2015年3月29日日曜日

17年 南海vs阪急 6回戦


7月1日 (水) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 南海 29勝15敗 0.659 川崎徳次
0 0 0 0 1 0 0 3 X 4 阪急 23勝18敗2分 0.561 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 11勝6敗
敗戦投手 川崎徳次   9勝6敗

二塁打 (南)八木 2、岩本 (急)森田、中島

勝利打点 森田定雄 3


森田定雄、決勝二塁打

 南海は好調川崎徳次が先発、阪急は森弘太郎で応戦する。

 3回まで両軍無得点。南海は4回、先頭の岩本義行がレフト線に二塁打、岡村俊昭は四球、中野正雄もストレートの四球を選んで無死満塁、川崎の中犠飛で1点を先制する。続く八木進は左飛、柳鶴震も左飛に倒れて追加点はならず。八木は前後の打席で二塁打を打っているだけに、ここで1本出ていたら試合の結果は変わっていたかもしれない。

 阪急は5回、先頭の中島喬が中前打、日比野武は一飛に倒れるが中島が二盗に成功、中村栄が四球を選んで一死一二塁、森田定雄は右飛に倒れて二死一二塁、トップに返りフランク山田伝が中前に同点タイムリーを放ち1-12と追い付く。

 阪急は7回、先頭の中島が四球を選んで出塁、日比野は又も一飛に倒れるが中村が左前打を放って一死一二塁、続く森の遊ゴロは「6-4-3」と渡るが一塁はセーフ、二走中島が三塁ベースを蹴ってホームに突っ込むがファースト中野からの送球にタッチアウト、「6-4-3-2」の併殺が記録された。

 阪急は8回、先頭の山田が右前打で出塁すると二盗に成功、上田藤夫は捕邪飛に倒れて一死二塁、黒田健吾の一ゴロをファースト中野は三塁に送球するが山田の足が早くベースに届いてセーフ、打者走者の黒田も二塁に進んで一死二三塁、山下好一はセカンドライナーに倒れて二死二三塁、ここで森田定雄が左中間に決勝の二塁打を放って3-1と勝越し、中島もレフト線に二塁打を放って4-1と突き放す。

 森弘太郎は9安打5四球と乱れたが1三振1失点の完投で11勝目をあげる。


 南海は猪子利男が2試合連続猛打賞を記録するなど9安打を放ちながら11残塁で1得点に終わった。


 決勝の二塁打を放った森田定雄は当ブログが「最も無名の最強打者」と呼んでいるのはご案内のとおりです。「日本プロ野球私的統計研究会」様のサイトによると、戦後はサードを守ったこともあるようですが、戦前はファーストしか守っていません。森田は昭和15年にプロ入りしました。阪急には山下実、新富卯三郎がいてレギュラーになったのは両者が抜けた今季からとなりますので「無名」な訳ですが、昭和15年には43試合で110打数34安打、打率3割9厘のハイアベレージを残しています。激しい首位打者争いとして有名な鬼頭数雄が3割2分1厘、川上哲治が3割1分1厘で、3位のカイザー田中義雄は2割9分3厘ですから規定打席には達していないものの打率3位に相当します。


 岐阜商業時代は昭和11年から14年まで4年連続センバツに出場し、12試合で48打数14安打を記録しています。岐阜商業は昭和8年、10年、15年にセンバツに優勝しており、2015年は好投手高橋純平を擁して75年ぶりの優勝を狙っています。森田定雄は夏の甲子園にも2回出場しており、優勝した昭和11年も準優勝の13年も主力打者として大活躍し、10試合で37打数12安打を記録しています。春夏の甲子園通算85打数26安打、打率3割6厘を記録した戦前有数のスラッガーです。


*甲子園の記録は「選抜高等学校野球大会50年史」及び「全国高等学校野球選手権大会50年史」から手作業で集計したもので、間違っている可能性がありますのご了承ください。




 

訂正のお知らせ




 3月21日付け「17年 朝日vs巨人 7回戦」において、朝日が2回に追加点をあげた場面について「福士が中前にタイムリーを放って3-1とリードを広げて苦手の広瀬をKO」とお伝えしておりましたが、正しくは「福士が中前にタイムリーを放って無死満塁とチャンスを広げて苦手の広瀬をKO」で、得点の場面は、「二番手の須田博に室脇正信は遊ゴロ併殺、この間に三走岩田が還って3-1とする。」でした。したがって、福士には打点は記録されておらず、広瀬の失点、自責点は変わらず、併殺の間の得点なので室脇にも打点は記録されません。


 以上、ご迷惑をおかけしますが、お詫びして訂正させていただきます。




 

2015年3月28日土曜日

17年 朝日vs大洋 6回戦


7月1日 (水) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 朝日 19勝24敗2分 0.442 林安夫
0 0 0 0 0 0 2 0 X 2 大洋 24勝15敗3分 0.615 野口二郎

勝利投手 野口二郎 15勝7敗
敗戦投手 林安夫     10勝10敗

二塁打 (大)濃人

勝利打点 山川喜作 1

猛打賞 (大)濃人渉 2、村松長太郎 2


野口二郎、通算6度目の1安打完封

 大洋は初回、一死後濃人渉が右中間に二塁打を放つが浅岡三郎は遊ゴロ、野口二郎は三振に倒れて無得点。2回は先頭の村松長太郎がレフト線ヒットで出塁するが野口明は左飛に倒れて走者を送れず、山川喜作の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 大洋は4回、先頭の濃人が中前打で出塁するが二盗に失敗、浅岡の打球は三塁ベースに当たって内野安打、野口二郎のライトライナーで浅岡が戻れずライト内藤幸三から一塁に送球されてダブルプレー。6回は一死後織辺由三が三前にセーフティバントを決めて出塁、トップに返り中村信一は死球、濃人が3安打目となる中前打を放ち、二走織辺が三塁ベースを蹴ってホームに向かうがセンター坪内道則からの好返球にタッチアウト、濃人はワイルドピッチで二進、浅岡が四球を選んで二死一二塁とするが期待の野口二郎は捕邪飛に倒れてこの回も無得点。

 大洋は7回、先頭の村松が左前打で出塁、野口明の二ゴロをセカンド鬼頭政一がエラーして無死一三塁、山川が中前に均衡を破るタイムリーを放って1点を先制、佐藤武夫もレフト前にタイムリーで続き2-0とする。


 野口二郎は会心の投球であった。7回まで無安打、4回~7回は三者凡退。8回、先頭の岩田次男を遊ゴロに打ち取るが、酒沢政夫に左前打を許す。しかし後続を抑え、9回も三者凡退、結局1安打1四球6三振で今季7度目の完封、15勝目をあげる。


 野口二郎は昭和14年にプロ入りし、この日で32回目の完封試合を記録、1安打完封は6度目である。野口二郎は遂に無安打無得点を達成することはできなかった。



 

機動破壊 その2



 「盗塁0」で強豪天理を破る、健大高崎の「機動破壊」の真骨頂でした。


 決勝点は一死二三塁の場面、一ゴロで一塁手が前進して捕球し、一塁ベース方向を向いて一塁ベースカバーのセカンドにトスした瞬間、三走がホームに突っ込んだものでした。勝負を決めた3点目も左投手に対して代走がスタートを切れずにいたところ、エンドランで打球は左中間に、レフトが追い付く打球でしたが思わず「まわれ、回れ!」と年甲斐もなく絶叫していました。近所の人たちは「何事が起こったんだ~」と思ったことでしょう。高校野球はいくつになっても熱くなれるところがいいですね。


 昨夏の甲子園で健大高崎の盗塁を批判していた素人評論家(もどき)が多数発生しましたが、この日の健大高崎の走塁こそが「機動破壊」の本質であることを知るべきでしょう。

 ということで、当ブログのセンバツの本命は健大高崎です。



 

17年 名古屋vs巨人 6回戦


7月1日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 3 4 名古屋 11勝32敗1分 0.256 西沢道夫 河村章
2 0 0 0 2 0 3 1 X 8 巨人    30勝13敗1分 0.698 川畑博 広瀬習一

