2013年7月20日土曜日

15年 ライオンvs名古屋 13回戦


11月16日 (土) 神戸市民

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 0 1 1 0 0 0 0  0  2 ライオン 23勝71敗4分 0.245 近藤久 井筒研一
0 1 0 0 0 0 0 0 2X 3 名古屋  53勝40敗5分 0.570 西沢道夫

勝利投手 西沢道夫 19勝9敗
敗戦投手 近藤久       8勝20敗

二塁打 (ラ)広田

勝利打点 服部受弘 2


永久欠番

 名古屋は2回、先頭の大沢清がピッチャー強襲ヒット、中村三郎が送って一死二塁、吉田猪佐喜が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 ライオンは3回、一死後近藤久が中前打、トップに返り坪内道則は中飛に倒れるが、村上重夫が右前打を放って二死一二塁、灰山元章の遊ゴロをショート村瀬一三が一塁に悪送球する間に二走近藤が還って1-1の同点とする。

 ライオンは4回、一死後前田諭治が四球で出塁、広田修三が左翼線にヒットを放って一死一三塁、近藤の中犠飛で2-1と逆転に成功する。

 名古屋は3回、八番、九番の本田親喜、西沢道夫が連続四球を選んで無死一二塁として上位に回すが後続なく、6回の一死一二塁のチャンスも逃し、7回の無死一二塁も併殺で潰し、8回も芳賀直一の盗塁失敗など拙攻が続いてライオン先発の近藤にかわされてきた。

 名古屋は9回裏、一死後吉田が左前打で出塁、代走に岩本章を起用、三浦敏一がセンター右にヒットを放ち、本田が四球を選んで一死満塁、ライオンベンチはここで粘りのピッチングを見せてきた近藤から井筒研一にスイッチ、名古屋ベンチは西沢に代えて代打に服部受弘を起用、服部が期待に応えて左中間に代打逆転サヨナラタイムリーを放ち名古屋が鮮やかな逆転勝利をおさめる。

 西沢道夫は4安打4四球5三振の完投で19勝目をあげる。



 11月11日に選手登録された本田親喜は11日にプロ入り初出場し、本日がプロ入り初スタメンとなった。4打席2打数2安打2四球と渋い働きを見せる。本田は来季途中で小西得郎監督の後任監督に就任することとなる。


 19勝目をあげて勝利投手となった西沢道夫は戦後は打者に転向して大打者となり、背番号15は1959年に永久欠番となる。


 代打逆転サヨナラ打を放った服部受弘は戦後は投手に転向して20勝投手となり、背番号10は1960年に永久欠番となる。


 同時代に中日に在籍した大エース・杉下茂が永久欠番となっていないのは何とも不思議です。杉下茂著「幻のメジャーリーガーとフォークボール」によると、「1958年のシーズンが終わると、中日球団は若返りの方針を打ち出した。・・・球団代表から監督を命じられたのである。・・・私より年長で看板選手である西沢道夫さんや服部受弘さんを差し置いて、監督に就任することに気が引けた。西沢さんの背番号「15」と服部さんの「10」を永久欠番にし、二人の引退試合を行うという確約をとって就任を引き受けることにした。」とのことです。

 これだけが真相かどうかは分かりませんが、戦前からチームに貢献してきた二人の功績を称えるものです。










               *西沢道夫は4安打完投で19勝目をあげる。














*西沢の代打に起用された服部受弘が代打サヨナラ逆転タイムリーを放った場面。戦後、西沢は打者に、服部は投手に転向して中日球団史上2人だけの永久欠番となる。














 

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