2013年7月2日火曜日

15年 名古屋vs金鯱 12回戦


11月10日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 3 0 0 0 0 0 3 名古屋 52勝39敗5分 0.571 村松幸雄
0 0 0 0 3 1 0 0 X 4 金鯱    31勝57敗7分 0.352 古谷倉之助

勝利投手 古谷倉之助 9勝17敗
敗戦投手 村松幸雄  19勝13敗

二塁打 (金)黒澤、柴田
本塁打 (金)濃人 3号

勝利打点 濃人渉 4


濃人渉、鬼神の如き

 名古屋は4回、先頭の吉田猪佐喜が四球で出塁、中村三郎の左翼線ヒットで無死一二塁、服部受弘は三飛に倒れるが岩本章が四球を選んで一死満塁、村松幸雄が右翼線に2点タイムリーを放って2-0、なお一死一三塁から村瀬一三の中犠飛で3-0とする。

 金鯱は5回、先頭の柴田多摩男が中前打で出塁、五味芳夫が四球を選んで無死一二塁、トップに返り濃人渉がレフトスタンドに同点スリーランホームランを叩き込んで3-3とする。

 金鯱は6回、一死後柴田が左中間に二塁打、五味の三ゴロの間に柴田は三進、濃人がサードを強襲するタイムリーを放って4-3と勝ち越す。

 1点をリードした金鯱は8回から先発の古谷倉之助に代えて中山正嘉をマウンドに送り、中山が2イニングを2安打2四球1三振無失点に抑えて見事な逆転勝利を飾る。中山は当ブログルールにより8個目のセーブを記録してセーブランキング単独トップとなった。



 濃人渉が5打数3安打1得点4打点、本塁打1本で金鯱の全打点を叩き出す鬼神の如き活躍を見せた。濃人は昭和12年に応召、中国戦線で左半身に砲弾の破片を浴びるが14年にプロ野球に復帰する。筆者が知っている濃人の姿は1970年にパ・リーグを制したロッテ監督時代です。不敵な面構えが印象的でした。一番バッターの濃人が4打点を記録したのは八番柴田多摩男が3打数2安打2得点、九番五味芳夫が3打数2安打1得点のアシストがあったためであることは言うまでもありません。





*一番の濃人渉が5打数3安打4打点、八番の柴田多摩男が3打数2安打2得点、九番の五味芳夫が3打数2安打1得点を記録した金鯱打線。

















 

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