勝利投手 広瀬習一 13勝5敗
敗戦投手 西沢道夫   1勝4敗

二塁打 (名)古川 (巨)中島、呉
本塁打 (巨)中島 3号

勝利打点 中島治康 7

猛打賞 (巨)中島治康 5


中島治康4打数4安打

 夏季シーズン開幕から8連敗中の名古屋が相手とあって巨人は川畑博がプロ入り初先発。名古屋は西沢道夫で応戦する。

 名古屋は初回、一死後木村進一がセンター左にヒット、吉田猪佐喜も中前打、古川清蔵の三ゴロで吉田は二封、古川が二盗を決め、飯塚誠が四球を選んで二死満塁、岩本章は遊飛に倒れて無得点であったが川畑は不安定な立ち上がりであった。

 巨人は1回裏、先頭の呉波が中前打で出塁、パスボールで二進、一気に三塁に向かうがキャッチャー古川からの送球にタッチアウト、水原茂は二飛に倒れるが川上哲治が四球を選んで二死一塁、中島治康が右中間に二塁打を放って川上が生還し1点を先制、楠安夫も右前にタイムリーを放ってこの回2点を先制する。

 名古屋は2回、一死後西沢が四球で出塁してパスボールで二進、芳賀直一も四球、トップに返り桝嘉一も四球を選んで一死満塁、巨人ベンチは堪らんとばかりに川畑から広瀬習一にスイッチ、木村の投ゴロの間に三走西沢が還って1-2とする。

 巨人は2回から4回まで毎回安打を放って走者をスコアリングポジションに進めるが無得点。5回、一死後中島が左前打、楠は中前打、白石敏男が四球を選んで一死満塁、伊藤健太郎の遊ゴロをショート木村がエラーする間に三走中島に続いて二走楠も還って4-1とリードを広げる。

 巨人は6回も呉が中前打を放つが無得点。7回、中島、楠が連続四球、白石の初球がボールとなったところで西沢は降板、二番手として河村章がマウンドに上がる。白石も四球を選んで無死満塁、林清一が右前にタイムリーを放って5-1としてなお無死満塁、坂本茂の遊ゴロの間に三走楠が還って6-1として一死二三塁、広瀬の遊ゴロの間に三走白石も還って7-1として試合を決める。

 巨人は8回、中島がライトスタンドにホームランを叩き込んで8-1とする。

 名古屋は9回、先頭の石丸藤吉が中前打、河村が四球を選んで無死一二塁、芳賀の遊ゴロの間に二者進塁、トップに返り桝嘉一が四球を選んで一死満塁、木村が中前に2点タイムリーを放って3-8、吉田も右前にタイムリーを放って4-8、しかし古川は一邪飛、飯塚は中飛に倒れて試合終了。

 広瀬習一は最終回乱れたが7回3分の2を7安打3四球3三振3失点に抑えて13勝目をあげる。


 中島治康が4打数4安打4得点2打点、二塁打1本、本塁打1本と猛打を炸裂させた。このところ鳴りを潜めていたが久々に爆発。本塁打は3号として古川清蔵、川上哲治と並んで本塁打王、今季7個目の勝利打点も記録して6個で並んでいた室井豊、岡村俊昭を抑えて単独勝利打点王に立った。更に今季5回目の猛打賞を獲得して4回で並んでいた伊藤健太郎、岩本義行を凌いで単独猛打賞王にもなっている。





 

2015年3月27日金曜日

17年 黒鷲vs阪神 6回戦


7月1日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 黒鷲   9勝32敗2分 0.220 石原繁三
0 0 1 0 0 0 0 0 X 1 阪神 24勝20敗1分 0.545 三輪八郎

勝利投手 三輪八郎 1勝1敗
敗戦投手 石原繁三 6勝13敗

二塁打 (黒)寺内

勝利打点 カイザー田中義雄 1


2安打の阪神、3安打の黒鷲を破る

 阪神は3回、一死後松本貞一が四球を選んで出塁、土井垣武は一飛に倒れるが藤井勇が四球を選んで二死一二塁、ここでカイザー田中義雄がレフト線にタイムリーを放って1点を先制する。この得点がこの試合唯一の得点となった。

 黒鷲は4回、先頭の木下政文がストレートの四球で出塁、玉腰忠義が送って一死二塁、杉江文二は三振に倒れて二死二塁、木村孝平の中前打で二走木下は同点のホームを狙ったが、センター塚本博睦からの好返球に本塁寸前タッチアウトとなって同点のチャンスを逃した。


 黒鷲先発の石原繁三は6月27日の阪急戦で3安打完封勝利を飾ったが、この日も阪神打線を2安打に封じ込んだ。ヒットを許したのは2回、野口昇のレフト線ヒットと3回、田中に打たれた決勝のタイムリーだけで、4回以降は5イニング連続三者凡退に抑えた。


 阪神先発の三輪八郎は黒鷲打線を3安打に封じて完封、今季初勝利をあげた。4回、センター塚本の好返球に救われた以降も、石原とは対照的に走者を出しまくったが、自らの好フィールディングでピンチを凌いだ。すなわち、7回は一死後石原の三ゴロをサード土井垣武が失して一死一塁とするが、トップに返り山田潔の投ゴロを捌いて「1-6-3」のゲッツー。8回は先頭の寺内一隆監督に中前打を許し、富松信彦を三振に打ち取り一死一塁、四番鈴木秀雄に代わる代打渡辺絢吾のピッチャー返しを好捕すると一塁に送球、寺内が戻れずここもゲッツー。最終回は木下を遊飛、玉腰は四球で歩かせるが杉江に代わる代打吉水幸夫を遊飛、最後は木村を遊直に打ち取り、3安打7四球7三振で完封した。




 

17年 6月 月間MVP



月間MVP

投手部門 南海 川崎徳次 1

 6月は13日~29日までの短期決戦であったが、月間MVP投手部門の選考は難航した。候補は林安夫、野口二郎、川崎徳次の3人。


 林安夫は夏季シーズン開幕から8連投して47イニングスに登板、3勝1敗1セーブ2完封、防御率 0.77、WHPI 0.64、奪三振率 2.54であった。9試合中8試合に登板のフル稼働をどう評価するべきか。

 野口二郎は5試合で39回3分の2に登板、2勝1敗2完封、防御率 0.68、WHPI 0.58、奪三振率 4.62であり、3投手中最も安定した投球であった。

 川崎徳次は3試合だけの登板ながら27イニングスを投げて3勝0敗2完封、防御率 0.33、WHPI 0.85、奪三振率 4.67であった。


 数字だけ見ると林安夫と野口二郎の一騎打ちに見えるが、共に唯一の敗戦は川崎徳次に投げ負けたものであった。当ブログは、林安夫、野口二郎との直接対決を制した川崎徳次を月間MVPに選出しました。



 打撃部門 阪神 藤井勇 1

 打撃部門も藤井勇と岩本義行が激戦を繰り広げた。


 岩本義行は8試合に出場して28打数11安打3得点5打点5四球、打率3割9分3厘、OPS 1.056。

 藤井勇は9試合に出場して37打数15安打1得点6打点2四球、打率4割0分5厘、OPS 0.949。


 岩本は29日の阪神戦で4打点をマークして今月の打点は5と、この1試合だけに集中している。一方、藤井勇は5試合に打点を記録して6打点と、万遍なく活躍している。5月に戦場から復帰したばかりでこの活躍。鳥取一中時代、甲子園で京都商業の澤村栄治から二塁打を放った天性のバットコントロールは、戦争による4年の歳月を経ても、いささかの狂いも見せなかったのである。ということで、当ブログは藤井勇を月間MVPに選出しました。




 

