2020年7月31日金曜日

21年 セネタースvs阪急 10回戦


7月27日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 1 2 0 1 6 セ軍 20勝32敗 0.385 白木義一郎
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 阪急 30勝25敗 0.545 森弘太郎 野口二郎 天保義夫 溝部武夫

勝利投手 白木義一郎 10勝10敗
敗戦投手 森弘太郎    1勝2敗

二塁打 (セ)白木 (急)上田、野口二郎
三塁打 (セ)長持
本塁打 (セ)大下弘 8号、9号 飯島滋弥 2号

勝利打点 (セ)大下弘 4

猛打賞 (セ)大下弘 3、白木義一郎(5安打)2


大下の一発で試合を決める

 後楽園の第2試合は白木義一郎と森弘太郎の先発で午後3時5分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 セ軍は3回表、打順はトップの一言多十からであったが一言は遊ゴロ、二番清水喜一郎は三振に倒れて二死ランナー無し、しかし三番飯島がストレートの四球で出塁、ここで四番大下がライトスタンドに第8号ツーランホームランを叩き込んで2点を先制する。

 試合の局面を一振りで決する大下の一発であった。

 阪急は3回裏、先頭の森がピッチャー強襲ヒットで出塁、荒木茂は右飛に倒れるが、トップに返り上田の右中間二塁打で一死二三塁、山田伝の左犠飛で1点返して1-2とする。

 阪急は4回から森が降板してライトの野口二郎がマウンドに上がり、ライトには鳥居兵治が入る。

 セ軍は6回表、一死後鈴木清一がレフト線にヒット、横沢七郎が中前打で続き、トップに返り一言の投ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、阪急ベンチはここで野口二郎をライトに戻し三番手として天保義夫を投入、清水の二塁への当りが内野安打となって三走鈴木が還り3-1、セカンド荒木からの一塁送球を見て三塁に進んでいた二走横沢がホームに突っ込むが、ファースト野口明からの本塁送球にタッチアウト。

 セ軍は7回表、先頭の飯島がレフトスタンドにライナーで飛び込む第2号を放ち4-1、大下は右飛に倒れるが、白木がショートに内野安打、長持の右中間三塁打で5-1と突き放す。

 セ軍は9回表、先頭の飯島は遊ゴロに倒れるが、大下がこの日2本目のホームランをライトスタンドに叩き込んで6-1として試合を決める。

 白木義一郎は8安打無四球3三振、112球の完投で10勝目をマークする。

 2020年7月29日(日本時間30日)、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平は4回裏に膝元の難しい変化球をライトスタンドに逆転スリーラン、試合を決めたかに見えたがマリナーズの逆襲に逢って7対10で試合は敗れた。2020年のMLBでは一発で試合を決める展開は少ないが、昭和21年の日本野球は一発で試合が決まる時代であった。大下はこの試合の2本で今季9本目の本塁打となったが、リーグ全体で82本なので大下の本塁打占有率は10%を超えているのである。いよいよ「革命児」大下弘が本領を発揮してきた。


2020年7月30日木曜日

21年 巨人vsタイガース 8回戦


7月27日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 3 0 0 1 0 0 0 1 5 巨人 32勝20敗1分 0.615 中尾輝三 近藤貞雄 
0 0 3 0 1 2 0 2 X 8 タ軍 34勝17敗 0.667 呉昌征 藤村冨美男

勝利投手 藤村冨美男 8勝0敗
敗戦投手 近藤貞雄   13勝7敗

二塁打 (巨)中島、多田 (タ)金田
三塁打 (巨)山川 (タ)本堂、藤村
本塁打 (タ)長谷川善三 1号(ランニング)

勝利打点 (タ)藤村冨美男 5

猛打賞 (タ)金田正泰 12


藤村の猛虎魂

 西宮の第2試合は中尾輝三と呉昌征の両左腕の先発で午後3時丁度、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 巨人は今季全試合で三番を打ってきた千葉が欠場、セカンドには坂本茂が入り、山川が三番を打つ。

 タ軍は初回、先頭の金田がいきなり右中間に二塁打、土井垣の遊ゴロの間に金田は三進、藤村監督の三ゴロで金田はホームに突っ込むがサード山川からの送球にタッチアウト、本堂は左飛に倒れて無得点。

 巨人は2回表、先頭の川上が右前打で出塁、黒沢の右前打で無死一二塁、中島のセンター右後方への二塁打で二者還って2点を先制、多田も右超えに二塁打を放ち3-0とする。

 タ軍は3回裏、一死後土井垣が右前打で出塁、藤村が四球を選んで一死一二塁、本堂の右中間三塁打で二者還って2-3、御園生は四球を選び、渡辺誠太郎の中前タイムリーで3-3と追い付く。中尾はここでKO、近藤貞雄が二番手のマウンドに上がり後続を抑える。

 巨人は5回表、二死後坂本が四球で出塁すると二盗を試み、タイミングはアウトであったがショート長谷川の落球で二死二塁、宮下信明は四球を選び、山川の右前タイムリーで4-3と勝ち越す。

 タ軍は5回裏、先頭の本堂が中前打で出塁、御園生の投ゴロの間に本堂は二進、渡辺が中前に2打席連続のタイムリーを放ち4-4の同点に追い付く。

 前半戦は伝統の一戦らしい互角の戦いで後半を迎える。

 タ軍は6回から先発の呉昌征がセンターに回り、サード藤村がマウンドに上がる。

 巨人は6回表、先頭の黒沢が四球を選んで出塁、中島は左飛に倒れるが、多田の右前打で一死一二塁、近藤の投ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、5回の守備から呉新亨に代わってセンターの守備に入っていたベテラン林清一は中飛に倒れて無得点。

 タ軍は6回裏、先頭の呉昌征が四球を選んで出塁、トップに返り金田の中前打で無死一二塁、土井垣のニゴロの間に二者進塁して一死二三塁、ここで藤村が右中間に三塁打を放ち6-4と勝ち越す。続く本堂の左飛で三走藤村はタッチアップからホームに還るが、巨人のアピールプレーで「7-2-5」のダブルプレーが成立する。藤村はアドネラリンが出過ぎたのか勇み足のスタートとなってしまった。「雑記」欄には「藤村の離塁早し。」と書かれている。

 タ軍は8回裏、先頭の長谷川の打球は右中間を抜け、長谷川が一気にホームまで還るランニングホームラン(米国ではインサイド・ザ・パーク・ホームラン)、「雑記」欄には「非柵越」と書かれている。7-4となって続く呉昌征が右前打で出塁、トップに返り金田の投ゴロの間に呉は二進、二死後藤村の左前タイムリーで8-4と突き放す。

 巨人は最終回、先頭の林が四球を選んで出塁、トップに返り坂本は中飛に倒れ、宮下に代わる代打藤本英雄の三ゴロでランナーが入れ替わり、山川の右中間三塁打で5-8と最後の意地を見せるが、川上が一ゴロに倒れてゲームセット。

 リリーフの藤村冨美男は4イニングを1失点に抑えて開幕から無傷の8連勝を飾る。

 藤村の投打に亘る活躍に尽きる試合であった。藤村の「猛虎魂」が首位タイガースを引っ張っている。

2020年7月29日水曜日

野球週報2020 その30


7月22日(水) 品川区南埠頭のグラウンドで品川ベースボールクラブの練習。集合時は豪雨でしたが雨が上がって約3時間の練習。今回から監督が交代し、私が副主将に任命されて練習メニューを組むことになりました。股関節ストレッチ、フットワーク系トレーニング。今後、体幹トレーニングも取り入れていきます。

7月23日(木) 休養日

7月24日(金) ジムで筋トレ、体幹、ランニングマシンでのインターバルトレーニング、足上げ腹筋は105回。

7月25日(土) 練習試合の予定でしたが雨天中止。ということで、秋葉原のバッティングセンターで110キロのストレートを3セット、カーブを1セット。

7月26日(日) 休養日

7月27日(月) お台場一周10キロラン。

7月28日(火) 家の前の整形外科で右肩にヒアルロン酸注射6回目。


2020年7月27日月曜日

21年 パシフィックvsゴールドスター 6回戦


7月27日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 1 1 0 3 パ軍 20勝32敗2分 0.385 井筒研一 
5 0 0 3 0 0 0 1 X 9 ゴ軍 17勝28敗1分 0.378 石田光彦
勝利投手 石田光彦 10勝12敗
敗戦投手 井筒研一   7勝12敗

