2021年1月24日日曜日

80万円

 ヤフオクで、昭和10年アメリカ遠征時の秩父丸船上での直筆サイン集合写真が出品されて80万円で落札されたようです。

 写真自体は貴重な資料であり、ほとんどのサインが本人直筆だと思います。田部武雄と畑福俊英の直筆サインは特に貴重なものですが、肝心の沢村のサインは本人直筆とは思えません。スタルヒンもちょっと怪しいですね。他の選手は本人直筆と断定できると思いますが。


2021年1月23日土曜日

公認野球規則 9.10

 昭和21年8月20日、後楽園球場で行われた第2試合セネタースvsタイガース戦、2回表セ軍の攻撃で、タ軍守備陣は7個の補殺を記録した。

 この回先頭の白木義一郎が放った左中間を抜く当りをレフト金田正泰が中継に入ったショート長谷川善三に送球、長谷川は二塁ベースカバーのセカンド本堂保次に送球、白木は二塁をオーバーランしてタイミングはアウトであったが、本堂が落球して本堂にエラーが記録された。

 無死二塁から続く長持栄吉の放ったショートゴロに二走白木がスタートを切り、二三塁間に挟まれて挟殺プレーとなり、「6-5-4-6」と転送されてタッチアウト、ここでショート、サード、セカンドに1個ずつの補殺が記録された。

 更に、打者走者の長持が一塁ベースを大きく回り、それを見たショート長谷川がファーストの渡辺誠太郎に送球、長持が一二塁間に挟まれて挟殺プレーとなり、「6-3-4」と転送されてショートとファーストに1個ずつ補殺が記録された。

 この2つの挟殺プレイで合計5個の補殺が記録されたが、その前の本堂のエラーにより白木が二塁セーフとなったプレーで、レフトの金田と中継に入った長谷川にも補殺が記録されるのである。

 「公認野球規則」9.10(a)(1)には、「あるプレイでアウトが成立した場合、または失策がなければアウトにできたと思われる場合に、そのアウトが成立するまでに、またはその失策が生じるまでに、送球したり、打球あるいは送球をデフレクトした各野手に補殺を記録する」と規定されている。

 私は55年ほど野球を見てきていますが、本堂の二塁エラーで刺殺が無い場合でもレフトとショートに補殺が記録されることを知りませんでした。

 多くの方が同様ではないかと思うのですが恥じることはない。2013年4月29日、ヤンキースのライトを守っていたイチローが一死三塁の場面でライトフライを捕球してバックホーム、タッチアップからスタートした三走エンカーナシオンはアウトのタイミングであったが、キャッチャースチュワートが落球してセーフ。

 この際に補殺が記録されたと聞かされたイチローは「珍しいですね。初めてだね。ということは、アシスト(補殺)が付いたということですか?」と聞き返したらしい。日刊スポーツのネット記事に書かれているので本当でしょう。

 どうやらイチローも、この際に補殺が記録されることを知らなかったようなので、素人の我々が知らなくても恥じることはない(笑)。

 なお、2013年の時点では公認野球規則10.10が補殺に関する規程となっていました。現在は改定されて9.10となっています。


セネタースvsタイガース 11回戦

8月20日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 セ軍 25勝36敗 0.410 白木義一郎 
0 0 0 0 1 0 0 0 X 1 タ軍 40勝20敗 0.667 御園生崇男

勝利投手 御園生崇男   5勝2敗
敗戦投手 白木義一郎 12勝12敗

二塁打 (セ)飯島、白木、長持

勝利打点 (タ)金田正泰 5


タ軍、好守で連敗脱出

 第17節の最終戦、後楽園の第2試合は白木義一郎と御園生崇男の先発で午後2時28分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 セ軍は初回、先頭の横沢七郎が左前打で出塁、一言多十は中飛に倒れ、飯島の当りが右中間を抜くと一走横沢は二塁、三塁を回ってホームに向かうが、ライト塚本からの返球を中継したセカンド本堂がホームに送球してタッチアウト、飯島は二塁打で二死二塁、大下はニゴロに倒れて無得点。

 タ軍は初回からビッグプレーで失点を防いだ。

 セ軍は2回表、先頭の白木の当りは左中間を破り一塁から二塁も回るが、センター呉昌征からの返球を中継したショート長谷川が二塁に送球、オーバーランしていた白木は戻れずタイミングはアウトであったが二塁ベースカバーに入ったセカンド本堂が落球してセーフ、無死二塁から長持の遊ゴロに白木が飛び出して二三塁間に挟まれ、「6-5-4-6」と送球されてタッチアウト、打者走者の長持は二塁を狙っていたが、ショート長谷川が一塁に送球して一二塁間に挟まれ、こちらも「6-3-4」でタッチアウト。