2015年3月24日火曜日

17年 第10節週間MVP



 今節は南海が4勝1敗、巨人が4勝1敗、阪急が2勝1敗、黒鷲が2勝2敗、朝日が2勝3敗、阪神が2勝3敗、大洋が1勝2敗、名古屋が0勝4敗であった。


週間MVP

投手部門

 南海 川崎徳次 2

 今節2勝0敗。6月20日の大洋戦は1安打完封であった。


打撃部門

 南海 岩本義行 3

 今節19打数8安打1得点4打点、二塁打2本、三塁打1本。

 巨人 川上哲治 1

 今節20打数8安打4得点2打点、二塁打2本、本塁打1本。



殊勲賞

 朝日 鬼頭政一 1

 今節2個の勝利打点を記録する。

 黒鷲 石原繁三 1

 27日の阪急戦で完封勝利。



敢闘賞

 阪神 藤井勇 1

 今節22打数8安打3打点。

 朝日 早川平一 1

 レギュラーではないが今節11打数4安打を記録する。

 巨人 坂本茂 1

 今節19打数5安打。28日の阪神戦では勝利に貢献する進塁打と併殺プレーを見せた。


技能賞

 南海 八木進 1

 21日の黒鷲戦では3つの盗塁を刺す。

 黒鷲 畑福俊英 1

 28日の名古屋戦ではナックルで内野ゴロの山を築き完封勝利。




 

17年 阪神vs南海 7回戦


6月29日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 1 0 0  1  阪神 23勝20敗1分 0.535 御園生崇男 木下勇 藤村隆男 渡辺誠太郎
0 0 4 0 0 3 3 0 X 10 南海 29勝14敗 0.674 神田武夫
 
勝利投手 神田武夫   15勝6敗
敗戦投手 御園生崇男 4勝4敗

二塁打 (南)岩本
三塁打 (神)御園生 (南)岩本

勝利打点 中野正雄 1

猛打賞 (南)岩本義行(4安打) 4、猪子利男 1


岩本義行、4安打4打点

 阪神vs南海7回戦は2,800人の観衆が詰めかけた西宮球場で午後3時47分、沢東洋男主審の右手が上がりプレイボール。マウンドには27日の6回戦で一死も取れずにKOされた神田武夫が上がった。


 阪神は初回、先頭の金田正泰は一ゴロ、今季初めて二番に入った松本貞一は三振と神田はまずまずの立ち上がり。しかしカイザー田中義雄が左前打、土井垣武はツーワンと追い込まれながら四球を選んで二死一二塁、ここは神田が踏ん張り藤井勇は二ゴロに倒れる。2回も二死後野口昇が三塁内野安打で出塁するが塚本博睦は中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。3回はトップからの打順であったが三者凡退と神田は尻上がりに調子をあげてきた。

 南海は初回、先頭の国久松一がバントヒットで出塁、猪子利男が右前打、北原昇は右飛に倒れるが岩本義行の三塁内野安打で一死満塁、岡村俊昭の当りは三塁への痛烈なライナーであったがサード土井垣がキャッチしてそのまま塁を離れてリードを取っていた三走国久にタッチしてダブルプレー、一瞬にしてチャンスは潰えた。

 2回の二死一二塁も逃した南海は3回、一死後北原の遊ゴロをショート野口がエラー、岩本がレフト線に二塁打を放って一死二三塁、岡村が四球を選んで一死満塁、中野正雄の三塁内野安打で北原が還って1点を先制してなお一死満塁、キャチャー田中の一塁牽制が悪送球となる間に三走岩本が還って2-0、なお一死二三塁から神田が右前にタイムリーを放って3-0、八木進の二ゴロをセカンド松本がエラーする間に三走中野も還って4-0、八木には打点が記録された。更に柳鶴震が四球を選んだところで先発の御園生崇男は降板、リリーフの木下勇が後続を抑える。

 南海は6回、一死後国久が三前にセーフティバントを決めて出塁、猪子の三前バントも内野安打となって一死一二塁、北原の二ゴロをセカンド平林栄治が二塁に悪送球する間に二走国久が還って5-0、岩本の左前タイムリーで猪子が還って6-0、岡村のショートへの内野安打の間に二走北原もホームに還る好走塁を見せて7-0とする。北原の快脚のお陰で岡村に打点が記録された。阪神は木下から三番手の藤村隆男にスイッチ、藤村が後続を抑える。

 南海は7回、二死後国久が四球を選んで出塁、猪子が左前打、北原が四球を選んで二死満塁、ここで岩本が走者一掃の左中間三塁打を放って10-0とダメ押す。

 神田武夫は6安打2四球2三振1失点の完投、15勝目をあげる。完全復活と言えるか微妙なところである。


 南海打線は阪神が繰り出す3投手を万遍なく打ちまくって快勝した。岩本義行が5打数4安打4打点、二塁打1本、三塁打1本と猛打を爆発させる。猪子利男も5打数3安打で猛打賞を獲得した。勝利打点は中野正雄であったが真の殊勲者は岩本義行となる。4打数無安打ながら3得点と渋い活躍を見せた北原昇が影の殊勲者であった。



 

2015年3月22日日曜日

44年ぶり



 木更津総合がセンバツで44年ぶりの勝利を記録しました。


 44年前は「木更津中央高校」でした。銚子商業と習志野が覇権を争っていた当時の千葉県では、両校以外に甲子園に行けるのは千葉商業くらいで、木更津中央が1971年のセンバツに初出場した時は「え~、木更津中央なんかで大丈夫なの~?」と思ったのは事実です。ところが・・・

 1回戦は四国の強豪高知高校に4対0で快勝。「黒潮打線」の起源は銚子商業か、高知高校・高知商業かの議論は、千葉県民と高知県民の間では永遠のテーマです。2回戦は県岐阜商業に3対2で競り勝ちます。県岐阜商業は2015年のセンバツでは優勝候補ですね。両校が勝ち進めば決勝で当たることとなります。準々決勝では強豪東邦に2対1で競り勝ちました。銚子商業、習志野でもベスト4まで進むことは稀でした。木更津中央の快進撃に心躍らせたものです。準決勝で大鉄に4対2で敗れました。


 この大会で優勝したのは決勝で大鉄を破った日大三高でした。吉沢(後に阪急)と待井(後に太平洋)はまだ2年生でした。日大三高は夏の東京予選では保坂(後に東映)を擁する日大一高に敗れましたが、翌72年のセンバツに2年連続出場、決勝に進んで二連覇を狙いましたが仲根(後に近鉄)を擁する日大桜ヶ丘に敗れました。日大勢が全盛期の頃の物語です。


 木更津中央出身の代表格は古屋英夫となります。亜大経由で日ハム入りした古屋はゴールデングラブ賞4回の守備の名手として知られていますが、木更津中央時代はエースで四番の強打者でした。昭和48年に日米親善高校野球大会が行われてハワイ選抜チームと千葉県選抜チームが対戦しましたが、三番が掛布(習志野、後に阪神)で四番は古屋した。この試合の先発投手は小見川の黒須清志。筆者の評価では、黒須は千葉県高校野球史上鈴木孝政に次ぐ投手であったと考えています。古屋はクローザーとして登板して千葉県選抜がハワイ選抜を破っています。


 帝京高校の前田監督も木更津中央出身です。与田もOBですが高校時代は全く知りませんでした。木更津中央出身のプロ野球選手としては、宇佐美和雄を忘れることができません。1968年ドラフトでは西鉄の1位指名が東尾、2位指名が左腕の乗替(福井県・若狭高校出身、川藤幸三の1年後輩)、宇佐美が3位指名でした。翌春の練習中、打撃投手を務めていた宇佐美は打球を胸に受けて急死しました。当時の新聞記事で、打球をガードするネットの上部の金属部分をかすったため避けられなかったと読んだ記憶があります。


 本日の岡山理大付属戦でホームランを放った檜村は1年夏からレギュラーとして活躍していました。大柄なショートで打撃もよく、千葉では評判の選手でした。守備が評価されてドラフト候補のようです。




*古屋の直筆サインカードは持っていませんので、79年山勝をアップします。ここまで保存状態のいい山勝は珍しいでしょう。





 

着席




 昭和17年6月29日、西宮球場で行われた朝日vs巨人7回戦1回表朝日の攻撃でその事件は起こった。


 実況中継でお伝えしたとおり、先頭の坪内道則が二塁打で出塁し、五味芳夫の右前打で無死一三塁、鬼頭政一の右犠飛で朝日が1点を先制、広田修三は左飛に倒れて二死一塁に五味という場面でのことであった。


