2014年2月28日金曜日

激突




 テレビ映画「激突!」はスティーブン・スピルバーグ監督の出世作で「警部マクロード」のデニス・ウィーバーが主演したサスペンスですが、野球ブログである当ブログが書く「激突」は当然にして野球ネタです。


 本稿はスポーツ報知・蛭間豊章記者のサイト「Baseball Inside」の2月27日付け記事「本塁激突プレーが減るのだろうか(第764回)」(以下「同記事」)を参照させていただいております。


 同記事によると、今季のメジャーリーグでは無謀な本塁突入を防止するルールが導入されるとのことです。


 我々は“チャーリー・ハッスル”ことピート・ローズが1970年のオールスターで見せたような本塁突入を見ることができなくなるようです。この時ローズは、レイ・フォッシー捕手に激突しながら必死に右手をホームベースに伸ばしてサヨナラのホームインをすることとなりました。


 同記事には「ギャビー・サンチェス捕手が『走者に下敷きにされながら、(アウトにした)球を審判に見せつけるプレーに勝るものはない』と発言したこともあった。」とも書かれています。激突されるキャッチャーサイドからもこのルール改正は疑問視されているようです。


 筆者の乏しいキャッチャー経験は高校3年の1年間だけ(しかも神奈川軟式です)です。近年は軟式でもレガースを付けているようですが当時(1976年)はレガースもありませんでした。スパイクも現在のようなイボイボタイプではなく三角形の金属製です。それでもキャッチャーとしての醍醐味は突っ込んでくる走者を素足でブロックしてアウトにする瞬間でした。



 同記事にも書かれているように、3年前のバスター・ポージーが大怪我を負った激突がルール改正のきっかけとなったようです。高校野球で禁止するのはまだ理解できますが、大リーグ名物とも言える本塁激突シーンが見られなくなるような“お嬢さん野球”を見せられて楽しめるのでしょうか?もう一方の大リーグ名物である乱闘シーンまで禁止されることはないでしょうね(笑)。




*1970年オールスターゲーム12回裏、ピート・ローズがレイ・フォッシー捕手に激突したシーンを捉えた直筆サイン入り写真。
 キャッチャーミットを吹き飛ばしたローズの右手が本能をむき出しにしてホームベースに伸びているところをご確認ください。






*1993年8月4日、死球を食らったロビン・ベンチュラ(26歳)はマウンド上のノーラン・ライアンに飛び掛かっていったが、迎え撃ったライアンがヘッドロックからベンチュラをぼこぼこにしたシーン。この時ライアン46歳。退場宣告を受けたのはロビン・ベンチュラの方でした。













*解説文には「Robin Ventura - Only Man to Get 5 Hits Off Nolan In One Game (In The Face)」と書かれています(笑)。














 

16年 南海vs阪急 7回戦


8月1日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 1 0 0 2 南海 19勝24敗 0.442 神田武夫
0 2 0 0 0 0 0 3 X 5 阪急 26勝20敗 0.565 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 16勝5敗
敗戦投手 神田武夫 11勝9敗

二塁打 (南)岡村 (急)伊東、中島、山田

勝利打点 フランク山田伝 3

猛打賞 国久松一 4


山田伝、意地の決勝二塁打

 阪急は2回、二死後中島喬が中前打、日比野武も左前打で続いて二死一二塁、ここで前節週間MVPに輝いた絶好調の伊東甚吉が左翼線に痛烈な先制二塁打を放って二者を迎え入れ2-0とする。

 南海は3回、先頭の国久松一が中前打で出塁、トップに返り猪子利男が投前に送りバント、ピッチャー森弘太郎が一塁に悪送球して犠打エラーが記録され無死一二塁、安井鍵太郎が死球を受けて無死満塁、鬼頭数雄は三振に倒れて一死満塁、岩本義行の遊ゴロ併殺崩れの間に三走国久が還って1-2、岩本が二盗を決めて二死二三塁とするが村上一治は左飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 阪急は3回、6回と併殺でチャンスの芽を潰し無得点。

 南海は7回、一死後神田武夫が四球を選んで出塁、国久の右前打で神田は三塁に進み一死一三塁、猪子の中飛を名手フランク山田伝が落球する間に三走神田が還って2-2の同点に追い付く。

 南海は8回、先頭の岩本が中前打で出塁するが村上の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー、直後に岡村俊昭が左中間に二塁打、前田貞行が四球を選んで二死一二塁とするが神田が遊ゴロに倒れて逆転はならず。


 阪急は8回裏、先頭の伊東が右前打で出塁、森が送って一死二塁、トップに返り西村正夫の四球で一死一二塁、ここで7回にタイムリーエラーを犯した山田が右中間に意地の二塁打を放って伊東が還り3-2と勝ち越し、上田藤夫が四球を選んで一死満塁、黒田健吾の左犠飛で4-2、新富卯三郎に代わる代打森田定雄が左前にダメ押しタイムリーを放って5-2とする。

 森弘太郎は9回も一死後安井に左前打を許すが木村勉を投ゴロ併殺に打ち取り、7安打4四球1死球と苦しみながらも完投で16勝目をあげる。



 勝利打点は決勝二塁打のフランク山田伝に記録されるが、先制の2点タイムリー二塁打を放った伊東甚吉も殊勲者の一人である。




 国久松一が4回目の猛打賞。現在トップは中島治康の5回で国久は川上哲治の4回に並んだ。川上、中島の名前を知らない人はいないでしょうが、国久松一の名前を知っている人は少ない。国久と伊東は戦死することとなります。







 

2014年2月27日木曜日

16年 名古屋vs巨人 7回戦


8月1日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 名古屋 21勝25敗 0,457 松尾幸造 岡本敏男 森井茂 西沢道夫
0 0 0 0 1 0 4 0 X  5 巨人    33勝10敗 0.767 中尾輝三
 
勝利投手 中尾輝三 11勝3敗
敗戦投手 松尾幸造   0勝4敗

二塁打 (名)服部、石丸 (巨)中尾

勝利打点 千葉茂 3

猛打賞 (巨)中島治康 5


中尾輝三、2安打完封

 名古屋は3回二死まで8人連続凡退で4三振。木村進一が四球でチーム初出塁するが二盗に失敗。

 巨人は3回まで無安打。4回、一死後川上哲治が四球、中島治康の中前打で一死一二塁、しかし吉原正喜の右飛に一走中島が飛び出し「9-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人は5回、一死後中尾輝三が中前打、平山菊二は三振に倒れるがトップに返り呉波が四球を選んで二死一二塁、水原茂の当りは一邪飛となって万事休すと思われたところファースト三浦敏一が落球して命拾いした水原が四球を選んで二死満塁、名古屋ベンチはここで先発の松尾幸造から岡本敏男にスイッチするが、千葉が押出し四球を選んで1点を先制する。