二塁打 (パ)木暮2、松井
三塁打 (パ)伊勢川 (ゴ)田中

勝利打点 (ゴ)石田光彦 2

猛打賞 (パ)木暮力三 5 (ゴ)坂本勲(4安打)2


石田光彦、投打に地力を見せる

 西宮の第1試合は井筒研一と石田光彦の先発で午後1時5分、桝球審の右手が上がりプレイボール。今節関西出張の桝嘉一が球審を務める。

 ゴ軍は初回、先頭の中村信一が左前打で出塁、酒沢が四球を選び、坪内が送りバントを決めて一死二三塁、田中宣顕は四球を選んで一死満塁、菊矢は遊飛に倒れて二死満塁、ここで石田が中前に先制の2点タイムリーを放ち2-0、大友一明の遊ゴロは野選となって再び二死満塁、辻功の三塁へのタイムリーで3-0、坂本勲が右前に2点タイムリーを放ちこの回5点を先制する。なお、大友の野選は「ミスプレー」と判定されたため、大友の得点に自責点は記録されていない。坂本には2打点が記録された。

 パ軍は2回表、一死後富松がストレートの四球で出塁、伊勢川の右中間三塁打で1点返して1-5とする。

 ゴ軍は4回裏、先頭の坂本が中前打で出塁、トップに返り中村が左前打、酒沢が送って一死二三塁、坪内の遊ゴロをショート白石がエラーする間に三走坂本に続いて二走中村も還って7-1、坪内には1打点が記録され、田中の中越え三塁打で8-1と大量リードする。

 パ軍は7回表、先頭の木暮がライト線に二塁打、藤井の三塁内野安打で木暮は動けず無死一二塁、森下の遊ゴロで藤井が二封されて一死一三塁、中谷の中犠飛で2-8とする。

 パ軍は8回表、一死後松井がライトに二塁打、井筒の遊ゴロの間に松井は三進、トップに返り白石の一塁線タイムリーで3-8と徐々に追い上げる。

 ゴ軍は8回裏、一死後坂本がこの日4本目のヒットを左前に放って出塁、トップに返り中村の三ゴロが野選を誘って一死一二塁、酒沢の中前打で一死満塁、坪内の左犠飛で9-3と再度突き放す。

 石田光彦は10安打を打たれながらも4四球7三振の力投で3失点完投、10勝目をマークする。現在ハーラートップは近藤貞雄の13勝、二位が真田の11勝で、石田は呉昌征と並んで三位タイとなっている。チームの勝利数に対する比率では近藤が4割6厘、真田が5割5分、呉昌征が3割3厘、石田が5割8分8厘で石田がトップとなる。

 石田は打っても決勝の2点適時打を放つ活躍。真面目にやれば切れ味N01のピッチングを見せることは、数字面でも現在断トツの奪三振王である事実が証明している。同僚の内藤幸三はプロ野球初年度に沢村を抑えて奪三振王となった。石田もシーズンを通して真面目に投げさえすればプロ野球復活初年度の奪三振王になれる器であることは間違いないが、当時の事情がそれを許さなかった。

 坂本勲が4打数4安打2打点の活躍。球史にほとんど名前を残していないが、九番打者として八番の辻功と共に渋い活躍を見せている。


2020年7月26日日曜日

21年 中部日本vsグレートリング 7回戦


7月27日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 1 4 0 2 0 2 11 中部 19勝25敗2分 0.432 服部受弘
0 1 0 0 0 0 0 0 0  1  グ軍 27勝20敗 0.574 丸山二三雄 別所昭 櫛田由美彦

勝利投手 服部受弘    4勝3敗
敗戦投手 丸山二三雄 9勝9敗

二塁打 (中)服部、加藤 (グ)田川
三塁打 (中)加藤、大沢、杉浦、三村
本塁打 (中)服部受弘 2号

勝利打点 (中)加藤正二 3

猛打賞 (中)加藤正二 3、藤原鉄之助 3


中部打線、又も長打攻勢

 第14節の中日(なかび)、後楽園の第1試合は服部受弘と丸山二三雄の先発で午後1時3分、国友主審の右手が上がりプレイボール。

 中部は初回、二死後小鶴が四球を選んで出塁、加藤正二が右中間に三塁打を放ち1点を先制、大沢清も右中間に三塁打を放ち2-0とする。

 グ軍は2回裏、先頭の堀井が左前打で出塁、筒井が送って一死二塁、丸山のニゴロが進塁打となって二死三塁、桶川隆の三ゴロをサード小鶴が一塁に悪送球する間に三走堀井が還って1-2と追い上げる。

 グ軍先発の丸山は2回も2安打1四球と、無失点に抑えたものの不安定なピッチングということで3回から別所昭がマウンドに上がる。

 中部は4回表、二死後服部の打球は三ゴロ、これをサード桶川が一塁に悪送球、別所がボークを犯して二死二塁、三村が中前にタイムリーを放ち3-1とする。

 グ軍としては折角の追い上げムードのところ、ミスがきっかけで追加点を奪われたのは痛かった。

 中部は5回表、一死後小鶴の当りは遊ゴロ、これもショート宮崎が一塁に悪送球して小鶴は二進、加藤の右前打で一死一三塁、大沢は浅い右飛に倒れるが、藤原の右前タイムリーで4-1として二死一三塁、岩本の三ゴロも桶川が一塁に悪送球、三走加藤が還って5-1、二死一二塁から服部がレフト線に2点タイムリー二塁打を放ち7-1として試合を決める。

 戦意喪失のグ軍は2イニングで別所を下げて6回から櫛田由美彦がマウンドに上がる。

 中部は7回表、先頭の藤原が中前打、続く岩本が左前打、更に服部が死球を受けて無死満塁、三村は浅い中飛に倒れるが、トップに返り古川の左前タイムリーで藤原が生還、レフト堀井の送球ミスの間に二走岩本も還って9-1とする。

 中部は9回表、先頭の服部が左中間スタンドに第2号ホームランを放ち10-1、続く三村が中越えに三塁打、トップに返り古川の左犠飛で11-1とする。

 服部受弘は7安打4四球1三振1失点、自責点ゼロの完投で4勝目をマークする。

 中部打線は二塁打2本、三塁打4本、本塁打1本と相変わらずの長打攻勢で圧勝。

 グ軍は送球ミスが目立ち4失策。そのあおりを受けて2イニングを投げた別所は5失点ながら自責点はゼロであったが、本人もボークを犯しているので文句は言えない。

2020年7月23日木曜日

21年 中部日本vs阪急 8回戦


7月26日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 4 0 1 0 0 0 0 0 7 中部 18勝25敗2分 0.419 松尾幸造 西沢道夫 服部受弘 
0 0 1 0 1 0 0 3 0 5 阪急 30勝24敗 0.556 笠松実 溝部武夫 天保義夫

勝利投手 西沢道夫 5勝6敗
敗戦投手 笠松実    7勝7敗
セーブ    服部受弘 3

二塁打 (中)西沢 (急)青田
三塁打 (中)三村
本塁打 (中)小鶴誠 4号、杉浦清 1号

勝利打点 (中)小鶴誠 5


中部日本、2発で勝負決める

 後楽園の第2試合は松尾幸造と笠松実の先発で午後3時2分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 中部は初回、一死後杉浦清監督が四球を選んで出塁、小鶴がレフトスタンドにツーランホームランを叩き込んで2点を先制する。

 中部は2回表、先頭の藤原鉄之助が右前打で出塁、岩本章は中飛、松尾は左飛に倒れるが、三村が中越えに三塁打を放ち3-0、トップに返り古川が四球を選んで二死一三塁、ここで杉浦がレフトスタンドにプロ入り初ホーマーとなるスリーランを叩き込んで6-0と大きくリードする。阪急先発の笠松はこの2発でKO、二番手のマウンドに昭和18年以来の登板となる溝部武夫が上がり、小鶴を遊ゴロに打ち取る。戦前の登録名は中田武夫で、「溝部」姓での登板は初めてとなる。