 伊勢川真澄のレフト線ヒットで一走五味は二塁ベースを蹴って三塁に進んだ。この時サードを守る水原茂と交錯したようだ。スコアカードの「雑記」欄には「五味、水原をスパイクしたとかで水原憤慨して約30分もめ、水原、五味着席を命ぜられる。」と書かれている。五味には代走山本秀雄が起用され、水原に代わってサードには小池繁雄が入った。巨人1回裏の攻撃でトップの呉波に続いて小池繁雄が打席に入った理由はこうした経緯からであった。この試合の開始時刻は午後1時2分で終了は3時12分、当時としては珍しく2時間を超えているが、中断が30分あったからであろう。


 「着席」が「退場」を意味することは広く知られているようです。プロ野球初の「退場」は昭和11年の「甲子園二次リーグ戦」、11月20日のタイガースvsセネタース戦で苅田久徳が二出川延明球審に「着席」を宣告された時であるとされている。この試合で苅田は4打数2安打を記録しており、テーブルスコアによるとレフトの今岡謙二郎が試合途中で苅田に代わってセカンドに入っている。


 戦前「着席」を宣告されたのは4人だったと言われている。苅田、水原、五味の他にもう一人いるようです。ご存知の方は名乗り出てください(笑)。




  *「雑記」欄の記載。





  *問題のシーン。




 

2015年3月21日土曜日

17年 朝日vs巨人 7回戦


6月29日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 1 0 0 0 1 0 0 0 4 朝日 19勝23敗2分 0.452 斉藤忠二 福士勇
1 0 0 1 0 0 0 0 0 2 巨人 29勝13敗1分 0.690 広瀬習一 須田博 中尾輝三

勝利投手 福士勇       6勝4敗
敗戦投手 広瀬習一 12勝5敗

二塁打 (朝)坪内、岩田 (巨)須田
三塁打 (巨)坂本

勝利打点 鬼頭政一 4


朝日、苦手広瀬を攻略

 朝日はここまで対巨人戦の成績は1勝5敗、特に広瀬習一には0勝3敗で3つとも完封負けを喫している。本日も巨人の先発は広瀬習一、どうなることやら。

 朝日は初回、先頭の坪内道則がライト線に二塁打、五味芳夫の右前打で無死一三塁、鬼頭政一の右犠飛で1点を先制、広瀬のクロスファイヤーを右打ちにより攻略した。広田修三は左飛に倒れるが、伊勢川真澄のレフト線ヒットで一走五味が三塁に進み二死一三塁、伊勢川がディレードスチールで一二塁間に挟まれる隙を突いて三走五味が還って2-0とする。伊勢川は五味のホームイン後にタッチアウトとなったため、五味に本盗は記録されない。

 巨人は1回裏、先頭の呉波が四球を選んで出塁、小池繁雄は三振に倒れるが、楠安夫が四球を選んで一死一二塁、川上哲治のカウントがツーボールナッシングとなったところで朝日竹内愛一監督は先発の斉藤忠二から福士勇にスイッチ、福士もボールを2球続けて川上は四球、与四球は斉藤に記録される。中島治康の左犠飛で1-2、白石敏男は左飛に倒れて同点はならず。

 朝日は2回、先頭の岩田次男がライト線に二塁打、内藤幸三は四球を選んで無死一二塁、福士が中前にタイムリーを放って無死満塁とチャンスを広げて苦手の広瀬をKO、二番手の須田博に室脇正信は遊ゴロ併殺、この間に三走岩田が還って3-1とする。

 巨人は4回、先頭の白石が中前打で出塁、伊藤健太郎の遊ゴロの間に白石は二進、坂本茂が右越えに三塁打を放て2-31と詰め寄る。須田は三ゴロに倒れて同点はならず。

 朝日は6回、先頭の伊勢川真澄が二前にプッシュバントを決めて出塁、岩田の投前送りバントは須田が二塁に送球して伊勢川を二封、内藤がセンター右にヒット、福士は三振に倒れて二死一二塁、室脇が左前にタイムリーを放って4-2と突き放す。

 福士勇は8回3分の2を投げて4安打7四球1三振1失点、6勝目をあげる。


 朝日はここまで3完封と苦手の広瀬習一を徹底した右打ちで攻略した。


 この試合である事件が勃発しましたが、項を改めます。ヒントは、1回裏巨人の攻撃で呉波に続く打者として小池繁雄が登場している点です。




 

2015年3月20日金曜日

17年 巨人vs阪神 6回戦


6月28日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 1 0 0 0 0 4 0 0 6 巨人 29勝12敗1分 0.707 中尾輝三 須田博
3 0 0 0 0 0 0 1 0 4 阪神 23勝19敗1分 0.548 木下勇 若林忠志

勝利投手 須田博       5勝2敗
敗戦投手 若林忠志 10勝6敗
二塁打 (巨)伊藤、須田、呉 (神)土井垣

勝利打点 呉波 4


呉波が決勝打

 巨人は初回、先頭の呉波が中前打で出塁するとすかざず二盗に成功、キャッチャーカイザー田中義雄からの送球が逸れる間に三塁に進む。水原茂がセンター右に先制タイムリーを放って1-0、楠安夫はストレートの四球で無死一二塁、川上哲治はライトライナーに倒れるが、阪神ベンチは早くも先発の木下勇から若林忠志にスイッチ、川上の当りが強烈だったからであろう。中島治康の三ゴロをサード土井垣武が一塁に悪送球して一死満塁、白石敏男の当りは痛烈なピッチャー返しであったが若林がキャッチ、三塁に送球して三走水原が戻れずダブルプレー。

 阪神は1回裏、一死後野口昇が四球で出塁、松本貞一も四球を選んで一死一二塁、土井垣が左中間に二塁打を放って1-1の同点、藤井勇の中犠飛で2-1と逆転に成功、御園生崇男の中前タイムリーで3-1と突き放す。

 巨人は2回、先頭の伊藤健太郎が右中間に二塁打、坂本茂の二ゴロの間に伊藤は三進、中尾輝三の左犠飛で2-3と追い上げる。坂本の進塁打が効いた。

 阪神は3回、先頭の松本が四球を選んで出塁、巨人ベンチも中尾から須田博にスイッチ、土井垣は右飛、藤井の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。左打者の藤井を併殺に仕留めたのはセカンド坂本の進境を物語っている。千葉茂の応召によりセカンドを守る坂本もようやく戦力になってきた。

 序盤戦は点の取り合いとなったが、須田博と若林忠志の投げ合いで試合は落ち着きを取り戻し、阪神1点リードのまま終盤戦を迎える。

 巨人は7回、一死後伊藤が中前打で出塁、坂本の当りは右前に抜けるがライト御園生が二塁に送球して伊藤を封殺、「9-6B」のライトゴロが記録された。しかし須田が右中間を破って坂本が生還、3-3の同点に追い付いて二死二塁、トップに返り呉がセンター左奥に二塁打を放ち4-3と逆転に成功、水原の右前打で呉が還って5-3、バックホームの隙を突いて打者走者の水原が二塁に進んで二死二塁、続く楠の右前打で何故か二走水原は動かず二死一二塁、楠のヒットはポテンだった可能性があり、水原はアウトカウントを間違えたのかもしれない。川上の二遊間内野安打で二走水原は三塁に、一走楠は二塁に進んで二死満塁、中島の押出し四球で水原が還り6-3とする。

 阪神は8回、二死後御園生の遊ゴロをショート白石がエラー、田中の中前打で二死一二塁、若林の中飛をセンター呉が落球する間に二走御園生が還って4-6としてなお二死二三塁と一打同点のチャンス、しかし塚本博睦に代わる代打玉置玉一は投ゴロに倒れて万事休す。