 巨人は6回、先頭の中島が中前打、吉原が死球を受けて無死一二塁、名古屋ベンチはここで岡本から三番手の森井茂にスイッチ、白石敏男の送りバントは森井が三塁に送球して二走中島は三封、ここで重盗を決めるが中尾は投ゴロに倒れて二死二三塁、平山が四球を選んで二死満塁とするが呉が左飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は7回、先頭の水原が四球で出塁、千葉は右飛に倒れるが川上の二ゴロをセカンド石丸進一がエラーして一死一三塁、川上が二盗に失敗して二死三塁、中島の右前タイムリーで2-0、吉原が左前打で続き、白石の右前タイムリーで3-0、この打球をライト吉田猪佐喜が後逸する間に一走吉原も還って4-0、中尾の左間二塁打で5-0として試合を決める。

 中尾輝三は2安打4四球10三振で今季4度目の完封、11勝目をげる。名古屋の放った安打は2回服部受弘、8回石丸進一による2本の二塁打だけであった。




                  *中尾輝三は名古屋打線を2安打に抑えて今季4度目の完封。





      *中尾に2安打に抑えられた名古屋打線。ヒットの2本は服部と石丸の二塁打であった。












 

2014年2月25日火曜日

16年 黒鷲vs阪神 7回戦


8月1日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 0 0 0 0 0 1 0  0  1 黒鷲 14勝29敗 0.326 畑福俊英
0 0 1 0 0 0 0 0 1X 2 阪神 24勝22敗 0.522 三輪八郎 若林忠志

勝利投手 若林忠志 10勝8敗
敗戦投手 畑福俊英   2勝6敗

二塁打 (神)三輪、宮崎
三塁打 (神)松下

勝利打点 松下繁二 2

猛打賞 (黒)畑福俊英 1

ファインプレー賞 (黒)富松信彦 2 (神)森国五郎 2


松下繁二、サヨナラ三塁打

 阪神は初回、2つの四球で二死一二塁とするが松下繁二が中飛に倒れて無得点。2回も二死後三輪八郎が左中間に二塁打を放つが森国五郎は遊飛に倒れる。

 阪神は3回、先頭の宮崎剛がセンター右奥に二塁打、皆川定之が送って一死三塁、カイザー田中義雄は四球を選んで一死一三塁、松木謙治郎の当りは一塁後方ファウルグラウンドへの当り、これをセカンド宗宮房之助が懸命に追ったところ、翌日の読売新聞によると「黒鷲ベンチでは“落とせ、落とせ”と懸命に叫んだ」が、「若い宗宮が背走して好捕したので楽に宮崎の生還となった。」とのこと。ベンチから見ても宗宮が捕ったら三走宮崎がタッチアップから生還してしまうと見えたのでしょう。松木には打点が記録されているので「二邪犠飛」となります。

 黒鷲は7回、一死後畑福俊英の遊ゴロをファースト松木がエラー、清家忠太郎の右前打で一死一二塁、ここで二邪飛を捕球して犠飛にするボーンヘッドを犯した宗宮が汚名挽回の右翼線タイムリーを放って1-1の同点に追い付く。

 阪神は8回、先頭の森が中前打、トップに返り宮崎が送って一死二塁、皆川が三遊間を抜くと二走森は三塁ベースを蹴ってホームに突進、しかしレフト富松信彦からのバックホームにタッチアウト、田中は捕邪飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 阪神は9回裏、先頭の松木が中前打、ここで松下が右中間にサヨナラ三塁打を放って阪神が打っ棄り勝ち。


 サヨナラ打を打たれた畑福俊英は8回3分の0を投げて6安打3四球無三振2失点、打っては4打数3安打で猛打賞を獲得、1つの凡退も敵失に生きて黒鷲唯一の得点を記録した。


 初回の先制チャンスに凡退した松下繁二は第三打席まで凡打が続いたが、9回裏にサヨナラ三塁打を放った。3回の守備では二邪飛を犠飛にするボーンヘドを犯した宗宮房之助は、7回に同点タイムリーを放った。73年後、ショートプログラムでは失敗の連続だった浅田真央はフリーで会心の滑りを見せた。スポーツの現場では失敗など日常茶飯事、そこで諦めてしまっては、結果など付いてきません。







 

2014年2月24日月曜日

16年 朝日vs大洋 7回戦


8月1日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 1 0 0 0 2 朝日 14勝32敗 0.304 福士勇
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 大洋 27勝16敗 0.628 浅岡三郎

勝利投手 福士勇   10勝17敗
敗戦投手 浅岡三郎 7勝2敗

二塁打 (大)西岡
本塁打 (朝)伊勢川 1号、鬼頭 1号

勝利打点 鬼頭政一 5

ファインプレー賞 (朝)室脇正信 1、岩田次男 1 (大)織辺由三 1


伊勢川真澄、鬼頭政一が本塁打

 朝日は2回、先頭の伊勢川真澄がレフトポール際にホームランを叩き込んで1点を先制する。

 大洋は2回裏、二死後西岡義晴がセンター右にヒット、佐藤武夫が中前打、山川喜作が右前打と三連打で二死満塁、続く織辺由三の当りは「1-6-4」で一走山川が二封されてスリーアウトチェンジ。織辺の記録は投ゴロとなっているが、ピッチャー福士勇が弾いた打球をショート前田諭治がバックアップして二塁ベースカバーに入ったセカンド五味芳夫に送球して一走を二封したものです。
 


 大洋は3回、先頭の苅田久徳の三ゴロはサード岩田次男のファインプレーに阻まれてワンアウト、森田実が左前打を放って一死一塁、濃人渉の三ゴロを今度は岩田が後逸して一死一二塁、この日四番に入った石井豊が7級ファウルで粘って中前に同点タイムリーを放ち1-1と追い付く。

 大洋は4回、先頭の西岡が左中間二塁打、佐藤、山川が連続四球で無死満塁、織辺は二飛に倒れて二死満塁、トップに返り苅田の痛烈な当りが三遊間を襲うが二走佐藤に当たってしまい守備妨害、森田実大洋が三振に倒れてこの回無得点。

 朝日は6回、二死後鬼頭がレフトスタンドに決勝ホームランを叩き込んで2-1とする。

 福士勇は8安打を打たれながら1失点、自責点ゼロの完投で10勝目をあげる。


 朝日は5安打であったが2本の本塁打で大洋を粉砕した。


 この試合の開始時刻は2時ちょうど、終了時刻は3時間35分で試合時間は1時間35分と記録されている。この程度の得点の試合だと1時間10分程度で終了するのが通常ですが翌日の読売新聞によると大洋3回の攻撃で起きた守備妨害に対して「大洋の抗議となったが取り上げられず」とのことで中断が20分程度あったようです。







              *福士勇は8安打5四球5三振、自責点ゼロの完投で10勝目をあげる。










 

2014年2月23日日曜日

飛んだ決まった!




