2014年1月30日木曜日

続・平凡な大投手、竹内愛一



 2014年1月30日現在、「竹内愛一」をグーグル検索してみると、一番目にWikipedia、二番目にユーチューブ、三番目に当ブログが表示されます。


 このユーチューブの画像で、竹内愛一の大正14年復活早慶戦でのピッチングを見ることができます。画像の球筋を見ると、竹内が何故「平凡な大投手」と呼ばれたかが理解できると思います。一見すると「俺でも打てそう」と思わせる球筋です。


 飛田穂洲著「熱球三十年」によると、竹内は大したボールを投げるわけではないが、努力により抜群のコントロールを身に付けて「平凡な大投手」に成長していったとのことです。当時の記事を見ても、明治大学の湯浅禎夫は名投手として伝えられていますが竹内の記述は少ない。


 ユーチューブの画像では、8回まで完全試合を続けていた竹内が9回、三谷八郎に左前打を打たれるシーンを見ることができます。更に、二塁に進んだ三谷が三盗を試みるシーンも映っています。このシーンを庄野義信編著「六大学野球全集」(上巻)は、「投手竹内の何等走者を顧慮しないのに乗じて三谷は二三塁を連盗した」と伝えています。大正14年(1925年)に書かれた記述が、89年後のユーチューブの画像で確認できたのです!ぜひご覧ください。



 同著に残されているテーブルスコアでは、三谷の盗塁は「ゼロ」となっています。すなわち、11対0の場面での盗塁は盗塁として記録されていません。メジャーリーグでは試合が決した大差の場面での盗塁は記録されません。日本でも近年は記録されなくなりました。この改正は2008年に行わましたが、その83年前には、既にグローバルスタンダードに倣って大差の場面での盗塁は盗塁として記録されていなかったのです。




 

2014年1月28日火曜日

16年 阪急vs巨人 5回戦


7月8日 (火) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 0 2 0 0 0 0 0  0   0   0   2 阪急 21勝17敗 0.553 笠松実 江田孝
1 0 0 0 0 0 0 0 1  0   0  1X  3 巨人 29勝9敗 0.763 須田博

勝利投手 須田博 14勝3敗
敗戦投手 江田孝   0勝1敗

二塁打 (急)新富 (巨)吉原、中島

勝利打点 川上哲治 7


須田博、12回を完投して14勝目

 巨人は初回、先頭の呉波が四球で出塁、水原茂、中島治康が連続右飛に倒れるが、川上哲治が左前打、吉原正喜が四球を選んで二死満塁、白石敏男が押出し四球を選んで1点を先制する。

 阪急は4回、先頭の上田藤夫の遊ゴロをショート白石がエラー、黒田健吾の一塁線バントが内野安打となる間に上田は三塁に進んで無死一三塁、新富卯三郎が四球を選んで無死満塁、しかし井野川利春は二飛、日比野武は浅い右飛に倒れて二死満塁、ところが伊東甚吉が押出し四球を選んで1-1の同点、笠松実も押出し四球を選んで2-1と逆転する。

 2回の二死一二塁、3回の一死二三塁のチャンスを潰した巨人は4回、先頭の筒井修が四球で出塁、阪急ベンチはここで先発の笠松から江田孝にスイッチ、二死後中島がショートに内野安打して一二塁とするが川上は投ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は9回、先頭の中島が右翼線に二塁打、川上の一ゴロで中島は三進、吉原の遊ゴロをショート上田が失する間に中島が還って2-2の同点に追い付く。

 阪急は10回表、二死後西村正夫が左前打から二盗に成功、しかしフランク山田伝は左飛に終わる。

 巨人は10回裏、一死後山本栄一郎が四球で出塁、水原も四球を選んで一死一二塁、中島の右飛で二者タッチアップから進塁して二死二三塁、川上は敬遠で二死満塁、吉原が遊ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は12回裏、二死後中島が四球から二盗に成功、江田は今度は川上と勝負するが川上が左前にタイムリーを放って巨人がサヨナラ勝ち。


 須田博は12回を6安打4四球3三振の完投で14勝目をあげる。須田が奪った三振はすべて江田孝からであった。巨人は9安打と共に14四死球、20残塁を記録した。








*須田博は12回を完投して14勝目をあげる。阪急の二番手には「江口行雄」のスタンプが押されているがこれは押し間違いで「江田孝」が正解です。










 

2014年1月27日月曜日

16年 大洋vs阪神 5回戦


7月8日 (火) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 1 0 0 0 0  1 大洋 24勝14敗 0.632 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪神 19勝19敗 0.500 藤村隆男

勝利投手 野口二郎 15勝5敗
敗戦投手 藤村隆男   5勝5敗

勝利打点 織辺由三 1


野口二郎、今季6度目の完封

 阪神は御園生崇男が戦場から帰還後初登場、六番ライトでスタメン出場となった。


 大洋は2回、二死後石井豊、森田実が連続右前打を放つが佐藤武夫は三ゴロに終わる。3回も先頭の織辺由三が四球で出るが中村信一の投ゴロは「1-4-3」と渡ってゲッツー。

 大洋は5回、先頭の森田が四球で出塁、佐藤が送って一死二塁、織辺が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 阪神は1回、2回と先頭打者を四球で出すが無得点。3回は藤村隆男が中前打を放って出塁するがキャッチャー佐藤からの牽制に刺され、皆川定之が中前打を放つが宮崎剛、森国五郎は連続二飛に倒れる。

 阪神は4回、先頭のカイザー田中義雄が左前打、土井垣武が四球を選んで無死一二塁、松尾五郎が送って一死二三塁、御園生は浅い左飛に倒れて二死二三塁、野口昇が四球を選んで二死満塁、しかし藤村は三振に倒れて無得点。

 阪神は5回、一死後宮崎が左前打、森が右前打を放って一二塁、しかし田中、土井垣の三四番が連続右飛に倒れてランナーを出しながらここまで無得点。

 1点のリードをもらった野口二郎はエンジン全開、6回以降の阪神打線を三者凡退で片付けて5安打4四球1三振で今季6度目の完封、15勝目をあげる。


 昭和14年8月1日の阪急戦で完投勝利をあげて以来約2年ぶりの出場となった御園生崇男は第一打席が投ゴロ併殺、第二打席が左飛、第三打席が投ゴロで、第四打席では松木謙治郎が代打に送られた。この後しばらく休んで8月からライトで常時出場することとなる。







               *野口二郎は今季6度目の完封で15勝目をあげる。









     *約2年ぶりに御園生崇男がラインナップに名を連ねた阪神打線。










 

2014年1月26日日曜日

16年 名古屋vb黒鷲 6回戦


7月8日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 計
1 0 0 2 0 0 0 0 0  0   0   0   0   0    0  1   4 名古屋 18勝20敗 0.474 岡本敏男 河村章 西沢道夫 村松幸雄
0 1 0 1 0 0 0 1 0  0   0   0   0   0    0  0   3 黒鷲     11勝27敗 0.289 畑福俊英 中河美芳
 
