2019年8月18日日曜日

21年 パシフィックvsグレートリング 1回戦


4月28日 (日) 西宮 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計 
3 0 1 0 0 0 0 0 0  0   0   3  7 パ軍 1勝1敗 0.500 真田重蔵 
1 0 2 0 1 0 0 0 0  0   0   1  5 グ軍 0勝2敗 0.000 清水秀雄 野口渉 

勝利投手 真田重蔵 1勝0敗
敗戦投手 清水秀雄 0勝1敗 

二塁打 (パ)木暮、小島、森下、湯浅、真田 (グ)岡村2

勝利打点 (パ)湯浅芳彰 1

猛打賞 (パ)松井信勝(4安打)1 (グ)岡村俊昭(4安打)1


湯浅芳彰、雪辱の代打決勝打

 西宮の第一試合は真田重蔵、清水秀雄の重量級投手同士の先発で午後0時55分試合開始。

 パシフィックは初回、先頭の富松信彦が四球を選んで出塁、木暮力三がセンター右後方に二塁打を放ち二三塁、辻井弘は二飛に倒れるが、小島利男がセンター左後方に二塁打を放ち2点を先制、森下重好は四球を選び、伊勢川真澄の三ゴロで森下は二封、二死一三塁から松井信勝が左前にタイムリーを放ち3-0とする。


 グレートリングは1回裏、一死後宮崎仁郎が左前にタイムリーを放ちを放つと二盗に成功、岡村俊昭の中前打で一三塁、山本一人が中前にタイムリーを放ち1点を返す。


 パ軍は3回表、一死後森下が左中間に二塁打、伊勢川の遊ゴロの間に森下は三進、松井の三ゴロをサード宮崎がエラー、森下が還って松井には打点が記録され4-1と突き放す。


 グ軍は3回裏、先頭の安井亀和がストレートの四球で出塁、宮崎は投飛に倒れる。バント失敗の場合はスコアカードに「BT」と書かれるがこのプレーには書かれていない。但し、送りバント失敗の可能性は否定できない。岡村がレフト線に二塁打を放って一死二三塁、山本の遊ゴロの間に三走安井が生還して2-4、堀井数男の三ゴロをサード平野徳松が一塁に悪送球する間に三走岡村が還って3-4と追い上げる。堀井には打点は記録されていない。


 グ軍は5回裏、先頭の安井がレフト線にヒット、宮崎の三ゴロをサード平野がエラーして無死一二塁、ここでダブルスチールを敢行するがキャッチャー伊勢川からの三塁送球に安井はタッチアウト、重盗失敗の片割れには盗塁は記録されないので一走宮崎は送球の間の進塁となって一死二塁、岡村が中前に同点タイムリーを放ち4-4と追い付く。


 この後、真田と清水の投げ合いが続き両軍追加点のないまま延長戦に突入。


 パ軍は12回表、先頭の森下がレフト線にヒット、伊勢川の投ゴロでランナーが入れ替わり代走に藤村隆男を起用、松井信勝がこの日4本目のヒットを中前に放ち一死一二塁、ここで藤本定義監督は昨日代打で併殺打に終わった湯浅芳彰を再び代打に起用、湯浅は期待に応えて昨日の雪辱を果たす二塁打をレフト線に放ち1点を勝ち越し、更に真田もレフト線に二塁打を放って2点を加え7-4とリードする。グ軍はここで清水を下げて野口渉をマウンドに送り、野口は連続四球で一死満塁のピンチを迎えるが、辻井弘の一ゴロが「3-6-3」と渡ってダブルプレー。


 グ軍は12回裏、先頭の桶川隆は遊ゴロに倒れ、野口に代わる代打筒井敬三はストレートの四球で出塁、吉川義次に代わる代打櫛田由美彦も四球を選んで一死一二塁、トップに返り安井が中前にタイムリーを放ち5-7、一走櫛田も三塁に走るが「8-1-5」の中継にタッチアウト、宮崎に代わる代打坂本政数も中前打を放って二死一二塁と最後の反撃、しかし期待の岡村が二飛に倒れてパシフィックが競り勝つ。


 昨日はリリーフで期待を裏切った真田重蔵が、この日は13安打7四球1三振で12回を投げ切り戦後初勝利。勝利打点は湯浅芳彰に記録されるが、12回に追撃の2点タイムリー二塁打を放った真田が打でも「並列の殊勲者」となる。


 昨日代打に起用されて併殺打に倒れた湯浅芳彰はこの日も重要な場面で代打に起用されて決勝の二塁打を放った。湯浅は滝川中学時代に春夏合計3回甲子園に出場、昭和製鋼時代はエースとして都市対抗にも出場した名投手である。本職のピッチングでは、7月26日にタイガースの渡辺誠太郎と投げ合い試合時間55分の最短記録を樹立することとなる。


2019年8月17日土曜日

21年 巨人vsセネタース 1回戦


4月27日 (土) 後楽園 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
6 0 2 0 1 1 1 0 1 12 巨人 1勝0敗 1.000 近藤貞雄 
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0  セ軍 0勝1敗 0.000 一言多十 黒尾重明 

勝利投手 近藤貞雄 1勝0敗
敗戦投手 一言多十 0勝1敗 

二塁打 (巨)千葉、近藤、諏訪、林 (セ)黒尾、横沢、長持
三塁打 (巨)千葉

勝利打点 (巨)千葉茂 1

猛打賞 (巨)千葉茂 1、黒沢俊夫 1、林清一 1


巨人、16安打12得点の猛攻

 後楽園の第2試合は午後3時17分、池田豊主審の右手が上がりプレーボール。この試合も審判は池田と島の二氏。

 巨人は初回、先頭の山田潔がストレートの四球で出塁、続く呉新亨もスリーボールツーストライクから四球、スコアカードによるとこのフォアボール目にキャッチャー熊耳武彦が二塁に悪送球、一走山田は三塁に進んだ。スリーボールツーストライクから山田がスタートを切っていたと考えられるが、フォアボール目に二塁に送球した熊耳のミスである。呉が二盗を決めて無死二三塁、ここで千葉茂が左中間をライナーで抜く二塁打を放ち2点を先制、続く黒沢俊夫はストレートの四球、セネタース先発の一言多十は一死も取れず降板して二番手として黒尾重明がマウンドに上がる。多田文久三はスリーボールツーストライクまで粘って四球を選び無死満塁、諏訪裕良がストレートの押出し四球を選んで3-0、林清一の中犠飛で4-0、近藤貞雄が四球を選んで一死満塁、山川喜作が右前に2点タイムリーを放ちこの回6点を先制する。


 巨人は3回、二死後呉がストレートの四球、千葉が得意の右打ちを見せてライト線にヒット、黒沢が四球を選んで二死満塁、多田が左前に2点タイムリーを放ち8-0とする。


 巨人先発の近藤貞雄は3回までパーフェクトピッチング、4回に2四球を与えるが無安打、5回も無安打に抑えて戦後開幕日にいきなりノーヒットノーランかという投球を見せる。
 巨人は5回も千葉の右中間三塁打と多田の一ゴロで加点、6回は山田のバントヒットと黒沢のタイムリー、7回は諏訪と林の連続二塁打で1点追加、11-0とする。


 セネタースは6回裏、先頭の黒尾がライト線に二塁打を放って初安打、トップに返り横沢七郎の当りもライト戦にフラフラと上がり二塁打、ハーフウェイからスタートを切った二走黒尾は三塁ストップ、続く鈴木清一の遊ゴロの際に守備妨害で二走横沢がアウト、打者走者の鈴木は二塁に進んでおり記録は遊ゴロなので、横沢に打球が当たったのではなく二三塁間に挟まれている間に守備を妨害した模様、後続も抑えられて無得点。


 巨人は9回表、先頭の林が三遊間にヒット、近藤も左前打、山川はストレートの四球で無死満塁、セ軍は前進守備を取らず、山田の遊ゴロが「6-4-3」と転送されてゲッツーとなる間に三走林が還って12-0とする。


 セ軍は最終回、一死後飯島滋弥がストレートの四球で出塁、長持栄吉が右中間に二塁打を放って一死二三塁と最後の反撃を試みるが、上口政に代わる代打白木義一郎は捕邪飛、熊耳は三振に倒れて万事休す。