 須田博は9回の阪神打線を三者凡退に抑え、7回3分の0を投げて4安打1四球3三振1失点、自責点ゼロの好リリーフを見せて5勝目をあげる。


 昨日からの関西遠征で白石敏男に代わってトップに入る呉波が勝利打点となる決勝打を放った。昭和12年に巨人に入団した呉が一番に定着するのは意外と遅く呉昌征を名乗る昭和18年からのことである。巨人の核弾頭は白石であり、この日のように時々呉も一番を打つことがある。この日の活躍は、呉がリードオフマンに定着するきっかけとなるターニングポイントになった可能性がある。




 

2015年3月18日水曜日

17年 南海vs朝日 6回戦


6月28日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 0 0 0 0 0 0 3 南海 28勝14敗 0.667 川崎徳次
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 朝日 18勝23敗2分 0.439 林安夫

勝利投手 川崎徳次 9勝5敗
敗戦投手 林安夫   10勝9敗

二塁打 (南)北原 (朝)坪内、広田
三塁打 (南)川崎

勝利打点 北原昇 4


北原昇、決勝タイムリー

 後楽園の第二試合は雨が激しくなったため中止となりましたので実況中継クルーは西宮に飛びます。

 南海は初回、一死後猪子利男が四球を選んで出塁、北原昇がレフト線に二塁打を放って猪子を迎え入れ1点を先制、岩本義行はストレートの四球、これは敬遠の可能性がある。岡村俊昭の遊ゴロで岩本が二封されて二死一三塁、岡村が二盗に成功して二死二三塁、中野正雄の打席でキャッチャー伊勢川真澄からの二塁牽制が逸れる間に三走北原が還って2-0、岡村は二塁に残り二死二塁、中野が右前にタイムリーを放ってこの回3点を先制する。

 南海先発の川崎徳次は6回まで2つの併殺を奪って無失点。川崎は6回の攻撃で中越えの三塁打も放っている。

 朝日は7回、一死後伊勢川が左前にヒット、広田修三が三遊間を破って一死一三塁、林安夫の三ゴロの間に三走伊勢川が還って1-3とする。

 川崎徳次は朝日打線に7安打4四球を許したが6三振を奪う力投で完投、9勝目をあげる。神田に代わってエースとしてマウンドを守っている。


 初回に先制タイムリーを放った北原昇が勝利打点を記録した。攻走守に秀でる二塁手として、千葉茂が戦場に赴き、苅田久徳がグラウンドを去った今、球界No1の二塁手である。





 

2015年3月17日火曜日

17年 名古屋vs黒鷲 6回戦


6月28日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 11勝31敗1分 0.262 石丸進一 河村章
0 0 0 1 0 0 0 0 X 1 黒鷲      9勝31敗2分 0.225 畑福俊英

勝利投手 畑福俊英 1勝3敗
敗戦投手 石丸進一 5勝8敗

三塁打 (名)吉田

勝利打点 木下政文 3


畑福俊英、冴えるナックル

 現在9連敗中の名古屋と昨日11連敗を免れた黒鷲との一戦は小雨模様の中、名古屋は石丸進一、黒鷲は畑福俊英の先発で午後1時4分、池田豊主審の右手が上がりプレイボール。

 3回まで無安打の黒鷲は4回、先頭の富松信彦が左前打で出塁、この日四番に入った鈴木秀雄が送りバントを決めて一死二塁、木下政文が左前にタイムリーを放って1点を先制する。続く玉腰忠義のカウントがツーボールナッシングとなったところで石丸進一は降板、二番手の河村章もボールを2つ続けて玉腰は四球、この場合の与四球は石丸進一に記録される。一死一二塁から杉江文二は中飛、木村孝平は遊ゴロに倒れて追加点はならず。

 河村はこの後、8回まで黒鷲打線を無得点に抑えた。

 黒鷲先発の畑福俊英は初回、先頭の木村進一に四球を与えるが岩本章を三振、桝嘉一の二ゴロで木村進一を二封、飯塚誠の打席で桝が二盗を試みるがキャッチャー木下が鮮やかな送球を見せてタッチアウト。2回も打ち直しの先頭飯塚に四球を与えるが、吉田猪佐喜の遊ゴロで飯塚を二封、古川清蔵の遊ゴロで吉田を二封、石丸藤吉の遊ゴロで古川を二封してスリーアウトチェンジ。

 4回、先頭の岩本に一塁への内野安打を許し、桝に送られて一死二塁、飯塚に四球を与えて一死一二塁、ここで吉田を又も遊ゴロに打ち取り今度は「6-4-3」と転送されてダブルプレーでピンチを切り抜ける。7回にも一死後吉田に右中間三塁打を打たれてピンチを迎えるが、古川を遊飛、石丸藤吉もサードライナーに打ち取り無失点。


 結局、畑福は3安打4四球2三振の完封で今季初勝利をあげた。2回に記録した三者連続「6-4B」は、筆者の記憶ではプロ野球史上初、史上唯一の記録である可能性を残す。この記録は偶然生まれたものではない。畑福は専修大学時代は剛球投手として鳴らしたが、大酒と兵役により既に肩はボロボロ、昨年戦場から復帰していきなり7勝をマークしたが技巧派に変身している。ナックル・ボールを駆使して打ち取るピッチングスタイルが「三者連続6-4B」の記録をもたらしたものである。


 畑福がナックルを投げていたか否か。答えは「イエス!」です。畑福が戦場から帰還した昭和16年6月22日付け読売新聞には、6月21日の阪急戦に登板した畑福俊英について「5月18日に帰還した畑福は未だ1ヶ月足らずの日子を過したばかりであるのに黒鷲投手不足の悲境に自ら投手を買って出た事が既に悲壮の意気であるが、彼はチェンジ・オブ・ペースの武器を基本にして剛速球に、ドロップに、さてはナックル・ボールに縦横無蓋の怪腕を揮って阪急軍の強打をよく防いだのは目覚ましかった」と書かれています。この時の黒鷲は、エースの亀田忠と長谷川重一が風雲急を告げる戦況にアメリカへの帰国を余儀なくされ、投手不足に陥っていました。






*ナックル・ボールが冴えた畑福俊英は3安打完封で今季初勝利を飾る。














 

2015年3月15日日曜日

17年 南海vs阪神 6回戦


6月27日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海 27勝14敗 0.659 神田武夫 石田光彦 長谷川善三
4 1 1 0 0 0 2 0 X 8 阪神 23勝18敗1分 0.561 御園生崇男 藤村隆男

勝利投手 御園生崇男 4勝3敗
敗戦投手 神田武夫   14勝6敗
セーブ     藤村隆男   1

二塁打 (南)岩本

勝利打点 土井垣武 3


藤井勇、5試合連続マルチヒット

 阪神は初回、先頭の金田正泰がライト線にヒット、野口昇が四球を選び、松本貞一の中前打で無死満塁、土井垣武が押出し四球を選んで1点を先制、藤井勇の二ゴロをセカンド北原昇がホームに低投、北原にエラーが記録されて三走野口が生還、御園生崇男の右前タイムリーで3-0、南海先発の神田武夫をKOする。ピッチャーは石田光彦に代わり、なお無死一三塁からカイザー田中義雄の遊ゴロの間に三走土井垣が還ってこの回4点を先制する。

 阪神は2回、先頭の金田がセーフティバントを試みるがピッチャー石田が巧みに捌いて一塁アウト、しかし野口、松本が連続四球、土井垣は右飛に倒れて二死一二塁、藤井が中前にタイムリーを放って5-0とする。

 阪神は3回、先頭の田中が左前打、上田正は一邪飛に倒れるが塚本博睦が二遊間に内野安打、トップに返り金田の中前打で一死満塁、野口の左犠飛で6-0とする。

 阪神は7回から先発の御園生崇男を下げて藤村隆男をマウンドに送る。

 阪神は7回裏、先頭の土井垣がストレートの四球で出塁、藤井は左飛、藤村隆男は三振に倒れるが田中が一二塁間に内野安打、上田が四球を選んで二死満塁、塚本が押出し四球、トップに返り金田も押出し四球を選んで8-0とダメ押す。