勝利投手 村松幸雄 4勝3敗
敗戦投手 中河美芳 1勝3敗

二塁打 (名)吉田 (黒)小島、木下
本塁打 (黒)寺内 1号

勝利打点 三浦敏一 1

猛打賞  (名)大沢清 1、芳賀直一 1 (黒)寺内一隆(4安打) 2

ファインプレー賞 (名)芳賀直一10、11


三浦敏一、代打決勝打

 名古屋は初回、一死後桝嘉一が左翼線にヒット、大沢清の右前打で一死一三塁、大沢が二盗を決め吉田猪佐喜が四球を選んで一死満塁、服部受弘は浅い中飛に倒れるが、本田親喜監督が押出し四球を選んで1点を先制する。

 黒鷲は2回、先頭の木下政文が左越えに二塁打、寺内一隆の三前バントは内野安打、山田潔が四球を選んで無死満塁、名古屋ベンチはここで先発の岡本敏男から河村章にスイッチ、清家忠太郎が投前にスクイズを決めて1-1の同点、しかし畑福俊英は浅い右飛、トップに返り富松信彦は二ゴロに倒れて追加点は奪えず。

 名古屋は4回、先頭の本田が2打席連続の四球、黒鷲ベンチは先発の畑福から中河美芳にスイッチ、芳賀直一の一塁線バントは内野安打となり無死一二塁、石丸進一の捕前送りバントにキャッチャー清家が飛び出して三塁に送球するが悪送球となって三走本田が生還、野選とエラーが記録されて無死二三塁、河村は投ゴロに倒れるが、トップに返り木村進一の一塁線バントが内野安打となって3-1とする。桝は遊飛に倒れて二死一三塁、ここで木村がディレードスチール、キャッチャー清家からショート山田に送球されて木村が一二塁間に挟まれると三走石丸がホームに向けてスタートを切るが「2-6-3-1-5-1-5」と転送されてタッチアウト。一走木村が一二塁間に挟まれるのを見てピッチャー中河は三塁ランナーのカバーに走ったのである。中河の的確な判断が光った。

 黒鷲は4回、一死後寺内一隆が左翼ポール際にホームランを叩き込んで2-3と1点差に追い上げる。

 黒鷲は7回、富松に代わる代打杉田屋守が中前打を放って無死一塁、名古屋ベンチはここで河村から三番手の西沢道夫にスイッチ、玉腰忠義が送って一死二塁、しかし小島利男は三ゴロ、サム高橋吉雄の三ゴロもサード芳賀がファインプレーを見せてスリーアウトチェンジ、同点はならず。

 黒鷲は8回、一死後寺内が左前打、山田が四球を選んで一死一二塁、清家に代わる代打菅利雄は三邪飛に倒れるが、中河が中前に同点タイムリーを放って遂に3-3と追い付く。
 名古屋は10回から四番手として好調・村松幸雄を投入、4回途中から投げ続ける中河も奮闘して試合は16回に進む。


 名古屋は16回表、二死後桝がセンター右にヒット、大沢の右前打で二死一二塁、吉田は四球で二死満塁、名古屋ベンチはここで7打数無安打の服部に代えて代打に三浦敏一を起用、三浦は期待に応えて左前に決勝タイムリーを放ち4-3として名古屋が激戦を制す。若き主砲に成長した服部にポジションを奪われて出番の少ない三浦がベテランの意地を見せた。


 村松幸雄は7イニングを4安打無四球1三振無失点に抑えて4勝目をあげる。中河美芳は13回を投げ抜き12安打2四球3三振、最後は力尽きた。


 翌日の読売新聞によると16回二死一二塁からの吉田猪佐喜の四球は敬遠であったとのこと。次が7打数無安打と当たっていない服部受弘という事での敬遠策であったが三浦敏一が代打に出てくるとまでは読めなかったようです。







 

平凡な大投手、竹内愛一



 大正時代、早稲田大学で「平凡な大投手」と言われた竹内愛一のプロデビューをお伝えしました。2回3分の2を投げて75球、3安打6四球1死球2三振1暴投5失点、しかし自責点は1であったように、2つのエラーに足を引っ張られたものです。


 翌日の読売新聞は「かくて投手難の朝日は竹内監督自ら投手板に起ち老獪なピッチングで3、4回を食い止めたものの何としても年齢が承知せず・・・。結局竹内の投手は失敗であるがドロップの使い方の巧さ、走者牽制の妙味など若い投手の学ぶべき滋味は大いにOすべきものがあった。」と伝えている。「Oす」の部分は解読不能ですが文脈から「見習うべき」の意味でしょう。


 Wikipediaの記述だけでは竹内愛一を伝えるには余りにもお粗末なので、当ブログが真実をお伝えしましょう。


 竹内の球歴のピークは復活早慶戦で完封勝利を飾ったことで、この点はWikipediaの記述通りです。しかしその投球内容はほとんど知られていません。当時の現データとしては最も信頼できる改造社発行、庄野義信編著「六大学野球全集」(上巻)によると、大正14年(1925年)10月19日(月)、快晴の戸塚球場で19年ぶりに行われた早慶1回戦は早稲田が慶應を11対0で降します。この試合に先発して完封勝利を飾ったのが竹内愛一ですが、そのピッチング内容が凄い。


 投球数108球で、ストライクは71球(直球46、曲球25)、ボールは37球(直球28、曲球9)。28人の打者に対して1安打無四球9三振無失点。何と8回までパーフェクトピッチングで、9回先頭の七番・三谷八郎にアウドロをショート越えの左前打されて完全試合を逃しますが、本郷基幸に代わる代打野村榮一を二飛、濱井武雄を三振、トップに返り加藤喜作をカウントツーツーから見逃し三振に打ち取り1安打完封となりました。


 東京朝日新聞の竹内の談話は「・・・第一回戦に自分が抱いた野心は途中でノーヒット・ノーランという事を聞かされてこれを実現したいと云う事であった。最後になって三谷君にヒットを打たれたのは打たれまい打たれまいと、あまりに固くなったためであった。・・・今後慶應と戦うには今度のように決して楽観は出来ない。恐ろしいチームだと思っている。」


 橋戸頑鉄の論評は「竹内は別人の如き猛威を示した。慶應の打者が外角に弱いを知ってか、徹頭徹尾その弱点に投げ込みカーブも従来の如き大きく流れるもの許りでなく、曲折の凄い急角度のものを交え、殊にプレイトの真中から外角へと流れ出る一種の釣球で再度成功した。」


 飛田穂洲著「熱球三十年」には「平凡な大投手、竹内愛一」の章があり、「フォーク・ボール」の項によると竹内はフォーク・ボールを習得していたとのことです。大正11年にハーバート・ハンターと共に来日したヤンキースの投手ブッシュが投げていたフォーク・ボールを竹内が真似たとのことで、同著にはフォーク・ボールは「ヤンキースの投手で鉄砲玉といわれたブッシュの発明になるといわれ」と書かれており、Wikipediaでも「フォークボールは1919年頃バレット・ジョー・ブッシュが開発し」とされています。「肩や腕のためによくないというので、これをわずかしか試合に使わなかった」とのことで、その「わずか」が晴舞台である復活早慶戦だったのでしょう。