 眠れない夜を過ごさせてもらったソチ・オリンピック最後のスキー競技・距離男子50キロフリーはロシアが金銀銅を独占しました。


 と言うことで、札幌オリンピック70メートル級純ジャンプで金銀銅を独占した「日の丸飛行隊」で締めさせていただきます。


 1年前のプレ・オリンピックで笠谷が圧勝したことからオリンピックでのメダルに期待が高まっていました。直前のヨーロッパジャンプ週間でも笠谷が連勝を続けて「これなら行ける!」と思ったものです。


 中でも期待が高かった70メートル級はメンバー選考時点から揉めていました。笠谷と金野は当確でしたが、筆者は三番手として開会式で旗手を務めた益子峰行、4人目が青地、板垣の争いではないかと考えていました。結局益子は落選して笠谷、金野、青地と藤沢隆が選ばれました。


 飛行順でも駆け引きがありました。トップバッターは「カミソリジャンパー」と呼ばれていた金野昭次が務めました。西鉄ライオンズ全盛期に「切り込み隊長」と言われた高倉のようなタイプです。ベテランの青地清二は関口ですね。藤沢は1本目で4位に付け1位~4位独占の可能性もありましたが2本目に失速しました。締めの笠谷は当然中西です。筆者は益子に大下のイメージを抱いていたのですが。藤沢は豊田でしょうか。穴は大きいが一発を期待されたのでしょう。


 金メダルを決めた2本目、北出清五郎アナウンサーの「さあ笠谷、金メダルへのジャンプ、・・・飛んだ決まった!」はあまりにも有名ですが、筆者は1本目の「旗が振られた。シグナルはゴーに変わった。」が印象に残っています。ジャンプ競技では踏切付近に陣取るコーチが風の様子を見てスタートのサインに旗を振ります。この時旗を振ったのは笠谷幸生の兄で名コーチとして名高い笠谷昌生だったように記憶していますが定かではありません。


 90メートル級はメンバーを入れ替えて、笠谷、金野、藤沢、板垣が出場しましたが笠谷の7位が最高ということで歴史に埋もれています。



 「職業野球!実況中継」に何でジャンプネタなんだ!と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、笠谷の助走の時のフォームは野球のキャッチャーの構えを参考としたものです。






 

満州遠征中止




 昭和16年夏季シリーズの後半戦は15年と同様満州遠征が予定されていましたが中止となりました。


 昭和16年7月21日付け読売新聞は「満州戦中止」の見出しと共に「全球団は満州国へ渡り第二回満州リーグを行う予定であったがこの程変更となって従来通り東京、大阪に於て挙行されることになり・・・」と伝えている。


 昭和15年の満州リーグ終了時点では16年も満州で日本プロ野球が行われることは既定路線であった。その後、日本サイドの職業野球聯盟と主催者である満州日々新聞の間で収益の取り分について一悶着あったようだ。


 「野球界」昭和16年7月1日号(印刷納本は約1か月前のことになりますのでこの号に記載される事項は6月頃のことと考えていいと思います。)は、「ギャランティの問題で一時暗礁に乗上げていた大リーグ(日本のプロ野球のことです=筆者注)の満州遠征は、この程、聯盟と主催者側との了解成って、いよいよ昨夏同様夏季戦の後半を満州で行うこととなった。7月26日から8月20日、奉天、大連、新京で行うこととなった。」と伝えている。


 「野球界」昭和16年8月1日号(7月8日印刷納本)でも「7月25日奉天で開幕、8月20日奉天で終わり2回総当たり56試合を行う。」、同8月15日号(7月23日印刷納本)でも「夏季後半戦は昨年通り満州で行われる。」と伝えている。


 ところが、満州遠征中止後、「野球界」には中止の経緯を含めて満州遠征については一切触れられなくなる。大和球士著「真説日本野球史」には「夏の甲子園大会、都市対抗大会の中止の原因になった『関東軍特別大演習』略して関特演のため中止となってしまった。」と書かれていますが、もちろんこれが書かれたのは戦後のことです。昭和16年7月の時点では「軍人機密」扱いとして満州遠征中止に触れることはタブーであったのでしょう。












 

KANO




 台湾映画「KANO」の公開が近づいてきました。


 嘉義農林野球部の奮闘を描いた作品ですが、日本での封切りに合わせるかのように当ブログにおいて嘉義農林出身の呉波(後に「呉昌征」)が昭和16年6・7月の月間MVPに輝きました。


 嘉義農林野球部は有名な「呉」選手を三人輩出しています。


 一人目は昭和6年の甲子園初出場で準優勝に導いたエースで四番の「呉明捷」です。呉明捷は早稲田に進み、宮武三郎と並ぶ東京六大学野球リーグ戦通算7本塁打の記録は戦後長嶋に抜かれるまでのリーグ記録でした。


 二人目が当ブログでも活躍中の「呉波」です。昭和8年(第19回)、10年(第21回)、11年(第22回)の夏の甲子園と10年(第12回)センバツに出場しました。


 三人目が「呉新亨」(後に「萩原寛」)です。昭和17年夏には台湾代表が決定していましたが甲子園大会が中止となったため甲子園出場はなりませんでした。昭和18年に日本のプロ野球に進み大和に入団しますので当ブログでもそのプレーぶりをお伝えする予定です。翌19年に巨人に移籍して盗塁王に輝きます。しかもこの年阪神に移籍した呉波と並んで嘉義農林出身の二人の「呉」選手が盗塁王となりました。昭和23年に登録名が「呉元敞」に変わり、24年から「萩原寛」となります。


