2012年11月30日金曜日

15年 金鯱vsライオン 5回戦


7月2日 (火) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 金鯱      13勝31敗4分 0.295 古谷倉之助 中山正嘉
0 0 0 0 0 2 0 1 X 3 ライオン 14勝32敗1分 0.304 福士勇 近藤久

勝利投手 福士勇     6勝11敗
敗戦投手 中山正嘉 6勝16敗

勝利打点 広田修三 2


記録に表れないエラー

 翌日の読売新聞によるとこの試合は記録に表れないエラーにより決したとのこと。真相は実況中継をご覧ください。

 5回まで金鯱先発の古谷倉之助はライオン打線を3安打無失点に抑え、ライオン先発の福士勇は金鯱打線をこちらも3安打無失点に抑えてがっぷり四つで前半を終了した。

 金鯱は6回、一死後古谷の遊ゴロをショート加地健三郎がエラー、長島進が中前打を放って一死一二塁、室脇正信の右前タイムリーで1点を先制する。

 1点リードした金鯱は6回から古谷をファーストに回して中山正嘉をマウンドに送って逃げ込みを図るがこれが裏目に出た。

 ライオンは6回裏、先頭の玉腰年男が四球で出塁、鬼頭数雄は右飛に倒れるが戸川信夫も四球を選んで一死一二塁、井筒研一は三振に倒れるが伊勢川眞澄のピッチャー強襲ヒットで二死満塁、ここで前田諭治に代わる代打広田修三が右前に逆転の2点決勝タイムリーを放って2-1とする。広田がタイムリーを放つ前に捕邪飛を打ち上げたがキャッチャー長島が目測を誤ってファウルとしてしまった。捕邪飛落球はエラーが記録されるが、ミットに触れなかったのでエラーは記録されなかったようだ。これが記録に表れないエラーの一つ目である。

 ライオンは8回から先発の福士に代えて近藤久をマウンドに送る。

 ライオンは8回、先頭の井筒がツースリーから四球を選んで出塁、井筒が二盗を決めて無死二塁、二死後近藤久が右前にタイムリーを放って3-1とする。井筒が四球で出塁する前にファウルチップをキャッチャー長島が捕り損なってファウルとなり、結局井筒を歩かせて3点目を与えることとなった。これが二つ目の記録に表れないエラーであった。


 福士勇は7回を投げて5安打5四球1三振1失点、自責点ゼロで6勝目をあげる。リリーフの近藤久は2イニングを無安打2四球3三振無失点で当ブログルールによりセーブが記録された。








 

2012年11月29日木曜日

15年 タイガースvsセネタース 6回戦


7月1日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 2 0 0 0 0 2 タイガース  25勝19敗2分 0.568 若林忠志 木下勇
1 0 1 1 0 0 0 0 X 3 セネタース 27勝15敗4分 0.643 野口二郎

勝利投手 野口二郎 18勝5敗
敗戦投手 若林忠志   9勝10敗

勝利打点 柳鶴震 1


野口二郎無四球完投

 セネタースは初回、先頭の苅田久徳が左前打で出塁、横沢七郎は二飛に倒れるが野口二郎が左前打、ピッチャー若林忠志の二塁牽制が悪送球となる間に二者進塁して一死二三塁、小林茂太は四球で一死満塁、山崎文一は遊直に倒れるが、柳鶴震が押出し四球を選んで1点を先制する。翌日の読売新聞は「制球力と老巧を誇る若林が壁頭から苅田、野口に打たれ自ら牽制球をしくじったうえ・・・」と伝えている。

 セネタースは3回、先頭の横沢が右前打で出塁、野口の一ゴロの間に横沢は二進、野口の記録は一ゴロなのでこれは送りバントではない。小林は三振に倒れて二死二塁、山崎が中前にタイムリーを放って2-0とする。

 セネタースは4回、先頭の石井豊が四球を選んで出塁、佐藤武夫が中前打を放って無死一二塁、織辺由三の一ゴロで佐藤が二封されて一死一三塁、トップに返り苅田の遊ゴロの間に三石井が還って3-0とする。

 タイガースは5回、先頭のンジミー堀尾文人が左前打、中田金一も左前打を放って無死一二塁、若林の投ゴロをピッチャー野口が三塁に悪送球する間に二走堀尾が還って1-2、何度も書きますが当時は一二塁での投ゴロは三塁に送球していました。一走中田は三塁に進み、打者走者の若林の二塁に進んで無死二三塁、パスボールで中田が還って2-3、なお無死三塁が続くが、宮崎剛は三振、トップに返り松木謙治郎は遊飛、皆川定之は三振に倒れる。タイガースはここで追い付けなかったことが敗因となった。

 野口二郎は5安打無四球5三振、失点は2であったが自責点は0であった。



 7月1日は甲子園球場で3試合が行われたが長打は1本も記録されなかった。元来甲子園球場は外野が広くてホームランは出ないが二塁打、三塁打は出やすいのであるが。









               *野口二郎は無四球完投で18勝目をあげる。













 

2012年11月27日火曜日

15年 名古屋vsイーグルス 6回戦


7月1日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 1 0 0 0 2 5 名古屋       26勝16敗4分 0.619 西沢道夫 村松幸雄
1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 イーグルス 24勝21敗2分 0.533 亀田忠

勝利投手 村松幸雄 11勝5敗
敗戦投手 亀田忠     13勝11敗

勝利打点 吉田猪佐喜 6


吉田猪佐喜4打数2安打2打点

 名古屋は初回、一死後村瀬一三が四球で出塁、桝嘉一が中前打を放ち、大沢清が四球を選んで一死満塁、吉田猪佐喜が右前に先制タイムリーを放って1-0、ピッチャー亀田忠の二塁牽制球が悪送球となる間に三走桝が生還して2-0、二走大沢も三塁ベースを蹴ってホームを狙うが白球を拾い上げたショート山田がバックホームしてタッチアウト。

 イーグルスは1回裏、先頭の岡田福吉が左前打を放って出塁、岩垣二郎の一ゴロでランナーが入れ替わり、中河美芳の中前打で一死一二塁、亀田の中前タイムリーで岩垣が還って1-2、なお一死一三塁で谷義夫が右飛を打ち上げ、三走中河がタッチアップからホームを狙うがライト吉田からのバックホームにタッチアウト。

 名古屋ベンチは初回に3安打された先発の西沢道夫を早くも降板させて二番手として村松幸雄を注ぎ込む。

 2回~4回は無安打だった名古屋は5回、二死後石田政良の遊ゴロをショート山田がエラー、村瀬の右前打で石田が三塁に進んで二死一三塁、ここでダブルスチールを敢行、キャッチャー清家忠太郎からの二塁送球をカットしたショート山田がバックホーム、タイミングはアウトであったが清家がこれを落球する間に三走石田がホームインして3-1とする。石田と村瀬の進塁は清家のエラーによるものと記録されており、盗塁は記録されていない。

