2011年6月1日水曜日

13年秋 イーグルスvs金鯱 4回戦

11月5日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 1 0 0 0 2 イーグルス 12勝15敗4分 0.444 古川正男
0 0 0 0 1 2 0 0 X 3 金鯱       9勝24敗       0.273 中山正嘉




勝利投手 中山正嘉 5勝11敗
敗戦投手 古川正男 0勝3敗

高久保豊三、殊勲の決勝タイムリー


 ダブルヘッダーの第一試合。イーグルスは寺内一隆と中河美芳を怪我で欠いて苦戦が予想される。

 イーグルスは初回、一死後大貫賢が右前打で出塁、中根之が中前打を放って一死一二塁、バッキー・ハリスの左飛に一走中根が一二塁間に挟まれ7-6-4-3-4と渡ってタッチアウト、しかしこの間に二走大貫がタッチアップから三塁を蹴ってホームに還り1点を先制する。通常一二塁で左飛の場合、ランナーはハーフウェイをとる。レフトへの大きなフライでレフトが向こう向きで捕りそうな時はタッチアップに切り替える場合もあるが野手も馬鹿では無いので捕れそうな素振りで打球を追う。本件については一走中根がトリック走塁を見せた可能性が高い。わざとタッチアップから一二塁間に挟まれ時間を稼いで大貫の走塁をサポートしたものではないか。中根は第一神港商業で甲子園優勝、明治大学を経てプロ入り、年代的に明大では岡田源三郎監督の薫陶を受けているはず。大貫は宝塚運動協会以来の猛者、これくらいの芸当はお茶の子さいさいであろう。中根としては寧ろ金鯱・岡田源三郎監督の見ている前なのでトリック走塁を披露したのかもしれない。

 金鯱は5回、この回先頭の武笠茂男に代わる代打高久保豊三がツースリーから四球を選んで出塁、長島進の投前送りバントをピッチャー古川正男が一塁に悪送球する間に高久保は三塁に進み無死一三塁、浅井太郎に代わる代打古谷倉之助の三塁内野安打で1-1の同点として再度無死一三塁、五味芳夫の左前タイムリーで2-1と逆転する。

 イーグルスは6回、この回先頭の大貫が四球、中根が送ってハリスは敬遠、ここで太田健一に代わる代打亀田忠が左越えにタイムリーを放ち2-2の同点に追い付く。

 金鯱は6回裏、一死後小林茂太が死球で出塁、中山が右前打、高久保が右前にタイムリーを放って3-2と逆転に成功する。

 中山正嘉は7回に古川、山田潔に連打を許すが併殺で切り抜けて8回、9回を三者凡退に抑え、6安打5四球2三振の完投で5勝目をあげる。



 殊勲の決勝タイムリーを放った高久保豊三はプロ在籍は2年間で終えることとなる。今季3打点、来季1打点の通算4打点で球界を去ることとなる。10月2日の名古屋3回戦では4打数無安打ながら2打点、と言うことは本日のタイムリーは今季唯一の適時打ということになる。高久保は松山商業-立教大学を経てのプロ入り、入団時が20歳であるから当然立教大学中退となる。と言うことは経歴だけは景浦将と全く同じである。以前にも書いたと思いますが、坪内道則著「風雪の中の野球半世記」には景浦と立教時代同部屋であった坪内が景浦の中退をサポートした際に大学は大騒ぎとなったが当時の久保田正次野球部長が「去る者は追わず」と景浦を許した場面に触れている。「これからは職業野球の時代がくる。行きたいものは行きなさい。」ということであったと言う。一方、明治大学では横沢三郎が野口明をセネタースに引き抜いた際には横沢は駿台倶楽部を除名されるという騒動が起こっている。両校のスクールカラーは現在にも残っていると言えるであろう。










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