 近藤貞雄は3安打4四球5三振で戦後の公式戦初の完封勝利を飾る。打たれた3安打は全て二塁打であった。


 千葉茂がシングル、二塁打、三塁打の3安打、黒沢俊夫は3安打3四球で出塁率10割、林清一も3安打を記録するなど、巨人は開幕戦から16安打の猛攻を見せた。四球は3回までの10個を含めて15個で、17残塁を記録した。昭和18年10月16日に阪神が記録した18残塁に次ぐ記録である。1987年7月17日に近鉄が18残塁で並び、2014年7月15日にDeNAが19残塁で記録を更新し、2017年9月29日に日ハムが19残塁で並ぶこととなる。なお、昭和17年5月24日に名古屋が延長28回で記録した残塁も17個であった。


 セネタースは全くいいところなし、注目のルーキー大下弘は4打数無安打2三振のデビューであった。



*大下のデビュー戦。




2019年8月16日金曜日

21年 タイガースvsパシフィック 1回戦


4月27日 (土) 西宮 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
0 1 0 0 0 1 0 0 4 6 タ軍 1勝0敗 1.000 渡辺誠太郎 野崎泰一 藤村冨美男 
0 0 0 0 0 0 4 1 0 5 パ軍 0勝1敗 0.000 井筒研一 真田重蔵 

勝利投手 藤村冨美男 1勝0敗
敗戦投手 井筒研一     0勝1敗 

二塁打 (タ)高山、乾 (パ)森下

勝利打点 (タ)土井垣武 1

猛打賞 (パ)森下重好 1


タイガース逆転勝利

 西宮の第2試合は午後3時16分、金政卯一主審の右手が上がりプレーボール。

 タイガースは初回、先頭の呉昌征は左飛、金田正泰は捕邪飛、藤村冨美男が二遊間ヒットで出塁するが、本堂保次は左飛に倒れて無得点。


 パシフィックは1回裏、先頭の富松信彦は一ゴロ、木暮力三が四球を選ぶと二盗に成功、しかし辻井弘は投飛、小島利男は三ゴロに倒れて無得点。


 タ軍は2回表、先頭の土井垣武が二塁にヒット、御園生崇男の遊ゴロの間に土井垣は二進、更に富樫淳の遊ゴロの間に三進、渡辺誠太郎の左前タイムリーで1点を先制する。


 タ軍は6回、先頭の金田が中前打で出塁、一死後本堂の遊ゴロの間に金田は二進、土井垣が中前にタイムリーを放ち2-0とする。


 タイガース先発の渡辺誠太郎は第1打席の先制タイムリーに続いて第2打席も左前打を放ち、本職のピッチングでもパシフィック打線を6回まで無得点に抑える好投を続けたが、7回に捕まった。


 パ軍は7回裏、先頭の井筒研一がストレートの四球で出塁、トップに返り富松の二ゴロでランナーが入れ替わり、木暮の右前打で一死一二塁、辻井は捕邪飛に倒れるが、小島が四球を選んで二死満塁、このチャンスに森下重好が左中間に走者一掃の二塁打を放ち3-2と逆転、伊勢川真澄も左前タイムリーで続き4-2とする。ここでタイガースベンチは先発の渡辺に代えて野崎泰一をマウンドに送り、松井信勝は三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。


 タ軍は8回から藤村冨美男監督がサードの守備位置からマウンドに上がり、セカンドの本堂がサードに回り、ピッチャー野崎に代わって乾国男が入ってセカンド。


 パ軍は8回裏、先頭の平野徳松が四球で出塁、井筒も四球を選んで無死一二塁、トップに返り富松の右飛で二走平野がタッチアップから三塁に進み、木暮もストレートの四球で一死満塁、藤村投手は何とか辻井を三邪飛に打ち取るが、小島が押出し四球を選んで5-2とリードを広げる。


 タ軍は9回表、先頭の富樫に代わる代打高山泰夫がライト線に二塁打、8回の守備からセカンドに入った乾の当りは左中間への飛球、これがポトリと落ちて乾は二塁に進み記録は二塁打、スタートが遅れた高山泰夫は三塁止まりで無死二三塁、小林英一の左犠飛で3-5と追い上げ開始、トップに返り呉がここまで無四球ピッチングを続けてきた井筒から四球を選んで一死一二塁、金田のカウントがスリーボールツーストライクとなったところでダブルスチールに成功、ここでパシフィック藤本定義監督は井筒から真田重蔵にスイッチ、金田は3球ファウルで粘って四球を選び、この場合の与四球は井筒に記録されて一死満塁、藤村が押出し四球を選んで4-5、本堂も押出し四球で5-5の同点、土井垣の二ゴロの間に三走金田が還って6-5と逆転に成功する。


 パ軍は9回裏、先頭の伊勢川は三振、松井がストレートの四球を選んで出塁、しかし平野に代わる代打湯浅芳彰の遊ゴロをショート小林がベースを踏んで一塁に送球、ダブルプレーが完成してタイガースが逆転勝利をおさめる。


 藤村冨美男監督は終盤に高山泰夫と乾国男の戦前からの強者を起用、この二人が9回に連続二塁打を放つ活躍を見せた。2イニングで5四球を与えた投手・藤村には、大逆転により勝利投手が転がり込んだ。


 一方、パシフィックは満を持して送り込んだ真田が誤算。9回代打に起用した湯浅も併殺打と、この日は藤本定義監督の日ではなかった。


2019年8月15日木曜日

21年 中部日本vsゴールドスター 1回戦


4月27日 (土) 後楽園 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
0 1 0 0 0 2 2 0 5 10 中部 1勝0敗 1.000 森井茂 
0 0 0 0 0 0 4 0 0  4  ゴ軍 0勝1敗 0.000 石田光彦 

勝利投手 森井茂    1勝0敗
敗戦投手 石田光彦 0勝1敗 

二塁打 (中)加藤
三塁打 (ゴ)田中

勝利打点 なし


ゴールドスター、6失策で自滅

 昭和21年4月27日午後1時10分、3,725人の観衆が見守る中、西宮に遅れること6分、島秀之助主審の右手が上がりプレーボールのコールが後楽園球場に鳴り響く。審判は島と池田豊の二氏。

 中部日本は初回、先頭の岩本章がワンストライクからの2球目を左前打、金山次郎が送りバントを決めて一死二塁、しかし古川清蔵は三ゴロ、服部受弘も一邪飛に倒れて無得点。


 ゴールドスターは1回裏、先頭の坪内道則は遊飛、続く田中宣顕は左中間を鋭いライナーで破る三塁打、しかし酒沢政夫の遊ゴロで三塁ストップ、菊矢吉男も遊ゴロに倒れて無得点。


 中部は2回、先頭の小鶴誠が左前打で出塁、加藤正二の三ゴロの間に小鶴は二進、藤原鉄之助は四球、森井茂の中前打で一死満塁と先制のチャンス、木下政文の投ゴロは「1-2-3」と転送されるがキャッチャー辻功からの一塁転送が悪送球、この間に二走藤原が還って1点を先制する。


 ゴ軍は4回まで毎回の5安打を放つが無得点。


 中部は6回表、先頭の小鶴が左前打で出塁、加藤が四球を選んで無死一二塁、藤原の遊ゴロをショート酒沢が二塁に送球するがベースカバーに入ったセカンド大友一明が落球、この間に二走小鶴がホームに還って2-0、無死一二塁から森井が一塁線に送りバントを決めて一死二三塁、木下の中犠飛で3-0とする。


 中部は7回表、一死後古川が三塁にヒット、服部はストレートの四球で一二塁、小鶴の遊ゴロで服部は二封、小鶴が二盗を決めて二死二三塁、ここで加藤がレフト線に二塁打を放ち5-0と突き放す。


 ゴ軍は7回裏、先頭の大友は遊ゴロ、続く辻の当りも遊ゴロ、これをショート金山が一塁に悪送球する間に打者走者の辻は二進、坂本勲が四球を選んで一死一二塁、トップに返り坪内の打席で辻が三盗を決めて一死一三塁、坪内が左前にタイムリーを放ち1-5、田中の中前打で一死満塁、酒沢の中前タイムリーで二者還り3-5、一走田中は三塁に進むが、二塁を狙った打者走者の酒沢は「8-1-4」の中継にタッチアウト、この送球の隙を突いて三塁に進んでいた田中が一気にホームに還る好走塁を見せて4-5と1点差に詰め寄る。