 橋戸頑鉄が言う「曲折の凄い急角度のもの」とはフォーク・ボールであったのは間違いないと考えられます。フォークボールの元祖は杉下茂ではなく、竹内愛一であった可能性が高い。即刻、竹内愛一の野球殿堂入りを決定するべきでしょう(笑)。


 最後に、何故竹内愛一がこの試合に登板したかを推理してみましょう。もちろん朝日投手陣の弱さが主要因ですが、南海の監督が三谷八郎で助監督が加藤喜作であったことが南海戦で登板した最大の要因であったと推測します。上記のとおり、大正14年の復活早慶戦で対戦した三谷と加藤の前で、「ワシはまだまだやれるで」というところを見せつけたかったのではないでしょうか。「熱球三十年」に書かれている竹内の性格からして、この推理はかなりの確率で当たっていると考えられますがいかがでしょうか(笑)。







     *竹内愛一のプロ野球での唯一の登板を伝える貴重なスコアカード。












 

2014年1月25日土曜日

16年 南海vs朝日 6回戦


7月8日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 2 0 0 5 0 0 0 0 8 南海 18勝20敗 0.474 石田光彦 長谷川善三
0 0 0 0 0 0 3 0 0 3 朝日 12勝26敗 0.316 福士勇 竹内愛一 山本秀雄 野村高義

勝利投手 石田光彦 4勝5敗
敗戦投手 福士勇     8勝15敗
セーブ    長谷川善三 1

二塁打 (南)安井、岡村 (朝)伊勢川

勝利打点 岩本義行 2

ファインプレー賞 (南)鬼頭数雄 5


竹内愛一、プロで唯一の登板

 南海は初回、先頭の猪子利男がストレートの四球で出塁、安井鍵太郎の右中間二塁打で無死二三塁、岩本義行の中犠飛で1点を先制する。

 南海は2回、前田貞行、石田光彦が連続四球、トップに返り猪子が送って一死二三塁、安井が四球を選んで一死満塁、岩本の三ゴロで二走石田が三封される間に三走前田貞行が還って2-0、鬼頭数雄の左前打で二死満塁、ここでキャッチャー伊勢川真澄が二塁に送球するがこれが悪送球となる間に三走安井が還って3-0とする。

 朝日は3回から何と竹内愛一監督がプロ初のマウンドに上がる。竹内が早稲田大学で「平凡な大投手」と呼ばれたのは大正時代のことで、1903年生まれの竹内は38歳となります。

 3回と4回を竹内監督に抑えられてきた南海は5回、一死後国久松一が四球で出塁、岡村俊昭が左中間に二塁打を放って一死二三塁、ワイルドピッチで三走国久が還って4-0、前田貞行が四球を選んで一死一三塁、続く石田の打席でツーボール後のキャッチャーからの返球を捕球した竹内が素早く三塁に牽制、三走岡村は帰れず三本間に挟まれて「2-1-5-2」でタッチアウト、この間に一走前田貞行は三塁に進み石田が四球を選んで二死一三塁、トップに返り猪子の二ゴロをセカンド戸川信夫がエラーして5-0、安井の中前打で二死満塁、岩本の遊ゴロをショート前田諭治がエラーする間に二者還って7-0、鬼頭数雄の四球で再度二死満塁、村上一治のカウントがツーボールナッシングとなったところで竹内は力尽き山本秀雄と交代、山本もボールを2つ続けて押出し、8-0とする。竹内はこの試合がプロ野球では唯一のピッチングとなった。

 南海先発の石田は5回まで3人の走者を出すが全てキャッチャー国久が盗塁を刺して15人で終了、6回からプロ入り初登板の長谷川善三にマウンドを譲る。

 朝日は7回、先頭の坪内道則が左前打で出塁、室脇正信は二飛に倒れるが鬼頭政一が左前打、灰山元章が四球を選んで一死満塁、伊勢川が左中間に走者一掃の二塁打を放って3点を返すがここまで。

 石田光彦は5イニングを2安打1四球2三振無失点に抑えて今季4勝目、長谷川善三がプロ入り初登板初セーブを記録する。

 木村勉が負傷欠場と推測される中、急遽マスクを被ることとなった国久松一が3つの盗塁を刺して当代随一の強肩を証明した。朝日のキャッチャー伊勢川真澄も2つの盗塁を刺しており、この試合では合計5個の盗塁失敗が記録されて成功はゼロであった。







     *竹内愛一がラインナップに名を連ねた朝日打線。











 

2014年1月24日金曜日

16年 阪神vs阪急 6回戦


7月6日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 5 0 6 阪神 19勝18敗 0.514 若林忠志
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 阪急 21勝16敗 0.568 浅野勝三郎

勝利投手 若林忠志     7勝6敗
敗戦投手 浅野勝三郎 1勝5敗

二塁打 (神)土井垣 2
 
勝利打点 森国五郎 2


土井垣武、満塁走者一掃二塁打

 午後2時40分に李王妃殿下をお迎えして3時11分、二出川延明主審の右手が上がり試合はじめ。


 阪急は初回、一死後フランク山田伝が右前打で出塁、上田藤夫の右前打で一死一三塁、黒田健吾の三ゴロをファースト・カイザー田中義雄が落球する間に三走山田が還って1点を先制する。

 3回まで阪急先発の浅野勝三郎に三人ずつで片付けられてきた阪神は4回、先頭の宮崎剛が四球で出塁、森国五郎が送って一死二塁、田中は中飛に倒れるが、土井垣武が右翼線に二塁打を放って1-1の同点とする。

 阪神は8回、先頭の野口昇が四球で出塁、若林忠志が右前打、皆川定之の三前バントが内野安打となって無死満塁、トップに返り宮崎は浅い右飛に倒れるが、森のスクイズが内野安打となって2-1、田中の左前打で3-1、なお一死満塁から土井垣が右中間に走者一掃の二塁打を放って6-1として試合を決める。

 若林忠志は7回~9回を三者凡退に抑えて4安打1四球2三振1失点、自責点ゼロの完投で7勝目をあげる。


 勝利打点を記録した森国五郎のスクイズを翌日の読売新聞は「森のスクイズ・バントは一塁線に飛球を呈したが逆を衝かれた浅野が傾倒し・・・」と伝えている。森国五郎は昭和15年の満州シリーズで勝利打点王に輝いたようにいいところで打点を稼ぐ。但し、この試合の真の殊勲打は試合を決める走者一掃の二塁打を放った土井垣武でしょう。









 

2014年1月23日木曜日

田中君じゃないか



 いまどき“田中君”ネタと言えばヤンキースの田中将大と相場は決まっていますが、当ブログが“田中将大”ネタを書いてもあまり反響はありませんので「南こうせつとかぐや姫」の初期の傑作「田中君じゃないか」を語り合いましょう(笑)。


 旧メンバーの「南高節とかぐや姫」時代の代表曲は「酔いどれかぐや姫」ですが、山田パンダと伊勢正三が加わった新生「南こうせつとかぐや姫」のファンになったのは中学時代のことで、最初のシングルは「青春」、二作目が名曲「田中君じゃないか」でした。「南高節」が「南こうせつ」に変わったのは、売れない歌手になって親戚の前で唄っても「なんこうぶし」と呼ばれたからです。