 中部先発の松尾は初回先頭の上田にいきなり四球を与えたが続く山田伝を投ゴロ併殺に打ち取り難を逃れた。しかし大量リードをもらった3回、坂田清春、溝部に連続四球を与えて無死一二塁、中部は松尾を下げて西沢道夫をマウンドに送り、荒木茂の遊ゴロで溝部が二封されて一死一三塁、トップに返り上田の右前タイムリーで1-6とするが、三塁を狙った一走荒木がライト加藤正二からの送球に刺されてタッチアウト。

 中部は4回表、先頭の岩本が左前打で出塁、西沢がレフト線に二塁打を放って無死二三塁、三村は二飛に倒れ、トップに返り古川の三ゴロで三走岩本がホームを狙うがサード坂井豊司からの本塁送球にタッチアウト、二走西沢は動かず二死二塁、杉浦が左前にタイムリーを放ち7-1と突き放す。

 阪急は5回裏、先頭の坂井がレフト線にヒット、坂田も中前打で続いて無死一二塁、溝部の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー、二死三塁から荒木が右前にタイムリーを放ち2-7とする。

 阪急は8回裏、先頭の山田が左前打で出塁、青田の左中間二塁打で山田が還り3-7、野口二郎の遊ゴロで青田が三塁に走り、ショート杉浦が三塁に送球するがセーフ、野選が記録されて無死一三塁、野口明のニゴロで野口二郎が二封される間に三走青田が還って4-7、坂井の右前打で野口明は三塁に進み、坂田は遊飛に倒れて二死一三塁、溝部に代わる代打鳥居兵治の打席でキャッチャー藤原のパスボールが飛び出し三走野口明が還って5-7、鳥居は四球を選んで二死一二塁、しかし森田定雄に代わる代打日比野武は左飛に倒れてこの回の反撃は3点まで。

 中部は最終回、西沢に代えて服部受弘をマウンドに送り込み逃げ切りをはかる。

 阪急最終回の攻撃は先頭の上田が三振、山田が四球を選んで出塁、青田もストレートの四球で一死一二塁、ここで服部が何故か一塁に牽制球を投げるが悪送球となって一死二三塁、しかし野口二郎は三振、野口明はニゴロに倒れて中部が逃げ切った。

 中部は得意の長打攻勢であげた序盤のリードを守り切った。小鶴と杉浦の2発で勝負を決めたのである。

 阪急は5回まで3併殺に拙走もあって追い付くチャンスを逃した。

 西沢道夫は5勝目をマークしたが、6イニングで9安打3四球と、相変わらず1イニングに2走者を出す内容で、阪急の拙攻に助けられたもの。打っては追撃のきっかけとなる二塁打を放った。打者転向が待たれるところである。


2020年7月22日水曜日

野球週報2020 その29


7月15日(水) 天王洲アイルのグラウンドで品川ベースボールクラブの練習。雨模様で集合人数は少なかったのですが、その分密度の濃い練習ができました。

7月16日(木) 休養日

7月17日(金) ジムで筋トレ、体幹、ランニングマシンでのインターバルトレーニング。

7月18日(土) 練習試合の予定でしたが雨天中止。

7月19日(日) 休養日

7月20日(月) 秋葉原のバッティングセンターで110キロのストレートを4セット、カーブを1セット、スライダーを1セット。

7月21日(火) 休養日


2020年7月21日火曜日

21年 巨人vsゴールドスター 8回戦


7月26日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 1 0 1 1 3 0 1 9 巨人 32勝19敗1分 0.627 諏訪裕良
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ゴ軍 16勝28敗1分 0.364 石田光彦 江田孝

勝利投手 諏訪裕良 6勝5敗
敗戦投手 石田光彦 9勝12敗

三塁打 (巨)川上、中島 (ゴ)辻
本塁打 (巨)川上哲治 2号

勝利打点 (巨)多田文久三 10


諏訪裕良、2試合連続完封

 西宮の第2試合は諏訪裕良と石田光彦の先発で午後2時50分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 巨人は2回表、先頭の川上がストレートの四球で出塁、続く黒沢の投ゴロで川上が二封、記録は「1-4-6B」なのでピッチャー強襲の当りをセカンド大友がバックアップして二塁ベースカバーに入ったショート酒沢に送球したか、中島の右前打で黒沢は三塁に進み、ライト末崎からの三塁送球の間に打者走者の中島も二塁に進んで一死二三塁、多田が中前に先制タイムリーを放ち1-0、一死一三塁からダブルスチールを決めて中島が本盗に成功、2-0とする。

 巨人は3回表、先頭の坂本茂が左前打で出塁、山川喜作の右前打で坂本は三塁に向かうがライト末崎からの三塁送球にタッチアウト、千葉が得意の右打ちで右前打を放ち山川は三塁に進んで一死一三塁、川上の中犠飛で3-0とする。

 巨人は5回表、先頭の坂本の当りは一ゴロ、これをファースト菊矢がエラー、坂本が二盗に成功、山川のニゴロが進塁打となって一死三塁、千葉は三振に倒れるが、川上が右中間に三塁打を放ち4-0とする。

 ゴ軍は6回から石田に代わって江田孝がマウンドに上がる。

 巨人は6回表、先頭の中島が4球ファウルを打って四球で出塁すると二盗に成功、多田も四球で無死一二塁、諏訪の中飛で中島がタッチアップから三塁に進んで一死一三塁、宮下の左犠飛で5-0とする。

 巨人は7回表、一死後千葉が中前打、川上のニゴロをセカンド大友がエラーして一死一二塁、黒沢の左前タイムリーで6-0、中島の右中間三塁打で二者還り8-0とする。

 巨人は9回表、先頭の川上がライトスタンドに第2号を叩き込んで9-0とする。

 大量点をバックに諏訪裕良は3安打1四球1三振無失点。7月22日に続いてゴ軍戦で2試合連続完封勝利を飾る。昭和25年の大洋時代に25勝を記録することになる諏訪にとって、2年間の巨人在籍時代における完封勝利はこの2試合だけとなる。

大洋時代、「高野裕良」に改姓後の直筆サイン。隣はこの日2安打2打点の中島治康。大洋でも同僚となる。


2020年7月19日日曜日

21年 パシフィックvsタイガース 7回戦


7月26日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 パ軍 20勝31敗2分 0.392 湯浅芳彰
0 0 0 0 0 1 0 0 X 1 タ軍 33勝17敗 0.660 渡辺誠太郎

勝利投手 渡辺誠太郎 9勝7敗
敗戦投手 湯浅芳彰    2勝10敗

勝利打点 (タ)土井垣武 7 

猛打賞 (タ)金田正泰 11


最短試合

 西宮の第1試合は湯浅芳彰と渡辺誠太郎の先発で午後1時15分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 パ軍は初回、先頭の白石敏男がワンボールからの2球目を三ゴロ、木暮力三は初球をファーストライナー、藤井勇はワンワンからの3球目を遊ゴロ、投球数は6球。

 タ軍は1回裏、先頭の呉昌征がワンストライクからの2球目を一ゴロ、金田正泰はツーボールワンストライクからの4球目を中前打、しかし湯浅の牽制に釣り出されて「1-6-3-4」でタッチアウト、土井垣武はワンストライクからの2球目を三飛、投球数は8球。

 パ軍は2回表、森下重好がワンボールからの2球目を遊飛、中谷順次がツーストライクナッシングと追い込まれて3球目を三ゴロ、富松信彦はツーツーからの5球目を三振、投球数は10球で合計16球。

 タ軍は2回裏、本堂保次がワンボールからの2球目を投ゴロ、藤村冨美男監督がツーツーからの5球目をニゴロ、御園生崇男がツーツーからの5球目を三振、投球数は12球、合計20球。

 パ軍は3回表、伊勢川真澄がツーボールワンストライクからの4球目を遊ゴロ、松井信勝がワンストライクからの2球目を右前打、湯浅がワンワンからの3球目を遊飛、トップに返り白石がツーボールワンストライクからの4球目を三塁に内野安打、しかし木暮はワンワンからの3球目を右飛、投球数は渡辺のこの試合最多となる16球、合計32球。

 タ軍は3回裏、渡辺がワンボールからの2球目を遊ゴロ、高山泰夫がワンワンからの3球目を左飛、長谷川善三がワンボールツーストライクからの4球目を投ゴロ、投球数は9球、合計29球。

 パ軍は4回表、藤井はワンストライクからの2球目をニゴロ、森下はワンボールからの2球目を三塁に内野安打、中谷はワンボールからの2球目を中飛、富松はツーツーからの5球目を投ゴロ、投球数は11球、合計43球。