 中部日本の中継プレーで確認できるとおり、この時期においても走者二塁での外野からの中継にはピッチャーが入っている。現在のセオリーでは、このプレーではピッチャーはホームベースカバーに回り、ファーストがカットの位置に入るのはご存じのとおり。草野球レベルではピッチャーがカットに入るケースは多々見られるところですが。


 ゴ軍先発の石田光彦は7回まで5失点であるが味方の拙守に足を引っ張られてのものであり自責点は2点、8回以降も続投する。


 中部は9回表、先頭の金山が三塁線にセーフティバントを決めて出塁、古川と服部が連続ストレートの四球で無死満塁、小鶴の三ゴロをサード坂本がバックホームするが悪送球、三走金山に続いて二走古川が還って7-4、無死二三塁から加藤が右前にタイムリーを放って8-4、無死一三塁から藤原は投ゴロ、これを石田が二塁に悪送球する間に三走小鶴が還って9-4、一死後木下が右前にタイムリーを放ち10-4として試合を決める。


 森井茂はスローボールが冴えて9安打5四球1三振で完投、戦後初勝利を飾る。


 石田光彦は10失点であったが自責点は7回の2点のみ。但し、9回は連続ストレートの四球から自らの悪送球で決定的な失点があり責任は免れない。ゴールドスターは6失策を記録して前途多難なスタートとなった。


 中部日本は10安打で10得点と一見効率の良い攻めのようにも見えるが、実際は10残塁と、ゴ軍の自滅に救われたものであった。



2019年8月14日水曜日

21年 阪急vsグレートリング 1回戦


4月27日 (土) 西宮 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
0 0 0 0 2 0 2 1 0 5 阪急 1勝0敗 1.000 天保義夫 
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 グ軍 0勝1敗 0.000 松川博爾 長谷川治 

勝利投手 天保義夫 1勝0敗
敗戦投手 松川博爾 0勝1敗 

二塁打 (急)上田、青田、野口二郎 (グ)丸山

勝利打点 (急)野口明 1

猛打賞 (急)上田藤夫 1、青田昇 1


阪急、確実に加点

 昭和21年4月27日午後1時4分、5,016人の観衆が見守る中、杉村正一郎主審の右手が上がり戦後最初のプレーボールのコールが西宮球場に響き渡る。審判員は杉村、金政卯一、片岡勝の三氏。

 阪急は初回、先頭の上田藤夫が3球ファウルで粘ってフルカウントからレフト線に二塁打、続く青田昇は右飛、野口二郎は遊ゴロ、髙橋敏が四球を選ぶが、野口明も遊ゴロに倒れて無得点。


 阪急先発の天保義夫は快調な滑り出し、グレートリング打線を3回まで3人ずつで片づける。


 グ軍は4回裏、二死後岡村俊昭の当りは一ゴロ、これをファースト野口明がエラー、岡村が二盗を決めて二死二塁、四番・山本一人が左前に先制タイムリーを放ち1-0とする。山本のヒットは昭和14年11月12日「鶴岡一人」時代以来のこととなる。


 阪急は5回表、先頭の上田が三遊間を破って出塁、青田の右前打で上田は三塁に進み無死一三塁、青田が二盗を決め、野口二郎は浅い左飛、高橋は三振に倒れるが、野口明が右前に2点タイムリーを放ち2-1と逆転に成功する。野口明はバックホームの間に二塁を狙うがタッチアウト。


 グ軍は5回裏、先頭の丸山二三雄がライト線に二塁打を放って同点のチャンス、桶川隆の二ゴロの間に丸山は三進、ところが松川博爾の打席で「2-5-1-5」で挟殺、チャンスを潰した。これはスクイズを外された可能性が高い。


 阪急は7回表、先頭の上田が投前に内野安打、青田の右前打で無死一二塁、野口二郎がセンターオーバーの二塁打を放ち3-1、5回の守備からレフトに入っている下社邦男が四球を選んで無死満塁、野口明は浅い右飛に倒れるが、三木久一が左前にタイムリーを放ち4-1と突き放す。


 阪急は8回表、先頭の天保がストレートの四球で出塁、尾西信一の二ゴロの間に天保は二進、トップに返り上田は右飛に倒れるが、青田がライト線に二塁打を放ち5-1とダメ押す。

 天保義夫は5回以降グレートリング打線を無得点に封じ、5安打1四球4三振、自責点ゼロの完投で戦後初勝利を飾る。

 グレートリングは5回裏の攻撃で三塁に進んだ丸山二三雄が三本間に挟殺されて試合の流れをつかめなかったことが敗因となった。戦前のスコアカードには「雑記」欄に「スクイズを外される」などの記載も見られたが、この日のスコアカードには何の記載もない。スクイズを外されたのか、打者か走者のサインミスにより三走丸山が飛び出したことが原因である。この試合ではまだ河西俊雄と田川豊は出場しておらず、グ軍の機動力が機能するのはもう少し先のこととなる。


 阪急は一番の上田藤夫と二番の青田昇がそれぞれ3安打2得点を記録。近年のメジャーではマイク・トラウトに代表されるようにチームの最強打者を「二番」に起用することが常識になっており、日本の高校野球でも好打者を「二番」に配すチームが見られるようになってきた。阪急は、昭和21年4月の段階で、強打の青田昇を「二番」に据えている。



2019年8月8日木曜日

大リーグボール1号


 明徳義塾vs藤蔭戦、8回裏藤蔭の攻撃、明徳のピッチャーの投球は頭近くに行きヘルメットをかすってキャッチャーミットへ、「デッドボール」かと見えたところ主審の判定は三振。

 ツーストライクからの投球がバットにかすってキャッチャーミットに収まりファウルチップで三振となりました。一度ベンチに下がった打者も主審に確認、当ブログもヘルメットにかすり危険球と見えましたが主審の判定は当然変わりませんでした。


 VTRを期待しましたが、NHKは「ミスジャッジ」の可能性のあるプレーのリプレイは放送しませんので真相は闇の中です。


 結果は、「大リーグボール1号で三振」の記録が永遠に残るだけとなりました。


 もちろん、主審の判定が正しく、当ブログの目が間違っている可能性を否定するものではありません。確認のためのリプレイを見たかっただけの話です。「臭いものに蓋」では疑問が残るだけです。

2019年8月2日金曜日

三冠への道 令和元年 その3


7月の月間MVP予想

 5月、6月と2か月連続パーフェクト予想継続中。

 ア・リーグ打撃部門はユーリ・グリエル。98打数39安打、3割9分8厘、12本塁打31打点、23日のインサイド・ザ・パーク・ホームランも含まれます。最終戦で4割を切ったのが惜しまれるところですが、35歳にして遂に素質開花か。

 ナ・リーグ打撃部門はポール・ゴールドシュミット。91打数28安打、3割0分8厘、11本塁打27打点。最終戦で打率を3割に乗せて当確か。


 ア・リーグ投手部門は4勝0敗、防御率1.85、51奪三振のゲリット・コールが2か月連続受賞か。バーランダーとのサイ・ヤング争いがし烈になってきました。


 ナ・リーグ投手部門はスティーブン・ストラスバーク。5勝0敗、防御率1.14、44奪三振。2勝0敗ながら防御率1.09、46奪三振のデグロムがライバルか。



2019年7月29日月曜日

「戦後編」開始のお知らせ


 甲子園大会終了後、「戦後編」をスタートさせていただきます。


2019年7月28日日曜日

昭和20年 東西対抗 第4戦


12月2日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 2 0 0 1 0 4 東軍 2勝2敗 0.500 白木義一郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 西軍 2勝2敗 0.500 笠松実

勝利投手 白木義一郎 2勝0敗
敗戦投手 笠松実        0勝2敗 

二塁打 (セ)大下弘、(巨)千葉茂

勝利打点 (名)加藤正二 1

猛打賞 西軍(急)下社邦男


白木義一郎、戦後初の完封

 東軍は初回、二死後大下弘が右翼フェンス近くまで飛ばす二塁打、加藤正二のライト前テキサスがタイムリーとなって1点を先制する。

 東軍は5回表、楠安夫が四球、千葉茂が三塁線を破る二塁打を放って二三塁、三好主の左中間大飛球にセンター呉昌征が追い付きながら捕球できず記録はヒット、千葉は三塁に残り、白木義一郎の三ゴロの間に千葉も還って3-0とリードを広げる。


 東軍は8回表、白木がレフト前ヒット、古川清蔵は四球を選んで一二塁、金山次郎の二ゴロで古川は二封、金山が二盗を決めて二三塁、ここで打席には当たっている大下、ピッチャー笠松実は逃げずに勝負を挑んだがレフトへタイムリーヒット、東軍が4対0で逃げ切った。