 阪神先発の御園生崇男は6イニングを投げて3安打2四球無三振無失点、リリーフの藤村隆男は3イニングを無安打4四球1三振無失点、完封リレーであった。


 藤井勇はこの日も5打数2安打を記録して5試合連続2安打を放っている。これが4年ぶりに戦場から復帰して夏季シーズンから出場している男の成績であろうか。


 南海先発の神田武夫は一死も取れずに降板した。そろそろ神田の体調に変化が見られてきたようだ。悲運の死を遂げる神田を美化することは容易いが、当ブログは一死も取れずにKOされる神田武夫の実像も、余すところなく伝えていきます。




 

17年 巨人vs朝日 6回戦


6月27日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 2 0 0 0 3 巨人 28勝12敗1分 0.700 広瀬習一
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 朝日 18勝22敗2分 0.450 山本秀雄 林安夫

勝利投手 広瀬習一 12勝4敗
敗戦投手 山本秀雄   2勝4敗

二塁打 (巨)楠

勝利打点 中島治康 6


川上哲治本盗

 巨人は広瀬習一が先発、朝日は山本秀雄で応戦する。

 巨人は初回、先頭の呉波が四球を選んで出塁、水原茂の二ゴロで一走呉が守備妨害を犯して一死一塁、楠安夫は四球、川上哲治は左飛に倒れて二死一二塁、中島治康がレフト線にタイムリーを放って1点を先制する。

 朝日は6回から先発の山本に代えて夏季シーズン7連投となる林安夫をリリーフのマウンドに送る。

 巨人は6回、先頭の楠安夫が左中間に二塁打、川上は四球を選んで無死一二塁、中島は三振、白石敏男の遊ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、伊藤健太郎が左前にタイムリーを放って2-0、二死一三塁からダブルスチールに成功、三走川上に本盗が記録された。


 広瀬習一は朝日打線を5安打3四球4三振に抑えて完封、12勝目をあげる。広瀬の完封は今季5度目であるが、黒鷲戦で2回、朝日戦で3回となっている。巨人のローテーションは上位チームは中尾輝三と須田博、下位チームは広瀬習一を中心に多田文久三を交えて使っている。勝敗はここまで広瀬が12勝5敗、中尾は9勝6敗、須田は4勝2敗、多田が3勝0敗となっているが、エースはあくまでも中尾であり、須田が得意の阪急戦を中心に使われている。数字だけで判断して「広瀬がエース」と勘違いされている方を多く見かけますが、実態は当ブログがお伝えしているとおりです。広瀬はここまで12勝4敗ですが、朝日に3勝0敗、黒鷲に3勝0敗、名古屋に3勝0敗と勝率5割を割る下位チームには9勝0敗で、南海に1勝2敗、大洋に1勝1敗、阪神に1勝0敗、阪急に0勝1敗と、勝率5割を超える上位4チームには3勝4敗で、勝ち星は極端に下位チームに偏っている。


 当ブログは広瀬習一の成績を批判しているのではありません。例えば、広瀬が黒鷲に入団していれば間違いなく真のエースとなっていたでしょう。上位チームにも臆することなく立ち向かい、あくまで想像ですがここまで8勝15敗くらいの成績を残していたのではないでしょうか。あるいは石原繁三と二枚看板となって黒鷲を上位に引き上げ、球史を塗り替えていた可能性が高い。偶然巨人に入ったことから下位チームを専門に投げることとなり、巨人の独走に寄与したというのが歴史的な評価となるでしょう。



*広瀬習一は朝日打線を5安打に完封。







*巨人は6回の攻撃でダブルスチールを決め、川上哲治に本盗が記録された。「O’」が盗塁を表します。一走は伊藤健太郎。






 

訂正のお知らせ



 5月10日以降の広瀬習一及び中尾輝三の勝敗の表示が間違っていました。5月10日は中尾の勝利数を1つ多く、5月11日以降は広瀬の敗戦数を1つ多く、中尾の敗戦数を1つ少なく表示しておりました。お詫びして以下のとおり訂正させていただきます。


広瀬習一                    誤           正    
 5月11日 黒鷲 8勝4敗⇒8勝3敗
 5月17日 朝日 9勝4敗⇒9勝3敗
 5月20日 南海 10勝4敗⇒10勝3敗
 5月24日 大洋 10勝5敗⇒10勝4敗
 6月21日 大洋 11勝5敗⇒11勝4敗



中尾輝三             誤           正 
    5月10日 阪神 7勝4敗⇒6勝4敗
 5月13日 阪神 7勝3敗⇒7勝4敗
 5月15日 阪神 7勝4敗⇒7勝5敗
 5月18日 南海 7勝5敗⇒7勝6敗
 5月23日 名古屋 8勝5敗⇒8勝6敗
 6月20日 黒鷲 9勝5敗⇒9勝6敗



 ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願い申し上げます。




 

2015年3月14日土曜日

前年優勝校と前々年優勝校が激突



 センバツの組合せが発表されました。いくつかの注目カードの中でも屈指の好カードは前年センバツ優勝の平安と前々年センバツ優勝の浦和学院との対戦でしょう。前年優勝校と前々年優勝校が甲子園で激突する可能性は十分にあります。むしろ強豪校同士が全国大会で対戦するのは当たり前のことと言えそうですが、前年優勝校と前々年優勝校が対戦するのは昭和12年センバツで昭和11年優勝の愛知商業と昭和10年優勝の岐阜商業が対戦して以来のこととのことです。


 昭和51年、夏の千葉県予選準決勝で、前年昭和50年全国優勝の習志野と前々年昭和49年全国優勝の銚子商業が激突しました。「世紀の一戦」と言われたこの試合は、千葉県高校野球の聖地・天台球場が満員札止めとなる熱気の中、千葉県高校野球史に残る名勝負となり、斉藤一之監督の息子俊之のサヨナラホームランで銚子商業が前年の雪辱を果たしたのです。甲子園で優勝するより千葉県代表になる方が難しいと言われた頃の話です。


 昭和49年の銚子商業はエース土屋(後に中日)、2年生の篠塚(後に巨人)を擁して全国制覇、昭和50年の習志野はエース小川(後にヤクルト監督)を擁して全国制覇を果たしました。昭和51年の銚子商業はショートに宇野(後に中日)、センターに尾上(後に中日)を擁して習志野を撃破し甲子園に出場、千葉県三連覇を狙って準々決勝に進出しましたが優勝した桜美林に敗れて野望は潰えました。習志野は市立、銚子商業は県立で、メンバーの大半は地元の生徒でした。関西を中心に野球専門私立高校が台頭してきましたが、公立高校の牙城を、我が千葉県高校野球界が守り抜いていたのです。



*昭和50年、第57回全国高等学校野球選手権大会・千葉大会のパンフレット。







*習志野のエースは小川淳司(後のヤクルト監督)、2年生のショート下山田は甲子園決勝でサヨナラ打を放ちました。ほぼ全員が習志野近辺の中学卒業です。






*銚子商業のキャプテンは銚子商業野球部史上最高の秀才と言われる前嶋(一浪後慶大)、セカンドは「銚子商業野球部ノート」を刊行した2年生の平野(後に住金鹿島監督)、サードは篠塚(後に巨人)、ショートは宇野(後に中日)と銚子商業野球部史上最強の内野陣、1年生の控えに尾上(後に中日)と斉藤junior(斉藤監督の息子)。2年生の佐藤、一谷の両エースを擁し、習志野に勝っていれば間違いなく甲子園連覇を果たしていました。甲子園で優勝するより千葉県代表になる方が難しいと言われていた時代です。習志野同様、大半が地元の中学を卒業しています。






*平野和男著「銚子商野球部ノート」。




*平野は昭和51年のキャプテンでした。篠塚の世代のキャプテンは前嶋、宇野の世代のキャプテンは平野、尾上の世代のキャプテンは斉藤俊之と、銚子商業は3年連続プロ野球選手を輩出しましたが3人ともキャプテンにはなれなかった程の選手層の厚さを誇っていたのです。






 

17年 大洋vs名古屋 6回戦


6月27日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 1 0 2 0 4 大洋     23勝15敗3分 0.605 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 11勝30敗1分 0.268 西沢道夫

