打点 服部受弘 2


永久欠番

 名古屋は2回、先頭の大沢清がピッチャー強襲ヒット、中村三郎が送って一死二塁、吉田猪佐喜が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 ライオンは3回、一死後近藤久が中前打、トップに返り坪内道則は中飛に倒れるが、村上重夫が右前打を放って二死一二塁、灰山元章の遊ゴロをショート村瀬一三が一塁に悪送球する間に二走近藤が還って1-1の同点とする。

 ライオンは4回、一死後前田諭治が四球で出塁、広田修三が左翼線にヒットを放って一死一三塁、近藤の中犠飛で2-1と逆転に成功する。

 名古屋は3回、八番、九番の本田親喜、西沢道夫が連続四球を選んで無死一二塁として上位に回すが後続なく、6回の一死一二塁のチャンスも逃し、7回の無死一二塁も併殺で潰し、8回も芳賀直一の盗塁失敗など拙攻が続いてライオン先発の近藤にかわされてきた。

 名古屋は9回裏、一死後吉田が左前打で出塁、代走に岩本章を起用、三浦敏一がセンター右にヒットを放ち、本田が四球を選んで一死満塁、ライオンベンチはここで粘りのピッチングを見せてきた近藤から井筒研一にスイッチ、名古屋ベンチは西沢に代えて代打に服部受弘を起用、服部が期待に応えて左中間に代打逆転サヨナラタイムリーを放ち名古屋が鮮やかな逆転勝利をおさめる。

 西沢道夫は4安打4四球5三振の完投で19勝目をあげる。



 11月11日に選手登録された本田親喜は11日にプロ入り初出場し、本日がプロ入り初スタメンとなった。4打席2打数2安打2四球と渋い働きを見せる。本田は来季途中で小西得郎監督の後任監督に就任することとなる。


 19勝目をあげて勝利投手となった西沢道夫は戦後は打者に転向して大打者となり、背番号15は1959年に永久欠番となる。


 代打逆転サヨナラ打を放った服部受弘は戦後は投手に転向して20勝投手となり、背番号10は1960年に永久欠番となる。


 同時代に中日に在籍した大エース・杉下茂が永久欠番となっていないのは何とも不思議です。杉下茂著「幻のメジャーリーガーとフォークボール」によると、「1958年のシーズンが終わると、中日球団は若返りの方針を打ち出した。・・・球団代表から監督を命じられたのである。・・・私より年長で看板選手である西沢道夫さんや服部受弘さんを差し置いて、監督に就任することに気が引けた。西沢さんの背番号「15」と服部さんの「10」を永久欠番にし、二人の引退試合を行うという確約をとって就任を引き受けることにした。」とのことです。

 これだけが真相かどうかは分かりませんが、戦前からチームに貢献してきた二人の功績を称えるものです。










               *西沢道夫は4安打完投で19勝目をあげる。














*西沢の代打に起用された服部受弘が代打サヨナラ逆転タイムリーを放った場面。戦後、西沢は打者に、服部は投手に転向して中日球団史上2人だけの永久欠番となる。














 

訂正のお知らせ



 7月6日付けブログ「ライオンvs黒鷲 12回戦」で、ライオンの勝敗が「23勝670敗4分」となっていました。正しくは「23勝70敗4分」です。お詫びして訂正させていただきます。本文は訂正済みです。


 何故このようなミスが生じるかと言いますと、筆者が管理しているエクセルシートでは前の試合の勝敗をコピペして書き換えるという作業を行っています。「23勝69敗4分」を「23勝70敗4分」に書き換える際、「6」を消し忘れて「23勝670敗4分」となっていることに気づかないままブログ作成画面にコピペしてしまったことに起因しております。勝敗管理シートは関数で管理していますので勝率は間違っておりませんので念のため。因みに勝敗管理シートでは各投手の勝敗をチーム毎に並べてチームの勝敗を一試合毎に管理しています。皆様にお届けするブログ画面は管理シートからコピペしたものです。


 いずれにしろ、筆者の不注意によるものでした。猛省しなければならないのは私の方でした。






 

2013年7月19日金曜日

15年 巨人vs翼 12回戦


11月16日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 巨人 72勝27敗 0.727 泉田喜義 中尾輝三
0 0 3 0 0 0 1 0 X  4 翼    50勝37敗10分 0.575 浅岡三郎 野口二郎

勝利投手 野口二郎 31勝11敗
敗戦投手 泉田喜義   1勝1敗

二塁打 (翼)苅田
三塁打 (巨)白石、水原

勝利打点 高橋輝彦 2


横沢七郎、中前打3本

 明日に阪神戦を控える巨人は泉田喜義が先発する。

 翼は3回表から早くも先発の浅岡三郎から野口二郎にスイッチ。

 翼は3回裏、一死後佐藤武夫が四球で出塁、織辺由三も四球を選んで一死一二塁、トップに返り苅田久徳は中飛に倒れるが、横沢七郎が中前打を放って二死満塁、高橋輝彦が左前に2点タイムリーを放って2-0とする。