 練習を積んでいた白木義一郎は緩急自在のピッチングで西軍を完封。白木は昭和21年には30勝をあげて戦後最初の最多勝利投手となる。


*参照「体育週報」
この試合の実況中継はスコアカードを解読したものではなく、「体育週報」の記載を参照したもので、事実と異なる可能性があります。


2019年7月27日土曜日

昭和20年 東西対抗 第3戦


12月1日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 3 0 0 0 0 0 3 6 東軍 1勝2敗 0.333 森井茂
1 0 2 2 2 0 1 1 X 9 西軍 2勝1敗 0.667 丸山二三男

勝利投手 丸山二三雄 1勝0敗
敗戦投手 森井茂        0勝1敗 

二塁打 (巨)三好主、(急)下社邦男、(近)丸山二三男、(神)呉昌征
三塁打 (セ)大下弘
本塁打 (セ)大下弘 1号

猛打賞 東軍(セ)大下弘 2 西軍(近)丸山二三男


大下弘、6打点

 西軍は初回、四球と東軍サード三好主のエラーなどで1点を先制する。

 東軍は3回表、森井茂のヒット、西軍サード藤村冨美男のエラーと四球で満塁とし、大下弘がライト後方に走者一掃の三塁打を放ち3-1と逆転に成功する。


 西軍は3回裏、丸山二三男、上田藤夫が連続ヒット、呉昌征と藤村は倒れるが、本堂保次と野口明が連打して3-3の同点に追い付く。


 西軍は4回裏、土井垣武、下社、丸山のヒットで2点を加えて5-3とリード、5回裏には野口明、土井垣のヒットなどで2点を加えて7-3と引き離す。


 西軍は7回、8回にも1点ずつを加えて9-3と大きくリードを広げて試合は9回に進む。


 東軍は9日表、森井に代わる代打白木義一郎がヒット、古川清蔵もヒットを放ち二走者を置いて、大下が右翼観覧席にスリーランホームランを叩き込んで6-9と反撃するがここまで。


 11月25日の対全桐生戦でも本塁打を放った大下弘がこの日もライトスタンドに叩き込んだ。プロ野球同士の試合ではこの一発が初本塁打となる。試合は敗れたものの、大下は東軍の全6打点を叩き出した。

 この試合の勝利投手・丸山二三男は、昭和21年には25勝をあげることとなる。


*参照「体育週報」
この試合の実況中継はスコアカードを解読したものではなく、「体育週報」の記載を参照したもので、事実と異なる可能性があります。



2019年7月24日水曜日

千葉県高校野球史に残る激闘

7月24日 (水) マリン

木更津総合vs習志野

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11  計 
3 0 0 0 0 0 1 0 1  0   0   5 木更津総合 
2 0 0 0 1 0 0 1 1  0  1X  6 習志野 

 千葉県予選事実上の決勝戦とも言える準決勝「木更津総合vs習志野」戦。期待に違わぬ激闘となりました。

 試合は木総のペースで進みます。習高はバントが決まらず得意の機動力も封じられて後手後手に回りますが伝統の底力を見せて粘ります。


 1点ビハインドの最終回もツーアウト、ツーストライクから空振り三振に見えましたがファウルチップをキャッチャーが捕れず命拾い、四球からチャンスを広げて追い付きました。


 木総は守りを固めたため主力打者がベンチに引っ込み延長戦では粘る飯塚投手を崩せませんでした。


 11回裏二死一三塁からショートへのハーフライナー、来そうで来ない打球をショートがワンバウンドで捕球しましたが握り直した送球が本塁方向に逸れてファーストの足が離れたところに打者走者が駆け込み習高がサヨナラ。


 準々決勝で完投したエース飯塚はリリーフ登板かと思っていましたが、エースで勝負を賭けた習志野の執念が上回ったと言えます。


 手に汗握るシーンの連続で、私が直接見た試合では過去最高の激戦でした。


 習志野高校吹奏楽部と統制のとれたチアが奏でる「レッツゴー習志野」は、マリンで「生」で聞くべきですね。9回以降は、イニングの最初から「レッツゴー習志野」の連続でした。


 明日の決勝も10時試合開始なので、また6時起きです(笑)。






2019年7月23日火曜日

稲川東一郎の戦略


 昭和20年11月25日に桐生新川球場で行われた東軍vs全桐生の試合における全桐生のオーダーは以下のとおり。

(遊) 皆川定之             6打数2安打
(二) 三輪裕章             6打数1安打
(一) 木暮力三(兄)  5打数1安打
(投) 常見茂(兄)      5打数1安打
(左) 池田                    3打数無安打
    右     常見昇(弟)     3打数1安打
(三) 稲川豪一             5打数1安打
(中) 新井                    2打数無安打
    打     木暮英路(弟) 1打数1安打
    左     富田                   1打数0安打
    打     青木重               1打数0安打
(右) 中村栄                5打数2安打
(捕) 井上                    5打数1安打
    打    青木正一             1打数1安打 

 スコアカードは残されていないが、打順表から稲川東一郎の合理的戦略が読み取れる。

 何回かは不明であるが、2打数無安打の七番センター新井に代えて代打に木暮英路を起用して代打安打、次の回から3打数無安打の五番レフト池田に代えて常見昇をライトに入れ、代打の木暮英路に代わり富田が入ってレフト、スペースの関係でスタメンライトの中村栄の守備位置変更は書かれていないがこの時センターに回ったと考えられる。


 この試合で代打に起用した3人のうち木暮英路と青木正一が代打安打を打っている。青木はキャッチャー井上に代えての代打起用であり、12回に勝負を賭けて起用し、期待に応えたものであると考えられる。このヒットがサヨナラ打であったかは不明であるが、勝負を決める一打であったことは間違いない。


 昭和21年都市対抗のテーブルスコアを確認しても、頻繁に外野手を入れ替える選手起用で準優勝を果たすこととなる。この日の試合では守備に定評のあるセカンド三輪裕章とショート皆川定之のコンビは不動。昭和21年の都市対抗でもセカンド中村栄とショート皆川定之のキーストーンコンビは不動であった。サードに大塚鶴雄(柳鶴震)が加わると稲川豪一をキャッチャーにコンバート、中村栄が本職のセカンドに回ると三輪裕章をセンターにコンバートした。


 稲川東一郎監督は、選手全員の能力と状態を見極める眼力に秀でており、的確な選手起用で勝ち抜く合理的戦略を用いていたことが分かる。



2019年7月19日金曜日

東軍vs全桐生

11月25日 (日) 桐生新川

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計 
0 0 0 1 0 3 2 0 1  0   0   0  7 東軍     0勝1敗 
0 0 1 2 0 0 4 0 0  0   0 1X  8 全桐生 1勝0敗

勝利投手 常見茂(兄) 
敗戦投手 白木義一郎 

二塁打 (中)加藤正二、(桐)皆川定之、木暮力三
三塁打 (中)加藤正二
本塁打 (セ)大下弘

猛打賞 東軍(中)加藤正二(4安打)、金山次郎


全桐生、実力勝ち

 昭和20年の東西対抗は11月23日に第1戦がステートサイドパークで行われ、第2戦は11月24日に桐生新川球場で、第3戦と第4戦が12月1日と2日に西宮球場で行われたが、11月25日にも桐生新川球場で東軍vs全桐生の試合が行われたことはあまり知られていない。

 以下、「体育週報」の記述より。


「終戦後関東の球界に活躍しているのは横沢三郎氏を中心としてチームを結成して日本野球連盟に加入したセネタース軍と、桐生の球都にあって異派と交えぬ全桐生軍とである。
桐生軍はかつての職業野球人であった皆川、三輪、木暮、中村等を擁して内野の堅守 一致団結の〇〇等に侮り難いものがある。十八、九日にセネタース軍と対戦して利を失ったものの〇〇して勝利への意欲に燃えている。


 東軍は・・・最初からタジタジの姿であるとこへ内野が凡失を繰り返して・・・桐生がリード。


 7回には東軍が3点をリードしたが、7回裏桐生は5安打で一挙4点を取って試合を逆転、東軍も粘って9回に同点に追いつき延長戦となって観衆を熱狂させたが、試合運は桐生にあり12回裏桐生は四球と投手悪投と内野安打で決勝点をあげ大歓声を受けた。」


