2018年9月2日日曜日

19年 朝日vs阪神 4回戦


7月3日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 朝日 5勝11敗1分 0.313 大橋一郎 内藤幸三
0 0 0 0 3 1 0 0 X 4 阪神 13勝3敗1分 0.813 若林忠志

勝利投手 若林忠志 11勝2敗
敗戦投手 大橋一郎   0勝2敗

二塁打 (神)御園生
三塁打 (神)塚本

勝利打点 塚本博睦 1


御園生崇男が2点タイムリー二塁打

 阪神の先発は森田明義。森田のプロでの登板はこの1試合だけとなる。

 朝日は2回、先頭の菊矢吉男が三塁にヒット、大橋一郎が中前打を放って無死一二塁、大島渡の投前バントをピッチャー森田が三塁に送球して二走菊谷は三封、広田修三が四球を選んで一死満塁、続く田端義夫の初球はボール、阪神はここで森田を下げて若林忠志監督がマウンドに上がり、田端の三ゴロで三走大橋は本封、トップに返り酒沢政夫は投ゴロに倒れて無得点。

 阪神は5回、先頭の門前真佐人が死球を受けて出塁、続く若林も死球を受けて無死一二塁、武智修が送りバントを決めて一死二塁、トップに返り塚本博睦の中犠飛で1点を先制、金田正泰の一塁ヒットで二死一三塁、御園生崇男の右中間二塁打で二者還り3-0とする。

 阪神は6回、先頭の呉昌征がストレートの四球で出塁、続く本堂保次の打席で呉は二盗、本堂は左飛、門前真佐人は左邪飛に倒れるが、若林の打席で呉が三盗を決めて二死三塁、更にキャッチャー吉田弘の三塁牽制が悪送球となって呉が生還、4-0とする。

 阪神は森田と若林で完封リレー、若林は11勝目をあげる。

 森田明義は通算登板数1試合。1回3分の1を投げて2安打2四球無三振無失点、キャリアの通算防御率は0.00である。森田は昭和17年と18年も阪神で選手登録されていたが未出場。プロでの成績は昭和19年だけとなるが、10年後の昭和29年に四国鉄道局の三番ファーストで第25回都市対抗野球大会に出場することとなる。

 

三冠への道2018 その7


8月の月間MVP予想

 ア・リーグ打撃部門は新人王争いでも大谷最大のライバルとして注目を集めるミゲル・アンドゥーハーが3割2分0厘、10本塁打、29打点で本命。年間MVP候補筆頭のJ.D.マルティネスは3割7分3厘、7本塁打、25打点で次点か。

 ナ・リーグ打撃部門は「Leadoff Home Run」を打ちまくるロナルド・アクーニャ・ジュニア。8月13日のマーリンズとのダブルヘッダーではは第一試合でバックスクリーン右に、第二試合ではバックスクリーン左に先頭打者本塁打、翌14日も初回レフトスタンドに先頭打者本塁打、7回にはライトスタンドに叩き込み、8月11日からの4日間で5試合連続本塁打となりメジャー最年少記録を更新しました。

 ア・リーグ投手部門は4勝0敗、防御率1.04のブレイク・スネル。26イニングスで被安打11本と被打率は1割3分1厘、WHIPは0.65。

 ナ・リーグ投手部門は3勝2敗ながら防御率1.24で驚異の60奪三振をマークしたジェイコブ・デグロム。8月31日のワールドスポーツMLBでも、小宮山さんが「髪を切ったデグロム」を取り上げていました。あのスライダーには注視が必要です。

 

2018年8月22日水曜日

甲子園100回シリーズ その13「白河の関」


 今年も白河の関を超えることはなかった。

 ここ8年で東北勢は夏の甲子園4度目の準優勝。現在では全国で最も強豪地域となっています。

 最も白河の関に近づいたのは1989年夏、大越基投手を擁して優勝候補と目されていた仙台育英だったでしょうか。2003年夏のダルビッシュ有の東北は勝てるとまでは思えなかった。

 東北高校では、岡嶋敏彦投手を擁してベスト4に進出した1972年センバツが一番優勝の可能性が高かったのではないかとも言われています。左腕技巧派岡嶋のピッチングはよく覚えています。2年生でまだエースナンバーではなかった岡嶋は、初戦の2回戦奈良工業戦で1安打完封。準々決勝の倉敷工業戦も5安打1失点で完投。準決勝も完投しましたがこの大会で優勝したジャンボ仲根の日大桜ヶ丘に2対3でサヨナラ負け。惜しかったですね。

 2015年8月14日、当ブログに「数年以内に紫紺の優勝旗又は深紅の大優勝旗が白河の関を渡る」と書かせていただきました。その日も更に近付いてきたと感じさせてくれる金農快進撃でした。

*選抜高等学校野球大会50年史より。岡嶋投手の1安打完封試合。



 