 タ軍守備陣は2回表の守備で「7個」の「補殺」を記録した。これは間違いではありません。詳細は別項でお知らせします。

 タ軍は5回裏、先頭の塚本がレフト線にヒット、乾国雄は投邪飛、これは送りバント失敗の可能性が考えられる。長谷川は右飛に倒れて二死一塁、トップに返り金田の当りは左中間を破り、一走塚本は二塁、三塁を回ってホームに突っ込み、レフト大下からの返球をカットしたピッチャー白木は打者走者の金田が二塁に向かったのを見て本塁送球を諦めて二塁に送球して金田を刺した。この一連のプレーから類推するとエンドランが掛かっていた可能性が考えられる。金田の二塁アウトは塚本の本塁生還をアシストしたもの。

 この日のタ軍のサードは家庭の不幸で欠場が続く藤村冨美男監督に代わる乾国雄であったが、その乾が守備で活躍を見せた。5回の守備から3イニング連続で「5-4-3」のゲッツーを決めたのである。

 御園生崇男は味方の好守に支えられて9安打3四球1三振で今季3度目の完封、5勝2敗となった。相変わらず勝率が高い投手である。

 タ軍は3連敗は免れたもののここ3試合で1得点、ダイナマイト打線に陰りが見えてきた。


2021年1月18日月曜日

言いかけて・・・

 2021年全日本卓球選手権女子決勝は「史上最高の名勝負」となることが分かっていましたので、試合開始から石川佳純の優勝インタビューまで全て録画していました。予想どおりフルセットの第7ゲームも9-9までもつれ込む熱戦を石川佳純が制しました。

 最初は「伊藤選手」でしたが、2度目は「美誠、あっ」と言いかけて「伊藤選手」と言い換えましたね。普段は「美誠ちゃん」と呼んでいるのでしょうが、公式インタビューでは「伊藤選手」とリスペクトする石川佳純の姿勢に感動させられました。

 当ブログでは、「野球人」に関しては、プロ野球選手から少年野球プレイヤーに至るまで例外なく「呼び捨て」とさせていただいております。「ベースボールプレイヤー」に対するリスペクトの気持ちを、当ブログは「呼び捨て」として表現させていただいております。一部、個人的に関係する方については「敬称付き」で表記している例外もありますが・・・。

 この考えは、伊達正男著「私の昭和野球史 戦争と野球のはざまから」も参考にさせていただいております。巻末の言:「文中敬称は、早大野球部以外の方には〇〇君、または〇〇さんと呼ばせて頂きました。早大野球部では、一年どころか、一ヶ月先に入部した人でも、先輩・後輩の序列が厳格についていまして、だれだれさんと呼んでいました。しかし同僚・後輩に対しては呼び捨てにするというのが慣例となっていますので、それに従いました。ご諒承をお願いいたします。伊達」

 慶應体育会出身の当ブログも、早大野球部の伝統を参照させていただいております。やっぱり「ベースボールプレイヤー」には、「呼び捨て」が似合う。「ベーブ・ルース氏」はないでしょ(笑)。



2021年1月11日月曜日

21年 巨人vsパシフィック 12回戦

8月20日 (火) 後楽園 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 6 1 0 0 0 1 0 9 巨人 35勝26敗1分 0.574 中尾輝三 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 パ軍 24勝37敗2分 0.393 井筒研一

勝利投手 中尾輝三 6勝5敗
敗戦投手 井筒研一 9勝13敗

二塁打 (巨)山田、川上
三塁打 (巨)多田 (パ)森下
本塁打 (巨)千葉茂 2号

勝利打点 (巨)千葉茂 3

猛打賞 (巨)川上哲治 2、黒沢俊夫(4安打)4


両軍8併殺のタイ記録

 第17節最終日、後楽園の第1試合は中尾輝三と井筒研一の先発で午後零時33分、桝球審の右手が上がりプレイボール。

 巨人は前日1回3分の0で4四球降板の中尾を再度先発に起用した。

 巨人は初回、二死後千葉がレフトスタンドに先制ホームランを叩き込んで1-0とする。

 パ軍は1回裏、先頭の白石がライト線にヒット、一死後藤井のニゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。