 東軍は13安打、全桐生は12安打と打撃は互角であったが、東軍は6失策、全桐生は2失策と、守備力の差が明暗を分けた。東軍で練習を積んでいたのはセネタースの白木義一郎、飯島滋弥、大下弘のみであったのに対して、全桐生は数多くの職業野球経験者が練習を積んでいたことから、実力で東軍を上回っていたのである。


 全桐生は、稲川東一郎監督が桐生中学出身者を集めて戦災のなかった桐生でいち早く練習を積んできた。皆川定之、中村栄、三輪裕章、小暮力三、木暮英路兄弟、青木正一の職業野球経験者や、後にプロ入りする常見茂、常見昇兄弟、稲川豪一がこの試合に出場している。更に戦前屈指の強打の遊撃手であった大塚鶴雄(柳鶴震)が加わり、昭和21年の都市対抗では準優勝することとなる。


*参照「体育週報」、「都市対抗野球大会60年史」。


2019年7月16日火曜日

虎印


 現在、野球殿堂博物館において企画展 「都市対抗野球90回のあゆみ」が開催されています。

 展示品で目を引くのは「大岡虎雄」が使っていたバットですね。「虎印」のロゴから、美津和運動用品店(現・美津和タイガー)のバットで間違いありません。「虎雄」が「虎印」を使っていました。


 現在の美津和タイガーのロゴには「EST 1947」、すなわち「Established 1947」、「1947年創業」が刻印されています。殿堂博物館に展示されているバットは美津和運動用品店の創業間もない当時物ですから「EST 1947」は刻印されていません。
  
 大岡虎雄が都市対抗に出場したのは合計11回。美津和運動用品店の創業年度を考えると、昭和22年か23年に使用されたものと考えられます。

 7月25日まで展示される予定です。必見ですよ(笑)。


*大岡虎雄の直筆サイン入りカード。



戦後初のセーブ


 昭和20年11月24日に桐生新川球場で行われた職業野球東西対抗第2戦、西軍の投手は先発の丸尾千年次とリリーフの笠松実が登板した。

 勝利投手は丸尾千年次であるが、丸尾は3打数無安打、笠松は2打数1安打であった。この打席数から考えると、リリーフの笠松実は3イニング以上を投げている可能性があり、戦後初の「セーブ」が記録された可能性が高い。



2019年7月15日月曜日

昭和20年 東西対抗 第2戦


11月24日 (土) 桐生新川 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
2 0 4 2 0 4 2 0 0 14 西軍 1勝1敗 0.500 丸尾千年次 笠松実 
3 0 1 0 3 0 1 0 1  9  東軍 1勝1敗 0.500 近藤貞雄 森井茂 

勝利投手 丸尾千年次 1勝0敗
敗戦投手 近藤貞雄     0勝1敗 

二塁打 (神)呉昌征2、本堂保次、(急)野口明、上田藤夫、下社邦男、(中)加藤正二、金山次郎、(巨)楠安夫
三塁打 (神)藤村冨美男2、(急)下社邦男、(巨)呉新亨、近藤貞雄(中)藤原鉄之助、古川清蔵

勝利打点 (急)下社邦男 1(当ブログの推測)

猛打賞 西軍 (神)呉昌征(4安打)、(神)藤村冨美男(4安打)、(急)上田藤夫 


桐生遠征

 昭和20年の東西対抗は、当初11月22日と23日にステートサイドパークで行われる予定であったが、22日の試合が雨天中止となり、11月23日に、戦前には使用が認めてもらえなかった神宮球場でプロ野球試合が史上初めて行われた。そして翌日、群馬県桐生市に遠征する。

 群馬県では中島飛行機工場があった太田市で昭和20年2月10日、2月16日、2月25日、4月4日、7月28日、8月14日に空襲があり、8月5日には前橋市と高崎市に大空襲、8月14日から15日にも高崎市と伊勢崎市が空襲に見舞われた。その中で、これらの都市の近隣に位置する桐生市ではB29の飛来は確認されたが奇跡的に戦禍を免れていたのである。


 「体育週報」には「球場は不燃都市桐生も、近隣の前橋、高崎、伊勢崎等が戦災を蒙っているので復興に力を貸して戦災復興住宅建設作業場となっており、外野の奥には木材の堆積、大工さんが働いており試合中も馬車やトラックが出入りするという特異な風景、その中の狭いところで行われた」と書かれている。この試合で二塁打と三塁打が多発した理由は、こうした事情に起因していると考えられる。


 西軍は初回、トップの呉昌征がセーフティバントを決めて出塁、藤村冨美男の三塁打で1点を先制、野口明の二塁打が続いて2-0とリードする。

 東軍は1回裏、四球で走者を溜めると藤原鉄之助が2点タイムリー三塁打、諏訪裕良のタイムリーで3点を奪い逆転に成功する。


 西軍は3回表、下社邦男の三塁打などで4点を追加して逆転。


 西軍は4回表、呉昌征と藤村の長打などで2点を追加、8-4とリードを広げる。


 東軍は5回裏、長打を連発して3点返して7-8と1点差に詰め寄り、なおも一三塁とチャンスを作るが、一走古川清蔵がスタートすると三走近藤貞雄がホームに走りダブルスチールを慣行、ところが近藤がタッチアウトとなって同点のチャンスを逸す。


 東軍先発の近藤貞雄は6回にも大量失点、マウンドを森井茂に譲ることとなった。


 西軍は18安打の猛攻。トップの呉昌征が4安打、二番上田藤夫が3安打、三番藤村冨美男が4安打、四番本堂保次が2安打、五番野口明が2安打と上位打線が爆発した。


 東軍も15安打を放って応戦したが、三番千葉茂の不振が足を引っ張った。


 この試合で大下弘に代わって東軍のスタメンファーストに入りタイムリーを放った諏訪裕良は昭和21年から投手として活躍、後に養子に入って高野裕良と改名し、昭和25年には25勝をあげることとなる。筆者が所属している還暦野球「品川ベースボールクラブ」で、高野投手の息子さんとチームメイトです(笑)。


*参照「体育週報」
この試合の実況中継はスコアカードを解読したものではなく、「体育週報」の記載を参照したもので、事実と異なる可能性があります。


2019年7月11日木曜日

昭和20年 東西対抗 第1戦

11月23日 (金) 神宮 

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計 
1 3 0 0 2 0 2 0 1  9  西軍 0勝1敗 0.000 笠松実 別所昭 丸尾千年次 
3 3 4 1 0 0 2 0 X 13 東軍 1勝0敗 1.000 藤本英雄 白木義一郎 

勝利投手 白木義一郎 1勝0敗
敗戦投手 笠松実        0勝1敗 

二塁打 (グ)鶴岡一人
三塁打 (セ)大下弘
本塁打 (大)藤村冨美男 1号

勝利打点 (セ)大下弘 1

猛打賞 東軍(中)加藤正二(4安打)、(セ)大下弘、(巨)三好主、(セ)白木義一郎


大下弘鮮烈デビュー

 西軍は初回、トップの呉昌征がスリーボールツーストライクから四球を選んで出塁、上田藤夫の三ゴロで呉は二封、藤村冨美男の三ゴロをサード三好主がファンブル、昭和14年以来の出場となる四番鶴岡一人の三塁強襲ヒットで上田が生還して1点を先制、藤村は三進して一死一三塁、野口明の遊ゴロで藤村はホームに突っ込むがタッチアウト、追加得点はならずも藤村の闘志あふれるプレーは健在。

 東軍は1回裏、トップの古川清蔵が左前打で出塁、金山次郎は三邪飛、昭和16年以来の出場となる千葉茂の遊ゴロで古川は二封、加藤正二の三ゴロをサード鶴岡が一塁に大暴投する間に一走千葉が一気に生還して1-1の同点、打者走者の加藤も三塁に進み、大下弘の左前タイムリーで2-1と逆転、楠安夫の三塁線ヒットで大下が生還して3-1、飯島滋弥の遊ゴロをショート上田がエラー、三好も右前打で続いて二死満塁と攻め込むが、藤本英雄は左飛に倒れてスリーアウトチェンジ。


 西軍は2回表、先頭の岡村俊昭が一二塁間を破って出塁、下社邦男は四球、笠松実がスリーボールツーストライクと粘って三塁線にタイムリーを放ち2-3、トップに返り呉は一ゴロに倒れるが、上田が中前に逆転の2点タイムリーを放って4-3と勝ち越す。続く藤村の遊ゴロはショート金山-セカンド千葉-ファースト飯島と転送されて戦後初のダブルプレーが記録された。


