2013年7月26日金曜日

15年 阪急vs 名古屋 13回戦


11月17日 (日) 神戸市民

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急     59勝36敗5分 0.621 浅野勝三郎
0 0 0 0 0 0 1 0 X  1 名古屋 54勝40敗5分 0.574 村松幸雄

勝利投手 村松幸雄     20勝13敗
敗戦投手 浅野勝三郎 11勝7敗

勝利打点 なし


勝負師

 阪急は2回、先頭の上田藤夫の三ゴロをサード芳賀直一がエラー、しかし新富卯三郎の送りバントは捕邪飛に終わり、上田が二盗を試みるもキャッチャー三浦敏一からの送球にタッチアウト、この後伊東甚吉、中島喬が連続左前打を放つがフランク山田伝は中飛に倒れる。

 名古屋は2回裏、先頭の大沢清が四球で出塁、吉田猪佐喜が中前打を放って無死一二塁、しかし中村三郎の三ゴロは「5-4-3」と「黒田の蟻地獄」にはまりダブルプレー、三浦敏一も左飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 阪急は5回、二死後山田が左前打、黒田健吾が右前打を放って一二塁とするが浅野勝三郎は中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 6回まで浅野勝三郎と村松幸雄による投げ合いが続いて0対0。

 名古屋は7回、先頭の大沢が四球で出塁、吉田の遊ゴロをショート上田が二塁に送球するがセカンド伊東が落球、中村の三前送りバントをサード黒田が一塁に悪送球、犠打エラーとなって無死満塁、三浦の三ゴロはサード黒田が本塁に送球して三走大沢は本封、キャッチャー井野川利春は返す刀で一塁に送球するがセーフ、この隙を突いて二走吉田は三塁ベースを蹴ってホームに突っ込みホームイン、1点を先制する。

 村松は7回、8回と走者を出すが中飛、投直でラッキーなダブルプレー。9回二死から伊東に左前打を打たれ、代走西村正夫は決死の盗塁を試みるが又もキャッチャー三浦が刺して試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 村松幸雄は7安打3四球2三振で今季初完封、20勝目をあげる。


 村松を伝える進藤昭著「戦場に散ったエース 村松幸雄の生涯」には古川清蔵による回想が掲載されている。「村松は西沢より確実性があってエースとして認められていた。緩い球ではぐらかしたかと思うとスーッと真ん中に速い球を投げる、という具合で巧者といえた。速い球ではなかったが軟投というほどでもない。先発もリリーフもいけた。とにかく勝負強かった。」


 終戦直後の昭和20年8月24日、村松の戦死公報が届いた時、小西得郎は村松の実家に疎開していた。「昭和19年9月30日マリアナ諸島で戦死」とあった。「幸のような運の強いやつが死ぬわけがない。あいつは麻雀でもものすごく勝負強かったんだ。きっと帰ってくるよ。」戦死と聞いた瞬間、小西も言葉を詰まらせたがすぐに、その場を陽気にとりなした。皆を元気づけようとの気配りだった。


 20勝目をあげたこの日の村松のピッチングは、その勝負強さを遺憾なく発揮したものであった。








            *村松幸雄は勝負強さを発揮して完封で20勝目をあげる。








 

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