 パ軍は2回裏、一死後木暮が四球を選んで出塁、しかし伊勢川の遊ゴロが「6-4-3」と渡って2個目のダブルプレー。

 巨人は3回表、先頭の九番呉新亨が左前打で出塁、トップに返り山田潔がレフト線にタイムリー二塁打を放ち2-0、山川の投ゴロの間に山田は三進、千葉の右犠飛で3-0、川上が右中間に二塁打を放って二死二塁、黒沢の中前タイムリーで4-0、中島の中前打で二死一二塁、多田が右中間に2点タイムリー三塁打を放ち6-0、中尾の中前タイムリーで7-0と大きくリードする。

 巨人は4回表、先頭の山田が中前打で出塁、山川喜作の遊ゴロでランナーが入れ替わり、千葉のニゴロが進塁打となって二死二塁、川上の右前タイムリーで8-0とする。

 パ軍は4回裏、一死後藤井が右前打で出塁、しかし森下のニゴロが「4-6-3」と渡って3個目のダブルプレー。

 パ軍は6回裏、一死後井筒が四球を選んで出塁、トップに返り白石は三振、スタートを切っていた井筒もキャッチャー多田からの送球に刺されて盗塁失敗で三振ゲッツー、これで4個目の併殺。

 巨人は7回表、先頭の多田が四球を選んで出塁、中尾は三振に倒れるが、呉新亨が左前打を放って一死一二塁、しかしトップに返り山田の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人は8回表、先頭の山川が右前打で出塁、千葉は遊飛に倒れるが、川上の中前打で一死一三塁、黒沢の右前タイムリーで9-0、一死一二塁から中島の三ゴロが「5-4-3」と渡って2個目のダブルプレー。

 パ軍は8回裏、先頭の佐竹一雄がストレートの四球で出塁、一死後平野徳松の投ゴロが「1-6-3」と渡って5個目のダブルプレー。

 パ軍は9回裏、一死後白石が中前打で出塁、しかし富松のファーストライナーに白石が飛び出しており、川上が一塁ベースを踏んで「L3A」で6個目の併殺を記録した。

 中尾輝三は6安打3四球3三振で今季初完封、6勝目をマークする。

 千葉の右犠飛は今季7個目の犠牲フライで、現在犠飛数ではトップである。打つだけの川上と比べて、千葉が実戦的なプレイヤーであったことが、こういう数字に表れている。

 実況のとおり巨人守備陣が6個の併殺を完成させた。「雑記」欄には「ジャイアンツの6併殺はタイ。合計8併殺もタイ。」と書かれている。

 現在残されいる公式記録は2リーグ分裂後だけであり、1試合最多併殺記録「6個」は3回記録されている。すなわち、1970年4月30日阪急(対近鉄戦)、1995年5月17日巨人(対横浜戦)、1996年8月18日横浜(対広島戦)の3回である。

 昭和21年8月20日の段階で認識されていた「1試合最多併殺6個」の記録とは、昭和15年11月6日に阪急が対巨人戦で記録したもの(2013年6月23日付けブログ「15年 阪急vs巨人13回戦」参照)である。しかしこの試合での巨人の併殺数は1個だけなので合計は7個。「合計8併殺」の試合は他にあるはずだが不明で、全試合を見直せばどこかにあるはず。戦後だと、「プロ野球審判員物語」とうサイトに「1979年7月29日のヤクルト対中日戦でヤクルトが5個、中日が3個、合計8個の併殺を記録した」と書かれている。

*2013年6月23日付けブログ「15年 阪急vs巨人13回戦」では、当時は「併殺記録」と「併殺打記録」を混同していたようなので、記載内容を修正しています。

*「雑記」欄には「ジャイアンツの6併殺はタイ。合計8併殺もタイ。」と書かれている。


2021年1月10日日曜日

21年 タイガースvsパシフィック 10回戦

8月19日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 タ軍 39勝20敗 0.661 渡辺誠太郎 呉昌征 
0 0 0 0 3 1 0 2 X 6 パ軍 24勝36敗2分 0.400 真田重蔵

勝利投手 真田重蔵    13勝12敗
敗戦投手 渡辺誠太郎 10勝9敗

本塁打 (パ)伊勢川真澄 2号

勝利打点 (パ)白石敏男 1


真田が完封、タ軍は失速

 後楽園の第2試合は渡辺誠太郎と真田重蔵の先発で午後3時23分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 タ軍は5回までに6安打を放つが無得点。

 パ軍は5回裏、一死後平野徳松が四球を選んで出塁、真田の中前打で一死一二塁、トップに返り白石の右中間タイムリーで1点を先制、一三塁となって富松も右前にタイムリーを放ち2-0、一死一二塁から藤井の一ゴロは「3-6-3」と転送されるがファースト高山泰夫が落球、この間に三塁に達していた白石がホームに還って3-0とする。