 東軍2回裏の攻撃は一番からの好打順、トップの古川は左飛に倒れるが、続く金山が三遊間を破り、千葉が四球を選んでチャンスを広げ、四番加藤は中飛に倒れるが、大下が右翼フェンス直撃の大三塁打を放って5-4と再逆転、楠の中前タイムリーで6-4と加点する。西軍先発の笠松実は続く飯島に四球を与えたところで降板、二番手に別所昭がマウンドに上がり追加点を防ぐ。


 東軍のマウンドには3回から先発の藤本に代わって白木義一郎が上がる。セネタースは早くから練習を積んでおり、練習不足でスタミナに不安の残る藤本から早目のスイッチとなる。東軍の横沢三郎監督は、73年後に流行することとなる「オープナー」として藤本英雄を先発させたのであった。


 西軍は3回表、先頭の鶴岡が二失に生きるが二盗に失敗、野口明は左飛、土井垣武は二ゴロに倒れて3人で攻撃を終える。


 東軍は3回も一番からの好打順、トップの古川が四球を選び、金山が中前打、千葉は四球で無死満塁の大チャンス、加藤が三塁強襲ヒットを放ち三走古川に続いて二走金山も生還し8-4、ここで別所が踏ん張り大下、楠が連続三振、ところがここで戦後初のダブルスチールを決めて二死二三塁、飯島四球で再度満塁、三好の投越え安打で三走千葉が生還、白木も右前にタイムリーを放ち10-4と大量リードする。


 西軍は4回表、先頭の岡村は遊飛、下社は四球を選ぶが、別所は右飛、呉は二ゴロに倒れて無得点。


 東軍は4回裏、先頭の金山が四球を選んで出塁、千葉は一飛に倒れ、加藤の左前打で金山は三塁に進むが加藤は二塁を欲張り挟殺されて二死三塁、大下の一ゴロをファースト野口明が後逸する間に三走金山が還って1点追加、11-4とする。


 西軍は5回表、先頭の上田が右前打で出塁、藤村の中前への当りに突っ込んだセンター古川が転倒、打球はフェンスまで転がり藤村は一気に生還、戦後初の本塁打は「ランニングホームラン」であった。


 この後東軍は大下の2点タイムリーで加点し、追いすがる西軍を振り切った。


*参照「体育週報」
この試合の実況中継はスコアカードを解読したものではなく、「体育週報」の記載を参照したものであり、事実と異なる可能性があります。


2019年7月9日火曜日

関西野球の復活


 昭和20年秋、同志社大学野球部は、復員してきた徳網茂が中心となって今出川グラウンドで練習を開始。蔦文也、櫟信平など後にプロ入りするメンバーが集結する。時期ははっきりしないが、立命館大学とのオープン戦は6対4、5対3で連勝した。

 同じ頃、関西大学野球部は、OBの西村正夫の誘いで、戦争の被害がなかった西宮球場で、阪急軍との合同練習に参加し、天保義夫や今西錬太郎らと共に汗を流した。米軍チームとの試合も西宮球場で行われたのである。

 ステートサイドパークで全早慶戦が行われた同日に、西宮球場では京阪神三都対抗リーグ戦が行われた。記録に残る試合は以下のとおり。

11月18日 (日) 西宮球場 京阪神三都対抗リーグ

全大阪vs全神戸
1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
2 2 0 1 0 0 0 0 0  5   全大阪 0勝1敗
0 0 1 4 0 0 2 3 X 10 全神戸 1勝0敗

全大阪vs全京都
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0  1 全大阪 0勝1敗1分
0 0 0 0 0 0 1 0 0  0  1 全京都 0勝0敗1分

全神戸vs全京都
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 0 0 2 0 0  3  5 全神戸 2勝0敗
0 0 0 0 0 0 0 1 1  0  2 全京都 0勝1敗1分


11月23日 (金) 西宮球場

全大阪vs大学OB
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
0 0 0 0 1 0 1 1 0 3 全大阪 0勝1敗
0 0 2 0 0 0 0 3 X 5 大学OB 1勝0敗

全京都vs大学OB
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 1 2 3 全京都 0勝1敗 
0 0 2 0 0 3 0 0 X 5 大学OB 2勝0敗 


11月25日 (日) 西宮球場 東西六大学OB戦


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
4 0 0 0 5 2 0 0 1 12 関西OB 1勝0敗 
0 4 2 0 2 0 0 0 0  8  関東OB 0勝1敗


 この他にも、京都一商グラウンドで三都対抗リーク戦が行われた模様である。

*参照「同志社大学野球部史」、「関西大学野球部史」、「体育週報」。


2019年7月1日月曜日

三冠への道 令和元年 その2


6月の月間MVP予想

 5月はパーフェクト予想でしたね。

 ア・リーグ打撃部門はルメイヒューで決まりでしょう。114打数45安打、3割9分5厘、6本塁打29打点。ロンドンシリーズでも2試合で12打数7安打7打点でした。コロラドからニューヨークに移ってこの成績、クアーズ・フィールド神話崩壊か。11本塁打のエンカーナシオン、10本塁打のグリエルを始め、本塁打数で上回る打者が16人いるので票は分散する可能性があります。94打数32安打、3割4分、9本塁打22打点の大谷はDHなので票は集まらない。

 ナ・リーグ打撃部門は敢えて得票が望めないコロラドのブラックモンと予想します。22試合で97打数40安打、4割1分2厘、10本塁打25打点。11本塁打29打点のマチャドは3割1分4厘、9本塁打31打点のフリーマンは3割1分5厘なので、試合数が少ないことが嫌気されなければ得票を集めるでしょう。

 ア・リーグ投手部門は6試合で3勝0敗ながら防御率1.89、46奪三振のゲリット・コールが有力。5人の4勝投手を投球内容で上回っています。

 ナ・リーグ投手部門はシャーザーで確実。6勝0敗、防御率1.00、WHIP0.67、45回で68奪三振と、歴史的ピッチングでした。興味の対象は満票を集めるか否かのみ。





2019年6月28日金曜日

吉江一行の奮闘


 飛田穂州の指示により相田暢一が買い集めておいた野球用具は相田の応召後、早稲田大学野球部倉庫に眠っていた。この乱雑に積み重ねられていたボール300ダース、バット300本、ノックバット10数本を管理したのが早稲田大学野球部戦前最後の主将、福島県磐城中学出身の吉江一行であった。

 当ブログで伝えている各校の復活戦では、早稲田大学野球部に残されていた野球用具が使用されたのである。吉江は応召後、戦病死する。相田は2014年に野球殿堂入りし、近年急速に評価が高まっている。



2019年6月25日火曜日

別当薫復員


 昭和20年8月23日、別当薫が復員。早速日吉の合宿所に出向き野球部長の浅井清教授と再会し、慶大野球部は復活に向けて動き出した。

 早大野球部も飛田穂州の指揮の下、10月には戸塚球場で練習を開始し、昭和20年10月28日、ステートサイドパークで六大学OBによる紅白戦が行われた。この試合は午後2時開始予定であったが、午前中から野球ファンが詰めかけてスタンドは満員となり、午前中に予定していた運動記者vs超OBの前座試合を後回しにして、午前11時半プレイボール。紅軍は白木(慶大出)-松永(慶大出)、白軍は高橋(早稲田出)-室井(明大出)のバッテリー、11対3で白軍が勝利した。


 昭和20年11月18日、ステートサイドパークで全早慶戦が行われ(早稲田大学野球部史には10月28日と書かれているが間違い)、4万5千の観衆が集まった。試合は現役6名の早稲田に対して慶應は別当、大島の2名だけ。白木の好投で慶大が延長11回シーソーゲームを制した。


全慶應vs全早稲田 

11月18日 (日)  ステートサイドパーク 


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計

0 1 0 1 0 0 0 1 0  0   3   6  全慶應  1勝0敗 白木
0 0 0 0 0 3 0 0 0  0   0   3  全早稲田 0勝1敗 若原 岡本


勝利投手 白木義一郎
敗戦投手 若原又は岡本


勝利打点 別当薫
(勝利打点は慶大野球部史の記述から当ブログの推測)


猛打賞 白木(全慶應)、笠原(全早稲田)