2018年8月18日土曜日

甲子園100回シリーズ その12「逆転サヨナラツーランスクイズ」


 一番面白いと言われる準々決勝の中で一番期待していたゲームが第4試合の近江vs金足農業戦でした。

 期待どおりの熱戦を制したツーランスクイズ。

 ツーランスクイズと言えば広島商業のお家芸。1973年第55回大会3回戦の日田林工戦で見せたツーランスクイズが有名です。

 40年後に金足農業が見せてくれました。

*アサヒグラフより。日田林工戦で決めた広島商業のツーランスクイズ。滑り込んだ走者は達川でした。



 

2018年8月17日金曜日

甲子園100回シリーズ その11[「二刀流」


13日目の始球式は金村義明氏。ちょっと外に引っ掛かりました。やっぱり金村は打者ですね。
ということで、本日は二刀流特集。


島本講平 箕島
1970年センバツ優勝投手。変化球投手で球威はありませんでしたがバッティングは天才的。当時の新聞の見出しに「島本、長打ほしいまま」というのがあったのを覚えています。南海でも最初はピッチャーで起用されましたがこらは明らかに客寄せパンダ。すぐに打者に専念して成功しました。


仲根正広 日大桜ヶ丘
1972年センバツ優勝投手。この大会では14打数10安打5打点、打率7割1分4厘をマークしました。190㎝ありましたので近鉄でもピッチャーを続けましたが芽が出ず、打者に転向して成功しました。最初から打者に専念していたらと悔やまれます。私が高校時代から「大谷は打者に専念すべき」と主張し続けている理由の一つに、仲根の先例があります。


愛甲猛 横浜
1980年夏優勝投手ですが、決勝戦では早実に打ち込まれ、控えの同じ左腕川戸投手のリリーフを仰いでいます。
矢張りプロでは打者に転向して成功しました。愛甲は最初から打者に専念していたイメージがありますが、少し投手もやっていたようです。


金村義明 報徳学園
1981年夏優勝投手。ピッチャーとしてはシュート回転で疑問に思っていましたが、バッティングは天性のもの。プロでは当然にして打者として成功しました。


江川も高校時代は「打者としても1位があって2位は無し」などと言われていました。まぁ、野球では最も運動能力に優れた選手がピッチャーをやるわけで、打者としても一流であることはある意味当然でもあります。金田も、江夏も、堀内も、山田も打者として一流であったことは誰もが知る事実ですからね。

*甲子園優勝投手・金村。


 

2018年8月16日木曜日

甲子園100回シリーズ その10「毎度おさわがせします」


 12日目の始球式は見事な投球を見せた坂東英二氏。

1 958年の「坂東-村椿の投げ合い」は私が産まれた年の出来事でしたから当然見ていません。

 中日時代も中継ぎのかすかな記憶があるような無いような。

 ということで、引退後の活躍が印象的です。

 「毎度おさわがせします」ではデビュー時の中山美穂と父娘役でした。最終回で仲直りできてよかったですね(笑)。

 本日の始球式も、さすがのお愛想ぶりでした。

*迷作「毎度おさわがせします」DVDジャケットより。篠ひろ子の左斜め下が坂東英二。



 

2018年8月15日水曜日

甲子園100回シリーズ その9「甲子園の石」


 11日目の始球式は力強い投球で甲子園を沸かせた安仁屋宗八氏。沖縄を代表しての登板です。

 安仁屋投手を擁する沖縄高校(現・沖縄尚学高等学校)は1962年、南九州大会を制して甲子園に出場。沖縄代表として甲子園に初出場したのは1958年の40回記念大会に各県1校の代表として出場した首里高校でした。まだアメリカ統治下ですから「沖縄‟県”代表」ではありませんでしたが。

 首里高校は1回戦で敗れ、甲子園の土を持ち帰りましたがアメリカ統治下の沖縄では植物防疫法に抵触することからグラウンドに持って帰ることはできませんでした。このニュースを聞いた日本航空の客室乗務員Kさんが「石なら大丈夫」ということで甲子園の石を首里高校に寄贈し、現在も首里高校の「友愛の碑」に埋め込まれています。

 今大会の開会式で皇太子殿下が「私の甲子園の最初の記憶は50回記念大会でした」と挨拶されていましたが、その50回大会でベスト4に進出して「興南旋風」を巻き起こした興南高校。本日の黙とうの場面も興南の試合中でしたね。興南高校のグラウンドを訪れてレフト席で練習を見せてもらったことがあります。住宅街の小さなグラウンドで、レフトは狭くオーバーフェンスでもエンタイトル二塁打。レフト席に飛び込んだ打球を拾いに来た選手がきちんと帽子を取って挨拶してくれました。まぁ、スカウトと間違えられただけかもしれませんが(笑)。

*首里高校を訪問した際に撮影させていただいた「友愛の碑」。パクリ写真ではありませんのでご安心ください。