勝利投手 野口二郎 14勝7敗
敗戦投手 西沢道夫   1勝3敗

二塁打 (大)浅岡 (名)吉田

勝利打点 野口二郎 5

猛打賞 (大)中村信一 2


中村信一猛打賞

 大洋は野口二郎、名古屋は西沢道夫が先発、5月24日の延長28回戦と同じ顔合わせとなった。

 大洋は初回、先頭の中村信一が中前打を放つが二盗に失敗、3人で攻撃を終わる。2回、一死後野口明が死球を受けて出塁、村松長太郎が左前打で続いて一死一二塁、しかし山川喜作は右飛、佐藤武夫もサードライナーに倒れてスリーアウトチェンジ。

 大洋は3回、先頭の織辺由三がレフト線にヒット、トップに返り中村がセンター右にヒット、濃人渉が四球を選んで無死満塁のビッグチャンス、浅岡三郎は浅い左飛に倒れるが、野口二郎の遊ゴロで濃人が二封される間に三走織辺が還って1点を先制する。

 大洋は6回、先頭の浅岡が左中間に二塁打、野口二郎の右前打で無死一三塁、野口明は一飛に倒れるが、村松の三ゴロをサード飯塚誠がエラーする間に三走浅岡が還って2-0とする。村松には打点は記録されていない。

 大洋は8回、先頭の野口明が中前打、村松は中飛、山川は投飛に倒れて二死一塁、佐藤の三ゴロをサード飯塚が2個目のエラー、二死一二塁から織辺が中前にタイムリーを放って3-0、トップに返り中村が四球を選んで二死満塁、濃人の遊ゴロをショート木村進一がエラーする間に三走佐藤が還って4-0とする。

 野口二郎は6安打無四球6四球で今季6度目の完封、14勝目をあげる。3回の内野ゴロで勝利打点も記録した。


 中村信一が猛打賞を記録した。中村は北予中学から法政大学に進んで苅田久徳の後輩となり、苅田に誘われてセネタースに入り百万ドル内野を形成することとなる。法政時代は名ショートであった苅田がプロではセカンドに回り内野革命を起こすことができたのも、後輩中村信一がショートの重責を全うしたからであった。その中村も戦争で肩を壊し、復帰後はショートを濃人渉に譲り主にサードを守っている。


 北予中学は大正13年から昭和5年にかけて「坂の上の雲」でお馴染の秋山好古が校長を務めていたことで知られる。昭和11年に法政大学を卒業してセネタース入りした中村信一が北与中学に在学中の校長が秋山好古であったことになる。中村の4学年下でセネタースでも後輩となる今岡謙次郎が北与中学に在籍していた頃は、秋山好古逝去後のこととなる。







 

石原繁三と小田野柏



 昭和17年6月27日、石原繁三はターニングポイントとなる投球で阪急を3安打完封に抑えます。その阪急に小田野柏が復帰してきました。


 「野球界」昭和17年7月15日号に「登録復活(帰還)」として「小田野柏(阪急)」と書かれているのです。事実、昭和17年7月11日に甲子園球場で行われる阪神戦で小田野柏は6回に代走として登場し、昭和13年以来4年ぶりに戦場から帰還してグラウンドに立つこととなり、後半戦は外野のレギュラーとして活躍することとなります。


 石原繁三は岩手県の遠野中学、小田野柏も岩手県の福岡中学出身で、岩手県野球史にその名を残す二人についての文献としては、岩手県立福岡高等学校 野球部創部100周年記念誌として同校OB会が発行した「陣場台熱球録」の右に出るものはありません。


 石原繁三は千葉県成田市出身で、埼玉県川越中学から父親の仕事の関係で昭和6年4月、岩手県遠野中学に転向して来ました。関東でも指折りの剛速球投手として知られていた石原が入った遠野中学野球部は弱小チームから甲子園を狙えるチームへと変貌を遂げたのです。昭和6年夏の岩手県大会準決勝で小田野柏が在籍していた福岡中学と遠野中学が対戦します。福岡中学の中津川コーチは、「転校間もない石原繁三投手に出場資格はない」と訴え、石原が投げることができずに遠野中学は大敗します。岩手県野球史に残る「石原事件」の背景には、当時は野球熱が沸騰して中等野球界の選手を引き抜くブローカーが暗躍しており、父親の仕事の都合による石原の転校も快く思われなかったという事情があるようです。


 「陣場台熱球録」にはこの時の小田野柏のコメントが残されており「石原投手が出てきたならば試合はどうなっていたかわからない。・・・後年プロ野球で見た石原投手は球も速く、弱小球団の中で孤軍奮闘という感じだった。プロでも打線がもっと打ってくれれば相当の勝ち星を挙げたと思う。」とのことです。


 小田野柏が戦場から復帰した直後の昭和17年6月27日、お伝えしたとおり石原繁三が阪急を3安打完封します。小田野が言う「後年プロ野球で見た石原投手は球も速く」とは、この試合のことでしょう。11年前の昭和6年7月の岩手県予選準決勝で対戦するはずだった石原を間近に見て、強烈な印象を受けたのではないでしょうか。


 石原繁三は昭和11年にセネタースに入団しますがすぐ応召、昭和15年にプロ野球に復帰します。小田野柏は昭和13年に阪急に入団しますがすぐ応召、昭和17年にプロ野球に復帰してきました。二人が対戦したのは1試合だけで、昭和17年11月13日に行われる大和(黒鷲から名称変更)vs阪急15回戦、石原が4回途中から登板して小田野は遊ゴロと四球、対戦成績1打数無安打1四球の記録が残されています。


 小田野柏は戦後ノンプロで活躍し、昭和22年都市対抗野球大会で史上初の‟天覧ホームラン”を放つこととなり、更にプロ野球にも復帰します。石原繁三は二度目の応召からも帰還しますが、帰国直前、病に倒れたと伝えられています。戦死扱いとはされておらず、「鎮魂の碑」にその名を見ることはできません。




 

17年 阪急vs黒鷲 6回戦


6月27日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 22勝18敗2分 0.550 天保義夫 笠松実
0 2 1 0 0 0 0 0 X 3 黒鷲  8勝31敗2分 0.205 石原繁三

勝利投手 石原繁三 6勝12敗
敗戦投手 天保義夫 2勝3敗

勝利打点 木村孝平 1


2個のデッドボール

 阪急のトップバッターはフランク山田伝、黒鷲のトップバッターは山田潔。山田伝は昭和12年から、山田潔は昭和13年からプロ野球に在籍しているが二人の山田が同時にスタメンでトップに入るのはこの試合が史上初めてのこととなる。この後8回戦、9回戦、10回戦でも同様の事象が生じる。


 黒鷲は初回、先頭の山田潔がストレートの四球で出塁、寺内一隆監督も四球を選んで無死一二塁と先制のチャンス、富松信彦の二ゴロで寺内は二封、木下政文の捕ゴロが「2-4-3」と渡ってダブルプレー。初回は10連敗のチームらしい攻撃であったが、本日の黒鷲はちょっと違った。

 黒鷲は2回、先頭の鈴木秀雄が二塁に内野安打、玉腰忠義が四球を選んで無死一二塁、阪急ベンチはここで早くも先発の天保義夫から笠松実にスイッチ、杉江文二の投前送りバントを笠松が三塁に送球するがセーフ、犠打と野選が記録されて無死満塁、木村孝平が押出し死球を受けて1点を先制、石原繁三の二ゴロで三走玉腰は本封、トップに返り山田潔は浅い右飛に倒れて二死満塁、寺内監督が中前にタイムリーを放って2-0、二走木村もホームを狙うがセンター山田伝からのバックホームにタッチアウト。

 黒鷲は3回、二死後鈴木が死球を受けると二盗に成功、玉腰の右翼線タイムリーで3-0とリードを広げる。

 阪急二番手の笠松は4回以降黒鷲打線を3安打無失点に抑えた。


 黒鷲の勝因となったのは笠松が与えた2個のデッドボールであった。2回無死満塁で木村孝平が受けた押出し死球は決勝点となって勝利打点は木村に記録された。3回の追加点も鈴木秀雄の死球をきっかけとしたものである。笠松はシュートを決め球にして春先は巨人キラーとして活躍したが、ここにきてシュートのコントロールが危うくなっているようだ。