*参照「慶応義塾大学野球部史」、「早稲田大学野球部史」、「体育週報」。

2019年6月14日金曜日

東大野球部復活への道


 昭和20年10月24日、安田講堂の倉庫で発見された野球道具が一誠寮に運び込まれた。東京帝国大学野球部が復活に向けて動き出したのである。

 昭和20年11月7~9日、御殿下グラウンドにおいて「学内軟式野球大会」を開催、決勝進出は成蹊と静岡となった。

 昭和20年11月17日、「復員学徒慰労全学運動会」を開催。学内軟式野球大会の決勝戦が行われ成蹊が1対0で優勝を決めた。

 この「学内軟式野球大会」は野球部員のスカウトも兼ねていた。更に11月19日、「飯より野球の好きな人へ!明朗健全なる学生生活を送らんとする者は来れ!!21日12時半 2食2階に集合!」のビラを掲示板に掲載、22名が集合した。

 昭和20年11月26日、御殿下グラウンドでトレーニング開始、12月8~14日検見川グラウンドで合宿、そして12月16日には上井草球場で現役軍vsOB軍の試合を行い、現役チームがOBチームを破った。

 東大野球部は、復活初年度となる昭和21年春季リーグ戦で、史上唯一の「二位」という成績をおさめることとなる。早稲田OBの森茂雄をコーチに招き、エース山崎諭と主砲山崎喜暉が中心となっていち早くチームの体制を整えたことが勝因となった。

 因みに筆者は中学時代、東大検見川グラウンドで開催された学内ソフトボール大会でランニングホームランを打ちました。スカウトは来ていませんでしたが(笑)。


*参照「東京大学野球部史」
 

サイクル


 定年退職後はベースボールプレイヤーとしての活動が忙しくてメジャー中継を見るヒマはあまりないのですが、本日は久々のテレビ観戦。

 第一打席のホームランに驚いたばかりなので、サイクルはあまり驚くほどのこともない。実際、野球資料を整理しながら見ていたので、4本目のシングルの場面は目を逸らしていました。

 どうせシーズンオフになれば世間は「二刀流じゃぁ~~」と騒ぐことが目に見えていますが、当ブログは「打者」に専念するべきという考えは変わりません。

 

抜けたとは思ったけど・・・


抜けたとは思ったけど、そのまま入っちゃいました。

大谷の左中間は伸びますね。

当ブログが高校時代から「打者」としてやっていくべきと主張し続けてきた意味がお分かり?(笑)。

 

2019年6月13日木曜日

明大野球部復活への道


 昭和20年9月30日午前10時、和泉グラウンドにおいて明大野球部は戦後最初の練習を開始した。

 それに先立って、神田校舎の掲示板に「野球のできる者は集まれ」というビラが張り出された。起案者は岡田源三郎であったと推測されている。そして9月中旬過ぎに、和泉のグラウンドで入部テストが行われた。明大野球部・別府隆彦の日記には、9月24日の項に「野球か、勉強か。家の者は猛烈に反対する」と記されており、入部テストはその2、3日前に行われたと推測される。テストに合格した別府は、9月29日の日記に「ともかく野球部に入ることにした。それがどんな結果をもたらすか・・・」と記し、教師にしたかった親を説得して野球部に入部した。この入部テストの審査委員長は岡田源三郎であったことが確認されており、岡田の指導により明大野球部は復活する。まだ大下弘は復学していない。

 昭和20年11月4日午前10時、ステートサイドパーク(神宮球場)において明大OBチームである「駿台倶楽部」と「現役チーム」による試合が行われた。

 駿台 13-8 現役 (一部の新聞には12対8との記録も残されている)

 OBチームの先発は「大正時代の名投手」として知られる湯浅禎夫でリリーフは「八十川ボーク事件」で知られる八十川胖、現役チームの先発は「復学」してきた大下弘であった。現役チームで参加した小川善治の手記によると、「この試合で大下がワンバウンドで外野席に打ち込んだ」とのこと。この一打を見た明大OBの横沢三郎が大下をセネタースに引っ張ったことから、大下が明大野球部員として試合をするのはこの試合が最後となったのである。

 昭和20年12月9日、現役・OB混成チームの駿台倶楽部が早稲田OBチーム稲門倶楽部と対戦し、6対4で駿台倶楽部が勝利を飾った。この試合が明大野球部の戦後最初の対外試合であった。試合のメンバー表は当時の「体育週報」に掲載されており、駿台の投手は現役の小川善治(後に大映スターズに入団して二桁勝利3回を記録)であり、前述のとおり大下はプロ入りしてこの試合には出場していない。稲門のメンバーは大半が早稲田OBであったが、駿台は大半を現役が占めていた。早稲田大学野球部の復活が遅れていたことがうかがわれる。

稲門vs駿台

12月9日 (日)  ステートサイドパーク

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 2 0 0 0 0 0 4 稲門 1勝0敗 高橋 若原
0 0 0 0 2 4 0 0 0 6 駿台 0勝1敗 小川善治 江原

勝利投手 小川善治
敗戦投手 高橋
(責任投手は 当ブログの推測)

猛打賞 辻井(稲門)3安打

*参照「明治大学野球部史」、「体育週報」。

 

2019年6月12日水曜日

タコ足


 「タコ足」と言えば中河美芳であることは当ブログの読者であれば知らない人はいません。

 大洋時代の松原も「タコ足」を見せていました。

 さて、本日の日ハムVS広島戦、吉田輝星のプロ入り初登板で注目を集めていますが、ファーストを守った清宮が両足を180度開く見事な「タコ足」を見せて低目の送球をナイスキャッチ。解説の梨田さんも「体が柔らかいですね」と感心していました。

 ところがぎっちょん、次の打席で「代打」を送られました。まだ情報は無いのですが、どうやら「タコ足」で腿の内側辺りを伸ばしてしまった可能性があります。明日のニュースを見れば判明するでしょうね。

 当ブログは、中河、松原に続いて清宮に「タコ足三世」の称号を送るつもりだったのですが、ちょっと厳しいか。やっぱり「DH」でないとダメなのかなぁ~~。

 吉田輝星の方ですが、プロの世界で見てみるとちょっと球質が軽いかな。この手の球は「切れ」ているうちはいいのですが、ちょっと鈍ってくると「打ち頃」のボールになります。テレビや新聞の解説は「批判」しませんので「真実」が伝わることはない。まぁ、「真実」よりも「売上」や「視聴率」の方が「重要」なのだから度し難い。読む方や見る方の問題ですけどね。

 

2019年6月2日日曜日

三冠への道 令和元年 その1


5月の月間MVP予想

 ア・リーグ打撃部門はボストンのラファエル・デバースが3割5分1厘、8本塁打、24打点で最有力。3割6分8厘、8本塁打、19打点のスプリンガーは試合数が18と少ないので厳しいか。

 ナ・リーグ打撃部門はピッツバーグのジョシュ・ベルが3割9分、12本塁打、31打点で有力。アレナドも4割2分5厘、9本塁打、29打点なので、守備も含めるとかなりの票が流れそう。

 ア・リーグ投手部門はホワイトソックスのルーカス・ジオリトが5勝0敗、防御率1.74で最有力。昨年は173回3分の1で90個とア・リーグ与四球王に輝いたが、5月は41回3分の1で10個と改善してWHIPも0.82。ミネソタのオドリッジも4勝0敗、防御率0.94で有力ではあるが投球回数が28回3分の2と少ないのがネックとなる。大穴はバーランダーで、4勝1敗、防御率2.29ではあるが、35回3分の1で被安打15本、与四球6個、WHIP0.59と、投球内容から票が流れる可能性がある。

 ナ・リーグ投手部門はロスの柳賢振が5勝0敗、防御率0.59で当選確実。45回3分の2で36奪三振と少ないのが嫌気されなければ満票まである。

 

2019年5月23日木曜日

胎動


 昭和20年8月2日、アメリカ空軍による空襲が水戸市を襲い、水戸市内の多くが焼け野原となったが、奇跡的に水戸商業は焼け残った。
 同年10月、水戸中学、水戸商業の野球部員が伝統ある対抗試合の復活を相談して、二連隊あとの広場で軟式ボールで実施した。うわさを聞いたOB、ファンが百数十人観戦した。


 昭和20年11月の初め、長野市内の中等学校で対抗試合が行われ、優勝校に賞状一枚が授与された。長野では終戦直後から各校野球部員が野球部復活を叫び、古い用具を持ち寄って練習を開始していたのである。