 翼は5回、二死後苅田が右中間に二塁打、横沢の中前打で二死一三塁、しかし高橋は右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は6回、先頭の水原茂が二遊間に内野安打、二死後千葉茂が中前打、吉原正喜が左前打を放って二死満塁、ピンチの後にはチャンスあり、しかしここで野口が踏ん張り呉波は三振に倒れる。ここが勝負の分かれ目、剣が峰、功名が辻であった。

 翼は7回、一死後織辺がストレートの四球、苅田の三ゴロの間に織辺は二進、横沢が中前にタイムリーを放って4-0とする。

 野口二郎は7イニングを投げて4安打2四球5三振無失点で31勝目をあげる。翼は対巨人戦2連勝となった。と言うか、巨人はここ14戦を12勝2敗で翼にしか負けていない。


 横沢七郎が4打数3安打1得点1打点、3本のヒットは全て中前打であった。横沢は今季で戦前のキャリアは途絶えるが戦争の時代を生き抜き、戦後も第二次セネタースで活躍してプロ通算1770打席を記録することとなりますが通算本塁打は0本でした。


 バッティングの基本はセンター返し(ピッチャー返しとも言います)にあります。こんな時に私事で恐縮ですが、右打者だった筆者の大学時代(東京六大学準硬式です、念のため)の通算安打37本のうち、レフト方向へのヒットは4本だけで33本はセンターから右への当りでした。メジャーでも80~90年代はマイク・シュミット、マーク・マクガイアを始めとしてプルヒッターが多かったのですが、2000年代からはセンター返しが主流となってきました。アレックス・ロドリゲス、アルバートプホルスの右中間への本塁打は多くの方が目撃していると思います。昨年三冠王に輝いたミゲール・カブレラの44本の本塁打の内訳はレフト方向が23本、センター方向は10本、ライト方向は11本とほぼ半分がセンターから右への当りでした(全て筆者の目検によるものですから間違っている可能性があります)。今季ブレイクしたクリス・デービスもポール・ゴールドシュミットも、多くの当りがセンターから反対方向へのものです。ヤシエル・プイグの8本の本塁打の内訳はレフト方向が2本、センター方向が1本、ライト方向が5本となっており、7割5分はセンターから右方向です(プイグは右打者)。この傾向から、筆者はメジャーでそろそろ1941年のテッド・ウイリアムス以来の4割打者が誕生すると読んでいます。









      *3本の中前打を放った横沢七郎。塁審の欄には兄:横沢三郎の名前が見えます。











 

三冠への道 2013 ⑫



 前半戦が終了しましたので、MVP及びサイ・ヤング賞予想第一弾といきましょう。


 ア・リーグMVPはクリス・デービスとミゲール・カブレラの争いで間違いないでしょう。問題はどちらが獲るかです。カブレラは2年連続の壁がありますので三冠王又は4割が絶対条件になるのではないでしょうか。デービスが50本塁打に乗せて3割2分をキープしていればかなり有利になると見ています。ほぼ不可能と思われていた打点の逆転があれば堅いのではないでしょうか。デービスが3割を切ってくると混戦となります。まぁ、カブレラにはお騒がせスキャンダルリスク、デービスには薬漬けリスクがありますので何とも言えませんが。カブレラが3割3分台まで落ちてくれば打率でもマイク・トラウトに逆転の目が出てきます。デービスはぱったり止まるリスクがありますのでトラウトの可能性は捨てきれませんね。


 ナ・リーグMVPは混戦ですがヤディア・モリーナが一歩リードと言うところでしょうか。アーニー・ロンバルディ、ジョー・マウアー、バスター・ポージーに次いで捕手史上4人目の首位打者となれば、2008年から5年連続ゴールドグラブ賞という捕手としての高い評価に加えて3年連続3割となり、得票が集まる可能性が高い。ポール・ゴールドシュミットがどこまで数字を伸ばせるか、モリーナの対抗はゴールドシュミットでしょう。ヤシエル・プイグは2カ月分試合数が足りないのでまぁ無理でしょうが、規定打席に達しなくても4割を記録すれば候補にならないとも限りません。


 ア・リーグのサイ・ヤング賞はマックス・シャーザーがリードしていると考えられますが防御率が3点台のままだと万全とは言えず、ダルビッシュ有がシャーザーに奪三振で30個差を付ければ逆転すると見ています。バートロ・コロンは薬漬け疑惑で脱落するでしょう。現在防御率2位の黒田は如何にと思われる方も多いかと考えられますが、黒田の欠点は投球回数が少ないことです。登板回数が同じなのに投球回数が少ないということは、メジャーでは1試合当たりの球数制限があるので黒田は無駄なボールが多く球数が多いため1試合当たりの投球回数が少なくなるという簡単な算数の問題です。