 イーグルスは7回、先頭の谷義夫の遊ゴロをショート村瀬がエラー、一死後一死後キャッチャー三浦敏一からの牽制球が悪送球となって谷は二進、太田健一の遊ゴロを村瀬がこの回2個目のエラーする間に二走谷が三塁ベースを蹴ってホームを駆け抜け2-3と追いすがる。

 名古屋は9回、一死後村瀬が四球を選んで出塁、桝は三振に倒れるが大沢が得意の右打ちを見せて右前に運び二死一三塁、吉田の中前タイムリーで4-2、中村三郎が四球を選んで二死満塁、三浦が押出し四球を選んで5-2と突き放して試合を決める。

 2回からリリーフ登板した村松幸雄は8イニングを投げて4安打1四球1三振の好投をみせる。


 名古屋は今季これまで亀田忠には0勝4敗であった。1回戦、2回戦は完投負け、3回戦は完封負け、4回戦も完投負け、5回戦は延長11回を完投されて引分け。6回戦目にしてようやく一矢を報いた。






 

2012年11月26日月曜日

15年 ジャイアンツvs金鯱 7回戦


7月1日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 1 0 0 0 0 0 0 0  1 ジャイアンツ 31勝15敗 0.674 スタルヒン
0 0 0 1 0 0 0 2 X  3 金鯱            13勝30敗4分 0.302 内藤幸三 中山正嘉

勝利投手 中山正嘉    6勝15敗
敗戦投手 スタルヒン 17勝7敗

勝利打点 濃人渉 2


濃人渉決勝タイムリー

 ジャイアンツは2回、先頭の中島治康が二遊間に内野安打、吉原正喜の二ゴロの間に中島は二進、千葉茂は中飛に倒れるが、鈴木田登満留が中前にタイムリーを放って1点を先制する。

 金鯱は4回、先頭の佐々木常助がセンター右にヒット、濃人渉が送って、古谷倉之助の二ゴロの間に佐々木は三進、森田実が左前に同点タイムリーを放って1-1とする。

 金鯱先発の内藤幸三は5回まで4安打5四球2三振で1失点、金鯱ベンチは6回から内藤を下げて中山正嘉をマウンドに送る。

 金鯱は8回、先頭の漆原進が四球を選んで出塁、トップに返り五味芳夫は三前にバントヒット、佐々木も四球を選んで無死満塁、ここで濃人がセンター右に決勝の2点タイムリーを放って3-1とする。

 中山正嘉は4イニングを2安打4四球4三振無失点で切り抜け6勝目をあげる。


 両軍6本のシングルヒットのゲームを制したのは最下位金鯱であった。金鯱はライオンを抜いて最下位を脱出し、南海と並ぶ同率七位に浮上した。


 決勝打を放った濃人渉は昭和11年の金鯱結成に参加し、12年春を最後に応召、爆傷を負ったがプロ野球に復帰してきた。因みに濃人に関するWikipediaの記述はほぼ永田陽一著「ベースボールの社会史 ジミー堀尾と日米野球」の丸写しです。

 濃人は日本生まれですが父親がハワイ移民で日米の二重国籍を持っていました。昭和14、15年頃に日本国籍を選択しています。父親はカウアイ島で「カウアイ日本人野球リーグ」生みの親だったようです。「ハワイのカウアイ島」と聞いて「カウアイキング」を連想できれば相当の競馬通です。カウアイキングはネイティブダンサーの産駒で1966年のケンタッキーダービー、プリークネスステークスを制したアメリカ二冠馬です。カウアイキングの牝駒ハワイアンドーンは1977年、78年のスプリンターズステークスを連覇したメイワキミコと1980年の皐月賞を制したハワイアンイメージの母親です。一族にハワイに関する馬名が多いのは「カウアイキング」が「カウアイ島の王様」だからでしょう。


 濃人渉は戦後指導者として成功し、1970年ロッテ監督時代にパ・リーグを制覇します。成田が25勝、MVPの木樽が21勝、16勝の小山との三本柱に八木沢、まだ若き村田兆治を擁する強力投手陣、有藤(25本)、アルトマン(30本)、ロペス(21本)、池辺(22本)、山崎(25本)と5人が20本塁打を記録し、更に江藤慎一(11本:シーズン途中参加です)、榎本(15本)を擁する強力打線でした。V9時代の巨人を倒すとしたらこの年のロッテしかないと思われましたが、日本シリーズでは堀内がアルトマンンを5打席連続敬遠するという卑劣極まりない手に出て巨人がV6を達成しました。全盛期の巨人でもこのような手を使わなければ勝てなかった程の強力チームでした。











     *濃人渉が決勝打を放ち、首位ジャイアンツを破って最下位を脱出した金鯱打線。












 

2012年11月25日日曜日

大訂正 77回ではなく78回でした



 野口二郎の連続自責点ゼロ記録を77回とお伝えしていましたが、月間MVPの集計のため見直したところ6月14日のイーグルス戦で三番手として登板して1イニングを自責点0で抑えている試合が抜けていることが判明し、野口の連続自責点ゼロ記録は78回でした。お詫びして訂正させていただきます。11月20日付けブログ「77イニングス連続自責点ゼロ」のタイトルを「78イニングス連続自責点ゼロ」と訂正させていただくと共に、その他の間違っていた記載を全て訂正させていただきました



 

15年 6月 月間MVP



月間MVP

投手部門

 セネタース 野口二郎 1

 野口二郎は今月、11試合に登板して7勝1敗3完封。73回を投げて、34安打12四球63三振、防御率0.25、WHIP0.63、奪三振率7.77であった。先月から78イニングス連続自責点ゼロを記録した。

 松尾幸造は6試合に登板して4勝1敗2完封。43回を投げて、21安打14四球12三振、防御率0.21、WHIP0.81、奪三振率2.51であった。月間で自責点1という安定味を見せた。

 スタルヒンは7試合に登板して5勝2敗2完封。51回3分の2投げて、23安打16四球30三振、防御率0.87、WHIP0.75、奪三振率5.29であった。

 三輪八郎は5試合に登板して3勝0敗2完封。33回3分の2投げて、16安打19四球15三振、防御率1.07、WHIP1.04、奪三振率4.09と飛躍をうかがわせる内容であった。


 野口二郎は唯一の敗戦がスタルヒンと投げ合ったジャイアンツ戦ではあったが圧倒的な内容であった。松尾幸造のピッチング内容が円熟味を見せてきている。無理に三振を取りに行かなくなり四球で自滅することがなくなった。






打撃部門

 ジャイアンツ 川上哲治 2

 川上哲治は今月、13試合に出場して47打数18安打10得点9打点、打率3割8分3厘、出塁率4割7分3厘、長打率5割7分4厘、OPS1.047であった。

 一方、鬼頭数雄は14試合に出場して55打数24安打7得点9打点、打率4割3分6厘、出塁率4割7分5厘、長打率5割2分7厘、OPS1.002であった。


 月間首位打者の鬼頭数雄の3カ月連続月間MVPを阻んだのは川上哲治であった。鬼頭は14試合中無安打は1試合だけという安定ぶりであった。川上は13試合中4試合が無安打であったが今月8個の四球を選んでいる。これが鬼頭に匹敵する出塁率につながりOPSで鬼頭を上回る要因となった。