 日本のプロ野球に進んだ人物としては今久留主淳、今久留主功兄弟がいます。今久留主淳は西鉄ライオンズ黄金時代のコーチとして有名ですね。


 「嘉義農林野球部史」は台湾で発行されています。日本では見たことがありませんが、野球殿堂博物館の図書館で見ることができます。嘉義農林野球部について調べたい方はぜひご覧ください。呉波について詳しく知りたければ、ネット上で無料公開されている岡本博志著「人間機関車 呉昌征」をご覧ください。呉波のプレーぶりを知りたければ、当ブログをお読みください(笑)。




        *昭和10年センバツメンバー。毎日新聞社発行「選抜高等学校野球大会50年史」より。

 
 
 
 
 
 
 
 


          *昭和26年頃の今久留主淳のサイン。









          *昭和28年日米野球時の呉波(呉昌征)のサイン。





 
 



 

2014年2月22日土曜日

16年 6月・7月 月間MVP



 2014年1月5日付けブログ「月間MVP統合のお知らせ」で既報のとおり、昭和16年6月の試合数は18試合だけでなので6月と7月の月間MVPは統合させていただきます。


月間MVP

投手部門

 大洋 野口二郎 1

 候補は例によって須田博、森弘太郎、野口二郎の三人であった。

 須田博は今月、6試合に登板して3勝1敗1セーブ。48回を投げて22安打12四球18三振、自責点3、防御率0.56、WHIP0.71、奪三振率3.38であった。病気のため欠場が惜しまれる。

 森弘太郎は今月、9試合に登板して6勝2敗、2完封。64回3分の2を投げて45安打16四球10三振、自責点12、防御率1.67、WHIP0.94、奪三振率1.41であった。

 野口二郎は今月、8試合に登板して6勝1敗1セーブ、3完封。66回を投げて29安打19四球26三振、自責点5、防御率0.68、WHIP0.73、奪三振率3.55であった。  


 須田博は投げられる状態ではなかったようであるが成績は圧巻である。

 森弘太郎は最後の試合で自責点8だったのが惜しまれる。この試合を除くと防御率0.64、WHIP0.83に跳ね上がる。

 いずれにせよ、野口二郎が受賞した。








打撃部門

 巨人 呉波 1

 打撃部門は呉波と川上哲治というカテゴリーの違う二人の争いとなった。

 呉波は今月、14試合に出場して40打数13安打9得点5打点4盗塁13四球、二塁打1本。
打率3割2分5厘、出塁率4割9分1厘、長打率3割5分、OPS0.841であった。

 川上哲治は今月、14試合に出場して55打数17安打6得点10打点2盗塁8四球1死球、二塁打4本,本塁打1本、打率3割9厘、出塁率4割6厘、長打率4割3分6厘、OPS0.843であった。


 川上は既に巨人の不動の四番であるが、呉は6月21~23日の三試合は八番、24日の朝日戦は九番、7月1日、2日が八番で3日がようやく一番。5日と6日は八番に戻って8日の阪急戦から一番に定着することとなる。

 二人は全くカテゴリーの違う打者であるが、OPSは僅差となっている。

 月間MVPを受賞した呉波の出身校は嘉義農林です。嘉義農林野球部を描いた台湾映画「KANO」がもうすぐ日本でも封切りとなります。








 

16年 第9節 週間MVP



 今節は変則開催で4チームが四試合、4チームが七試合を消化した。黒鷲が3勝1敗、大洋が3勝1敗、巨人が3勝1敗、阪急が4勝3敗、阪神が4勝3敗、名古屋が3勝4敗、南海が1勝3敗、朝日が1勝6敗であった。








週間MVP

投手部門

 巨人 中尾輝三 2

 7月16日の名古屋戦で二度目のノーヒットノーランを達成する。


 黒鷲 中河美芳 1

 大洋と阪神を相手に2試合連続完封。


 大洋 浅岡三郎 1

 7月14日の黒鷲戦では6イニングをパーフェクトリリーフ、18日の朝日戦は完封勝利を飾る。







打撃部門

 大洋 苅田久徳 1

 17、18日の朝日戦で2試合連続決勝打を放つ。


 阪急 伊東甚吉 1

 今節7試合で23打数9安打を記録する。


 名古屋 服部受弘 1

 今節5試合に出場して18打数4安打5打点3四球、二塁打1本、本塁打1本。27日の朝日戦、29日の阪神戦で2試合連続決勝打を放つ。








殊勲賞

 阪急 笠松実 3

 17日は巨人打線を3安打に抑えて完投勝利。29日の朝日戦では約4年ぶりにセーブを記録する。


 阪神 松本貞一 1

 26日の名古屋戦でプロ入り初先発初勝利を完投で飾る。打っても3打数2安打、押出し四球で勝利打点を記録する。


 




敢闘賞

 阪神 若林忠志 1

 13日の大洋戦では延長20回を完投して最後は力尽き0対1でサヨナラ負け。


 阪急 上田藤夫 2

 今節7試合で27打数8安打を記録する。


 南海 岡村俊昭 2

 今節4試合で13打数5安打を記録する。






技能賞

 南海 前田貞行 1

 15日の阪急戦で2美技とサヨナラのホームへの好走塁を見せる。


 南海 柳鶴震 1

 その前田貞行の本塁突入をアシストする二塁への猛スライディングを見せる。


 朝日 前田諭治 2

 29日の阪急戦、ショートで9補殺、5刺殺、無失策の14守備機会を記録する。


 名古屋 桝嘉一 1

 29日の阪神戦で5打席1打数1安打4四球を記録する。




 

16年 阪急vs朝日 7回戦


7月29日 (火) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 3 0 0 0 0 3 阪急 25勝20敗 0.556 橋本正吾 笠松実
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 朝日 13勝32敗 0.289 山本秀雄

勝利投手 橋本正吾 4勝1敗
敗戦投手 山本秀雄 4勝10敗
セーブ     笠松実  1

勝利打点 日比野武 3


笠松実、好リリーフ

 阪急は3回、伊東甚吉が左前打で出塁するが橋本正吾の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。4回も西村正夫が中前打を放つが上田藤夫の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。

 阪急は5回、先頭の黒田健吾が四球で出塁するとここは新富卯三郎がきっちりと送って一死二塁、中島喬も四球を選んで一死一二塁、日比野武が右前に先制タイムリーを放って1-0、この打球をライト鬼頭政一が逸らす間に一走中島もホームに還って2-0、打者走者の日比野は二塁に進み伊東の三塁内野安打で一死一三塁、橋本の遊ゴロ併殺崩れの間に三走日比野が還って3-0とする。