 当時、日替わりでパーソナリティが変わるラジオ番組がありリクエスト曲をランキングして紹介するのですが、何故か南こうせつがパーソナリティを務める日だけ「田中君じゃないか」が三位か四位になるのです。この名曲は今ではユーチューブにもカバー以外はアップされていません。その理由は当ブログ以外では知る人も少ないでしょう。


 「田中君じゃないか」がヒットしてしばらくしてから、某ラジオ番組で南こうせつが例のハイテンポな調子で「『田中君じゃないか』は盗作でした。『峠の我が家』をパクりました~」と暴露したのです。アメリカ民謡「峠の我が家」と「田中君じゃないか」を知る方は是非聞き比べてみてください。メロディが一緒なことが一発で分かります。まぁ、当時はこんなのどかな時代だったのです(笑)。ここからは当ブログの推測ですが、盗作「田中君じゃないか」はユーチューブにアップする訳にはいかないのでしょう。



 市川駅前のレコード屋さんに予約していた新生・かぐや姫のサードアルバム「かぐや姫さあど」は発売初日に購入して当日に聞きました。「かぐや姫さあど」(もちろんLPです)のB面一曲目が「神田川」でした。その後深夜ラジオでこの名曲が評価され、シングルカットされて空前の大ヒットとなったのです。したがって、筆者は業界関係者以外ではこの世で最も早く「神田川」を聞いた一人でもあります。「神田川」のヒットにより「我々の役目は終了した」と宣言して、かぐや姫ファンを辞めました。ちょうど中学3年の時で、そろそろ受験勉強に本腰を入れなくてはならないタイミングだったのです。


 「神田川」のヒットはさまざまなものをもたらしました。「南こうせつとかぐや姫」が世に出たことにより、「神田川」以前の名曲「ひとりきり」、「加茂の流れに」、「じんじろ橋」、「あの人の手紙」(以上ファーストアルバム「はじめまして」に収録)や、「今はちがう季節」、「おもかげ色の空」(以上セカンドアルバム「かぐや姫おんすてーじ」に収録)や、「けれど生きている」、「僕の胸でおやすみ」(以上サードアルバム「かぐや姫さあど」に収録)などの隠れた名曲が知られることとなりました。これらの名曲は「神田川」のヒットがなければ世に出ることはなく、筆者のような当時を知る数少ないかぐや姫ファンの間でのみ語り継がれていたことでしょう。


 一方で、「神田川」以降、「赤ちょうちん」、「妹」とシングル曲は南こうせつの希望とは逆に商業的に成功する可能性の高い曲が選曲されて、かぐや姫の解散を早めることとなったのです。「赤ちょうちん」と「妹」は秋吉久美子の主演で映画化されました。秋吉久美子のヌードシーンも鮮烈でしたね。因みに「神田川」も映画化されましたがこちらは関根恵子です。



 名曲「田中君じゃないか」は三畳一間に住むフォークシンガーが同級生のエリートサラリーマン「田中君」を歌ったものですが、日本球界のエリート「田中将大」はヤンキースで成功するのでしょうか?本日のところは「日本で投げ過ぎた」、「ニューヨークっ子のプレッシャーに潰される」との声が多いようですが、まぁ15勝はいけるのではないでしょうか。



 アメリカ野球学会の会員からは「So Glad to see Tanaka in major leagues, but it's too bad it's with the circus that is the Yankees. There's just too much pressure and distraction in New York for most players to be successful. He'd be much better off playing for a smaller market team, much like Davish with the Rangers.」のメッセージが届いています。ダルビッシュのスペルが間違っているのは原文のママとさせていただいていますが、矢張りアメリカでも懐疑論が出ているようです。当ブログは田中のピッチングよりも精神力を評価していますので、“大和魂”で頑張ってくれるのではないかと期待しています。日本シリーズで投げ過ぎたことを心配している方が多いようですが、あの程度でつぶれるようなタマではないですよ(笑)。






 

16年 巨人vs大洋 6回戦


7月6日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 巨人 28勝9敗 0.757 中尾輝三 須田博
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 大洋 23勝14敗 0.622 古谷倉之助 三富恒雄

勝利投手 中尾輝三     9勝3敗
敗戦投手 古谷倉之助 2勝3敗
セーブ  須田博      1

二塁打 (巨)千葉 (大)佐藤、森田
三塁打 (巨)中島、平山

勝利打点 中尾輝三 1


人間機関車

 首位を独走する巨人を4ゲーム差で追う大洋との首位攻防戦は両チームともエースを温存して巨人は中尾輝三、大洋は古谷倉之助が先発する。

 大洋は2回、先頭の黒澤俊夫が四球で出塁、石井豊のバントは内野安打、森田実のバントは野選を誘って無死満塁、しかし古谷倉之助の投ゴロで三走黒澤は本封、佐藤武夫の投ゴロは「1-2-3」と転送されてダブルプレーに終わる。

 巨人は3回、二死後千葉茂が中越え二塁打、川上哲治と中島の連続四球で二死満塁とするが、吉原正喜は三邪飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は4回、一死後呉波が四球で出塁、続く中尾の左前打で一走呉が快足を飛ばしてホームまで還り1点を先制する。翌日の読売新聞によるとエンドランが掛かっていたとのこと。

 巨人は5回、先頭の千葉が四球で出塁、川上が左前打、中島が送って一死二三塁、吉原が四球を選んで一死満塁、平山の中犠飛で2-0とする。

 大洋は7回、先頭の森田が左中間に二塁打、古谷が左前にタイムリーを放って1点を返して1-2とする。

 巨人は8回、先頭の呉が中前打から二盗に成功、中尾の三前内野安打で無死一三塁、大洋ベンチはここで先発の古谷から三富恒雄にスイッチ、白石敏男のスクイズは捕邪飛となって失敗、水原茂の中飛で三走呉がタッチアップからホームを突くがセンター森田がバックホーム、呉は三塁に戻るがキャチャー佐藤からサード中村信一に送られてタッチアウト、「8-2-5」のダブルプレーが記録される。

 大洋は8回、先頭の苅田久徳が四球で出塁、巨人ベンチはここで先発の中尾をあきらめて須田博を投入、濃人渉が三前に送りバントを決めて一死二塁とするが、黒澤は三ゴロ、石井も三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 中尾輝三は7回3分の0を5安打3四球3三振で1失点に抑え9勝目、須田博は9回を三者凡退に退けて当ブログルールにより今季初セーブをあげる。


 勝利打点は中尾に記録されたが、これをアシストしたのはシングルヒットで一塁からホームに還った呉波の快足であった。8回には走塁ミスもあったが、“人間機関車”の本領を発揮した。






   *巨人4回の攻撃、四球で出塁した呉波が中尾輝三のシングルヒットで一塁から一気にホームに生還した場面。














               *中尾輝三は9勝目、須田博は今季初セーブをマークする。










 

2014年1月21日火曜日

16年 朝日vs黒鷲 5回戦


7月6日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 2 0 0 0 0 0 3 6 朝日 12勝25敗 0.324 山本秀雄 福士勇
0 2 0 0 1 0 0 0 0 3 黒鷲 11勝26敗 0.297 中河美芳 石原繁三 畑福俊英