 

15年 第11節週間MVP


 今節はジャイアンツが4勝0敗、名古屋が3勝0敗2分、タイガースが3勝1敗、セネタースが2勝2敗、阪急が2勝2敗、ライオンが2勝3敗、イーグルスが1勝3敗1分、南海が1勝3敗、金鯱が0勝4敗1分であった。今節は20試合中12試合が完封試合、1試合が延長11回0対0であった。


週間MVP

投手部門

 タイガース 三輪八郎 1

 今節2試合連続完封勝利。


 名古屋 松尾幸造 2

 22日のセネタース戦では2安打2四球1三振で完封、29日のタイガース戦では4安打2四球2三振3失点、自責点0で完投勝利。荒れ球のイメージが強かった松尾のピッチングは円熟味を増してきた。


 ジャイアンツ スタルヒン 4

 23日のセネタースとの決戦に野口二郎に投げ勝って完封勝利。これまでこういう試合で負けることの多かったスタルヒンがエースの貫録を見せた。




打撃部門

 名古屋 中村三郎 1

 今節20打数5安打2得点2打点2四球。24日のイーグルス戦では9回裏に同点タイムリーを放って延長11回1対1で引き分ける。28日の金鯱戦では延長11回0対0の引分けであったが11回二死から左前打を放って粘りを見せる。29日のタイガース戦ではサヨナラヒットと勝負強さを見せつける。





殊勲賞

 阪急 石田光彦 1

 22日の南海戦で2安打完封勝利を飾る。


 セネタース 小島二男 1

 24日の金鯱戦で試合を決める2点タイムリーを放つ。





敢闘賞

 名古屋 村松幸雄 2

 2試合連続延長11回を完投して引分け。


 ジャイアンツ 呉波 1

 21日の金鯱戦では5打数3安打、23日のセネタース戦では野口二郎からタイムリー三塁打、28日のライオン戦では3打数無安打ながら2得点を記録する。





技能賞

 イーグルス 谷義夫 1

 28日の阪急戦で補殺を記録。谷はライトからの本塁送球で二塁ランナーを刺すことが多い。
















 

2012年11月24日土曜日

15年 タイガースvs名古屋 6回戦


6月29日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8  9   計
0 0 0 0 0 0 0 3  0   3 タイガース 25勝18敗2分 0.581 若林忠志 木下勇
0 0 0 2 0 0 0 0 2X  4 名古屋      25勝16敗4分 0.610 松尾幸造

勝利投手 松尾幸造 7勝5敗
敗戦投手 木下勇     9勝8敗

二塁打 (タ)皆川
三塁打 (名)中村、大沢、吉田
勝利打点 中村三郎 2


中村三郎乾坤一擲の一撃

 名古屋は4回、一死後村瀬一三が四球を選んで出塁、村瀬は盗塁に失敗するが桝嘉一が四球を選んで二死一塁、大沢清が左中間に三塁打を放って1点を先制、吉田猪佐喜が右翼線に三塁打を放って2-0とする。翌日の読売新聞によると右打ちの大沢にはタイガース外野陣は右寄りの守備態勢を敷いており、引っ張りの吉田には左よりの守備態勢を敷いていたところ逆を衝かれたとのことで、若林忠志の配球ミスであったようだ。

 タイガースは5回から先発の若林を下げて木下勇をリリーフに送る。

 名古屋先発の松尾幸造は7回までタイガース打線を4安打1四球1三振で無失点の好投を続ける。

 タイガースは8回、先頭の木下が四球を選んで出塁、宮崎剛の投前送りバントをピッチャー松尾が一塁に悪送球して無死一二塁、トップに返り松木謙治郎の投前バントは松尾が巧く処理して木下を三封、皆川定之の三ゴロが野選を誘い一死満塁、本堂保次の中犠飛で1-2、二走松木もタッチアップから三塁に進んで二死一三塁、ここで一走皆川が二盗を敢行、キャッチャー三浦からの送球をピッチャー松尾がカットして三塁に送球、これが悪送球となって白球がファウルグラウンドを転々とする間に三走松木に続いて盗塁で二塁に進んだ皆川も三塁ベースを蹴ってホームを駆け抜けこの回無安打で3-2と逆転に成功する。

 名古屋は9回裏、一死後桝が中前打を放って出塁、大沢の二ゴロの間に桝は二進、吉田猪佐喜が中前に同点タイムリーを放って3-3、バックホームの隙を衝いて吉田は二塁に進み、中村三郎が中前にサヨナラタイムリーを放って名古屋が劇的な逆転サヨナラ勝ちを演じる。

 松尾幸造は4安打2四球2三振で完投、3失点ではあるが自責点はゼロであった。尤も自らの2エラーで失点したものではありますが。ピッチャーのエラーでも自責点にはなりません。松尾は前回登板の22日のセネタース戦でも2安打2四球1三振の完封、かつては剛球とノーコンが特徴であったが成長が窺える。


 翌日の読売新聞には9回に同点タイムリーを放った吉田猪佐喜について「吉田三振目のファウルチップを田中が捕え損じて命を延ばした事が一番大きく」と書かれている。田中が捕球していればゲームセットとなっていた訳である。

 サヨナラヒットを放った中村三郎は2回にも右翼線に三塁打を放っているが「9-4-5-2」と渡ってタッチアウトになっている。ホームまで狙おうとしてオーバーランしたようだ。8回には逆転された後、田中の二ゴロをエラーしている。9回の打席は乾坤一擲の一撃であった。


 2012年1月12日付けブログと重複しますが、中村三郎は昭和14年8月18日の阪急戦でピッチャー松尾幸造が全くストライクが入らず「ストライクの出ないような投手は駄目だ、毎日同じような事をやってるなら練習なんか止めてしまえ。」と檄を飛ばし、当時の読売新聞誌上で鈴木惣太郎は「松尾は憤然としてベンチの後方に黙していた。こうした悲憤憤慨は決して人を憎む悪意を持つものではないし語気こそ粗暴であるがかくの如きこそ真実僚友を思いチームを思い、而して野球を思うあまりの発露であり松尾もこれによって大いに発奮すべきであるし名古屋全軍も心機を一転して将来懸命の努力をつくさねばならない。」と論評した。この檄に応えて松尾は昭和14年8月25日のライオン戦では7安打6四球4三振で完投し、この試合では中村三郎が逆転スリーランを放っている。当時の読売新聞に鈴木惣太郎は「中村は前日にも本塁打しているが彼は技量以上にものありとは思われない。併し彼には気概において著しく優れたものがあり、これが大事に際してかくの如き殊勲を樹てる動機となっている点は大いに敬服すべきものである。」と書いている。

 2011年11月23日付けブログ「投手・中村三郎」で「 昭和13年2月25日発行の聯盟ニュース第24号に掲載されている「戦線だより」に「大活躍!のラ軍中村上等兵」の見出しで「ライオン軍中村三郎選手は上等兵として・・・に属して目下北京の警備に任じているが、去る1月陣中徒然なるままに行われた対抗野球試合でプレートに返り咲き、四戦全勝の記録をもって見事優勝、・・・正月気分を高めたと、この程ライオン軍に便りがあった。」と記載されています。