 ナ・リーグのサイ・ヤング賞はクレイトン・カーショウが防御率トップをキープして3年連続最優秀防御率となれば2度目のサイ・ヤング賞に近付きます。当ブログはアダム・ウェインライトを応援しているのですが、12勝の勝星以外にカーショウを上回る要素がありません。最も大きな違いは被打率がカーショウ1割8分8厘に比して2割4分4厘と見劣りしすることです。サイ・ヤング賞選考基準では勝星は年々評価対象としての価値が落ちてきています。現在8勝6敗ではありますが、投球内容の良いクレイトン・カーショウ有利でしょう。







 

2013年7月18日木曜日

衝撃の告白 !?



 今月のスポニチの「我が道」は新浦壽夫です。「我が道」は1カ月かけて半生を振り返るもので、日本経済新聞の「私の履歴書」のスポニチ版です。


 本日は78年に新浦が2年連続最優秀防御率を獲得した時の話でした。このオフに世上を騒がせた「江川問題」が起きます。江川の交換要員として小林が阪神に移籍したことはよく知られているところですが、本日新浦が衝撃の告白をしています。


 「実はな。江川の交換要員は最初、おまえだったらしいぞ。それが小林に代わったんだ。」と聞かされたとのことです。但し「だが、確認したことはない。これからもするつもりはない。」とのことです。その割りには「江川の交換要員だった!?」と大きく見出しに出ていますが(笑)。


 東尾の「我が道」でも加藤初が巨人に移籍する時、最初は東尾が移籍する話が進んでいたと書かれています。


 もっと凄い「衝撃の告白!?」と言えば、川崎徳次著「戦争と野球」(ベースボール・マガジン社)に書かれているエピソードでしょう。昭和31年パ・リーグ公式戦の最終日時点で、豊田が3割2分1厘5毛、中西は3割2分4厘6毛。中西は本塁打と打点の二冠を確定しており、最終戦で豊田の打率を抜けば“三冠王”である。世上では三原監督が両人を休ませて豊田にタイトルを取らせたと伝えられているが、川崎徳次は「藤本哲男球団課長(当時)が三原監督の伝言を持ってかけつけてきた。三日後に日本シリーズを控えた優勝監督は忙しいようで『ラジオ出演や、打ち合わせなどで試合開始までに行けそうにないから(川崎に)よろしくやっといてくれと伝えてほしい』とのことであった。私はとっさに『ほかに指示はないかね』ときくと『何もない』という。『中西と豊田のことはどうしろといっていなかったかね』ときくと、チームのことは知り尽くしている藤本課長は、少々困惑した顔で『いえ、なにも・・・』といったきり沈黙してしまった。」
 川崎はふたりを呼んだという。
 川崎「どうするかい。最後までやるか。」
 中西・豊田「やってもいいですよ」
 川崎「どうする?やめるか」
 中西・豊田「どっちでもいいですよ」
 「しかしどちらかが『絶対、やる』と言えば、即座に『オレもやる』と応じそうな気迫は十分で、一触即発というか、目に見えない火花がバチバチ飛んでいる。」「二人とも一歩も引かない感じで『こりゃまずい』と直感した。」「私が決心しなければならない。『ふたりとも、きょうの試合には出るな。メンバーからはずす。いいな。』」



 「このことは巷間、三原監督が、両者が傷つくことを恐れ、中西を説得しての処置だったとされているが、なにを隠そう事実は以上のとおりである。」「この事実を、私はこれまでごく少数の人に語ったことはあるが、公表したことはなかった。あえていま、わが身の恥を多くの人に白状することによって、悔恨を少しでも軽くしたかったのである。中西、豊田よ、お許しあれ。」と書いています。


 川崎徳次著「戦争と野球」の第1版第1刷発行は1997年8月20日です。三原脩が亡くなったのは1984年の事であり、川崎徳次も2006年に亡くなっていますので真相は藪の中です。





          *本日スポニチ誌上にて「衝撃の告白」をした新浦の直筆サインカード。












*過日スポニチ誌上にて「衝撃の告白」をした東尾の直筆サインカード。貴重な「ライオンズ メモリアル」です。











*三原監督が大洋に移籍した昭和35年又は36年の川崎徳次監督時代の西鉄ライオンズ サイン色紙。













          *真ん中が川崎徳次監督、右隣が豊田泰光。その右は高倉照幸です。











                   *左が中西太、右は畑隆幸です。