 パ軍は6回裏、伊勢川がレフトスタンドに第2号ホームランを叩き込んで4-0とする。

 パ軍は8回裏、先頭の藤井が三前に内野安打、森下の中前打で無死一二塁、木暮の右前タイムリーで5-0、無死一三塁から伊勢川の遊ゴロで木暮は二封、三走森下は動かず一死一三塁、松井信勝の三ゴロをサード小林英一がエラーする間に森下が還って6-0として試合を決める。

 真田重蔵は6回以降、元気のないタ軍打線を無安打に抑え、今季2度目の完封で13勝目をマークする。

 タ軍は高山と小林のタイムリーエラーが痛かった。

 藤村冨美男監督を家庭の不幸で欠くタ軍は昨日の藤本に続いて2試合連続完封負け。前半は森下の強打に対してサード小林、ショート長谷川がファインプレーを見せるなどの好守で粘ってきたが、チームの勢いは落ちている。

 パ軍は昨日の井筒に続いて2試合連続完封勝利で勝率を4割に乗せた。


2021年1月6日水曜日

野村武史の球史

 球史に残る名投手「野村清」については、一リーグ時代は1勝だけなので当ブログでその真の姿をお伝えすることはできない。

 昭和9年センバツは補欠でベンチ入りも出場無し、この時は松井栄造も小倉工業に敗れた2回戦でリリーフ登板しただけ。夏の岐阜商業は東海大会決勝で享栄商業に敗れ野村は不出場。

 昭和10年センバツは松井栄造が全試合に完投して優勝、野村は全試合ファーストでフル出場。

 昭和11年センバツ、1回戦は野村清が先発して松井のリリーフで広島商業にサヨナラ勝ち。2回戦は野村が完投したが松山商業に0対2で敗れた。夏の大会は1回戦で野村が盛岡商業を完封。2回戦も野村が先発して松井のリリーフで鳥取一中に快勝。3回戦も野村が和歌山商業を1点に抑えて完投勝利。準決勝から松井が先発に回って育英商業に完投勝ち。決勝の平安中学戦も松井が完投して優勝。昭和11年夏は野村清が準決勝まで松井栄造を休ませたことが優勝の要因であった。

 昭和13年センバツは野村清がエース、大島信雄が控えで準決勝敗退。夏は初戦の2回戦で野村が松本商業を完封。3回戦も野村が下関商業を完封。準決勝は野村-大島のリレーで甲陽中学を降し、決勝は大島信雄が完投して平安中学に敗れた。大島は昭和15年センバツで全試合完封で優勝を果たす。

 野村清は明大を経て全京城に入団し、昭和15年都市対抗では4連投で優勝、決勝の大連実業戦は1安打完封で、野村は橋戸賞を獲得する。昭和16年の都市対抗は中国戦線の拡大から中止、昭和17年の都市対抗は全京城が2連覇するが、この時のメンバーに野村の名は無い。

 最初のプロ入りは昭和21年セネタースで1勝のみであることは実況中継のとおり。

 昭和22年は豊岡物産に転じて都市対抗に出場、1回戦でこの大会二連覇することになる大日本土木戦に完投して1対3で敗れる。皮肉なことに大日本土木は野村の母校岐阜商業のOBで構成されたチームであった。

 昭和23年都市対抗は初戦の2回戦で大洋漁業戦に完投勝利。大洋漁業は後にプロ入りする選手が複数在籍する強打のチームであった。準々決勝も強豪全大阪に完投勝ち、準決勝でも優勝した西日本鉄道戦に完投するが0対1で敗れた。

 「武史」改名後、昭和25年には2度目のプロ入りで毎日オリオンズに入団、18勝をマークしてパ・リーグ初年度優勝に貢献する。日本シリーズでは第2戦に完投勝利、第5戦にも3対2で完投勝利、第6戦は三番手で登板して3回3分の1を無失点に抑え、初代日本一の胴上げ投手となったのである。

 昭和29年は弱小高橋ユニオンズで15勝をマーク、これはチーム53勝の2割8分3厘を占める。

 球界引退後は政界に転じ、船橋市議会議員を務める。昭和46年5月22日~昭和48年6月9日の第22期と、昭和56年6月8日~昭和58年4月30日の第27期に市議会副議長を務めた。

 甲子園、都市対抗、プロ野球、日本シリーズで優勝を経験、しかも全て主力投手として優勝に貢献する稀有の球史を持つ。

*参照文献等:「全国高等学校野球選手権大会50年史」、「選抜高等学校野球大会50年史」、「都市対抗野球60年史」、「栄光の日本シリーズ(ベースボールマガジン平成11年11月号増刊)」、サイト船橋市「議会の構成」