勝利投手 福士勇     8勝14敗
敗戦投手 畑福俊英 1勝5敗

三塁打 (朝)灰山
本塁打 (黒)高橋 1号

勝利打点 伊勢川真澄 1


灰山元章、試合を決める三塁打

 現在11勝25敗で同率最下位に並ぶ両チームの激突。

 朝日は2回、先頭の灰山元章が四球で出塁、室脇正信が中前打を放って無死一二塁、村上重夫も左前打で続き、レフト富松信彦からの三塁返球が悪送球となる間に灰山が還って1点を先制、黒鷲ベンチはここでピッチャーの中河美芳をファーストに回し石原繁三をリリーフに送る。岩田次男の当りはピッチャーを強襲するが石原が白球を拾い上げて三塁に送球、三走室脇が三本間に挟まれてタッチアウト、挟殺プレーの間に二者進塁して一死二三塁、前田諭治の三ゴロに三走村上が飛び出して三本間でタッチアウト、山本秀雄は一ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 黒鷲は2回裏、一死後中河の中飛を名手・坪内道則が落球、サム高橋吉雄がレフトスタンドに逆転ツーランを叩き込んで2-1とする。

 朝日は3回、先頭の坪内がストレートの四球で出塁、五味芳夫の二ゴロでランナーが入れ替わり、伊勢川真澄と灰山がストレートの四球を選んで一死満塁、室脇正信が中前にタイムリーを放って2-2の同点、黒鷲ベンチは中河をファーストからマウンドに呼び戻す。村上が右前にタイムリーを放って3-2と逆転、二走灰山も三塁ベースを蹴ってホームを突くがライト玉腰忠義からの好返球にタッチアウト、二死一三塁から重盗を敢行するが「2-6-2」と転送されて三走室脇はタッチアウト。

 黒鷲は4回から中河を再度ファーストに回して三番手として畑福俊英をマウンドに送り込む。

 黒鷲は5回、先頭の石原が四球で出塁、山田潔が送って一死二塁、寺内一隆に代わる代打杉田屋守は右飛に倒れるが玉腰の三ゴロをサード岩田次男が失して二死一三塁、富松が中前に同点タイムリーを放って3-3と追い付く。

 朝日は7回から先発の石原に代えて福士勇を二番手のマウンドに送る。

 朝日は9回、先頭の前田がレフト線にヒットを放ち出塁、福士は三振に倒れるが、トップに返り坪内が左前打を放って一死一二塁、戸川信夫が四球を選んで一死満塁、伊勢川真澄の左犠飛で4-3と勝ち越し、灰山が右中間に三塁打を放ち6-3として試合を決める。

 福士勇は3イニングをパーフェクトリリーフ、8勝目をあげる。


 この試合の勝利打点は決勝左犠飛の伊勢川真澄に記録されたが真の殊勲打は試合を決めた灰山元章の三塁打であった。但し、伊勢川は5月18日の名古屋3回戦と6月24日の巨人6回戦で“勝利打点が記録されない真の殊勲打”を放っている。“勝利打点”が真の殊勲打を表すとは限りませんので、当ブログでは勝利打点と共に記録に現れない“真の殊勲打”も記録しています。








     *灰山元章が真の殊勲打を放った朝日打線。










 

ア・リーグ流とナ・リーグ流



 昭和16年南海vs名古屋5回戦を伝える翌日の読売新聞に興味深い記述が見られますのでご紹介させていただきます。


 南海2回の攻撃で一死満塁の場面、まだ0対0なので現代であれば中間守備でサードとファーストはバックホーム体制、セカンドとショートは二塁でのダブルプレー狙いか、普通の守備位置で「1点は仕方ない」もありでしょう。


 昭和16年7月7日付読売新聞に掲載されている鈴木惣太郎の論評は「この時名軍としてはアメリカン・リーグ流に内野の後退に併殺を狙う一手があったのにナショナル・リーグ流の本塁封殺を狙って内野陣を前進させると前田に三遊間を抜かれ・・・」と伝えています。


 大リーグ通の鈴木惣太郎が両リーグの野球スタイルに精通していたことは歴史的事実です。1935(昭和10)年から1941(昭和16年)までの両リーグのMVPはア・リーグがハンク・グリーンバーグ、ルー・ゲーリッグ、チャーリー・ゲーリンジャー、ジミー・フォックス、ジョー・ディマジオ、ハンク・グリーンバーグ、、ジョー・ディマジオに対して、ナ・リーグはギャビー・ハートネット、カール・ハッベル、ジョー・メドウィック、アーニー・ロンバルディ、バッキー・ウォルターズ、フランク・マコーミック、ドルフ・カミリとなっています。



 ア・リーグはチャーリー・ゲーリンジャーを除いてホームラン・バッターが名を連ねているのに対して、ナ・リーグはピッチャーとキャッチャーが二人ずつでホームランバッターはドルフ・カミリだけです。これはベーブ・ルース出現以降、ア・リーグはホームラン時代であったのに対してナ・リーグは伝統的なスモール・ベースボールを引き継いでいたことを表していると言えるでしょう。


 このような状況下における両リーグの守備体型について、鈴木惣太郎は精通していたということです。



*1941年に34本塁打、120打点の二冠を獲得してナショナル・リーグMVPに輝いたドルフ・カミリの直筆サインカード。





 

2014年1月20日月曜日

16年 南海vs名古屋 5回戦


7月6日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 3 0 0 0 0 0 0 0 3 南海     17勝20敗 0.459 川崎徳次 神田武夫
0 2 0 0 0 0 0 0 0 2 名古屋 17勝20敗 0.459 村松幸雄

勝利投手 川崎徳次 4勝7敗
敗戦投手 村松幸雄 3勝3敗
セーブ     神田武夫 2

二塁打 (南)川崎

本塁打 (名)服部 4号

勝利打点 前田貞行 3

ファインプレー賞 (名)芳賀直一 9 (南)安井鍵太郎 2


川崎-神田の継投で逃げ切る

 南海は2回、先頭の鬼頭数雄がレフト線にヒット、村上一治の右前打で無死一二塁、木村勉の遊ゴロをショート木村進一はゲッツーを狙わず三塁に送球して二走鬼頭は三封、岡村俊昭が中前打を放って一死満塁、前田貞行が左前にタイムリーを放って二者還り2点を先制、ここで二走岡村がディレードスチールを敢行するがキャッチャー服部受弘から「2-4-5」と送られて盗塁失敗、一走前田は二塁に進んで二死二塁、川崎徳次が左中間に二塁打を放って3-0とする。

 名古屋は2回裏、先頭の吉田猪佐喜が左前打で出塁、服部受弘がレフトスタンドにツーランホームランを叩き込んで2-3とする。

 試合が動いたのはここまでであった。3回以降、南海打線は村松の前に1安打に抑えられた。名古屋は6回、二死満塁と詰め寄るが期待の服部は遊飛に倒れる。

 1点をリードする南海は8回から先発の川崎に代えて神田武夫をマウンドに送る。8回、神田は一死後桝嘉一に四球を与えるが大沢清を二ゴロ併殺に抑える。9回は先頭の吉田に右翼線ヒットを許すが吉田のの二盗をキャッチャー国久松一が刺して名古屋の反撃を抑える。

 名古屋3回の攻撃で、二死無走者、本田親喜への2球目がファウルとなった場面で南海のキャッチャーは木村勉からファーストの村上一治に交代して国久松一がファーストに入り、更に4回から国久がキャッチャーに回って村上がファーストに戻った。木村はこの後しばらくキャッチャーとしての出場がないことから本田への2球目の場面で負傷したものと考えられる。










 

2014年1月18日土曜日

16年 巨人v阪神 6回戦


7月5日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 2 0 3 巨人 27勝9敗 0.750 澤村栄治
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 阪神 18勝18敗 0.500 三輪八郎 藤村隆男

勝利投手 澤村栄治 4勝2敗
敗戦投手 三輪八郎 2勝5敗

二塁打 (巨)川上、吉原

勝利打点 吉原正喜 2


澤村完全復活!!

