2011年4月8日金曜日

13年秋 名古屋vs阪急 3回戦

9月24日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 2 1 0 0 3 0 1 0 8 名古屋 6勝5敗2分 0.545 松尾幸造 伊藤国雄 田中実
1 0 0 0 4 1 0 0 0 6 阪急     7勝4敗2分 0.636 高橋敏 岸本正治


勝利投手 伊藤国雄 1勝0敗
敗戦投手 高橋敏     0勝1敗
セーブ     田中実   1


二塁打 (名)倉本2、伊藤 (阪)西村、上田、岸本、山田、山下実
三塁打 (名)鈴木 (阪)黒田、山下実


田中実、好リリーフ


 名古屋は初回、一死後鈴木秀雄の遊ゴロをショート上田藤夫がエラー、桝嘉一の遊ゴロで鈴木は二進、白木一二の中前タイムリーで1点を先制する。大沢清も右前打で続き二死一三塁、ここで重盗を試みるが2-6-2と渡ってスリーアウトチェンジ。

 阪急は1回裏、先頭の西村正夫が左中間に二塁打、一死後ジミー堀尾文人の左前タイムリーで1-1の同点に追い付く。

 名古屋は2回、この回先頭の倉本信護が四球で出塁、三浦敏一の右前打で無死一三塁、松尾幸造が右前にタイムリーを放って2-1としてなお無死一三塁、村瀬一三の遊ゴロで松尾が二封される間に三浦が還って3-1、続く戒能朶一の遊ゴロは6-4-3と渡ってゲッツー。

 名古屋は3回、この回先頭の鈴木が右中間に三塁打、阪急ベンチはここで先発高橋敏を降ろして岸本正治をリリーフに送るが続く桝嘉一が左犠飛を打ち上げて4-1として主導権を握る。

 阪急は5回、一死後岸本が中越えに二塁打、ワイルドピッチで岸本が三進、西村四球、フランク山田伝の遊ゴロの間に岸本が還って2-4、黒田健吾の右中間三塁打で3-4、堀尾が左前にタイムリーを放って4-4と同点に追い付き、山下実の右中間三塁打で5-4と逆転に成功して名古屋先発の松尾をKO、二番手に伊藤国雄が登場、上田が四球から二盗を決めるが宇野錦次が二ゴロに倒れてチェンジ。

 逆転された名古屋は6回、この回先頭の大沢が四球で出塁、倉本が左翼線に二塁打を放って無死二三塁、三浦の左犠飛で5-5の同点、伊藤がセンター右奥にタイムリー二塁打を放って6-5と逆転、村瀬の自身も生きようとしたプッシュ気味のバントが犠打となって二死三塁、トップに返り戒能が中前にタイムリーを放って伊藤がホームを踏んで7-5とする。

 阪急は6回裏、この回先頭の大原敏夫が四球、岸本の遊ゴロでランナーが入れ替わり、西村の二ゴロで再度ランナーが入れ替わり二死一塁、フランク山田伝の中越え二塁打で6-7と1点差に詰め寄る。二つの内野ゴロで快足西村正夫にランナーが入れ替わったことが効を奏した。

 名古屋は7回から殊勲の逆転打を放った伊藤国雄に代えて9月12日以来今季二度目の登板となるかつてのリリーフの切り札田中実を投入。

 名古屋は8回、この回先頭の倉本がこの日2本目の二塁打、三浦が送って一死三塁、田中実の遊ゴロの間に倉本が還って8-6と突き放す。

 リリーフ田中実は7回に山下実の二塁打と宇野のヒットで二死一三塁のピンチを招くが大原を捕邪飛に抑える。8回は三者凡退。9回、先頭の黒田に内野安打を許すが堀尾を遊飛、山下実を二ゴロ、代打宮武三郎を左飛に抑えて見事なセーブをあげる。

 11本の長打が乱れ飛ぶ打撃戦を名古屋が制した訳であるが、名古屋はこのところ球に逆らわないバッティング、バントを絡めた攻撃が目立っており、昭和12年以降では最もチームの状態が良い。


 本日の勝利投手は二番手の伊藤国雄であった。伊藤は宇都宮中学から宇都宮鉄道管理局を経て昨年名古屋に入団、通算成績は1勝0敗で今季限りでプロ野球の世界から足を洗うこととなる。打撃の通算成績も12打数1安打1得点1打点なので、生涯唯一の勝利、安打、得点、打点をこの日にあげたこととなる。宇都宮中学(現・栃木県立宇都宮高等学校)出身のプロ野球選手は伊藤国雄ただ一人。最近テレビで顔を見ないことが無い枝野幸男内閣官房長官や船田元・元経済企画庁長官など多くの政治家を輩出しているがプロ野球とはほとんど縁がない。しかし船田元の祖父・船田中は江川の後見人(船田一族は作新学院創業者)として江川事件では度々登場して球史に名を残している。

 何より野球殿堂入り人物を二人も輩出しているので野球界との縁は実は大ありです。一人は青井鉞男(あおい えつお、「じゅつお」や「よきお」と読まれることもありますが本名は「えつお」。)氏であり、もう一人は君島一郎氏です。二人の名を知っていれば立派な野球通と言えます。青井は旧制一高全盛期の第二代エースピッチャー。因みに初代が日本で初めて実戦でカーブを有効に使ったとされる福島金馬、第三代が「球聖」守山恒太郎となります。福島の前にはインブリー事件の時のエース岩岡保作がいますがまだ一高全盛期とは言えない時代です。但しカーブを研究し、福島に伝授したのが岩岡であったと考えられています。君島一郎氏は「日本野球創世記」を著した功績により一昨年(2009年)特別表彰により野球殿堂入りされています。



*伊藤国雄の生涯唯一の勝ち星と田中実の好リリーフを伝えるスコアブック

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