 タ軍は4回裏、呉昌征が5球で四球、金田はワンボールからの2球目を二飛、土井垣は6球で四球、本堂はワンボールからの2球目を遊ゴロで土井垣は二封、藤村の打席で2球目に本堂が二盗に成功して二死二三塁、しかし藤村は3球目を三振、投球数は18球、合計47球。

 パ軍は5回表、伊勢川はワンボールからの2球目を右前打、松井はツーボールワンストライクからの4球目をニゴロ、「4-6-3」と渡ってダブルプレー、湯浅は初球を打って中飛、投球数は7球、合計50球。

 タ軍は5回裏、御園生がワンボールからの2球目を三塁に内野安打、渡辺はワンワンからの3球目を遊ゴロ、「6-4-3」と渡ってダブルプレー、高山は3球三振、投球数は8球、合計55球。

 パ軍は6回表、白石はフルカウントからの6球目を三ゴロ、木暮はワンボールからの2球目を左飛、藤井はワンストライクからの2球目をニゴロ、投球数は10球、合計60球。

 タ軍は6回裏、長谷川がツーストライクナッシングからの3球目を三直、トップに返り呉昌征はワンボールからの2球目を中前打、金田が初球を左前に弾き返して一死一二塁、土井垣がスリーボールツーストライクからの6球目を中前にタイムリー、タ軍が1点を先制、本堂がワンワンからの3球目を三飛、藤村はフルカウントからの6球目に四球を選んで二死満塁、しかし御園生はワンボールからの2球目を遊ゴロに倒れて追加点はならず、投球数は湯浅のこの日最多となる23球、合計78球。

 パ軍は7回表、森下が初球を打って二飛、中谷はツーボールワンストライクからの4球目を投ゴロ、富松はワンボールからの2球目を三飛、投球数は7球、合計67球。

 タ軍は7回裏、渡辺は3球三振、高山泰夫は初球をニゴロ、長谷川はツーボールワンストライクからの4球目を中飛、投球数は8球、合計86球。

 パ軍は8回表、伊勢川はワンストライクからの2球目を三塁に内野安打、松井はワンストライクからの2球目をニゴロで伊勢川が二封、湯浅はツーストライクナッシングからの3球目を二飛、トップに返り白石はワンストライクからの2球目を一ゴロ、投球数は9球、合計76球。

 タ軍は8回裏、呉昌征がワンボールからの2球目を左前打、金田は初球を中前に弾き返して無死一二塁、土井垣はワンボールからの2球目を右飛、本堂はワンストライクからの2球目をニゴロ、これが「4-6-3」と渡ってダブルプレー、投球数は7球、合計93球。

 パ軍は9回表、木暮はツーボールワンストライクからの4球目を右飛、藤井はツーストライクワンボールからの4球目を遊直、最後は森下がワンボールツーストライクからの4球目を三振、投球数は12球、合計88球。

 渡辺誠太郎は5安打無四球2三振、88球の投球で今季2度目の完封、9勝目をマークする。

 湯浅芳彰は8回を完投して7安打3四球3三振1失点、93球の投球であった。

 試合開始は午後1時15分、試合終了は午後2時10分。この試合は55分で終了した「最短試合」として歴史に残ることとなった。

 この試合が「最短試合」であることはよく知られているが、両軍投手の合計投球数が181球でこの時点での「最小記録」となったことはあまり知られていない。この後昭和22年8月10日、徳島二の丸球場で行われたホークスvsドラゴンズ戦で別所が8イニングを67球、服部が9イニングを107球で合計174球の「最小記録」が記録されることになる。その後更新されたかは不明。9回完投での最少投球数は昭和27年5月11日の近鉄戦での阪急の柴田英治と、昭和32年3月30日の西鉄戦での毎日の植村義信が記録した71球であるが、前者の試合は7対0、後者は5対1の試合なので、相手投手の投球数は多かった可能性が高い。


1打席2ホームラン


 ソトの放った最初の当りは打った瞬間の角度からファウルだと思いましたが判定はポールを巻いたとしてホームラン、しかしビデオ判定の結果やはりファウル。2本目は完璧な当りで左中間に第7号。さすが2年連続のホームランキング、意地を見せましたね。


2020年7月18日土曜日

21年 グレートリングvsセネタース 7回戦


7月26日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
4 0 0 0 1 0 1 0 0 6 グ軍 27勝19敗 0.587 松川博爾 
0 0 0 0 1 1 0 0 0 2 セ軍 19勝32敗 0.373 一言多十

勝利投手 松川博爾 3勝3敗
敗戦投手 一言多十 4勝8敗

二塁打 (グ)安井 (セ)熊耳2、北川

勝利打点 (グ)山本一人 4

松川博爾、大下を牛耳る

 第14節2日目、後楽園の第1試合は松川博爾と一言多十の先発で午後1時5分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 グ軍は初回、先頭の河西の当りは遊ゴロ、これをショート石原光男が一塁に悪送球、河西が二盗に成功、キャッチャー熊耳からの送球が悪送球となって河西は三進、安井が四球を選んで無死一三塁、田川の右飛で三走河西は動かなかったが一走安井がタッチアップから二塁を陥れる隙の無い走塁を見せて一死二三塁、山本一人監督がレフト線に2点タイムリーを放ち2-0、堀井の右前打で一死一三塁、堀井が二盗を決め、筒井のニゴロの間に三走山本が還って3-0、桶川隆が中前にタイムリーを放ち4点を先制する。

 グ軍は守っても初回に「5-4-3」、3回に「6-4-3」のゲッツーを決める。

 グ軍は5回表、先頭の安井が左中間に二塁打、田川の二遊間ヒットで無死一三塁、田川が二盗を決め、山本の左犠飛で5-0とする。

 セ軍は5回裏、一死後熊耳がレフト線に二塁打、石原に代わる代打北川圭太郎の右中間二塁打で1点返して1-5とする。

 セ軍は6回裏、先頭の鈴木清一がストレートの四球で出塁、飯島の右前打で無死一三塁、大下の左犠飛で2-5と追い上げる。

 グ軍は7回表、先頭の山本がストレートの四球で出塁、堀井が三塁に内野安打、筒井の三塁線バントが内野安打となって無死満塁、桶川は浅い左飛に倒れるが、松川がストレートの押出し四球を選んで6-2と突き放す。

 セ軍は7回裏、先頭の根津弘司が四球を選んで出塁、清水喜一郎は二飛に倒れるが、トップに返り白木が四球を選んで一死一二塁、鈴木の投ゴロで白木は二封、飯島が四球を選んで二死満塁で大下を迎えるというスリリングな場面、一発出れば同点であったが大下はニゴロに倒れて万事休す。

 この日の大下は第1打席から三飛、左邪飛、左犠飛と、プルヒッターの大下としては珍しく左方向に打球が飛んでいたが、一発出れば同点という場面では力が入ったか二ゴロに終わった。大下が打撃を変えようとして左方向に打っていたのか、松川が大下に引っ張らせないピッチングに徹していたのか、真相は藪の中ではあるが、大下を封じ込めた松川のピッチングは「技能賞」に値する。

 松川博爾は6安打7四球1死球2三振の完投で3勝目をマークする。松川はこの試合で右打者の長持に死球を与えて今季与死球は5個目となって黒尾重明の7個に次いでリーグ2位である。シュートを武器にしていると推察されるが、そのシュートで大下に得意の引っ張るバッティングをさせなかったと見るべきであろう。松川は昭和19年は全35試合に遊撃手として出場していた。内野手出身らしい野手投げからのスリークウォーター気味の角度からシュートを武器にしていたのではないか。この年は通算で47打数14安打、打率2割9分8厘と、野手並みの打撃を見せることになる。

 グ軍はこれで7連勝。河西、安井、田川の上位が足でかき回して山本一人監督が返す「型」ができている。山本は46試合で43打点と現在打点王である。タ軍の本堂が39打点、土井垣が35打点で追っている。序盤戦の打点王森下重好は32打点で少し勢いが落ちてきた。

*松川博爾のような野手出身でシュートを武器にする投手としては、2000年夏の甲子園でチームを決勝まで導いた東海大浦安の「背番号4」のエース浜名翔を挙げることができる。画像は準決勝の育英戦。初回の投球の際、アナウンサーが「シュートボールばかりがクローズアップされていますが」と言っています。長いですが、初回の浜名のピッチングだけでも見てください。内野手出身投手の神髄を見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=DgfekOokp_M