 5回まで阪急先発橋本の前に1安打に抑えられてきた朝日は6回、一死後坪内道則、前田諭治が連続四球、4回にタイムリーエラーを犯した鬼頭が中前に雪辱のタイムリーを放って1-3、一走前田は三塁に進み、センターフランク山田伝からのバックホームをキャッチャー日比野が逸らす間に打者走者の鬼頭も二塁に進んで一死二三塁、阪急ベンチはここで橋本から笠松実にスイッチ、灰山元章の当りはライナーでショートを襲うが直接捕球した上田がそのまま二塁ベースに入り無補殺併殺を決めてピンチを切り抜ける。

 笠松実は7回、先頭の伊勢川真澄を四球で出すがここも室脇正信を遊ゴロ併殺に打ち取り、3回3分の2を無安打2四球1三振無失点に抑えて、当ブログルールにより今季初セーブをあげる。


 笠松のセーブは昭和12年9月15日、12年秋季のイーグルス1回戦以来、兵役を挟んで約4年ぶりのこととなります。笠松は、12年春は27試合に登板して先発は15試合で4勝8敗、リリーフが12試合で3勝1敗1セーブ。12年秋は20試合に登板して先発は7試合で1勝3敗、リリーフが13試合で2勝4敗1セーブ。初期のプロ野球では名古屋の田中実ほどではないですがリリーフを中心に登板している珍しいタイプでした。阪急投手陣が、質はともかくとして数では全球団随一の豊富さを誇っていたことから準エース級であった笠松がリリーフに回ることが多かったのです。


 朝日のショート前田諭治が補殺9個、刺殺5個、無失策で14守備機会を記録した。昨年の前田はタイムリーエラーでチームの足を引っ張ることが多かったが、今季は守備の進歩が著しい。2年間のプロ野球人生で15年は41失策、16年は44失策の記録だけしか残っていませんが、数字を眺めるだけでは事実関係を把握することはできません。真実は当ブログにあります。










          *笠松実は昭和12年9月15日以来、約4年ぶりにセーブを記録する。













     *前田諭治は9補殺、5刺殺、無失策で14守備機会を記録する。下はその事実が記載された「雑記」欄。












 

2014年2月21日金曜日

訂正のお知らせ(笑)




 先ほどアップした「逆襲」の一行目において、「最後」と書いてしまいましたが、ちょっと前のNHKのインタビューで「世界選手権に出る!」とのことでした。と言うことで、「最後」については早くも訂正させていただきます(笑)。どうでもいいけど、がんばれ浅田!




 

逆襲



 昨晩はショックで更新できませんでしたが、浅田真央が最後にやってくれました。


 やられたらやり返す、取られたら取り返すのは勝負の鉄則です。金メダル以上の価値がある最後の舞台でした。



 「3回目のオリンピックでコストナーが遂に見せました!」NHKのアナも絶叫。性格が穏やか過ぎて勝負には向かないとまで言われてきたカロリーナ・コストナーも最後にアスリートとしての本能に目覚めたか。トービル、ディーン組を彷彿させるボレロのリズムに乗って銅メダルを獲得しました。



 2年のブランクから復帰してきたキム・ヨナも懐疑論を吹き飛ばす銀メダル。底力を見せつけてくれました。カタリナ・ビット以来の連覇はなりませんでしたが、筆者にはバンクーバーの時ほどの執念が感じられませんでした。



 一夜にしてヒロインの座に就いたリプニツカヤに代わって同じロシアのソトニコワが逆襲の金メダルを獲得。地元採点もあったかもしれませんがフィギュアではよくあることです。素人目に見ても分かるジャンプの高さは圧巻でした。


 ソトニコワの採点に文句を付けたくなる気持ちも分からないではないですがこれもフィギュアの一要素です。永く見ている方には理解できると思いますが。因みに筆者は札幌オリンピックのジャネット・リン以来見続けてきています。当時通っていた中学では銀メダルのカレン・マグヌッセン派と銅メダルのジャネト・リン派に分かれて大激論が交わされました。筆者もジャネット・リン派の急先鋒として論陣を張ったものです(笑)。尻もちをつきながら芸術点で6点満点が出たジャネット・リンの採点を擁護していたのです。ジャッジも人の子、程度の余裕を持って見ましょうね。Wikipediaでは「カレン・マグヌセン」となっていますので「マグヌッセン」は間違いだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、「S」がダブルになっているスペルをご確認ください。我々は「カレン・マグヌッセン」と呼んでいました。



 浅田真央は日本の生んだ最高のアスリートであると考えています。2006年のトリノ・オリンピックに出られていれば恐らく金メダルを取っていたと考えられる天才少女でしたが、身体が大きくなってからは苦難の連続でもありました。にもかかわらず、ビールマンスピンとトリプルアクセルをキープし続けてきたことを当ブログは最も評価しています。安藤美姫も4回転ができたのは10代まででした。


 大失敗に終わったショートの後、インタビューに答える必要もないのに健気に答えていた姿は忘れることができません。それにも増して、仕事とは言え、マイクを向けなくてはならなかったアナウンサーの気持ちも察せざるを得ないというのが当ブログの見解です。


 後世の歴史家は浅田のフリーを「奇跡の大逆襲」として伝えることとなるかもしれませんが、冷静に考えればあの程度の滑りなど、浅田真央には当たり前のことだったのです。








 

2014年2月19日水曜日

門外漢




 まったくの門外漢ではありますが、当ブログ初のフィギュアスケートネタとなります。

 浅田真央の集大成と考えられる女子フィギュアが近づいてきました。現在の勢いからすると、

 ◎ ユリア・リプニツカヤ (ロシア)
 O キム・ヨナ (韓国)
 ▲ 浅田真央 (日本)


と考えるのが妥当でしょう。



 但し、浅田に贈られる日本からの声援は日本のスポーツ史上最大のものとなることは間違いありません。

 当ブログの読者の方々には、これまで筆者の当たらない各種予想に付き合っていただいてきた歴史があります。と言うことで、ソチ・オリンピック 女子フィギュアの予想をさせていただきます。

 ◎ 浅田真央 (日本)
 O ユリア・リプニツカヤ (ロシア)
 ▲ キム・ヨナ (韓国)


 筆者の当たらない予想もたまに当たることがあります。がんばれ浅田!

