2011年9月24日土曜日

14年 名古屋vs南海 4回戦


5月16日 (火) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 9勝15敗2分 0.375 繁里栄
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 南海   8勝16敗1分 0.333 劉瀬章


勝利投手 劉瀬章 2勝2敗
敗戦投手 繁里栄 2勝4敗


二塁打 (名)鈴木 
三塁打 (南)国久


鶴岡の決勝打を劉瀬章が守りきる


 南海は初回、一死後国久松一が右翼線に三塁打、鶴岡一人が中前にタイムリーを放って1点を先制する。

 劉瀬章がこの貴重なスミ一を守りきって、4安打2四球1死球2三振の完封勝利を飾った。名古屋先発の繁里栄も5安打3四球1三振の完投で2回以降無失点の投球を見せたが、前回の堺大浜球場でのダブルヘッダーに二試合連続完投負けを食らった雪辱に燃える南海の執念が上回ったようである。

 鶴岡一人は二試合連続で先制&決勝打を放った。


 翌日の読売新聞は「南海投手・劉は専ら球速の変化に意を用い、珍しくも上手投の速球を真っ向から投げ込むかと見れば例の通り下手投げの緩球をフワリと落し込む等チェンジ・オブ・ペースの妙諦を発揮して名軍を・・・抑え、1回の1点を死守して過ぐる堺大浜の雪辱をなし遂げ・・・」と伝えている。

 劉瀬章は本牧中学から法政大学に進んで神宮で活躍した。この経路は若林忠志と同じである。若林が日本で投げることになったのはハワイ選抜チームの日本遠征の際のピッチングが法政大学野球部関係者の目にとまり、法政にスカウトされた訳であるが、日本の中学を卒業しておかないと法政大学には入れないため、本牧中学に籍を置いて卒業証書をもらってから法政に進んだものであることはよく知られている史実である。これからすると、劉瀬章も法政大学野球部関係者の目にとまり、本牧中学を経由して法政大学野球部に進んだものと推測される。

 本牧中学は現在の横浜高校となりますので、横浜高校OB一覧には、涌井や愛甲や永川や松坂や筒香や成瀬や苅田や荒波や多村と並んで、劉瀬章の名前も載っています。




     *国久松一の三塁打と鶴岡一人の決勝タイムリーの場面。








               *劉瀬章が4安打完封。



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