 この中の「プレートに返り咲き」の部分は、諏訪蚕糸時代にピッチャーであった中村三郎がプロに入ってセカンドを中心に内野手に転じてから兵役に就き、戦地において久々にマウンドに上がったことからこのような記載になったのではないでしょうか。久々のプレートの感触に興奮した中村がその喜びを戦地からの手紙でライオン球団に伝えたものと考えられます。」と書かせていただきました。中村三郎が諏訪蚕糸時代に名投手として知られていたことは、窪田文明著「甲子園からの手紙 松商野球の源流」でも確認できます。






                *松尾幸造は4安打完投で7勝目をあげる。













     *中村三郎のサヨナラヒットで逆転サヨナラ勝ちした名古屋打線。















      *中村三郎のサヨナラヒットの場面。

















 

15年 金鯱vs南海 5回戦


6月29日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 金鯱 12勝30敗4分 0.286 中山正嘉
0 0 0 0 0 3 1 0 X  4 南海 13勝30敗2分 0.302 政野岩夫

勝利投手 政野岩夫 3勝6敗
敗戦投手 中山正嘉 5勝15敗

勝利打点 なし


政野岩夫今季初完封

 南海は負傷欠場していた吉川義次が四番キャッチャーで復帰、この間マスクを被っていた国久松一はセカンドに戻る。

 5回まで2安打無得点の南海は6回、先頭の岩出清が中前打で出塁、吉川の捕前送りバントをキャッチャー長島進が大暴投、白球がファウルグラウンドを転々とする間に一走岩出は二塁、三塁を蹴って一気にホームインして1点を先制、打者走者の吉川も三塁に進む。現在の球場では考えられませんが、当時の甲子園球場のファウルグラウンドの広さが良く分かるプレーです。岡村俊昭が四球から二盗を決め、清水秀雄は投飛に倒れて一死二三塁、木村勉の右犠飛で2-0、政野岩夫、上田良夫が連続四球を選んで二死満塁、トップに返り国久の三塁内野安打がタイムリーとなって3-0とする。

 南海は7回、先頭の岩出が右前打から二盗に成功、吉川は遊ゴロに倒れるが岡村が四球を選んで一死一二塁、清水の右飛で二走岩出がタッチアップから三塁に進んで一死一三塁、木村が左前にタイムリーを放って4-0とする。

 金鯱打線は政野岩夫の下手からの軟投に手を焼き4安打無得点、ピッチャーの中山正嘉が4打数2安打と一人気を吐いた。

 政野岩夫は4安打4四球4三振で今季初完封、3勝目をあげる。


 木村勉が3打数2安打2打点の活躍を見せた。木村は6月4日のジャイアンツ戦で澤村栄治からプロ入り初ヒットを放ち、ピッチャーとの掛け持ちも6月22日の阪急戦で打ち込まれて終了し、今後は打者一本で勝負することとなる。木村は粉河中学(現・和歌山県立粉河高等学校)の出身。粉河中学出身者としては数学者として名高い岡潔がいる。岡潔は三高から京都帝大に進んでいるので進学校だったのでしょう。粉河中学からプロ野球の道に進んだのは木村勉と伊勢川眞澄の二人だけのようです。木村は1921年1月22日生まれで昭和14年に南海に入団、、伊勢川は1921年6月30日生まれで昭和15年にライオンに入団しているので木村が1学年上のようですが粉河中学のグラウンドで汗を流した仲だったのでしょう。二人とも実力を発揮するのは戦後になってからで、木村は昭和33年まで現役を続けて通算1,118安打、伊勢川も昭和33年まで現役を続けて通算919安打を記録することとなる。共に兵役で数年間を犠牲にしていながらの記録です。











                *政野岩夫は4安打で今季初完封、3勝目をあげる。












     *木村勉が3打数2安打2打点を記録した南海打線。











 

15年 ライオンvsイーグルス 7回戦


6月29日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8  9   計
0 0 0 0 1 2 0 0  0   3 ライオン        3勝32敗1分 0.289 菊矢吉男 福士勇
0 0 0 0 0 0 0 0 4X  4 イーグルス 24勝20敗2分 0.545 中河美芳

勝利投手 中河美芳 5勝7敗
敗戦投手 菊矢吉男 6勝12敗

二塁打 (ラ)菊矢 (イ)木下

勝利打点 なし


サヨナラエラー

 ライオンは初回、一死後加地健三郎が四球で出塁、玉腰年男が左前打を放ち鬼頭数雄は中飛に倒れて二死一二塁、次のプレーはスコアカードには二走加地が「2-6-3-4-2」の挟殺プレーでタッチアウトと記録されている。加地のリードが大きくてキャッチャー清家忠太郎が牽制球を投げただけならランダンプレーにはならないので、恐らくトリックプレーを仕掛けたものでしょう。加地が二三塁間に飛び出し一走玉腰も飛び出したのでショート山田潔はファースト長谷川重一に送球、玉腰が一二塁間に挟まれる間に加地は三塁ベースを蹴ってホームを狙うがセカンド岡田福吉からキャッチャー清家に送球されてタッチアウトとなったのでないでしょうか。

 ライオンは5回、一死後井筒研一が四球で出塁、前田諭治の三ゴロでランナーが入れ替わり、菊矢吉男が左中間にタイムリー二塁打を放って1点を先制する。

 ライオンは6回、一死後玉腰が四球で出塁、鬼頭が一塁に内野安打、戸川信夫が四球を選んで一死満塁、伊勢川眞澄の投ゴロの間に三走玉腰が還って2-0、井筒が四球を選んで二死満塁、前田の三塁内野安打で3-0とリードを広げる。

 菊矢吉男は8回まで4安打2四球無失点の完封ペースであったが9回に乱れた。

 イーグルスは9回裏、先頭の長谷川が四球で出塁、更に中河、太田健一と3連続四球で無死満塁、木下政文が右前に2点タイムリーを放って2-3、木下の代走に玉腰忠義を起用、ライオンベンチはここで菊矢をあきらめて福士勇をマウンドに送る。しかし清家が右前に同点タイムリーを放って3-3としてなお無死一二塁、宗宮房之助の三前バントをサード戸川が一塁に悪送球する間に二走玉腰忠義が三塁ベースを蹴ってホームを駆け抜けイーグルスの大逆転サヨナラ勝利となった。

 ライオンはここまで無失策できたが最後に落とし穴が待っていた。

 イーグルス先発の中河美芳は3点をリードされながら粘り強く投げ続け、6安打7四球3三振の完投でたなぼたの5勝目をあげる。


 サヨナラエラーは今シーズン2度目となる。5月10日のタイガースvsセネタース3回戦でも9回裏二死三塁で村松長太郎の遊ゴロをショート皆川定之が一塁に悪送球する間に三走浅岡三郎がサヨナラのホームを踏んだ。その他では4月14日のライオンvs南海2回戦では菊矢吉男がサヨナラ暴投、4月21日の阪急vs名古屋3回戦では三浦敏一の遊ゴロによりサヨナラ野選が記録されている。