2020年7月17日金曜日

21年 タイガースvs巨人 7回戦


7月25日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 2 7 2 2 0 0 15 タ軍 32勝17敗 0.653 渡辺誠太郎 藤村冨美男 野崎泰一 
1 0 1 0 0 0 0 0 0  2  巨人 31勝19敗1分 0.620 近藤貞雄 中尾輝三 千葉茂

勝利投手 渡辺誠太郎 8勝7敗
敗戦投手 近藤貞雄  13勝6敗
セーブ    野崎泰一  4

二塁打 (タ)藤村2、本堂、土井垣 (巨)宮下、千葉
三塁打 (タ)金田2

勝利打点 (タ)藤村冨美男 4

猛打賞 (タ)金田正泰(4安打)10、本堂保次(5安打)5、藤村冨美男 6、御園生崇男 3


タ軍23安打15得点

 西宮の第2試合は渡辺誠太郎と近藤貞雄の先発で午後3時10分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 タ軍は初回、先頭の呉昌征が左前打から二盗に成功、キャッチャー多田からの送球が悪送球となって呉は三進、金田の一塁へのタイムリーで1点を先制、土井垣の投ゴロの間に金田は二進、本堂の右前タイムリーで2-0とする。

 巨人は1回裏、一死後山川が左前打で出塁、千葉のニゴロが進塁打となって二死二塁、川上の左前タイムリーで1-2と追い上げる。

 巨人は3回裏、先頭の山川が中前打で出塁、千葉は二飛に倒れるが、川上の右前打で一死一三塁、黒沢の右犠飛で2-2の同点とする。

 ここまでは首位攻防戦らしい接戦が期待されたのだが・・・。

 タ軍は4回表、先頭の土井垣の当りは三ゴロ、これをサード山川がエラー、本堂の左前打で無死一二塁、藤村の右前タイムリーで3-2と勝ち越し、渡辺の右飛で二走本堂がタッチアップから三塁を狙うが、ライト中島からの送球にタッチアウト、二死一塁から長谷川の右前打で一二塁、乾の三ゴロをサード山川がどこにも投げられず記録は「野手選択」であるが、「雑記」欄には「ミスプレーと思われる」と書かれているので実質的には山川のこの回2個目のエラーか、二死満塁となって御園生の三塁へのタイムリーヒットで4-2とする。乾の野選が「ミスプレー」と判断されたため、三走藤村の得点は近藤の自責点とはなっていない。

 タ軍は5回表、先頭の金田が中越えに三塁打、土井垣の右前タイムリーで5-2、本堂の中越打はシングルヒットとなるが土井垣は三塁に進んで無死一三塁、藤村の中越え二塁打で6-2として近藤をKO、代わった中尾輝三から渡辺が右前に2点タイムリーを放ち8-2、長谷川は右飛に倒れてようやくワンナウト、乾はストレートの四球で歩き、御園生の右前打で一死満塁、トップに返り呉昌征の中犠飛で9-2、金田の右越え三塁打で残りの二者も還ってこの回7点、11-2とする。

 巨人は戦意が喪失したのか、6回からセカンドの千葉がマウンドに上がる。千葉茂のプロでの唯一の登板である。

 タ軍は6回表、容赦なく千葉を攻めて先頭の本堂がレフト線に二塁打、藤村もライト線に二塁打を放ち12-2、渡辺の中飛で藤村はタッチアップから三進、長谷川の左前タイムリーで13-2とする。

 タ軍は7回表、一死後金田がこの日4本目のヒットを右前に放って出塁、土井垣のレフト線二塁打で一死二三塁、本堂の中前タイムリーで14-2、藤村の中犠飛で15-2とする。

 タ軍先発の渡辺誠太郎は4回からマウンドを藤村冨美男監督に譲ってファーストに回り、藤村は2回を投げて三番手の野崎泰一が残りの4回を投げた。渡辺は3ニングを6安打無四球1三振2失点、藤村は2イニングを無安打2四球無三振無失点、野崎は4イニングを1安打1四球無三振無失点。

 この試合の勝利投手は渡辺誠太郎に記録された。「雑記」欄には「渡辺に勝利を与えたは例外規則による」と書かれている。現在であれば野崎に勝利投手が記録されるところでしょうが、公式記録では渡辺に勝利投手が記録されているので、野崎には当ブログルールによりセーブが記録された。

 ダイナマイト打線はこれで1,728打数515安打、打率2割9分8厘となり、チーム打率3割乗せが成るか注目されるところとなってきた。

2020年7月16日木曜日

21年 グレートリングvs中部日本 6回戦


7月25日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 2 1 4 グ軍 26勝19敗 0.578 別所昭 
0 0 0 0 0 0 0 1 2 3 中部 17勝25敗2分 0.405 森井茂

勝利投手 別所昭 7勝3敗
敗戦投手 森井茂 8勝8敗

二塁打 (グ)別所 (中)加藤
三塁打 (グ)田川、安井

勝利打点 (グ)安井亀和 4


戦後初のトリプルプレー

 後楽園の第2試合は別所昭と森井茂の先発で午後3時2分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 グ軍は初回二死後に田川豊が三塁打を放っただけで、2回~5回は4イニング連続三者凡退。この間の12個のアウトのうち、遊ゴロが5個に三ゴロが1個、この日のグ軍は全員が右打者であり、右に転がしたのは山本一人のニゴロ1個だけと、森井茂の術中にハマった。

 中部は4回裏、一死後杉浦清監督の当りは遊ゴロ、これをショート宮崎仁郎が一塁に悪送球して一死一塁、二死後加藤正二が左中間に二塁打を放ち、一走杉浦は三塁ベースを回ったところでレフト堀井数男からの返球がセカンド安井亀和に送られたのを見てホームに向かうが、安井からの本塁送球にタッチアウト。この場合のスコアは「7-4-2」ではなく、「(7)-4-2」と記載される。これはレフトを起点としたプレーで一旦二塁手に送球されてから本塁に送球されたことを表し、単純な中継プレーではなかったことを表している。

 中部は5回裏、先頭の大沢清が得意の右打ちを見せて右前打で出塁、藤原鉄之助の遊ゴロでランナーが入れ替わり、山本尚敏の左前打で一死一二塁、森井は右飛に倒れるが、石田政良が四球を選んで二死満塁、しかしトップに返り古川清蔵が左飛に倒れて無得点。

 グ軍は6回表、一死後宮崎が三塁線にヒットで出塁、トップに返り河西俊雄の遊ゴロでランナーが入れ替わり二死一塁、安井が右中間に三塁打を放ち1点を先制する。

 グ軍は8回表、二死後河西が左前打から二盗に成功、安井が四球を選んで二死一二塁、ダブルスチールを決めて二死二三塁、田川が左前に2点タイムリーを放ち3-0とリードを広げる。

 中部は8回裏、先頭の石田が四球を選んで出塁、トップに返り古川の三塁内野安打で無死一二塁、杉浦が左前にタイムリーを放ち1-3、小鶴誠は一飛に倒れて一死一二塁、古川が単独三盗を決めて一死一三塁、しかし加藤は三振、スリーストライク目に一走杉浦がディレードスチールを試みるが三走古川がホームに到着する前にタッチアウトとなって追加点はならず。

 グ軍は9回表、一死後別所が中前打で出塁、筒井敬三の三塁線バントが内野安打となって一二塁、阪本政数に代わる代打丸山二三雄の右前打で一死満塁、宮崎の左犠飛で4-1と突き放す。

 中部は最終回、先頭の大沢が四球を選んで出塁、藤原の右前打で無死一二塁、山本に代わる代打西沢道夫が四球を選んで無死満塁、西沢に代えて代走金山次郎を起用、森井に代わる代打服部受弘の投ゴロを別所が併殺を狙って二塁に送球するが悪送球となる間に三走大沢に続いて二走藤原鉄之助もホームに還って3-4、ゲッツーを狙うならホームゲッツーの場面でありここは別所の判断ミス、無死一二塁となって石田の当りはショートライナー、これをショート宮崎が一塁ベースに入っていたセカンド安井に送球して一塁フォースアウト、更に安井が二塁ベースカバーに回った宮崎に送球して二塁もフォースアウトでトリプルプレーとなってゲームセット。