 黒鷲先発の石原繁三は快調なピッチングで阪急打線を3安打6四球1三振に抑え、今季3度目の完封で6勝目をあげる。石原がここまで記録した3回の完封は何れも3安打に抑えたものである。石原の剛球がいかに威力を持っていたかを物語っている。石原はここまで5勝12敗と大きく負け越してきたが、この試合がターニングポイントとなり以降は15勝14敗を記録して最終的には20勝26敗の成績を残すこととなる。今季27勝68敗10引分け、勝率2割8分4厘の黒鷲-大和で後半戦は勝ち越して20勝を記録することは、驚異的と言えるのである。




*石原繁三は今季3度目の3安打完封で6勝目を朝日マークする。










*石原繁三に3安打に抑え込まれた阪急打線。トップは山田伝であった。










*久々の快勝で11連敗を免れた黒鷲打線。トップは山田潔であった。













 

2015年3月10日火曜日

17年 阪神vs朝日 7回戦


6月22日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 0 0 0 0 1  2  3 阪神 22勝18敗1分 0.550 若林忠志
0 0 0 0 1 0 0 0 0  0  1 朝日 18勝21敗2分 0.462 福士勇 林安夫

勝利投手 若林忠志 10勝5敗
敗戦投手 福士勇       5勝4敗

二塁打 (朝)室脇、伊勢川、内藤
三塁打 (神)田中

勝利打点 藤井勇 1


若林執念の完投、藤井が決勝打

 阪神は好調朝日戦に前日不甲斐ない投球で敗戦の因となった若林忠志監督が自ら先発を志願、朝日は福士勇で応戦する。

 その阪神は気合が空回りして4回まで無安打。5回、二死後カイザー田中義雄が右中間に三塁打を放つが玉置玉一は二ゴロに倒れて無得点。

 朝日は3回、一死後室脇正信が右翼線に二塁打を放つが、坪内道則は遊ゴロ、五味も投ゴロに倒れて無得点。4回も二死後伊勢川真澄がレフト線に二塁打を放つが、続く内藤幸三の打席で若林からの送球に刺されてスリーアウトチェンジ。普通の二塁牽制であれば「1-6B」でアウトとなるが、スコアカードには「(2)1-6B」と記載されているので、単なる牽制球ではなかったようだ。

 朝日は5回、先頭の打ち直しとなった内藤が右中間に二塁打、代走に山本秀雄を起用、岩田次男の遊ゴロで山本が三塁に走りショート野口昇が三塁に送球するがこれが悪送球となって無死一三塁、福士の二ゴロをセカンド松本貞一が二塁に送球するがこれも悪送球となる間に三走山本が還って1点を先制する。福士には打点が記録されているので簡単にゲッツーが取れる打球ではなかったことが分かる。松本は無理な体勢から二塁に送球したのかもしれない。

 阪神は7回、一死後土井垣武が三塁に内野安打、藤井勇も左前打を放って一死一二塁、御園生崇男は中飛に倒れるが田中が四球を選んで二死満塁、しかし玉置は一ゴロに倒れてこの回も無得点。

 阪神は9回、二死後田中が左前打、7回裏の守備から玉置に代わってライトに入っている上田正が右前打を放って二死一三塁、ここで若林が中前に起死回生の同点タイムリーを放って1-1、試合は延長戦に突入する。

 阪神は10回表、先頭の松本がストレートの四球、松本が二盗を決めると土井垣も四球、朝日竹内愛一監督はここで福士から6連投の林安夫にスイッチ、しかし戦場からの帰還兵藤井が右前に殊勲の決勝タイムリーを放って2-1、更にこちらも帰還兵の御園生が左前に追撃のタイムリーを放って3-1とする。


 若林忠志は10回裏の朝日を三者凡退に抑え、6安打無四球3三振1失点、自責点ゼロの完投で10勝目をあげる。9回には貴重な同点タイムリーも放った。


 戦場から戻って夏季シーズンから4年ぶりに出場している藤井勇の活躍が目覚ましい。この日も5打数2安打を記録して、復帰後24打数12安打、打率5割をマークしている。


 若林の執念が阪神に勝利をもたらしたゲームであった。






 

2015年3月9日月曜日

17年 阪急vs名古屋 7回戦


6月22日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 3 2 0 0 0 0 5 阪急     22勝17敗2分 0.564 天保義夫
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 名古屋 11勝29敗1分 0.275 西沢道夫 河村章

勝利投手 天保義夫 2勝2敗
敗戦投手 西沢道夫 1勝2敗

二塁打 (急)黒田

勝利打点 なし


名古屋、守っては6失策、打っては4併殺

 名古屋は初回、先頭の木村進一が四球で出塁、石丸藤吉の右前打で無死一二塁、桝嘉一のバントはピッチャーへの小飛球となり、天保義夫が二塁ベースカバーのショート中村栄に送球して飛び出していた二走木村を封殺、中村から一塁に転送されて飛び出していた一走石丸藤吉も封殺、トリプルプレーが完成する。バントエンドランがかかっていてものと考えられる。阪急は5月20日の朝日戦でもトリプルプレーをやっている。

 阪急は4回、先頭の黒田健吾のショートへの当りを木村進一が一塁に悪送球、黒田には内野安打が記録されてワンヒットワンエラー、山下好一は四球、森田定雄も四球を選んで無死満塁、中島喬の三ゴロをサード芳賀直一がエラーする間に三走黒田が還って1点を先制、日比野武は捕邪飛に倒れて一死満塁、中村栄の二ゴロをセカンド石丸藤吉がエラーする間に三走山下好一が還って2-0、中村には打点が記録された。なお一死満塁から天保義夫は浅い左飛に倒れるが、トップに返りフランク山田伝が押出し四球を選んでこの回3点を先制する。

 阪急は5回、先頭の黒田がレフト線に二塁打、山下好一の右前打で無死一三塁、森田が四球を選んで4回に続いて無死満塁、中島の遊ゴロをショート木村がエラーする間に三走黒田が還って4-0、日比野の遊ゴロで三走山下好一がホームに向かい、ショート木村がバックホーム、タイミングはアウトであったが悪送球となり1点追加して5-0とする。続く中村の初球がボールとなったところで名古屋ベンチは先発の西沢道夫を下げて河村章をリリーフのマウンドに送る。中村は一邪飛に倒れ、天保の遊ゴロが「6-4-3」と渡って追加点はならず。

 名古屋二番手の河村は9回まで阪急打線を1安打2四球1死球2三振で無失点に抑える。

 阪急先発の天保義夫は4安打5四球2三振の完投で2勝目をあげる。


 名古屋はショート木村進一が3失策、セカンド石丸藤吉が2失策、サード芳賀直一が1失策と6失策、打っても1回には三重殺、3回、6回、9回と4度の併殺を記録した。これでは勝てないのも当然で、8連敗となった。


 名古屋2回の攻撃で珍しいシーンが見られた。古川清蔵の捕邪飛の際に「I.P」イリーガルプレーが記録されたのである。イリーガルプレーとは「守備妨害」のことである。捕邪飛の際の「守備妨害」とは・・・「雑記」欄には「飯塚捕球を妨害す」と記されている。飯塚誠は古川の次打者である。昭和17年7月15日発行「野球界」には「2回古川邪飛、ウェイティングサークルの飯塚動かず日比野激突、川久保主審がアウトを宣告」と書かれている。古川清蔵のキャッチャーファウルフライはウェイティングサークルの近くに飛び、次打者の飯塚誠が避けなかったことから飛球を追って上を向いていたキャッチャー日比野武が飯塚に激突し、川久保喜一主審がこれを「守備妨害」と認定して、公式記録員山内以九士が「I.P」と記録したものである。




*古川清蔵の捕邪飛「FF2」には(I.P.)と記されている。









*「雑記」欄には「飯塚捕球を妨害す.」と書かれている。