*中河美芳は6安打完投で5勝目をあげる。9回表の時点では勝利投手になるとは思っていなかったでしょう。













     *9回裏に逆転サヨナラ勝ちしたイーグルス打線。















       *サヨナラの場面。











 

15年 阪急vsイーグルス 5回戦


6月28日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
1 0 0 0 0 1 0 1 0  3 阪急           23勝17敗3分 0.575 重松通雄
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 イーグルス 23勝20敗2分 0.535 長谷川重一
 
勝利投手 重松通雄     3勝1敗
敗戦投手 長谷川重一 6勝3敗

勝利打点 上田藤夫 2


重松通雄今季初完封

 阪急は初回、先頭の西村正夫が四球を選んで出塁、田中幸男の二ゴロの間に西村は二進、フランク山田伝は投飛に倒れるが、上田藤夫が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 阪急は6回、先頭の田中に代わる代打土肥省三が四球で出塁、山田の送りバントが野選を誘い無死一二塁、上田の二ゴロで山田が二封されて一死一三塁、ここで三塁ランナー土肥に伊東甚吉が起用される。黒田の投前スクイズはピッチャー長谷川重一がホームに送球して三走伊東はタッチアウト、ランナー三塁の場面で代走を出してはスクイズは見え見えか。この間に一走上田は三塁に、打者走者の黒田は二塁に進んで二死二三塁、山下好一の右前タイムリーで2-0、二走黒田も三塁ベースを蹴ってホームに突っ込むがライト谷義夫からのバックホームにタッチアウト。

 阪急は8回、先頭の山田が三塁に内野安打、上田藤夫の二ゴロは「4-6-3」と転送されるが二塁はセーフで野選が記録されショート宗宮房之助の一塁送球も悪送球となって山田は三塁に進み無死一三塁、黒田健吾が左前にタイムリーを放って3-0とする。なお無死一二塁で山下好一の投ゴロはピッチャー長谷川重一が三塁に投げて二走上田は三封、サード木下政文からファースト中河美芳に転送されて「1-5-3」のダブルプレー。送りバント失敗の可能性もあるが当時は一二塁の投ゴロで三封から狙うケースは多いのでヒッティングでの投ゴロの可能性もあります。

 重松通雄は下手投げが冴えて、7回はワイルドピッチを挟んでの2四球で一死一二塁とするが清家忠太郎を遊ゴロ併殺に打ち取る。9回も中河美芳、長谷川重一の連打で一死一三塁として谷に代わる代打亀田忠を迎えるがここも遊ゴロ併殺で切り抜けて、5安打3四球4三振で今季初完封、3勝目をあげる。要所でシンカーを有効に使ったようだ。


 両チーム5本ずつのシングルヒットであったが阪急は上田藤夫、山下好一、黒田健吾のタイムリーで3点をあげて快勝した。


 一時は夏季シリーズ首位の座をうかがう勢いだったイーグルスは1引分けを挟んで4連敗となった。










*重松通雄は5安打で今季初完封、3勝目をあげる。
















     *阪急は5安打ながら上田藤夫、黒田健吾、山下好一がタイムリーを放って快勝する。











 

2012年11月23日金曜日

15年 ライオンvsジャイアンツ 6回戦


6月28日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 1 0 0 2 ライオン        13勝31敗1分 0.295 近藤久 福士勇
0 0 0 1 1 4 0 0 X 6 ジャイアンツ 31勝14敗 0.689 澤村栄治 中尾輝三

勝利投手 澤村栄治 2勝0敗
敗戦投手 近藤久     2勝8敗
セーブ      中尾輝三 2

勝利打点 千葉茂 7


吉原正喜猛打賞

 ライオンは好調の近藤久が先発、ジャイアンツは復帰後3戦目となる澤村栄治が先発する。

 ジャイアンツは4回、川上哲治、中島治康が倒れて二死後吉原正喜が左前打で出塁すると二盗に成功、千葉茂が中前にタイムリーを放って1点を先制、千葉も二盗を決めて二死二塁、林清一は二飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 ジャイアンツは5回、先頭の呉波が四球で出塁、澤村が送って一死二塁、トップに返り白石敏男のピッチャー強襲ヒットで一死一三塁、平山菊二の遊ゴロは「6-4」と送球されるがセカンド前田諭治がエラーする間に呉が還って2-0とする。平山には打点が記録されている。

 澤村の前に5回まで1安打に抑えられてきたライオンは6回、先頭の玉腰年男が四球で出塁、鬼頭数雄は左飛に倒れ、戸川信夫の三ゴロでランナーが入れ替わり、井筒研一が左前打、伊勢川眞澄が中前打を放って二死満塁、前田に代わる代打菊矢吉男の中前打で1-2、二走井筒も三塁ベースを蹴ってホームを狙うが、センター呉の強肩に本塁タッチアウト。

 ジャイアンツは6回、一死後吉原が中前打、千葉が投前に送りバントを決めて一死二塁、林清一が四球を選び、呉の遊ゴロをショート加地健三郎がエラーして一死満塁、続く澤村の遊ゴロを又も加地がエラーする間に三走吉原が還って3-1、澤村には打点が記録されている。ライオンベンチは先発の近藤から福士勇にスイッチするが白石が押出し四球を選んで4-1、平山の二ゴロ併殺崩れの間に三走林が還って5-1、併殺崩れなので平山には打点が記録される。更に6回から川上に代わってファーストに入っている永澤富士雄の遊ゴロをショート加地がこの回3個目のエラーする間に三走澤村が還って6-1とする。ライオンは加地をセカンドに回してショートを松岡甲二に代えたが松岡も7回に2失策を記録する。これは失点にはつながらなかった。

 リードを5点に広げたジャイアンツは7回から澤村を下げて中尾輝三を投入する。

 ライオンは7回、先頭の福士は三振に倒れるが坪内道則が左前打を放って出塁、加地が四球を選んで一死一二塁、玉腰の二塁内野安打で一死満塁、鬼頭の二塁内野安打がタイムリーとなって2-6とするが戸川、井筒に代わる代打野村高義が三振に倒れてスリーアウトチェンジ。


 ジャイアンツは二番平山菊二が5打数無安打、三番川上哲治が3打数無安打、四番中島治康が5打数無安打であったが五番吉原正喜が4打数3安打2得点1盗塁、吉原を起点として得点を重ねた。もちろんライオンの6失策に助けられたものではあったが。


 復帰三戦目の澤村栄治は6回を投げて4安打4四球1三振、京都商業の後輩となる中尾輝三のリリーフを仰いだが2勝目をあげる。中尾には当ブログルールによりセーブが記録される。中尾としては澤村先輩のためならと、腕も折れよの気持ちで投げていたことでしょう。








   *澤村栄治は京都商業の後輩となる中尾輝三にリリーフを仰いだが2勝目を記録する。














     *吉原正喜が猛打賞を記録したジャイアンツ打線。



















 