 昭和20年11月、京都市内の中等学校9校が集まり同志社中学グラウンドで野球大会が行われ、京都二中が優勝した。京都市河原町三条南の「エビスヤ運動具店」で野球道具を調達したのである。この大会には近隣の野球ファンが多数詰めかけ、同志社中学グラウンドのセンター後方にあった「土俵」の屋根にまで見物人が上がり込み、とうとう屋根もろとも土俵が倒れるという一幕も見られた。

 昭和20年11月17日、愛媛県体育会の肝いりで、松山市内中等学校軟式野球大会が、松山中学校庭で、松山中学、北予中学、松山商業、松山工業、新田中学の五校により開催された。硬式ボールが手に入らず、軟式ボールで、古い道具の寄せ集めであったが、5年ぶりの野球大会ということで、校庭にあふれる観衆は、久しぶりに展開された選手たちの妙技に、終日拍手歓声鳴り止まず、野球松山の伝統を示す喜ばしい記念行事となった。

 *以上、「日本高校野球連盟三十年史」より

 昭和51年12月に刊行された「日本高校野球連盟三十年史」には、各都道府県野球連盟の「連盟発足したころ」、「連盟の歩み」、「主な出来ごとについて」が記述されている。各都道府県の野球連盟は昭和21年に結成されていることから、昭和20年秋の野球についての記述が認められるのは上記の4府県だけであるが、各都道府県で終戦直後から「野球復活」の胎動が見られたことは間違いない。

 もし私が同時代に生きていたら、8月16日には押し入れの奥に隠しておいたバットとボールとグローブを持ち出して、家の前の広場(現・市川市国分尼寺跡公園)で野球をやっていました。これだけは断言できる。

 

2019年5月20日月曜日

復活


 「翌16日、私は、早速大阪・中之島にある朝日新聞大阪本社を訪ねた。そのころ運動部の姿は消えていた。戦前最後の同社運動部長だった渡辺文吉氏は、当時厚生部長の任にあった。・・・飛行機事故でなくなった東口真平氏のお悔やみを述べた。東口氏は大阪本社の運動部長で、戦前の全国中等学校優勝野球大会育ての親とも言うべき人だったが、終戦直前の7月13日に殉職された。あいさつを終わった後、昨日、奈良公園で考えたことどもを述べた。青少年に光明を与えるため、一日も早く中等学校野球大会を再開してほしいと熱を込めて話した。自分もそのためには最善の努力をすると誓った。」
 *佐伯達夫著「佐伯達夫自伝」より

 朝日新聞社内では「時期尚早」論が大宗を占めていたが、佐伯の訪問を契機として、中等学校野球大会復活に向けて動き出し、運動部次長・芥田武夫らの活躍により、全国中等学校野球連盟が結成されることとなる。

 佐伯が朝日を訪れたのは昭和20年8月16日、敗戦の翌日のことであった。

 

2019年5月17日金曜日

正月大会


 昭和20年年明け、甲子園と西宮で「正月大会」が行われたことが確認されている。

 松木謙治郎著「タイガースのおいたち」には「20年の正月大会は関西だけの選手で二組つくり挙行した。このとき阪神にのこっていたのは若林、金田、本堂、辻の四名だけで、この四選手が参加したのである。」とだけ書かれている。

 「Wikipedia」によると、この時のスコアカードが残されていたとのことで、「Wikipedia」には「正月大会」について詳しく書かれている。

 

2019年5月16日木曜日

申合わせ事項


一.日本野球報国会は残置す。但し登録選手の登録のみに止め、他の機能は一時停止し、之を専務理事管理す。
一.報国会々長、相談役、及び役員は辞任す。
一.報国会事務局解散に要する退職金の不足額参千円は六球団により平等支出す。
一.会長に対し、感謝の記念品を贈呈す。
一.東京所在球団の所属選士にして、尚今後日本野球選士としての希望ある場合は該球団が将来再び野球仕合を行う時まで、日本野球報国会関西連盟に選士を委託し、関西連盟之れを適正なる球団に配置す。但し仕合中止したる時は、委託選士は元球団に於て引取ること。


昭和十九年十月二十三日

細野躋(阪神)
岩倉具光(阪急)
小原英一(近畿)
田村駒治郎(朝日)
正力松太郎(巨人)
赤嶺昌志(産業)


鈴木龍二著「鈴木龍二回顧録」より

 

2019年5月14日火曜日

右中間三塁打


 12日(日)は東綾瀬公園球場で、関東近辺から23チームが参加した足立区長杯争奪還暦野球大会。

 還暦野球では「DH」を含めて10人が打席に立ちますので「十番センター」で出場し、第1打席でいきなり右中間を低いライナーで抜く三塁打。新しく買ったばかりのZETTブラックキャノンZⅡが火を噴きました(笑)。

 約18年ぶりとなる対外試合としては順調なスタートに見えましたがその後はノーヒット。初戦に勝ったのでWヘッダーとなりましたが、何とか足も持ってフル出場できました。

 3月末の初めて参加した合同練習で左ふくらはぎを軽い肉離れ。ようやく治ってきて4月11日の癌研有明病院グラウンドでの自主トレでダッシュを繰り返したのが仇となって次の合同練習で右太ももを軽い肉離れ、左太ももも肉離れ寸前のところまで行っていました。試合ではいきなり三塁まで全力疾走、守備では右中間、左中間を抜かれた打球をダッシュで追いかけましたが何とか太ももは持ちこたえました。一度はやってから徐々に慣れていくというのは、学生時代にも何度も経験済みです。ここを乗り越えなければ次のステップには進めない。


 

2019年5月9日木曜日

昭和19年最後の試合


 昭和19年9月に、「阪神・産業」、「巨人・朝日」、「阪急・近畿」合併軍3チームによる大会が挙行された。

 大会の名称は、「日本野球総進軍大会」。9月9、10、11日に甲子園で「第1回大阪大会」が、同17、18、20日に後楽園で「東京大会」が、同24、25、26日に西宮で「第2回大阪大会」が行われた。

 スコアカードは残されていないので、広瀬謙三著「日本野球十二年史」に書かれている試合結果を記す。( )内は投手。

第1回大阪大会(甲子園)
9月9日 阪神・産業(武智修) 4対1 巨人・朝日(藤本英雄)
    阪急・近畿(天保義夫) 3対3 巨人・朝日(内藤幸三、藤本英雄) 延長12回引分
9月10日 阪神・産業(野口正明、若林忠志) 7対6 阪急・近畿(清水秀雄、大平茂、天保義夫)
      阪神・産業(若林忠志) 1対0 巨人・朝日(内藤幸三)
9月11日 巨人・朝日(藤本英雄) 10対4 阪急・近畿(清水秀雄、木暮英路)
       阪神・産業(藤村冨美男、井上嘉弘、武智修) 11対6 阪急・近畿(天保義夫)


東京大会(後楽園)
9月17日 阪急・近畿(天保義夫) 3対2 巨人・朝日(内藤幸三)
      阪神・産業(若林忠志) 1対0 巨人・朝日(藤本英雄)
9月18日 阪神・産業(武智修) 5対1 阪急・近畿(清水秀雄)
      巨人・朝日(藤本英雄) 6対4 阪急・近畿(天保義夫、大平茂)
9月20日 阪神・産業(若林忠志) 4対2 阪急・近畿(大平茂、木暮英路)
      阪神・産業(若林忠志) 3対2 巨人・朝日(内藤幸三、藤本英雄)


第2回大阪大会(西宮)
9月24日 巨人・朝日(藤本英雄) 7対3 阪急・近畿(清水秀雄、大平茂)
      阪神・産業(若林忠志、井上嘉弘) 14対0 阪急・近畿(木暮英路)
9月25日 阪急・近畿(大平茂) 6対2 巨人・朝日(内藤幸三、近藤貞雄)
      阪神・産業(若林忠志) 3対2 巨人・朝日(藤本英雄)
9月26日 阪急・近畿(山田伝、大平茂) 10対6 阪神・産業(井上嘉弘、若林忠志)
      阪神・産業(若林忠志) 8対0 巨人・朝日(藤本英雄、近藤貞雄、大橋一郎)


 「鈴木龍二回顧録」には「阪神・産業」連合軍が11戦全勝と書かれているが、広瀬の著によると「阪神・産業」は11勝1敗である。各チーム12試合ずつを戦っているので、「鈴木龍二回顧録」の記述は間違いでしょう。