2014年3月29日土曜日

16年 名古屋vs朝日 8回戦


8月16日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 1 0 0 0 0 0  1 名古屋 24勝30敗 0.444 村松幸雄
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 朝日     17勝36敗 0.321 野村高義 山本秀雄

勝利投手 村松幸雄 7勝5敗
敗戦投手 野村高義 0勝3敗

二塁打 (名)服部
三塁打 (朝)内藤

勝利打点 石丸進一 1


村松幸雄、今季3度目の完封

 名古屋は4回、一死後四番・服部受弘がレフト線に二塁打、本田親喜もレフト線にヒットを放って一死一三塁、ここで石丸進一がスクイズ、打球はピッチャー正面のゴロとなったが野村高義がエラーして三走服部が生還する。石丸には犠打と打点が記録され、これが決勝点となったためプロ入り初の勝利打点も記録された。

 無得点の朝日は9回、一死後三番・灰山元章に代えて代打に内藤幸三を起用、内藤は右中間を破る三塁打を放つが鬼頭政一は浅い左飛、伊勢川真澄も右飛に倒れて万事休す。

 村松幸雄は110球を投げて4安打2四球3三振で今季3度目の完封、7勝目をあげる。


 翌日の読売新聞によると「朝日の野村は短日の間に異常な進歩を示し素晴らしい速球とアウドロを急所に持込んで3回まで名古屋を無安打に抑える・・・」とのこと。享栄商業から「花の13年組」としてジャイアンツに入団するが、ジャイアンツでは13年春・秋に合計21試合に出場しただけで翌14年に金鯱に移籍して主力打者となり主に三番を打つ。15年シーズン途中にライオンに移籍し、朝日となった今期は、ピッチャーとなった。激動の時代に激動の野球人生を歩んできた野村高義も今季で退団、恐らく応召でしょうがその後の消息は知られてない。対戦相手の村松幸雄も勝利打点を記録した石丸進一も戦死することとなるが、野村の名前は“鎮魂の碑”には見られない。








               *村松幸雄は今季3度目の完封で7勝目をあげる。









 

2 件のコメント:

  1. 野村高義は戦後は国民野球連盟の宇高レッドソックスに在籍していました。その後の消息はわかりませんが。
    野村はさしたる成績は残っていませんが、チーム事情で捕手や投手に抜擢されたのですから、並の選手ではなかったでしょう。巨人と契約を交わしたあと、明大が大金を積んで引き抜こうとした話が残っています。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 野村は宇高レッドソックスで阪神の宮崎剛とチームメイトになったようですね。野村は昭和16年の阪神戦は4月10日の1回戦に先発して2イニングを投げただけで、宮崎との対戦は1打席だけででした。無死一塁で三ゴロに打ち取りましたが、ランナーとして残った宮崎は二盗を決めてジミー堀尾のタイムリー内野安打で生還していますので互角の戦いであったというところでしょうか。

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