15年 名古屋vs金鯱 7回戦


6月28日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0  0 名古屋 24勝16敗4分 0.600 村松幸雄
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0  0 金鯱     12勝29敗4分 0.293 古谷倉之助

勝利打点 なし


村松幸雄、2試合連続延長11回を投げ抜く

 名古屋は6月24日の後楽園球場でイーグルスと延長11回を引き分けて甲子園球場に移って4日ぶりの試合となる。余裕の日程と勘違いされるかもしれませんが、25日には宇都宮で1時半から巨人・名古屋連合軍vs鉄道選抜軍の試合を行い、4時からのアトラクションを挟んで4時半から名古屋vsジャイアンツ戦を行っている。これは栃木県野球協会主催、読売新聞社後援の第1回宇都宮定期戦として行われたもので、名古屋vsジャイアンツ戦は大沢清と泉田喜義の先発で9回表に名古屋が3対3に追い付いて延長戦に突入する。10回表に泉田を攻略し、リリーフの川上哲治も打って一挙7点をあげて10対3で名古屋が大勝している。巨人・名古屋連合軍vs鉄道選抜軍の試合は1対1の引分けに終わっている。地方の野球ファンの開拓を目的にしたものと考えられるが、少しでも入場料収入を稼ごうとしたものでもあったようだ。今で言えばWBCのようなものでしょうか。公式戦の途中にオープン戦を組まれたら、現在の選手会であれば「不参加だぁ~」、「ストライキだぁ~」と大騒ぎするでしょうね。


 6月28日からは関西に9球団が集まり、7月3日まで甲子園球場、7月7日まで西宮球場で試合が行われる。

 甲子園シリーズの第1戦は名古屋先発の村松幸雄、金鯱先発の古谷倉之助が延長11回を投げ抜いて0対0の引分けとなった。隠れた球史に残る投手戦と言えるでしょう。

 村松幸雄は11回を投げて9安打3四球3三振無失点、古谷倉之助は11回を投げて4安打5四球6三振無失点。翌日の読売新聞は「名古屋は古谷のドロップに全然手が出ず・・・」と伝えている。

 金鯱は9安打を放ちながら4回は「6-4-3」、6回は「4-6-3」、7回は「5-4-3」と三度の併殺でチャンスを潰した。9回は二死後濃人渉の左翼線ヒット、古谷の四球、森田実の左前打で二死満塁とするが室脇正信は遊飛に倒れる。翌日の読売新聞によると森田の左前打は当りが強すぎたとのことで、二走濃人は三塁にストップせざるを得なかったようだ。最終回も二死後濃人の左翼線ヒット、古谷の中前打、森田の四球で再び二死満塁とするが室脇に代わる代打荒川正嘉が中飛に倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。


 村松幸雄は24日のイーグルス戦に続いて2試合連続で延長11回を投げ抜き引き分けた。村松は戦死することとなるが、進藤昭著「戦場に散ったエース 投手・村松幸雄の生涯」が1995年に刊行されている。著者の進藤昭は中日新聞の記者で、数少ない手掛かりを掘り起こして綿密な取材をしている。同著によると、村松は小西得郎監督に高く評価されており、村松の妹が東京で働いていた際には無償で自宅に下宿させ、家賃を払おうとすると「そんなものいらないよ。お金をもらうくらいなら預からないよ。」と受け取らなかった。逆に戦時中は小西一家は藤枝の村松家に疎開している。村松の戦死公報が届いた時、小西は「幸のような運の強いやつが死ぬわけがない。あいつは麻雀でもものすごく勝負強かったんだ。きっと帰ってくるよ。」と気遣った。

 古谷倉之助は得意のドロップを駆使して11回を4安打に抑え、村松幸雄は持ち前の勝負強さを発揮して9安打を打たれながら中盤は併殺でピンチの芽を断ち、終盤は2度の満塁のピンチを切り抜けて0対0で引き分けた。



 金鯱には嬉しいニュースが入ってきた。6月29日付け読売新聞は黒澤俊夫が帰還除隊となりノモンハンから還ってくると伝えている。黒澤は昭和12年秋季を最後に兵役に就いていた。当ブログでは12年春季シーズンの第四期に月間MVPに輝いた打棒をお伝えしてきました。









               *村松幸雄、古谷倉之助による延長11回の投げ合い。













     *古谷倉之助に4安打に抑えられた名古屋打線。















     *村松幸雄から9安打を放ちながら無得点に終わった金鯱打線。












 

15年 イーグルスvs名古屋 6回戦


6月24日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11  計
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0   0   1 イーグルス 23勝19敗2分 0.548 亀田忠
0 0 0 0 0 0 0 0 1  0   0   1 名古屋       24勝16敗3分 0.600 村松幸雄

勝利打点 なし


亀田-村松の投げ合い

 イーグルス先発の亀田忠は11回を完投して6安打7四球11三振、名古屋先発の村松幸雄は11回を完投して7安打1四球2三振、共に1失点で延長11回を投げ抜き引き分けた。両チームが1点ずつ得点したため、当ブログの連続完封試合実況中継記録は8試合で止まった。

 イーグルスは6回、先頭の岡田福吉が左翼線にヒット、岩垣二郎が送りバントを決めて一死一二塁、中河美芳は左飛に倒れるが、四番亀田がセンター右にタイムリーを放って1点を先制する。

 名古屋は9回裏、先頭の大沢清が得意の右打ちで右前打、岩本章の三ゴロをサード木下政文が痛恨のエラー、中村三郎の一打は二遊間への内野安打、二走大沢が還って土壇場で1-1と追い付く。

 イーグルスは延長10回、11回と三者凡退。

 名古屋は10回裏、先頭の石田政良が右前打で出塁、村瀬一三がストレートの四球を選んで無死一二塁、しかし桝嘉一は三振、翌日の読売新聞によると送りバント失敗が2つあったとのことである。大沢の遊ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、しかし岩本は遊ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。11回裏は一死後三浦敏一が四球を選んで出塁するが勝負を賭けた盗塁をキャッチャー清家忠太郎が刺し、最後は芳賀直一に代わる代打服部受弘が三振に倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。 










                *亀田忠、村松幸雄による延長11回の投げ合い。













 

2012年11月21日水曜日

15年 セネタースvs金鯱 7回戦


6月24日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 3 0 0 1 0 0 0 0  4 セネタース 26勝15敗4分 0.634 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 金鯱         12勝29敗3分 0.293 古谷倉之助

勝利投手 野口二郎  17勝5敗
敗戦投手 古谷倉之助 4勝10敗

二塁打 (セ)石井

勝利打点 石井豊 2


野口二郎4日間4連投

 セネタースは昨日のジャイアンツ戦で完投した野口二郎が連投で先発。野口は21日のイーグルス戦で完封、22日の名古屋戦で1イニング投げ、23日のジャイアンツ戦で完投負けとなり、本日で4日間4連投となる。

