2011年4月2日土曜日

13年秋 阪急vs南海 2回戦

9月22日 (木) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11  計
2 0 0 1 2 0 2 0 0  0   0   7 阪急 7勝3敗2分 0.700 小田野柏
4 1 0 0 0 0 0 1 1  0   0   7 南海 4勝6敗2分 0.400 宮口美吉


二塁打 (阪)堀尾 (南)高野、平井
本塁打 (阪)宮武 3号


乱守戦


 阪急は好調黒田健吾がスタメンから消えて七番サード林信一郎がスターティングラインナップに名を連ねる。一方、南海はここまで全試合で四番を張ってきた中村金次が三番に入り四番には高野百介を起用する。すなわち、南海の初代四番は中村金次で二代目四番は高野百介と言うことになる。

 阪急は初回、一死後フランク山田伝が右前打で出塁、宮武三郎が甲子園のだだっ広い左中間スタンドに特大のホームランを叩き込んで2点を先制する。

 南海は1回裏、先頭の平井猪三郎が四球で出塁、西端利郎の遊ゴロをショート上田藤夫がエラー、中村金次が一塁線に送りバントを決めて一死二三塁、高野百介の右前タイムリーで1-2、ここは打線の入れ替えが効を奏した。中野正雄も右前にタイムリーを放って2-2の同点、ライト山田伝からの返球が逸れる間にランナーはそれぞれ進塁して一死二三塁、小林悟楼の三ゴロをサード林信一郎がエラーする間に高野が還って3-2と逆転、栗生信夫四球後中田道信が左前にタイムリーを放って4-2とする。

 阪急2回の攻撃は七番林からであるがここで代打黒田健吾が登場、遊ゴロに倒れる。南海の先発は左の宮口美吉か右の鈴木芳太郎、政野岩夫の可能性があるのでアテ馬かもしれないがそれであればファーストに入れて宮武三郎か山下実を出すことになり、黒田は右でも左でも三番に起用されるはず、32歳のキャプテン黒田健吾は自宅通勤の可能性が高く、単なる遅刻かもしれない。

 南海は2回、一死後西端の遊ゴロを又も上田が一塁に悪送球して西端は二塁に進む。中村の右前打で一死一三塁、高野百介が右犠飛を打ち上げて5-2とする。新三四番コンビは大成功。

 阪急は4回、この回先頭のジミー堀尾文人が三塁への内野安打で出塁、山下好一四球で無死一二塁、宇野錦次が左前にタイムリーを放って3-5とする。更に5回、先頭の上田が右前打で出塁するが二盗に失敗、山田が中前打、宮武は中飛に倒れるが堀尾が中前打、山下好一の内野安打で二死満塁、宇野の当りは三ゴロ、これをサード平井がエラーする間に山田と堀尾が還って5-5の同点とする。

 阪急は7回、二死後宇野が左前打で出塁、黒田も左前打で続き二死一二塁、大原敏夫の遊ゴロをショート小林がエラーする間に宇野が還って6-5としてなお一死一三塁、ここでダブルスチールを決めて7-5とする。

 南海は8回、一死後中田が四球で出塁、宮口の三ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返り平井の中越え二塁打で宮口が還って6-7。更に9回、この回先頭の西端が中前打で出塁、中村が送って一死二塁、高野は捕邪飛に倒れて二死二塁、中野の当りは遊ゴロ、万事休したかと思いきやショート上田がこの日三度目のエラー、西端が還って7-7の同点となって延長戦に突入。

 10回、11回両軍無得点で7対7の引分けに終わる。阪急の5失策と南海の3失策が悉く失点に結びついた。小田野柏は5失点で自責点はゼロ、石田光彦は2失点で自責点は1、宮口美吉は7失点で自責点は3であった。阪急は18安打、南海は10安打。

 先発して3回を投げた小田野柏はこの日の登板を最後に兵役に就く。小田野は復員後は打撃を生かして野手として活躍する。戦後は豊岡物産で1947年の第18回都市対抗に出場する。この大会の開会式には昭和天皇が出席し、ついでに開幕試合も観戦することとなった。開幕試合は偶然豊岡物産vs大日本土木の対戦となった。大日本土木はこの大会で前年に続き2年連続優勝することとなる強豪、エースの中原宏は後に南海で主戦投手となる。小田野柏はその中原からホームランを放つ。これが史上初の天覧ホームランとなった。この大会から久慈賞が制定され、栄えある第1回久慈賞には優勝投手の中原宏が選出された。中原は前年も橋戸賞に輝いている。小田野はその後1950年からプロ野球に復帰し、1954年まで現役を続けることとなる。

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