 別所昭は7安打5四球2三振の完投で7勝目をマークする。

 戦後初のトリプルプレーは「6-4A-6B」という珍しい形であった。ショートライナーからの一塁送球を一塁ベースカバーに入っていたセカンド安井が捕球したということは、1点差の無死一二塁の場面でグ軍はバントシフトを取っていたということになる。ショートから一塁送球、更に二塁送球と折り返してトリプルプレーが完成したということは、一塁走者と二塁走者がスタートを切っていたと考えられる。九番石田政良は戦前からの大ベテランであり、バントの構えからバスターエンドランで打っていったがショート正面のライナーになってしまったというところか。一二塁でのバントシフトではショートは三塁ベースカバーを意識するので宮崎は二塁ベースから離れた定位置で捕球し、まず一塁に送球して一走服部を刺してから、その間に二塁ベースカバーに回っても二走金山の帰塁に間に合うと判断した。この場面は二塁に走者を残しておきたくない1点差の場面であり、二走金山を刺すことを優先するのであれば自ら二塁ベースに駆け込んで金山をフォースアウトにしてから一塁に送球してトリプルプレーを狙うという選択がセオリーであるが、それよりも一塁送球を優先させた方がトリプルを取れる確率が高いと判断したギャンブルプレーであり、宮崎はそのバクチに勝ったのである。

 なお、この当時「バスター」という用語はまだ使われていない。「バスター」は「和製英語」であり、日本で使われるようになるのは巨人がベロビーチキャンプで大リーグのプレーを参考にして取り入れて、牧野コーチが多用するようになってからのことである。使われるようになった時期はかなり確かな確率で特定できる。昭和48年の甲子園で江川対策として使われたバントの構えからのヒッティングは「プッシュ打法」と呼ばれており、この時点ではまだ「バスター」が一般的ではなかった。巨人がベロビーチでキャンプを行うのは昭和40年代初頭からであり、牧野コーチがアル・キャンパニスの「ドジャースの戦法」を研究してバスターを取り入れ、昭和40年代末頃から一般的に「バスター」という用語が使われるようになった。私が大学時代の昭和50年代初頭にはグラウンドで「バスター」という言葉を使っていた。この時はまだ「バスター」という用語が使われ始めてから間もない時期であった。これは当ブログの記憶に頼った推論だけではなく、「アメリカ野球学会」東京支部の会合で、当事者により当時の経緯が詳しく議論されたことがあるので、ほぼ間違いのない事実である。

*戦後初のトリプルプレー。九番石田政良の「L6」ショートライナーで一死、「6-4A」ショート宮崎仁郎から一塁ベースカバーに入ったセカンド安井亀和に送球されて一塁フォースアウトで二死、「4-6B」安井から二塁ベースカバーに入った宮崎に折り返し送球されて二塁フォースアウトで「Tri」トリプルプレー。

野球週報2020 その28


7月8日(水) 天王洲アイルのグラウンドで品川ベースボールクラブの練習。センターにいい感じでライナーが打ててます。

7月9日(木) 休養日

7月10日(金) 家の前の整形外科で右肩にヒアルロン酸注射5回目。次回からは2週間間隔になります。夕方は晴海大橋で坂路調教。晴海大橋は全長580mで海面から24mになります。頂上までの約300mが登り坂になり、1本目は頂上までダッシュで駆け上がり、2本目は200m、3本目は100mの坂路調教。

7月11日(土) 休養日

7月12日(日) 休養日

7月13日(月) 秋葉原のバッティングセンターで110キロのストレートを4セット、カーブを1セット。

7月14日(火) ジムで筋トレ、体幹。足上げ腹筋は90回、肩トレはインナーとアウター、筋トレは下半身中心。

*当ブログが坂路調教に活用している晴海大橋。画像は「Wikipedia」から転載させていただいておりますので、問題があるようなら削除します。



2020年7月15日水曜日

21年 ゴールドスターvsパシフィック 5回戦


7月25日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 0 1 0 2 ゴ軍 16勝27敗1分 0.372 内藤幸三 石田光彦 
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 パ軍 20勝30敗2分 0.400 真田重蔵

勝利投手 内藤幸三   6勝13敗
敗戦投手 真田重蔵 11勝10敗
セーブ    石田光彦   2

二塁打 (ゴ)田中、辻 (パ)伊勢川、藤井
三塁打 (パ)富松

勝利打点 (ゴ)酒沢政夫 2


内藤-石田の黄金リレー

 西宮の第1試合は内藤幸三と真田重蔵の先発で午後1時13分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 ゴ軍は初回、二死後田中宣顕が左中間に二塁打を放つが、菊矢吉男は三ゴロに倒れて無得点。

 パ軍は2回裏、先頭の森下重好が左前打、木暮力三はストレートの四球で無死一二塁、しかし伊勢川真澄は三振、松井信勝は二飛、平野徳松は三振に倒れて走者を進めることもできずに無得点。

 ゴ軍は3回表、先頭の辻功がレフト線に二塁打、坂本勲の投ゴロで二走辻は三塁に向かうが真田がサード平野に送球してタッチアウト、トップに返り坪内道則は右飛に倒れるが、酒沢政夫のライト線ヒットで二死一三塁、ここで真田がワイルドピッチを犯して三走坂本が還り1点を先制する。

 パ軍は6回裏、先頭の富松信彦が右中間に三塁打、藤井勇がライト線に二塁打を放ち1-1の同点とする。

 ゴ軍は7回表、先頭の末崎正隆は三ゴロ、内藤は三振、大友一明も三振に倒れて三者凡退。

 パ軍は7回裏、先頭の松井は三振、続く平野も三振、真田は右飛に倒れて三者凡退。

 終盤を迎えて内藤と真田に気合が入ってきた。投球数はここまで真田が101球、内藤が94球。

 ゴ軍は8回表、先頭の辻が死球を受けて出塁、坂本の右前打で無死一二塁、トップに返り坪内の中飛で二走辻がタッチアップから三塁に進んで一死一三塁、酒沢のニゴロ併殺崩れの間に三走辻が還って2-1と勝ち越す。

 パ軍は8回裏、先頭の白石敏男が三塁に内野安打、富松が四球を選んで無死一二塁、ゴ軍坪内監督はここで先発の内藤に代えて石田光彦をリリーフのマウンドに送り、藤井は三邪飛に倒れて一死一二塁、ここでダブルスチールを試みるがキャッチャー辻からの三塁送球に白石はタッチアウト、森下は四球を選んで二死一二塁、キャッチャー辻からの二塁牽制が悪送球となって二死二三塁、しかし木暮は三邪飛に倒れて無得点、石田が粘り切った。

 石田は最終回も1四球無失点で切り抜け、内藤-石田の黄金リレーでゴ軍が快勝した。石田は8回のピンチで藤井、木暮の左打者を三邪飛に打ち取った。石田の球がキレている時はなかなか打てない。

 パ軍は真田に代えるリリーフがいないが、パ軍は3日間試合が空いたこともあって石田を注ぎ込んだ。明日の巨人戦を捨てて目先の1勝を拾いにきたと言える。

 この時点でセネタースは19勝31敗で勝率3割8分、ゴールドスターは16勝27敗1分で勝率3割7分2厘。ゲーム差ではゴ軍がセ軍に0.5ゲーム差を付けて上位になるが勝率ではセ軍が上位でゴ軍は依然として最下位。

 何故このような逆転現象が起こるのか。16勝27敗の時点から3勝4敗で19勝31敗となる。3勝4敗の勝率は4割2分9厘で16勝27敗の時点の勝率3割8分よりも高いため、19勝31敗の時点での勝率は上がることになる。

(以下「練習問題」)
 21勝22敗の「Aチーム」と22勝23敗の「Bチーム」はゲーム差無しであるが、「Bチーム」の勝率は4割8分8厘9毛で「Aチーム」の勝率4割8分8厘4毛を上回る。これは、21勝22敗の時点から22勝23敗の時点までの1勝1敗の勝率5割が、21勝22敗の時点での勝率4割8分8厘4毛を上回るためである。

 22勝21敗の「Cチーム」と23勝22敗の「Dチーム」はゲーム差無しであるが、「Dチーム」の勝率は5割1分1厘1毛で「Cチーム」勝率5割1分1厘6毛を下回る。これは、22勝21敗の時点から23勝22敗の時点までの1勝1敗の勝率5割が、22勝21敗での時点の勝率5割1分1厘6毛を下回るためである。