 セネタースは2回、先頭の小林茂太がストレートの四球、小林が二盗を決めて無死二塁、柳鶴震の二ゴロで小林は動かず一死二塁、横沢七郎の遊ゴロで小林が三塁に走りショート濃人渉が三塁に送球するがこれをサード漆原進が落球して一死一三塁とする。二走小林茂太の走塁は二ゴロで動かず遊ゴロで三塁に走っているのでセオリーを無視しているようにも見えますが、スコアカードの記録だけでは打球の強弱や野手の捕球体勢などは分かりませんので、実際に見ていない者が記録だけで判断するのはお門違いというものでしょう。当ブログはその現場での判断を尊重します。一死一三塁から石井豊が左翼線にタイムリー二塁打を放って1点を先制してなお一死二三塁、小島二男が右前に2点タイムリーを放って3-0とする。

 セネタースは5回、一死後苅田久徳が四球を選んで出塁、村松長太郎の遊ゴロをショート濃人がエラー、野口二郎の三遊間内野安打で一死満塁、小林の中犠飛で4-0とする。

 野口二郎は4安打2四球7三振で今季6度目の完封、17勝目をあげてスタルヒンと並びハーラートップとなった。昨日のジャイアンツ戦で連続自責点ゼロ記録が77回でストップした野口は再び連続自責点ゼロ記録に挑戦する。

 セネタースは3安打で4点をあげて4安打の金鯱に快勝した。セネタースが試合巧者ぶりを発揮した試合であった。


 勝利打点は先制タイムリー二塁打の石井豊となるが、追撃弾を放った小島二男(こじま おとお)の2点タイムリーが試合を決めた一撃であった。小島はプロでは通算9打点を記録したのみであるが、その内の2打点が本日の殊勲打によるものであった。


 小島二男は豊岡実業(現・埼玉県立豊岡高等学校)の出身。豊岡実業は昭和11年夏の埼玉県予選の松山中学戦で72対0という大勝利を記録している。この試合は長らく高校野球史上最多得点試合であったが、1998年(平成10年)夏の青森県大会で東奥義塾が深浦高校に122対0で勝って62年ぶりに記録を更新した。小島二男は昭和11年にセネタースに入団しているので豊岡実業が72点を記録した時のメンバーではないはず。









              *野口二郎は4安打で今季6度目の完封、17勝目をあげる。











 

2012年11月20日火曜日

15年 タイガースvs阪急 5回戦


6月23日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
4 0 0 0 0 0 0 0 0  4 タイガース 25勝17敗2分 0.595 三輪八郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急          22勝17敗3分 0.564 森弘太郎

勝利投手 三輪八郎    7勝0敗
敗戦投手 森弘太郎 11勝6敗

勝利打点 本堂保次 1


三輪八郎2試合連続完封

 タイガースは初回、先頭の松木謙治郎が中前打で出塁、一死後松木が二盗に成功、本堂保次が右前にタイムリーを放って1点を先制、本堂も二盗を決めてカイザー田中義雄の右前打で一死一三塁、田中が二盗を決めて一死二三塁、伊賀上良平の中犠飛で2-0、二走田中もタッチアップから三塁に進みジミー堀尾文人が四球を選んで二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて3-0、なお二死二塁から中田金一が左前にタイムリーを放って4-0とする。

 三輪八郎の安定したピッチングが光った。1回、2回は三者凡退、3回一死後伊東甚吉に左前打を許し森弘太郎に四球を与えて一死一二塁とするが西村正夫を遊飛、フランク山田伝を中飛に打ち取る。4回一死後上田藤夫に左前打を許すが黒田健吾を左飛、井野川利春を三ゴロに打ち取る。結局許したヒットはこの2本だけで5回以降はノーヒットに抑える。

 三輪は2安打4四球1三振で6月21日の南海戦に続いて2試合連続となる今季4度目の完封で開幕以来無傷の7連勝を飾る。タイガースは21日の三輪、22日の木下に続いて3試合連続でシャットアウト勝ちとなった。スミ4を守りきった訳です。

 タイガース打線は2回以降は8回に松木が中前打、本堂が左前打を放ったのみで森弘太郎に6安打3四球1三振に抑えられた。


 6月23日に行われた4試合は全て完封試合、当ブログはこれで7試合連続完封試合を実況中継しています。










              *三輪八郎は2安打で今季4度目の完封、7勝目をあげる。

















     *三輪八郎に2安打に抑え込まれた阪急打線。










 

2012年11月19日月曜日

15年 南海vsライオン 7回戦


6月23日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海       12勝30敗2分 0.286 政野岩夫 天川清三郎 劉瀬章
4 4 0 0 0 0 1 0 X 9 ライオン 13勝30敗1分 0.302 近藤久

勝利投手 近藤久     2勝7敗
敗戦投手 政野岩夫 2勝6敗


二塁打 (ラ)坪内、鬼頭


勝利打点 なし


ライオン吠える!

 南海は負傷の吉川義次が欠場して国久松一が先発マスクを被る。国久は興國商業(現・興國高等学校)時代は強肩を買われてキャッチャーもやっていたようです。

 ライオンは初回、先頭の坪内道則が左翼線に二塁打、加地健三郎は四球、玉腰年男も四球を選んで無死満塁、鬼頭数雄の打席でワイルドピッチが飛び出し坪内が還って1点を先制、南海は先発の政野岩夫を一死も取れずに降板させて早くも天川清三郎をリリーフに送る。鬼頭数雄は遊ゴロに倒れ、戸川信夫が死球を受けて一死満塁、広田修三の左前タイムリーで2-0、井筒研一も左前に2点タイムリーを放って4-0とする。


 ライオンの2回の攻撃はトップの坪内から。坪内が三塁に内野安打、加地が四球を選び、玉腰の一塁への内野安打で2イニング連続の無死満塁、鬼頭が右翼線に2点タイムリーを放って6-0、なお無死一三塁から戸川の中犠飛で7-0、広田の左前打で一死一二塁、続く井筒の遊飛をショート前田貞行が一旦捕球するが落球、井筒には遊飛が記録されて二死となるが落球の隙を突いて二走鬼頭が快足を飛ばして一気にホームに還り8-0とする。

 南海は3回から三番手として劉瀬章を登板させる。

 ライオンは7回、二死後前田諭治が二塁へ内野安打、セカンド上田良夫の悪送球が加わって前田は二塁に進み、近藤久は四球、トップに返り坪内の三ゴロをサード深尾文彦がエラーして二死満塁、加地が押出し四球を選んで9-0とする。

 近藤久は5安打7四球7三振で6回戦に続いて南海戦2試合連続完封、2勝目をあげる。


 ライオン打線は12安打で9得点、南海相手ではあったが吠えた。坪内道則が5打数3安打2得点二塁打1本、鬼頭数雄が5打数3安打1得点2打点二塁打1本の活躍、矢張り頼りになるのはベテラン勢である。








            *近藤久は5安打完封で3勝目をあげる。













     *12安打9得点を記録したライオン打線。








 