 巨人は初回、二死後千葉茂が左前打から二盗に成功、川上哲治が四球を選んで二死一二塁、しかし中島治康は捕邪飛に倒れる。

 巨人は4回、先頭の川上が左中間に二塁打、しかし中島の右邪飛でタッチアップからスタートを切った川上がライト松下繁二からの返球に刺されてダブルプレー。

 巨人は6回、水原茂、千葉が連続四球、阪神ベンチはここで先発の三輪八郎から藤村隆男にスイッチ、川上の二ゴロで一走千葉は二封、中島が二直に倒れて二死一三塁、吉原正喜が左翼線にタイムリー二塁打を放って1点を先制する。

 巨人は8回、先頭の川上が三塁に内野安打、中島の右前打で無死一二塁、吉原は三振に倒れるが平山菊二の右前打で一死満塁、呉波が左前にタイムリーを放って2-0、澤村栄治の遊ゴロの間に三走中島が還って3-0とリードを広げる。

 巨人先発の澤村は4回までパーフェクトピッチング。5回一死後土井垣武に左前打を許すが後続を抑え、7回まで1安打1四球無失点のピッチングを続ける。

 阪神は8回裏、先頭の松下が左前打で出塁、皆川定之が四球を選んで無死一二塁、藤村隆男は三振に倒れ、野口昇に代わる代打カイザー田中義雄の一ゴロで皆川が二封されて二死一三塁、トップに返り宮崎剛が左前にタイムリーを放って1点を返す。

 阪神は9回裏、一死後松尾五郎が三失に生き、土井垣は右飛に倒れるが松下が二打席連続の左前打を放って二死一二塁と最後まで粘るが、皆川が二飛に打ち取られて万事休す。


 巨人・藤本定義監督は澤村完全復活と見て今季初めて阪神戦に先発させた。澤村は期待に応え、阪神打線を4安打2四球3三振1失点に抑えて完投で4勝目をあげる。翌日の読売新聞も「巨人が思い切って起用した澤村は復活の跡も著しく・・・」と伝えている。




            *阪神打線を4安打に抑えた澤村の力投を伝えるスコアカード。










 

英霊たちの応援歌



 神山圭介著「英霊たちの応援歌」が刊行されたのは昭和53年のことで筆者が大学2年の時です。


 「最後の早慶戦」をベースに特攻で死んでいった近藤清、加藤三郎や石丸進一を描く同著では主役が誰とは特定はできませんが、「最後の早慶戦」の実現に奔走した早稲田大学野球部マネージャー相田暢一も主役の一人として描かれています。戸塚球場にやってきた小泉信三慶應義塾大学塾長を相田が貴賓席に案内するのを振り切って小泉が学生席に向かうシーンも描かれています。


 この物語では文部省に気兼ねして最後まで開催に踏み切らなかった早稲田サイドを悪く描くケースが見られますが、同著では早稲田大学野球部長である外岡法学部教授だけに責任を負わせないために中村法学部長がスタンドに姿を現したシーンを飛田穂洲の言葉として「外岡君が法学部の教授だからなにかのときに外岡君をかばうためにみえられたのでしょう。早稲田にもそういう侍がおられて嬉しいね」と描いています。


 相田暢一も鹿屋基地に赴任しますが、偵察要員であったため生き残りました。終戦直後の昭和20年11月に行われたオール早慶戦の開催にも奔走した相田の胸の中には特攻で死んでいった近藤清や加藤三郎が一緒にいたのでしょう。



 野茂、佐々木、秋山の殿堂入りが大きく報道される中で、相田暢一の殿堂入りは小さく扱われています。当ブログは、並列に扱うべきであると考えます。













 

2014年1月17日金曜日

16年 阪急vs大洋 6回戦


7月5日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 阪急 21勝15敗 0.583 森弘太郎
0 0 0 0 0 0 2 0 X 2 大洋 23勝13敗 0.639 浅岡三郎 野口二郎

勝利投手 浅岡三郎   6勝1敗
敗戦投手 森弘太郎 13勝4敗
セーブ  野口二郎   1

勝利打点 苅田久徳 1


阪急の連勝ストップ

 阪急は3回、一死後伊東甚吉が四球から二盗に成功、森弘太郎は三振に倒れるが、トップに返り西村正夫が三前にセーフティバントを決め、二走伊東が一気にホームを陥れて1点を先制する。伊東の好走塁が光るが西村にも打点が記録されており、タイムリーセーフティバントとなった。

 試合巧者の大洋は珍しく拙攻続きであった。すなわち、初回は二死後濃人渉が四球から二盗を決めるが黒澤俊夫は二ゴロに倒れる。2回は森田実の内野安打から石井豊の送りバントは失敗、更に石井が盗塁失敗。3回は一死後織辺由三が三前にセーフティバントを決め、トップに返り中村信一が右前打を放って一死一二塁とするが苅田久徳の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。4回は濃人が左前打、黒澤の右前打で無死一三塁、しかし森田のスクイズは投飛となって失敗、更にダブルスチールを仕掛けるが「2-4-2」と渡って三走濃人が刺されて失敗。5回も織部の左前打と中村の四球で一死一二塁とするが後続なく無得点に終わる。

 6回は三者凡退に終わった大洋は7回、先頭の浅岡三郎が三前にセーフティバントを決めて出塁、佐藤武夫が送って一死二塁、織部の三ゴロで二走浅岡のハーフウェイを見たサード黒田健吾が二塁に送球するが浅岡が戻ってセーフ、野選が記録されて一死一二塁、トップに返り中村が中前に同点タイムリーを放って1-1、苅田が右前に逆転の決勝タイムリーを放って2-1と勝ち越す。

 阪急は8回、先頭の森が四球を選んで出塁、大洋苅田ベンチコーチはここで浅岡から野口二郎にスイッチ、西村が送りバントを決めるがフランク山田伝は右飛、上田藤夫は中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 阪急は9回、先頭の黒田の三ゴロをサード中村が一塁に悪送球する間に黒田が二塁に進む。しかし新富卯三郎は投ゴロに倒れ、山下好一も投ゴロに終わって二死二塁、キャッチャーから返球の際に二走黒田がディレードスチールを試みるが「2-1-5」と転送されてタッチアウト、あっけない幕切れとなった。