 すなわち、勝率5割以下の世界ではゲーム差無しの場合は試合数が少ないチームの順位は下になり、勝率5割以上の世界ではゲーム差無しの場合は試合数が少ないチームの順位が上になる。「ゲーム差なし」ということは、E地点からF地点までの勝率が5割であることを意味する。したがって、勝率5割以下の世界では勝率は上昇し、勝率5割以上の世界では下降することになる。

2020年7月14日火曜日

21年 阪急vsセネタース 9回戦


7月25日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 0 0 0 0 0 0 3 阪急 30勝23敗 0.566 森弘太郎 
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 セ軍 19勝31敗 0.380 黒尾重明

勝利投手 森弘太郎 1勝1敗
敗戦投手 黒尾重明 6勝11敗

三塁打 (急)野口二郎

勝利打点 なし


森弘太郎、戦後初勝利

 前半戦最終節となる第14節は東西で4試合ずつ5日間。後楽園の第1試合は森弘太郎と黒尾重明の先発で午後1時10分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は初回、先頭の上田がツーストライクナッシングと追い込まれながら3球ボールを選び、そこから3球ファウルで粘った末四球を選んで出塁、山田伝の中前打で無死一二塁、青田の左前打をレフト白木義一郎が弾く間に二走上田が還って1点を先制、青田には打点は記録されず、山田は三塁に、青田は二塁に進んで無死二三塁、野口二郎が右中間に三塁打を放ちこの回3点を先制する。

 阪急は2回表、二死後山田が三塁に内野安打、青田のスウィングがキャッチャー熊耳のミットに当たり打撃妨害出塁で二死一二塁、しかし野口二郎は一邪飛に倒れて無得点。

 セ軍は5回裏、先頭の熊耳が中前打で出塁、石原光男も右前打で続き無死一二塁、清水喜一郎が送りバントを決めて一死二三塁、トップに返り一言多十の右犠飛で1点返して1-3とする。

 セ軍は6回裏、先頭の飯島が中前打で出塁、大下は四球を選んで無死一二塁、ここでダブルスチールを決めて無死二三塁、黒尾の当りはレフトへの飛球、三走飯島がタッチアップからスタートするが、レフト青田からの好返球にタッチアウト。

 森弘太郎の投球数は70球を超えてきており、疲れが見えてきたところでの青田のファインプレーは大きかった。

 阪急は7回の守備からセカンドの上田がショートに、ショートの坂井豊司がサードに、サードの荒木茂がセカンドに回る守備位置の変更を行った。西村正夫監督が何かを閃いたのか。

 セ軍は最終回、一死後鈴木清一が遊ゴロ、二死後熊耳も遊ゴロ、これもショート上田が無難に捌いてゲームセット。ショート坂井は22日の試合で2失策、21日は8補殺無失策であったが、19日、20日も1失策ずつを記録して20日の試合でも途中でサード荒木と守備位置を交換していた。打撃好調の坂井を外す訳にはいかないが、西村監督苦心の策が効を奏した。

 森弘太郎はベテランらしい味のあるピッチングで6安打1四球1三振の完投、昭和18年以来3年ぶり、戦後初勝利を飾る。戦前屈指のコントロールの良さは何も変わっていない。

 青田昇が今季5回目の打撃妨害出塁を記録した。リーグ全体で9回しか記録されていない中での記録である。これは青田のスウィングの出だしが他の打者よりも遅いことを物語っており、それを可能にしているのがスウィングスピードの速さであると考えられる。170㎝の小柄な体で5度の本塁打王に輝くことになる青田のスウィングスピードを、この記録が証明している。

 青田は守備でも好返球を見せたが、滝川中学時代は別所の控え投手だったこともある強肩の持ち主である。

21年 第13節 週間MVP


週間MVP
投手部門
 巨人 諏訪裕良 1
 7月22日のゴ軍戦で初回先頭の中村信一にヒットを許しただけで1安打完封。

打撃部門
 セネタース 飯島滋弥 1
 23打数11安打8得点6打点。今節リーグ最多安打。

殊勲賞
 パシフィック 中谷順次 1
 7月22日のタ軍戦で逆転満塁決勝本塁打。タ軍の15連勝を阻止。

 セネタース 大下弘 2
 21打数6安打5得点5打点。20日の阪急戦で2打席連続本塁打。

 タイガース 呉昌征 1
 22打数9安打5得点6打点、V打2本。

 阪急 野口明 1
 18打数7安打4得点5打点。21日のパ軍戦で5打数5安打。

敢闘賞
 セネタース 熊耳武彦 1
 18打数6安打3得点4打点、二塁打2本、三塁打2本。

 グレートリング 筒井敬三 1
 17打数7安打4得点2打点。

 タイガース 御園生崇男 1
 18打数8安打4得点2打点。

 阪急 坂井豊司 1
 18打数7安打5得点2打点、三塁打2本。

 パシフィック 森下重好 4
 18打数7安打3得点7打点、二塁打3本、三塁打1本、本塁打1本。

技能賞
 グレートリング 河西俊雄 1
 史上初のツーランスクイズで二塁ランナー。

 タイガース 金田正泰 1
 22打数10安打3得点5打点。犠牲フライ3本。

 中部日本 古川清蔵 1

 9打数5安打5得点2打点、2本塁打、8四球。

2020年7月11日土曜日

タイガースvsパシフィック 6回戦


7月22日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 1 1 0 1 0 1 0 6 タ軍 31勝17敗 0.646 野崎泰一 呉昌征 
0 0 0 1 0 1 5 0 X 7 パ軍 20勝29敗2分 0.408 湯浅芳彰 井筒研一

勝利投手 井筒研一 7勝11敗
敗戦投手 呉昌征  10勝3敗

二塁打 (タ)渡辺、長谷川御園生、長谷川 (パ)森下、伊勢川、白石
三塁打 (タ)土井垣、金田
本塁打 (パ)中谷順次 1号(満塁)

勝利打点 (パ)中谷順次 1

猛打賞 (パ)伊勢川真澄 2


中谷順次、逆転満塁本塁打 タ軍14連勝でストップ

 第13節の最終戦、西宮の第2試合は野崎泰一と湯浅芳彰の先発で午後3時15分、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 タ軍は2回表、先頭の渡辺誠太郎が左中間に二塁打、御園生がライト線に二塁打を放ち1点を先制、野崎が送りバントを決め、長谷川善三は四球を選んで一死一三塁、トップに返り呉昌征の投ゴロ併殺崩れの間に三走御園生が還って2-0とする。

 タ軍は3回表、先頭の土井垣が左中間に三塁打、本堂が左前にタイムリーを放ち3-0とする。本堂は二塁を欲張りレフト森下重好からの送球にタッチアウト。

 パ軍は4回から湯浅に代わって井筒研一が二番手としてマウンドに上がる。

 タ軍は4回表、先頭の御園生が四球を選んで出塁するが湯浅の牽制に刺されてタッチアウト、野崎も四球を選び、長谷川の中前打で一死一二塁、トップに返り呉昌征の一二塁間ヒットがタイムリーとなって4-0、自慢のダイナマイト打線が着々と加点する。

 敗色濃厚のパ軍は4回裏、一死後主砲森下がライト線に二塁打、中谷順次の遊ゴロの間に森下は三進、伊勢川がセンター右後方に二塁打を放ち1点返して1-4とする。

 タ軍は6回表、先頭の御園生が三遊間にヒット、野崎の投ゴロでランナーが入れ替わり、、長谷川は四球を選んで一死一二塁、トップに返り呉昌征の三前バントが内野安打となって一死満塁、金田の中犠飛で5-1と突き放す。

 パ軍は6回裏、二死後森下が四球で出塁、中谷も四球を選んで二死一二塁、伊勢川が中前にタイムリーを放ち2-5と追い上げる。

 パ軍は7回裏、先頭の松井信勝はニゴロ、井筒も遊ゴロに倒れて二死無走者、トップに返り白石がレフト線に二塁打、富松信彦が四球を選んで二死一二塁、木暮の右前タイムリーで3-5と2点差に迫ると、タ軍は先発の野崎に代えてセンターの呉昌征をマウンドに送り、森下が四球を選んで二死満塁、ここで中谷がレフトスタンドに逆転満塁ホームランを叩き込んで7-5と大逆転。