 竹内智香の銀メダルを無理やり“吉兆”と思い込もうとしているのは筆者だけではないでしょう(笑)。


 *当ブログでは野球選手に限らず、アスリートである限り“ちゃん付け”はしておりませんのでご了承ください。






 

2014年2月18日火曜日

16年 阪神vs名古屋 8回戦


7月29日 (火) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 2 0 0 0 0 2 阪神     23勝22敗 0.511 藤村隆男 若林忠志 三輪八郎
0 0 0 0 0 0 6 0 X 6 名古屋 21勝24敗 0.467 西沢道夫
 
勝利投手 西沢道夫 3勝8敗
敗戦投手 若林忠志 9勝8敗

二塁打 (神)松木、若林 (名)服部

勝利打点 服部受弘 3


桝嘉一、真骨頂の4四球

 阪神は5回、先頭の野口昇が四球を選んで出塁、若林忠志の右中間二塁打で野口が還り1点を先制、更に若林が三盗に成功、森国五郎は投ゴロに倒れるが、トップに返り宮崎剛が左前にタイムリーを放って2-0とする。

 阪神先発の藤村隆男は3回まで無失点ではあったが3四球と安定せず、4回から若林忠志が二番手のマウンドに上がる。

 6回まで無得点の名古屋は7回、一死後桝嘉一が右前打で出塁、岩本章に代わる代打牧常一の遊ゴロをショート皆川定之がエラー、若林としては得意のシンカーで狙い通り併殺に打ち取る予定であったところ名手皆川の失策によりリズムが狂ったようだ。大沢清は四球で一死満塁、吉田猪佐喜のピッチャー強襲ヒットで二者還り2-2の同点、一走大沢も三塁に進んで一死一三塁、吉田が二盗を決めて一死二三塁、服部受弘が左前に2点タイムリーを放って4-2、芳賀直一は中飛に倒れるが石丸進一が中前打を放って二死一二塁、西沢道夫の三ゴロをサード野口が一塁に悪送球して二死満塁、木村進一が押出し四球を選んで5-2、トップに返り桝も押出し四球を選んで6-2として試合を決める。

 西沢道夫は5安打4四球4三振の完投で3勝目をあげる。若林忠志は3回3分の2を投げて7四球6失点と乱れた。自責点は2であったが。


 名古屋のトップバッター桝嘉一が5打席1打数1安打4四球と出塁率10割を記録した。筆者は、「出塁率-打率」を、如何にヒット以外で出塁するかを見る指標として小学校時代から重視してきました。高校、大学時代は三流ではありましたがプレイヤーの端くれに名を連ねて「出塁率-打率」が1割を超えることを目標にしていました。時代が移り、セイバーメトリクスの時代となって「出塁率-打率」は「IsoD」(Isolated Discipline)と呼ばれる指標として重視されるようになりました。桝嘉一のプロでの通算打率は2割3分4厘で通算出塁率は3割7分0厘、IsoDは0.136となり、四球が多かった戦前でも突出した記録です。桝嘉一はバッティング技術においても定評がある上に選球眼が良いことから突出したIsoDを記録しました。筆者の東京六大学準硬式野球リーグ戦での通算記録は200打数37安打23四死球で打率1割8分5厘、出塁率2割6分9厘でIsoDは0.084。目標としていた0.100には足りませんでしたが、打率の低い三流プレイヤーはヒット以外の出塁を多くする工夫をしなければ試合に使ってもらえません。









                    *西沢道夫は5安打完投で3勝目をあげる。











          *桝嘉一が4四球を記録した名古屋打線。








 

2014年2月17日月曜日

16年 阪急vs阪神 7回戦


7月27日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急 24勝20敗 0.545 森弘太郎
0 0 0 0 0 0 4 4 X  8 阪神 23勝21敗 0.523 三輪八郎 若林忠志

勝利投手 若林忠志   9勝7敗
敗戦投手 森弘太郎 15勝5敗

二塁打 (神)若林、松木、松下

勝利打点 松下繁二 1


7連続ヒット

 阪急先発の森弘太郎は6月21日からの夏季シリーズに入ってここまで8試合に登板、56回3分の2を投げて33安打14四球9三振で自責点は4。防御率0.64、WHIP0.83の成績で須田博、野口二郎と激しく月間NVP争いを繰り広げている。この試合でも6回まで阪神打線を1安打無四球に封じて5度の三者凡退を記録する。

 ところがその森が突然崩れた。

 阪神は7回、先頭の皆川定之が死球を受けて出塁、この死球で森のリズムが乱れたようだ。カイザー田中義雄が投前に送りバントを決めて一死二塁、松木謙治郎の右前打で一死一三塁、松下繁二が中前に先制タイムリーを放って1-0、松尾五郎は捕邪飛に倒れるが、野口昇が左前にタイムリーを放って2-0、若林忠志の左中間二塁打で二者還り4-0とする。

 阪神は8回、一死後皆川が右前打で出塁、田中が中前打で続きワイルドピッチで一死二三塁、松木が右翼線に二塁打を放って6-0、松下の左中間二塁打で7-0、松尾の左前タイムリーで8-0とする。打者走者の松尾は二塁を欲張ってタッチアウトとなるが野口が左前打、若林の四球を挟んで森国五郎も右前打、トップに返り宮崎剛が遊ゴロに倒れて追加点はならなかったが四球を挟んで7連続ヒットを記録した。


 4回からリリーフにマウンドに上がった若林忠志は6イニングを1安打無四球1三振無無失点に抑えて9勝目をあげる。


 森弘太郎は8失点すべてが自責点で6~7月の成績を防御率1.67、WHIP0.94に落として月間MVP争いから脱落した。







        *7回、8回に森弘太郎を粉砕した阪神打線。











 

2014年2月16日日曜日

16年 朝日vs名古屋 7回戦


7月27日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 朝日     13勝31敗 0.295 野村高義 山本秀雄 福士勇
0 0 0 2 0 0 0 0 X  2 名古屋 20勝24敗 0.455 村松幸雄
 
勝利投手 村松幸雄 5勝3敗
敗戦投手 山本秀雄 4勝9敗

勝利打点 服部受弘 2


村松幸雄、今季2度目の完封

 名古屋は2回、先頭の吉田猪佐喜が右翼線にヒット、吉田は一塁を回って二塁を狙うがライト鬼頭政一からの返球にタッチアウト、服部受弘が四球を選んで一死一塁、芳賀直一の中飛をセンター坪内道則が好捕して一塁に送球、飛び出していた一走服部は戻れずダブルプレー。

 名古屋は4回、先頭の桝嘉一が四球で出塁、大沢清は中飛に倒れるが、吉田も四球を選んで一死一二塁、服部が左前に先制タイムリーを放って1-0、一走吉田は三塁に進み、芳賀の三ゴロをサード岩田次男がエラーする間に三走吉田が還って2-0とする。