 浅岡三郎が7回3分の0を投げて3安打3四球1三振1失点で今季6勝目、野口二郎には当ブログルールによりセーブが記録された。


 阪急は夏季シリーズ開幕7連勝でストップ。





 

2014年1月16日木曜日

16年 名古屋vs朝日 6回戦


7月5日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 3 0 4 名古屋 17勝19敗 0.472 河村章 西沢道夫
0 0 0 1 0 0 0 0 1 2 朝日     11勝25敗 0.306 福士勇

勝利投手 河村章 9勝3敗
敗戦投手 福士勇 7勝14敗
セーブ  西沢道夫 1

二塁打 (朝)坪内、伊勢川
三塁打 (名)吉田

勝利打点 吉田猪佐喜 3

ファインプレー賞 (朝)鬼頭政一 1 (名)木村進一 2


河村章9勝、西沢道夫初セーブ

 名古屋は2回、先頭の本田親喜監督が四球で出塁、芳賀直一が送って一死二塁、石丸進一が中前に先制タイムリーを放って1点を先制する。

 朝日は4回、先頭の坪内道則が左翼線に二塁打、戸川信夫が送って一死三塁、灰山元章の遊ゴロで三走坪内がホームに突っ込みショート木村進一がバックホームするがセーフ、野選が記録されて1-1の同点に追いつく。

 名古屋は5回、先頭の石丸が右前打で出塁、河村章が送って一死二塁、トップに返り木村進一のバントにキャッチャー伊勢川がダッシュよく飛び出し「2-5」と二走石丸を三塁に刺して二死一塁、桝は二飛に倒れてこの回無得点。

 名古屋は8回、先頭の桝が四球を選んで出塁、大沢清の中前打で無死一二塁、ここで四番吉田猪佐喜が右中間に三塁打を放って3-1と勝ち越し、二死後芳賀が左翼線にタイムリーを放って4-1とする。

 朝日は9回裏、一死後灰山が四球で出塁すると代走に五味芳夫を起用、鬼頭政一が死球を受け、室脇正信の投ゴロは「1-3」と転送されて二死一二塁、伊勢川の中前打で一死満塁、名古屋ベンチは河村章から西沢道夫にスイッチ、西沢は岩田次男に押出し四球を与えて2-4とするが、最後は前田諭治を三ゴロに打ち取り試合終了。


 河村章は8回3分の2を4安打4四球1死球1三振に抑えて9勝目、西沢道夫には当ブログルールによりセーブが記録される。







 

2014年1月15日水曜日

大発見




 西鉄ライオンズ黄金期の優勝パレードなどを撮影した映像が発見されたと報じられています。


 西日本鉄道の倉庫で新たに見つかったのことで、未公開フィルムが近く公開されるようです。


 優勝パレードだけではなく、選手の打撃や投球フォームのスロー映像もあるとのことで、全盛期の稲尾の正確な投球フォームも甦るかもしれません。



 と言うことで、西鉄ライオンズ画像大特集といきましょう。



                 *まずはカバヤリーフ玉造陽二。




                    *カバヤリーフ和田博美。




                    *カバヤリーフ稲尾和久。









               *続いて当時のファンがもらったサイン帳から中西太。




                    *同じく稲尾和久。



 

                  
                    *同じく豊田泰光。







                    *同じく和田博美。








                    *同じく高倉照幸。







                    *同じく西村貞朗。








                  *同じく河野昭修(多分)。







 

16年 黒鷲vs南海 6回戦


7月5日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 黒鷲 11勝25敗 0.306 畑福俊英 石原繁三
1 0 0 0 0 0 0 0 X  1 南海 16勝20敗 0.444 神田武夫

勝利投手 神田武夫 10勝7敗
敗戦投手 畑福俊英   1勝4敗

二塁打 (黒)山田

勝利打点 木村勉 1

ファインプレー賞 (南)前田貞行 1、神田武夫 1、安井鍵太郎 1


神田武夫10勝目!

南海は初回、一死後安井鍵太郎が四球を選んで出塁、岩本義行は遊飛bに倒れるが安井が二盗に成功、鬼頭数雄が四球を選び、村上一治の左前打で二死満塁、木村勉が左前にタイムリーを放って1点を先制する。結局、これが両チーム唯一の得点となった。黒鷲はここで先発の畑福俊英を見切って石原繁三をリリーフに送る。

 石原は7回3分の1を2安打2四球3三振で無失点に抑えるが味方の援護は無かった。


 神田武夫は4安打1四球7三振で今季2度目の完封、10勝目をあげる。

 南海は前田貞行、神田武夫、安井鍵太郎が好守を記録、黒鷲も無失策であったが南海も無失策で守り勝った試合であった。







              *神田武夫は今期2度目の完封で10勝目を飾った。













   *神田武夫の前に2安打完封で敗れた黒鷲打線。黒鷲はこれで3試合連続完封負けを喫した。






 

2014年1月13日月曜日

16年 大洋vs南海 6回戦


7月3日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0   0   2   2 大洋 22勝13敗 0.629 三富恒雄 古谷倉之助 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0   0   0   0 南海 15勝20敗 0.429 川崎徳次 神田武夫

勝利投手 野口二郎 14勝5敗
敗戦投手 川崎徳次   3勝7敗

勝利打点 森田実 4

ファインプレー賞 (南)村上一治 1 (大)苅田久徳 4、黒澤俊夫 2


大洋粘り勝ち

 大洋が昨日の5回戦に続いてスモールベースボールで若い南海を降した。


 大洋は4回、一死後濃人渉が左前打で出塁するが、黒澤俊夫の一ゴロはファースト村上一治がベースを踏んでから二塁に送球、「3A-6B」のゲッツーとなった。5回一死後石井豊も左前打を放つが後続なく無得点、大洋はこれ以降無安打であった。

 南海は3回、二死後猪子利男が三前にセーフティバントを決めて出塁、安井鍵太郎も三塁線を破って二死一二塁、ここでこの日ベンチスタートのゲームコーチ(この年合併球団の大洋は総監督が旧金鯱の石本秀一、監督は旧翼の苅田久徳で試合の指揮は苅田が執っていた。)の苅田はサード高橋輝彦の動きが悪いとみてセカンドの中村信一をサードに回し、自らセカンドに入る。大洋先発の三富恒雄は一息ついて、岩本義行を投ゴロに打ち取りスリーアウトチェンジ。

 南海は5回、先頭の前田諭治が左前打で出塁、ここで苅田監督は三富から古谷倉之助にスイッチ、古谷は前打を牽制で刺し、川崎徳次を二飛、猪子を遊飛に打ち取る。

 南海は6回、安井、岩本が連続四球を選んで無死一二塁、苅田監督はここで古谷をあきらめて野口二郎を投入、野口が鬼頭数雄を二飛、村上を左飛、木村勉を捕邪飛に打ち取りスリーアウトチェンジ。

 南海は7回、先頭の岡村俊昭が二塁に痛打を放つがセカンド苅田がファインプレー。

 南海先発の川崎徳次は6回~13回まで大洋打線を8イニング連続無安打に抑える。


 大洋は14回表、先頭の中村がストレートの四球で出塁、苅田のバントは川崎がうまく処理して中村を二塁に刺し一死一塁、しかし濃人が四球、黒澤も四球を選んで一死満塁、南海ベンチはここで満を持して神田武夫を投入するが、森田実がストレートの押出し四球を選んで遂に1点を先制、石井もストレートの押出し四球を選んで2-0、佐藤武夫は遊飛、野口は二飛に倒れる。