 タ軍は8回表、一死後長谷川がライト線に二塁打、二死後金田が右越えに三塁打を放ち6-7と1点差に迫る。

 15連勝を狙うタ軍は9回表、一死後藤村冨美男監督が中前打、渡辺の三ゴロでランナーが入れ替わり、代走に小林英一を起用、御園生が四球を選んで二死一二塁と一打同点のチャンス、しかし二走小林がピッチャー井筒からの牽制に刺されてゲームセット。

 中谷順次は昭和13年秋に1本塁打を記録しているが、昭和18年にリーグ最多となる14本の二塁打を放つ中距離打者である。通算記録でも1,083安打で94本塁打、二塁打225本と名中距離打者と言える成績を残している。通算2本目となる本塁打が逆転満塁グランドスラムであった。

 タ軍は14連勝でストップ。この日もダイナマイト打線が着々と加点していったが、「弱点」と言える粗い走塁が敗因となった。3回にタイムリーを放った本堂が二塁を欲張りタッチアウト、4回も御園生が一塁牽制にタッチアウト、9回は代走の小林が決勝のホームを焦ったのか二塁牽制に引っ掛かった。現在首位のタ軍が優勝を逃すとすれば、この「粗い走塁」が原因となるのではないか。

*逆転満塁決勝本塁打を放った中谷順次。1953年阪急時代「中谷演男」の直筆サイン入りカード。

2020年7月9日木曜日

21年 中部日本vsグレートリング  5回戦


7月22日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 0 0 1 2 5 中部 17勝24敗2分 0.415 松尾幸造 服部受弘 
0 2 0 0 0 0 0 4 X 6 グ軍 25勝19敗 0.568 丸山二三雄 長谷川治

勝利投手 丸山二三雄 9勝8敗
敗戦投手 松尾幸造    1勝6敗
セーブ    長谷川治  1

二塁打 (中)大沢、古川、加藤 (グ)宮崎、筒井
三塁打 (グ)堀井

勝利打点 (グ)田川豊 2

猛打賞 (中)古川清蔵 3


長谷川治、好リリーフを見せる

 後楽園の第2試合は松尾幸造と丸山二三雄の両左腕の先発で午後3時丁度、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 中部は初回、先頭の古川清蔵が中前打で出塁、続く杉浦清監督の打席で丸山がボークを取られて無死二塁、杉浦の中前打で無死一三塁、小鶴誠の右犠飛で1点を先制、杉浦もタッチアップから二塁に進み、加藤正二が死球を受けて一死一二塁、大沢清のニゴロで加藤が二封されて二死一三塁、藤原鉄之助の2球目に大沢が二盗を決めて二死二三塁、4球目に三走杉浦がスタートを切って本塁セーフ、二走大沢もスタートを切っており、二死二三塁からのダブルスチールで杉浦がホームスチールを決めて2-0とする。サインは自分で出していたのでしょう。

 グ軍は1回裏、二死後田川豊のヒットと山本一人監督の四球で一二塁とするが、堀井数男は三振に倒れて無得点。

 グ軍は2回裏、先頭の別所昭が右前打で出塁、筒井敬三は一邪飛、丸山は三振に倒れるが、宮崎仁郎がレフト線に二塁打を放って二死二三塁、トップに返り河西俊雄は四球を選んで二死満塁、安井亀和の三ゴロをサード小鶴がタイムリーエラーして1-2、田川の遊ゴロもショート杉浦がタイムリーエラーして2-2の同点に追い付く。

 中部は4回表、先頭の加藤が左前打で出塁、大沢が得意の右打ちを見せて右中間を破る二塁打で無死二三塁、藤原鉄之助の投飛を丸山が落球、走者は動かず無死満塁、しかし加藤が丸山の三塁牽制に引っ掛かって一死一二塁、岩本章の打席なのでスクイズのサインが出ていた可能性がある。岩本が四球を選んで一死満塁と攻め立てるが、松尾は三振、三村勲もニゴロに倒れて無得点。

 中部は8回表、先頭の小鶴が三塁に内野安打、加藤の左中間二塁打で無死二三塁、大沢の中犠飛で均衡を破り3-2と勝ち越す。

 中部は8回裏の守備からサードの小鶴に代えて金山次郎を入れて守備固めに入った。

 グ軍は8回裏、先頭の筒井が左中間に二塁打、丸山の投前送りバントをピッチャー松尾が三塁に送球するが二走筒井は二塁に戻り一塁もセーフ、筒井の「偽走」が野選を誘って無死一二塁、宮崎の送りバントは一飛となって失敗、一死一二塁からトップに返り河西が左前に同点タイムリーを放ち3-3、安井が四球を選んで一死満塁、ここで田川が一前にスクイズ、ファースト大沢がホームに送球するが三走丸山の足が一瞬早くセーフ、犠打と野選が記録されて4-3と逆転に成功、一死満塁から山本の遊ゴロが「6-4-3」と転送されるが一塁セーフ、この間に三走河西に続いて二走安井も生還するグ軍らしい好走塁を見せて6-3とリードを広げる。山本は「併殺崩れ」で「2打点」を記録した。

 中部は9回表、先頭の三村がストレートの四球で出塁、トップに返り古川は左前打、杉浦も右前打で続いて無死満塁、金山に代わる代打西沢道夫が押出し四球を選んで4-6、加藤の初球、2球目とボール、グ軍はここで丸山から長谷川治にスイッチ、加藤は中犠飛を打ち上げて5-6と1点差、二死一二塁から大沢のベース寄りの遊ゴロをショート宮崎が二塁ベースを踏んで一塁に送球、ダブルプレーが完成してゲームセット、グ軍が辛くも逃げ切る。

 好リリーフを見せた長谷川治は4月27日の開幕戦と4月30日の試合でリリーフ登板していたが、それ以降登板が無くこの試合が約3カ月ぶりの登板。千葉茂が「ワシ以上」と認める右打ちの名手大沢清を遊ゴロに仕留めた投球術が高く評価される。

 長谷川は海南中学時代に昭和8年から3年連続エースとしてセンバツ出場。昭和9年は夏も甲子園に出場して神戸一中戦で1四球での無安打無得点を達成した。本日の試合で好走塁を見せた安井亀和は長谷川の3年下の後輩で控え選手としてベンチに入っていた。

 長谷川はプロを卒業後、アマチュア球界の指導者として活躍することになる。母校海南高校の監督として甲子園出場、同じ和歌山県の日高高校監督でも甲子園出場を果たす。市立和歌山商業の監督として出場した昭和40年センバツは藤田平の活躍などで準優勝、決勝では平松の岡山東商業に延長13回の激闘の末サヨナラ負けを喫する。同校では藤田平、正田耕三と後にプロ野球で首位打者を獲得する2人の好打者を育てることになる。

 長谷川のプロでの成績は昭和21年の1年だけの在籍で4試合に登板して9イニングを投げて0勝0敗1セーブ、防御率8.00である。4月27日の阪急戦では1回3分の1を無失点、4月30日の阪急戦は2回3分の1で無失点、7月22日の中部戦では1イニングで無失点と、ここまで4回3分の2で無失点、防御率0.00。ところが、3か月半ぶりの登板となったシーズン終盤の11月3日の巨人戦で4回3分の1を投げて9失点、自責点8を記録してしまった。そのため、通算防御率は8.00となってしまう。

 最後に、何故山本一人監督は全く実績のない長谷川治をこの大事な場面で起用したのであろうか。この試合のグ軍は4連戦の4試合目で、別所は第1戦と第3戦に完投しておりこの試合はファーストで出場しているが登板は不可能、清水秀雄は7月13日のセ軍戦がグ軍在籍時の最後の登板でシーズン後半に中部に移籍するまでマウンドに上がっていない。注ぎ込める投手は松川博爾、長沼要男、長谷川の3人だけであるが、山本監督はこの大事な場面で長谷川が甲子園で記録したノーヒットノーランを思い出したのではないか。長谷川治は、大沢清得意の右打ちを封じ込めて遊ゴロ併殺に打ち取り、山本監督の期待に応えたのでる。

*長谷川治の通算記録を0勝0敗1セーブと記載しましたが、昭和21年当時は「セーブ」は公式記録ではありません。この試合のスコアカードから、当ブログが現在の規定に照らして認定したものですのでご了承ください。