 名古屋は5回、先頭の村松が二塁への内野安打とセカンドエラーで二塁に進み、木村進一が四球を選んで無死一二塁、朝日は4回から先発の野村高義に代わってマウンドに上がっていた山本秀雄を下げて三番手としてエース福士勇を注ぎ込む。牧常一は投飛に倒れるが桝が四球を選んで一死満塁、しかし大沢は浅い右飛、吉田は中飛に倒れる。

 名古屋は6回も芳賀と村松の左前打で二死一二塁とするが木村は三振。7回も3四球で一死満塁とするが服部の二ゴロが「4-6-3」と転送されてダブルプレー。


 名古屋は5回以降再三のチャンスを潰して追加得点を挙げられなかったが、村松幸雄が粘りの投球を見せて5安打2四球3三振で今季2度目の完封、5勝目をあげる。翌日の読売新聞によると「村松の曲球はよく極って」とのことで技巧派ぶりを発揮したようだ。


 朝日は3回、一死後戸川信夫が左前打で出塁するが坪内の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。5回も先頭の室脇正信が左前打で出塁、一死後山本の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。

 朝日は7回、先頭の鬼頭が左前打、一死後伊勢川真澄も左前打を放つが室脇の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。9回、先頭の坪内が四球を選んで出塁、前田諭治の遊ゴロでランナーが入れ替わり一死一塁、8回から鬼頭に代わってライトに入っている内藤幸三の当りは一塁トライナー、ファースト大沢がそのまま一塁ベースを踏んで無補殺併殺で試合終了。4つの併殺を決めた名古屋が守り勝った試合であった。





          *村松幸雄は朝日打線を5安打に抑えて今季2度目の完封、5勝目をあげる。







 

16年 朝日vs阪急 7回戦


7月26日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 2 0 0 2 0 0 0  4 朝日 13勝30敗 0.302 福士勇
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急 24勝19敗 0.558 中田武夫 笠松実

福士勇     9勝17敗
中田武夫 1勝1敗

勝利打点 鬼頭政一 4


福士勇、今季4度目の完封

 朝日は3回、先頭の戸川信夫が四球を選んで出塁、トップに返り坪内道則が左前打、前田諭治がセオリー通り三前に送りバントを決めて一死二三塁、鬼頭政一が左前にタイムリーを放って1点を先制、一死一三塁の場面で一走鬼頭がディレードスチール、鬼頭が一二塁間に挟まれる隙を突いて三走坪内がホームを陥れて2-0、鬼頭はタッチアウトとなり重盗の片割れアウトには盗塁が記録されないので坪内に本盗は記録されていないが実質ホームスチール成功と言ってよいでしょう。翌日の読売新聞は「三塁走者坪内の脚力を無視した二塁手の深追い」が原因であったと伝えている。

 朝日は6回、二死後伊勢川真澄が四球で出塁、室脇正信が左前打で続き、岩田次男も四球を選んで二死満塁、福士勇が押出し四球を選んで3-0、阪急ベンチはここで先発の中田武夫から笠松実にスイッチ、しかし戸川に代わる代打広田修三も押出し四球を選んで4-0とリードを広げる。


 福士勇は4安打10四球5三振で今季4度目の完封、9勝目をあげる。2回を除く毎回走者を出したが2つの併殺などで切り抜けた。阪急は12残塁を記録した。

 坪内道則が5打数3安打で猛打賞を獲得、記録に表れない本盗も決める活躍であった。




                    *福士勇は今季4度目の完封で9勝目をあげる。







        *坪内道則が猛打賞を記録した朝日打線。






 

2014年2月15日土曜日

16年 名古屋vs阪神 7回戦


7月26日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 名古屋 19勝24敗 0.442 河村章 森井茂
0 2 0 1 0 0 0 1 X 4 阪神    22勝21敗 0.512 松本貞一

勝利投手 松本貞一 1勝0敗
敗戦投手 河村章   10勝5敗

二塁打 (名)桝 (神)松木

勝利打点 松本貞一 1


松本貞一、投打に活躍

 阪神は2回、先頭の土井垣武が右前打、松尾五郎は中飛に倒れるが松下繁二は四球、野口昇の中飛を名手・桝嘉一が落球して一死満塁、松本貞一が押出し四球を選んで1点を先制、名古屋ベンチはここで河村章をあきらめて二番手として森井茂をマウンドに送る。森国五郎の投ゴロで三走松下が本封、宮崎剛の内野安打で野口が還り2-0、二走松本もホームを狙うが「1-4-5-2」と送られてタッチアウト。

 名古屋は4回、先頭の三浦敏一が四球で出塁、二死後森井が左前打、木村進一が右前にタイムリーを放って1-2とする。

 阪神は4回裏、先頭の松下が四球で出塁、野口が送って一死二塁、松本が左前にタイムリーを放って3-1とリードを広げる。

 阪神は8回、先頭のカイザー田中義雄が右前打で出塁、松尾は捕邪飛に倒れるが松下が左前打を放って一死一二塁、野口が左前にダメ押しタイムリーを放って4-1と突き放す。


 本日がプロ入り初先発となった松本貞一は4安打5四球1三振1失点でプロ入り初勝利を完投で飾る。押出し四球で勝利打点を記録し、追撃のタイムリーで“真の殊勲打”も記録した。


 昨日は好守に足を引っ張った野口昇がこの日は攻守に大活躍、8個の三ゴロを捌いて無失策、貴重な追加点につなげる送りバントを決めてダメ押しのタイムリーも放つ。第一打席は名手・桝嘉一のエラーを誘う中飛も放ちラッキーボーイでもあった。







                 *プロ入り初先発の松本貞一は完投で初勝利を飾る。










 

16年 黒鷲vs阪神 6回戦


7月18日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
3 2 0 0 0 1 0 0 0  6 黒鷲 14勝28敗 0.333 中河美芳
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪神 21勝21敗 0.500 藤村隆男 三輪八郎 御園生崇男

勝利投手 中河美芳 3勝3敗
敗戦投手 藤村隆男 6勝6敗

二塁打 (黒)富松 2 (神)田中

勝利打点 富松信彦 1


中河美芳、2試合連続完封

 黒鷲は初回、先頭の寺内一隆が四球で出塁、山田潔は中飛に倒れるが玉腰忠義が中前打を放って一死一二塁、富松信彦が左中間を抜いて寺内が生還、山田もホームに走り、打者走者の富松も三塁に向かう。レフト松尾五郎からの三塁送球はタイミングはアウトであったがサード野口昇が後逸、玉腰もホームに還り2点を先制、記録は二塁打とエラーで玉腰のホームインはエラーによるものと判断されて富松には打点1が記録された。続く一死三塁から木下政文の右犠飛で3-0とする。