78イニングス連続自責点ゼロ



 昭和15年5月21日の名古屋戦1回一死一三塁で大沢清に中前タイムリーを打たれて自責点を記録してから自責点ゼロ記録を続けてきた野口二郎は、6月23日のジャイアンツ戦1回二死二塁で中島治康に中前タイムリーを打たれて約1カ月ぶりに自責点を記録し、連続自責点ゼロ記録は78回で途切れました。

 
5月21日 名古屋            先発         8回3分の2
5月23日 金鯱                リリーフ    3回3分の2
5月27日 ジャイアンツ    先発         9回
6月1日   タイガース       リリーフ    8回
6月3日   ライオン          リリーフ     8回
6月7日   名古屋            先発         9回
6月9日   金鯱                リリーフ    7回
6月14日 イーグルス      リリーフ  1回
6月15日 ジャイアンツ    先発         9回
6月18日 金鯱                リリーフ    4回
6月21日 イーグルス      先発         9回
6月22日 名古屋            リリーフ    1回
6月23日 ジャイアンツ    先発         3分の2回


 連続無失点記録は1958年に金田正一が記録した64回3分の1ですが、野口二郎の記録はどういう位置付けになるのでしょうか。連続自責点ゼロ記録はこれまでカウントされた事は無いようで、「幻の記録」と言えそうです。

 この間、自責点の付かない失点は5月21日の名古屋戦での9回に1失点と、6月7日の名古屋戦での3回に1失点が記録されているだけです。





 

2012年11月18日日曜日

15年 セネタースvsジャイアンツ 6回戦

 


6月23日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 セネタース    25勝15敗4分 0.682 野口二郎
1 0 0 1 0 1 0 0 X  3 ジャイアンツ 30勝14敗        0.685 スタルヒン

勝利投手 スタルヒン 17勝6敗
敗戦投手 野口二郎  16勝5敗

三塁打 (ジ)呉、白石

勝利打点 中島治康 4


スタルヒン7度目の完封で17勝

 首位ジャイアンツと2ゲーム差で追うセネタースとの首位攻防戦。前半戦の天王山となった。当然スタルヒンと野口二郎が先発する。現在野口が16勝4敗、スタルヒンが16勝6敗で並んでいる。水原茂を負傷で欠くジャイアンツはこのところサードに楠安夫を使っているが本日は平山菊二がセカンドに入って千葉茂がサードを守る。

 ジャイアンツは初回、一死後平山がセンター左にヒット、平山が二盗を決めるが川上哲治は三振に倒れて二死二塁、四番中島治康が中前にタイムリーを放って1点を先制する。

 スタルヒンは初回を三者凡退、2回二死後柳鶴震の三邪飛をサード千葉が落球、千葉にはエラーが記録されたがスタルヒンは柳を二飛に打ち取る。3回は一死後佐藤武夫に四球、織辺由三には右前に初ヒットを許し、トップに返り苅田久徳にも四球を与えて一死満塁とするが、横沢七郎を三振、野口を二ゴロに抑えてここまで無失点。

 セネタースは4回、先頭の小林茂太が死球を受けて出塁、山崎文一は三振に倒れるが柳の右翼線ヒットで小林が三塁に進んで一死一三塁、柳が二盗を決めるが浅岡三郎は三振、佐藤が四球を選んで二死満塁、しかし織辺は二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。セネタースは2イニング連続で満塁のチャンスを逸す。

 2回、3回と無安打のジャイアンツは4回、先頭の吉原が中前打で出塁してパスボールで二進、千葉が中前にタイムリーを放って2-0とする。

 ジャイアンツは6回、先頭の中島が三塁に内野安打、中島は時々セーフティバントをやったと伝えられている。吉原は捕邪飛、千葉も一飛に倒れて二死一塁、ここで呉波が右中間に三塁打を放って3-0とリードを広げる。


 スタルヒンは5回以降、セネタース打線を苅田の内野安打1本に抑えて3安打4四球1死球8三振で今季7度目の完封、17勝目をあげてハーラー単独トップに躍り出る。スタルヒンはこれまでこういう負けられない試合での取りこぼしが多かったが、精神的にも成長してきたようだ。ジャイアンツは首位攻防戦を制して首位固めに入った。但し昭和15年当時の認識では一シーズンを春季、夏季、秋季に分けてそれぞれ優勝と首位打者を表彰しているので現在は夏季シリーズの中盤戦という位置付けになります。当ブログはシーズン通算成績に基づき順位争いをお伝えしておりますが、当時の人々が当ブログを読んだら「なんのこっちゃ?」となるかもしれません。










      *スタルヒンは野口二郎との投げ合いを制して今季7度目の完封で17勝目をあげる。












     *ジャイアンツはセネタースとの首位攻防戦を制して首位固めに入る。








 

15年 名古屋vs金鯱 6回戦


6月23日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
2 0 0 3 0 0 0 0 0  5 名古屋 24勝16敗2分 0.600 西沢道夫
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 金鯱     12勝28敗3分 0.300 中山正嘉 内藤幸三

勝利投手 西沢道夫 7勝5敗
敗戦投手 中山正嘉 5勝14敗

勝利打点 吉田猪佐喜 5


西沢道夫、7安打完封&2打点

 名古屋は初回、先頭の石田政良が四球で出塁、村瀬一三、桝嘉一は連続三振に倒れるが大沢清がストレートの四球で二死一二塁、吉田猪佐喜が右前に先制タイムリーを放って1-0としてなお二死一三塁、ここで一走吉田がディレードスチールを敢行、金鯱守備陣が吉田を深追いする間に三走大沢がホームを陥れて2-0、吉田はタッチアウトとなってスリーアウトチェンジ。形はダブルスチールとなるが、吉田には盗塁死が記録されており、重盗の片割れには盗塁は記録されないので大沢の生還はキャッチャーからの送球の際の進塁と扱われて本盗は記録されない。

 名古屋は4回、先頭の大沢がストレートの四球、吉田は右飛に倒れるが中村三郎はストレートの四球、パスボール後、三浦敏一も四球を選んで一死満塁、芳賀直一の遊ゴロの間に三走大沢が還って3-0、なお二死二三塁から西沢道夫が左前に2点タイムリーを放って5-0とする。

 金鯱先発の中山正嘉は4イニングを3安打に抑えたが5四球とコントロールが乱れ、名古屋の得点は全て四球で出した5人の走者が還ったものであった。5回からリリーフした内藤幸三は5イニングを無安打3四球1三振無失点の好投を見せる。

 西沢道夫は7安打3四球3三振で今季3度目の完封、7勝目をあげる。勝利投手となるのは5月20日以来約1カ月ぶり、完封勝利は3月19日以来約3カ月ぶりとなる。西沢は打っても4打数2安打2打点、名古屋が放った3本のヒットのうち2本を記録した。

 金鯱は7安打を放ちながら3安打の名古屋に完敗。五番森田実、六番竹林実が4打数2安打を放つが打線がつながらず、2回の一死一塁、6回の無死一塁をいずれも併殺で潰したのが響いた。





                 *西沢道夫は7安打完封で7勝目をあげる。








     *3安打ながら中山正嘉が出した5つの四球を全て得点に結びつけた名古屋打線。