2012年4月21日土曜日

14年 金鯱vs南海 10回戦


10月14日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 2 0 0 0 0 0 0  2 金鯱 31勝48敗3分 0.392 中山正嘉
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 南海 35勝45敗4分 0.438 政野岩夫


勝利投手 中山正嘉 21勝16敗
敗戦投手 政野岩夫 16勝17敗


二塁打 (金)武笠
三塁打 (金)濃人


くせ者コンビ
 
 金鯱は3回、先頭の武笠茂男が左翼線に二塁打、中山正嘉が送って一死三塁、ここで濃人渉がセンターに三塁打を放って1点を先制、続く五味芳夫がスクイズを決めて2-0とする。翌日の読売新聞によると濃人の三塁打は「国久が遮二無二前進ノー・バウンドでとらんとした為僅かに左を抜かれて逆に三塁打を記録し」とのこと。


 この2点を中山正嘉が守り抜いた。1回、2回は三者凡退。3回は二死後上田良夫、平井猪三郎の連打と四球で二死満塁のピンチを迎えるが鶴岡一人を三邪飛に抑える。ここが功名が辻であった。


 4回は先頭の吉川義次に左前打を許すがキャッチャー長島進の好送球で三振ゲッツー。5回は政野岩夫に右前打を許すが後続を抑え、7回も小林悟楼の中前打と政野の右前打で二死一三塁とするが無失点。8回、9回を1四球ずつで逃げ切った。


 中山正嘉は6安打3四球4三振、今季7度目の完封で21勝目をあげた。


 南海先発の政野岩夫も4回以降1安打ピッチング、9回を完投して4安打3四球3三振2失点であったが、濃人、五味の「くせ者」一二番コンビにしてやられた。




 濃人渉は昭和12年春季リーグ戦を最後に応召し、翌13年10月に戦場で負傷する。永田陽一著「ベースボールの社会史」によると「翌年(昭和13年=筆者注)10月広東で左前半身を爆傷」とのこと。本年7月16日のライオン6回戦で戦地から帰還後初スタメン、その後五味芳夫との一二番コンビで低迷していた金鯱を復活させた立役者の一人となっている。


 五味芳夫は名門・甲府中学(現・山梨県立甲府第一高等学校)の出身。この試合では4打席0打数0安打2四球2犠打1打点、更に2盗塁死を記録した。五味は今季の盗塁王となるが本日は強肩中田道信に2度刺された。甲府中学時代には昭和10年の夏の甲子園1回戦の青島中学戦で現在でも最多記録として残っている1試合5盗塁を記録した。因みにセンバツでは昭和38年に北海高校の谷木恭平(後に立教大学、新日鉄室蘭を経て中日)が1試合5盗塁を記録している。甲府第一高等学校出身者でプロ野球で成功したのは五味と内藤博文であるが、内藤は選手以上に評論家としての評価が高い。異色の出身者は三神吾朗となる。三神は「ジャップ・ミカド」とされてきたが、どうやら違うらしい。名門校らしく政界、経済界に多くの人材を輩出しており、キティちゃんでお馴染みのサンリオの創業者・辻信太郎も同校の出身である。因みに「サンリオ」は「山梨王」から「サンリオウ→サンリオ」となったらしい。
 
 
 
            *中山正嘉は今季7度目の完封で21勝目をあげる。
 
 
 
 
 
 
 
 
       *濃人渉、五味芳夫の「くせ者」一二番コンビで2点をあげた場面。
 
 

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