 黒鷲は2回、一死後宗宮房之助の三ゴロを又も野口がエラー、トップに返り寺内は四球、ここで阪神ベンチは先発の藤村隆男を下げて三輪八郎にスイッチ、山田も四球を選んで一死満塁、玉腰が右前にタイムリーを放って4-0、二走寺内も三塁ベースを蹴ってホームを狙うがライト松下繁二からのバックホームにタッチアウト、一走山田は三塁に走って二死一三塁、ここで鮮やかにダブルスチールを決めて5-0とする。

 黒鷲は6回、一死後清家忠太郎が中前打、宗宮が四球を選んで一死一二塁、トップに返り寺内の中前打で一死満塁、山田の右犠飛で6-0とする。

 中河美芳は5安打1四球5三振で2試合連続完封、3勝目をあげる。初回は先頭の森国五郎に左前打を許すが後続を抑え、2回は一死後松下に中前打を許すが野口を三ゴロ併殺に打ち取る。この間に5点のリードをもらい、こうなれば中河のペース。4回、カイザー田中義雄に左中間二塁打を許すがこれは二死からで続く松尾を左飛に打ち取る。7回、一死後田中に左前打、二死後松下にレフト線ヒットを許すがここも野口を三振に打ち取る。


 前節終了時点で朝日と同率最下位だった黒鷲は今節3勝1敗で巨人、阪急、大洋の三強と相星となった。勝ち試合は全て完封で畑福が1完封と中河が2完封を記録したものである。

 阪神はいいところがなかったが、戦場から帰還してきた御園生崇男が7回からマウンドに上がって3イニングを無失点に抑える好投を見せたのが唯一の収穫となった。御園生の登板は昭和14年8月1日以来のこととなる。





               *中河美芳は阪神打線を5安打に抑えて2試合連続完封。







     *好調黒鷲打線。中河美芳は打っても4打数2安打、四番に座る富松信彦が2本の二塁打を放った。








 

2014年2月14日金曜日

三つ巴




 昭和14年から一シーズン制が始まりましたが、実際は春季、夏季、秋季の三シーズン制でそれぞれの優勝チームと首位打者を表彰していました。昭和16年の夏季シリーズは6月21日に始まり、大洋、阪急、巨人の三チームがトップで並んでいます。当ブログではチームの勝敗についてはシーズン通算で記載していますので現在、巨人が32勝10敗、大洋が27勝15敗、阪急が24勝18敗で巨人が首位を走っていますが、夏季シリーズでは三チームが10勝4敗で並んでいるのです。したがって、7月19日付け読売新聞の大見出しは「大洋首位に並ぶ」となっています。


 森弘太郎を擁する阪急と野口二郎を擁する大洋は得点力ののなさがウィークポイントとなりますが、阪急はバント攻撃、大洋は試合運びの巧さでカバーして巨人の強力打線に対抗しています。巨人は須田博が病気のため戦線を離脱しましたが、新加入の広瀬習一がどこまで須田の穴をカバーするかに注目が集まります。




 

16年 朝日vs大洋 6回戦


7月18日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 朝日 12勝30敗 0.286 山本秀雄 福士勇
0 0 0 0 2 0 1 0 X  3 大洋 27勝15敗 0.643 浅岡三郎

勝利投手 浅岡三郎 7勝1敗
敗戦投手 山本秀雄 4勝8敗

二塁打 (大)苅田
三塁打 (大)苅田

勝利打点 苅田久徳 3


苅田久徳、2試合連続勝利打点

 朝日は初回、一死後戸川信夫が左前打で出塁、伊勢川真澄も左前打を放って一死一二塁、灰山元章も三遊間に痛打を放つが二走戸川に当たって守備妨害、室脇正信は投ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 朝日は2回、一死後プロ入り初出場初スタメンの景浦賢一が中前にプロ入り初打席初ヒット、山本秀雄の右前打で一死一三塁、しかしピッチャーの山本が走ってタッチアウト、前田諭治は四球から二盗を決めて二死二三塁、トップに返り坪内道則は右飛に倒れて又も無得点。

 大洋は5回、一死後織辺由三の三ゴロをサード景浦がプロ入り初エラー、トップに返り中村信一が四球を選んで一死一二塁、苅田久徳がレフト線に二塁打を放って1点を先制、濃人渉が左前にタイムリーを放って中村が還り2-0、苅田もホームを狙うがレフト室脇正信からの送球にタッチアウト。但しただのタッチアウトではなかったようです。苅田の走塁についてスコアカードには三塁のところに「C→」と書かれて本塁は「7-2」でタッチアウトと書かれている。「C」は三番打者・濃人のヒットで三塁に進塁したことを表します。普通に二塁から三塁ベースを蹴ってホームを突いてのタッチアウトであれば三塁のところに「C→」は書かれない。三塁ベースで一旦止まってフェイントをかけてからホームを狙ったが惜しくもタッチアウトが真相のようです。

 大洋は7回、一死後中村が四球で出塁、苅田が右中間に三塁打を放って3-0と突き放す。

 2回まで5安打を許した浅岡三郎は3回以降朝日打線を1安打に抑え、6安打2四球1三振で今季2度目の完封、7勝目をあげる。3回~7回まではパーフェクトピッチングであった。


 今季打撃ではあまり目立っていなかった苅田久徳が2試合連続勝利打点を記録した。


 両チーム6安打ずつであったが朝日は1安打が6人に対して大洋はヒットを打ったのは3人で苅田久徳、濃人渉、村松長太郎が2安打ずつを記録、中村信一が3四球を選んで2得点、苅田が二本のタイムリー長打で2打点、濃人が1打点。大洋が試合巧者らしい集中力を発揮した試合であった。


 プロ入り初出場で初打席初安打を記録した景浦賢一は景浦将の弟です。








                  *浅岡三郎は今季2度目の完封で7勝目をあげる。












       *苅田、濃人、村松が2安打ずつを記録した大洋打線。











*苅田は第三打席に二塁打を放ち、濃人の左前打で一旦三塁で止まり、フェイントをかけてホームに向かうが惜しくもタッチアウト。













*景浦将の弟・景浦賢一が七番サードでプロ入り初出場、初打席で中前にライナーで初ヒットを放った場面。