2014年3月22日土曜日

16年 大洋vs阪急 7回戦


8月10日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 大洋 30勝18敗 0.625 野口二郎
0 0 0 0 0 0 1 0 X  1 阪急 31勝20敗 0.608 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 19勝5敗
敗戦投手 野口二郎 17勝6敗

二塁打 (急)日比野
三塁打 (大)苅田

勝利打点 中島喬 2

ファインプレー賞 (大)石井豊 6、7 (急)フランク山田伝 7


遠いホーム

 大洋は初回、一死後濃人渉が左前打で出塁、しかし森田実の投ゴロが「1-6-3」と渡ってダブルプレー。

 大洋は2回、野口二郎が左前打で出塁、佐藤武夫が三邪飛に倒れて一死一塁、山川喜作の遊ゴロが「6-4-3」と渡って又もやダブルプレー。

 1回、2回と三者凡退の阪急は3回、先頭の日比野武が左中間に二塁打を放ち先制のチャンスを掴むが伊東甚吉は三振、森弘太郎の投ゴロに日比野が飛び出し「1-6」と渡ってタッチアウト、トップに返り西村正夫が中飛に倒れて無得点。4回~6回は三者凡退。

 大洋は6回、一死後西岡義晴がピッチャー強襲ヒット、森の一塁悪送球が加わって西岡は二塁に進み、織辺由三の中前打で二走西岡が三塁ベースを蹴ってホームに向かうがセンターフランク山田伝からのバックホームにタッチアウト。7回も濃人の左前打とショート上田藤夫のエラーで一死一三塁のチャンスを掴むが佐藤の三ゴロに三走濃人がホームに突っ込みサード黒田健吾からのバックホームにタッチアウト。大洋にホームは遠かった。

 阪急は7回、先頭の山田の遊ゴロをショート濃人がエラー、上田の一邪飛をファースト石井がファインプレー、黒田が四球を選んで一死一二塁、中島喬が中前にタイムリーを放って1点を先制する。

 大洋は8回も三者凡退。9回、二死後森田に代わる代打苅田久徳が左中間に三塁打、しかし野口は投ゴロ、捕球した森がそのまま一塁ベースに駆け込んで試合終了。

 森弘太郎は6安打無四球2三振で今季7度目の完封、19勝目をあげる。


 ここまで17勝の野口二郎は18勝の森弘太郎に投げ負けて2勝差を付けられた。今季森は30勝をあげて最多勝、野口は25勝に終わるが、この試合がターニングポイントになったのである。野口が勝って18勝で並んでいたら今季の最多勝争いも分からなくなっていたのではないでしょうか。









*森弘太郎は野口二郎との投げ合いを制して19勝目をあげる。この試合をターニングポイントとして最多勝に突っ走ることとなる。























 

4 件のコメント:

  1. 『週刊ベースボール2006.8.21号』の「記録の手帳」に千葉功氏が"発掘された連続無失点記録"を紹介しています。
    これによると、同年07.13日付の『スポーツ報知』で宮崎満佐雄氏という在野の記録マニアが発掘した無失点記録がベースボールマガジン社記録部が確認済のもとで報じられました。
    宮崎氏が発掘した無失点記録になかで野口二郎の60回1/3(1941年)というのがあり、金田正一、藤本英雄に次ぐ歴代三位の記録になるようですが、07.01巨人戦から始まりこの日08.10阪急戦で途切れたようです。野口に関するものでは、他に1940.04.06ライオン戦から05.10阪神戦までの51回、1943.10.16大和戦から10.30朝日戦までの43回というのがありました。果たしてこれは正確なものなのでしょうか。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 概ね正しいと言えば正しいのですが、無失点記録の場合、どこからどこまでを採るかによって変わります。

      スタートを無失点記録の始まったイニングから、終了を途切れるイニングの直前までとするのであれば宮崎満佐雄氏の調査結果はほ1941年を除いて正しい。

      点を取られた後のアウトと点を取られるまでのアウトまでカウントすると、1941年は61回3分の0、1940年は52回3分の0、1943年は44回3分の0となります。

      宮崎氏の調査では1941年のみ端数が付いているので統一性に欠けていますね。

      詳細はスコアカードを読まないと無理でしょう。宮崎氏が何を基に調べたのかは分かりませんが、スコアカード以外の資料では無失点のスタート前の回の何アウトで点を取られたか、無失点の終了時が何アウトの時かまでは分からないのではないでしょうか。

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    2. 追伸:8月5日の阪神戦は3回3分の1を無失点。これは日本プロ野球記録大全集(以下「同全集」)を見ればわかります。宮崎氏の調査は無失点が始まった回から、終了する前の回までを集計したようです。この方法であれば同全集で調べることは可能です。

      実際の無失点記録は、点を取られた回の点を取られた以降のアウト(スタート時)と、点を取られるまでのアウト(終了時)を加えて集計するのではないでしょうか?上記の私の集計はこの方法です。「無失点が始まった回から、終了する前の回までを集計する」のであれば宮崎氏の調査結果は正しい。継続中の3分の1や3分の2は合計するということでしょうか。

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    3. 宮崎氏の調査方法は同誌にハッキリと書かれていません。
      ・・・国会図書館などでプロ野球の各試合の投手成績を書き写し・・・
      とあるのみです。
      shokuyakyuさんのおっしゃる通り、『日本プロ野球記録大全集. 第1期』で調査したのではないでしょうか。

      無失点記録の集計方法は如何なものでしょうか。私も詳しい事はわかりませんが、恐らく1/3や2/3をひっくるめているのでは。点を取られたイニングの次イニングからではなく、点をとられたイニングのアウト以降(0/3、1/3、2/3)を無失点記録のスタートにしているのでしょう。

      日本記録である金田正一の64回1/3の詳細は調べていませんが、10登板のうちリリーフが4度。このなかにイニング跨ぎがあるかどうか。1959年の杉浦忠(54回2/3)、2006年の藤川球児(47回2/3)のケースはたしかイニング跨ぎがあったと思います。

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