 南海は14回裏、一死後鬼頭が中前打、村上が四球を選んで一死一二塁、木村の三ゴロで村上は二封、木村が二盗を決めて二死二三塁と一打同点のチャンスを迎え、岡村はツーツーから7球ファウルで粘るが最後は一ゴロに倒れて大洋が熱戦を制す。

 11回表に中村の一邪飛を捕球した南海ファーストの村上一治と、12回裏に岡村の右飛を捕球した大洋ライトの黒澤俊夫に「好捕」が記録されているが、翌日の読売新聞も「11回中村の邪飛球を村上が遠く背走して好捕すれば12回には岡村の右翼線よりの難飛球を黒澤が逆手シングルに掴む美技を以って応酬」と伝えている。

 南海は5回まで2安打、6回以降無安打に抑えてきた川崎徳次を14回まで引っ張ったが最後に力尽き、大洋は三富恒雄-古谷倉之助-野口二郎の継投で最後まで南海打線を寄せ付けなかったのである。








              *三番手の野口二郎が9イニングを投げて14勝目をあげる。








      *大洋打線は2安打ながら2得点を記録する。















 

16年 巨人vs黒鷲 6回戦


7月3日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
1 0 1 0 1 1 0 0 0  4 巨人 26勝9敗 0.743 澤村栄治
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 黒鷲 11勝24敗 0.314 畑福俊英

勝利投手 澤村栄治 3勝2敗
敗戦投手 畑福俊英 1勝3敗

二塁打 (巨)千葉

勝利打点 川上哲治 6

猛打賞 (巨)千葉茂 1

ファインプレー賞 (黒)中河美芳 7


澤村復活!!

 澤村栄治のドロップが甦った。


 翌日の読売新聞に掲載された鈴木惣太郎による論評は「澤村は内角球が伸び過ぎてボールになる欠点は未だ除かれていないがドロップに制球力を得たのでこれを多用して効果を挙げ復活軌道に乗り出したことを遺憾なく示した。」と伝えている。“内角球が伸び過ぎてボールになる”のは未だ肘が下がっていることを窺わせるが、ドロップが決まってきたということはタテ振りのフォームが戻ってきたことを示唆している。


 巨人は初回、呉波、水原茂が連続四球、千葉茂の三塁線バントが内野安打となって無死満塁、川上哲治の左犠飛で1点を先制する。続く中島治康は遊ゴロ併殺に倒れて追加点はならず。

 巨人は3回、先頭の呉の投ゴロをピッチャー畑福俊英が一塁に悪送球する間に呉は二塁に進み、水原茂の中前ポテンで二走呉は動けず無死一二塁、千葉の一塁への当りはファースト中河美芳がファインプレー、この間に二者進塁して一死一三塁、川上の遊ゴロの間に三走呉が生還して2-0とする。川上はノーヒットで2打点を記録する。因みに翌日の読売新聞には「水原の快打」と書かれているがスコアカードには「水原の中前飛球のヒット」と記録されており「二走呉の三進は千葉の一ゴロによる」と記されていることから上記のとおり実況させていただきました。

 巨人は5回、一死後白石が四球から二盗に成功、この際キャッチャー清家忠太郎の二塁送球が悪送球となって白石は三塁に進み、水原は一直に倒れるが、千葉が右前にタイムリーを放って3-0とする。

 巨人は6回、一死後吉原正喜が三塁線にセーフティバントを決めて出塁、白石の三前バントが犠打エラーとなって一死一二塁、更に重盗を決め林清一が四球を選んで一死満塁、澤村の中犠飛で4-0、着々と加点していく。


 澤村栄治は2安打4四球13三振で今季3回目の完封、3勝目をあげる。8回を除く毎回三振、特に中盤の5回~7回に7三振を奪っている。


 澤村のピッチングをもう少し分析すると、三振13個以外では補殺は4個のみでうち送りバントと投ゴロで澤村が2補殺を記録しており、他は初回中河の二ゴロと、2回清家の三ゴロだけ、3回以降は三振とポップフライの繰り返しであった。三直が1個あるだけで、二飛が1個、三飛が1個、遊飛が1個、左飛が2個、中飛が2個、右飛が1個、右邪飛が1個で、これが全27アウトの内容である。すなわち、全盛期に見られたように、ストレートが伸び、ドロップが落ちていたのである。本日のタイトルを「澤村復活!!」としたのは、単に2安打13三振の完封を評価しただけではなく、投球内容を分析した結果である。







            *澤村栄治は2安打13三振で今季3回目の完封、3勝目をあげる。












   *澤村に2安打に抑え込まれた黒鷲打線。4回以降は三振とポップフライの繰り返しであった。











 

2014年1月12日日曜日

16年 阪急vs阪神 5回戦


7月2日 (水) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 2 0 1 3 阪急 21勝14敗 0.600 森弘太郎
0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 阪神 18勝17敗 0.514 若林忠志

勝利投手 森弘太郎 13勝3敗
敗戦投手 若林忠志   6勝6敗

勝利打点 森弘太郎 1


阪急、開幕七連勝

 阪神は3回、一死後宮崎剛が中前打から二盗に成功、森国五郎の中前打で一死一三塁、カイザー田中義雄の三ゴロをサード黒田健吾がエラー、三走宮崎は動けず一死満塁、松木謙治郎の二ゴロで宮崎が本封されて二死満塁、松尾五郎が左前に2点タイムリーを放って2-0とする。

 6回まで阪神先発の若林忠志の前に2安打に抑えられてきた阪急は7回、先頭の黒田が右前打で出塁、山下好一は右飛に倒れるが日比野武が四球を選んで一死一二塁、伊東甚吉の左前タイムリーで1-2、石井武夫に代わる代打井野川利春が三前にセーフティバントを決めて一死満塁、森弘太郎がスクイズを敢行するが阪神バッテリーに読まれてウエスト、三走日比野がタッチアウトとなって二死一三塁、しかしここで鮮やかにダブルスチールをきめて2-2の同点に追い付く。

 同点で迎えた9回表阪急の攻撃、先頭の黒田が四球を選んで出塁、新富卯三郎が中前打を放って無死一二塁、日比野の送りバントはピッチャー若林が三塁に送球し二走黒田は三封されて一死一二塁、ここで果敢に重盗を敢行、キャッチャー田中からの三塁送球にタイミングはアウトであったがこの回からセカンドからサードに回っていた宮崎が落球して一死二三塁、伊東のスクイズは捕邪飛となって二死二三塁、井野川が四球を選んで二死満塁、森が押出し四球を選んで土壇場で3-2と勝ち越す。


 森が阪神最終回の攻撃を三者凡退に抑えて阪急は夏季シリーズ開幕七連勝を飾った。

 森弘太郎は6安打無四球1三振の完投で13勝目をあげる。決勝の押出し四球を選んで勝利打点も記録しており、本日の甲子園球場は第一試合に続いてピッチャーが勝利打点を記録した。