2010年6月24日木曜日

12年春 阪急vs大東京 6回戦

6月10日 (木) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16  計
0 0 0 0 0 0 0 0 2  0   0   0   0   0   0   0   2 阪急   16勝17敗1分 0.485 重松通雄-笠松実-石田光彦
0 0 0 0 0 0 0 0 2  0   0   0   0   0   0   0   2 大東京 12勝20敗2分 0.375 近藤久


二塁打 (大)近藤
三塁打 (大)大友


延長16回の激闘、引き分く


 翌日の読売新聞は冒頭「両軍必死の攻防は血戦十六合ついに引分という大リーグ(筆者注:春の大リーグ戦のこと、米大リーグではない)の新記録を作った」と伝えている。

 前半戦は阪急が押し気味に試合を進める。すなわち、1回、一死後黒田健吾右前打、山下好一、山下実連続四球で一死満塁と先制のチャンスを掴むがジミー堀尾文人、上田藤夫が連続三振に倒れる。2回は無死から宇野錦次がヒットで出塁するが後続なく、4回は堀尾遊失と三盗、倉本信護四球で作った二死一三塁のチャンスも得点ならず、5回は西村正夫バントヒット、7回は宇野四球でそれぞれ無死から走者を出すが後続なく8回まで無得点。大東京先発の近藤久は数度のピンチに見舞われながらも要所を締める。
 一方大東京は、阪急先発の重松通雄の下手からの巧投に8回まで6安打を放つもいずれも散発に終わり無得点、8回を終わって0-0のまま試合は9回へ。

 阪急は9回表、先頭のジミー堀尾が中堅左にヒットで出塁、上田が送って宇野四球で一死一二塁のチャンスを作ると倉本に代えて代打宮武三郎が登場、この試合最大の山場を迎える。宮武の三球目、ダブルスチール成功で一死二三塁、近藤はあくまで宮武と勝負、宮武は期待に応えてセンター前に抜けるタイムリーを放ち二者を迎え入れてついに2-0とリードする。殊勲の宮武に代えて代走に北井正雄を起用、しかし重松遊ゴロ、西村三ゴロで9回裏へ。

 大東京は9回裏、水谷則一投ゴロ、煤孫伝二ゴロと三、四番が倒れて二死無走者となり配色濃厚となるが土壇場で粘りを発揮する。浅原直人がセンターにはじき返し二盗、中村三郎四球で二死一二塁、ここで阪急ベンチは重松から笠松実にスイッチ、ところが笠松のコントロールがままならず筒井隆雄の代打大友一明四球で二死満塁、柳澤騰市の代打菊矢吉男が押出しの四球を選び1-2、近藤も押出し四球で何と2-2の同点となる。笠松退き石田光彦がリリーフに登場、鬼頭数雄は二ゴロに倒れて延長へ。

 阪急は10回、先頭の黒田四球、山下好一の一ゴロでランナーが入れ替わり期待の山下実は右飛に倒れ好一二盗失敗でチェンジ。その裏大東京は二番からの好打順も三者凡退。阪急は11回、先頭の堀尾が一失に生き上田が送って一死二塁、ここで大東京小西得郎監督はレフトを坪内道則から投手登録の強肩村田重治に代える。宇野の当りは代わったばかりの村田への飛球となり村田ががっちりと捕球してツーアウト。変わったところに打球が飛ぶ(ずいぶん前の話になりますが、野球中継で某解説者が「飛ぶと思うから代えるんです。」というコメントをしていました。)。小西監督としてはバックホームに備えて強肩村田を起用したのだろうが何か閃くものがあったか。

 大東京は11回裏、二死から大友四球、漆原進左前打で二死一二塁とサヨナラのチャンスを迎えるが近藤は遊ゴロに倒れる。阪急は12回、一死から山下好一左前打、二死後堀尾四球で二死一二塁とするが上田が遊ゴロでチェンジ。大東京も12回裏二死から水谷が右翼線ヒットで出塁するが煤孫は中飛に倒れる。阪急は13回から15回まで三者凡退、続投の大東京近藤久は疲労困ぱいの様子であるがかえって開き直ったか。大東京は13回裏、二死から大友の当りは中堅頭上を越える、大友は三塁を回りサヨナラのホームを目指して激走、しかしセンター堀尾から中継のセカンド宇野へ、更に中継にピッチャー石田が入り石田がバックホームして大友アウト。この場面ではピッチャーの石田はホームベースカバーに走っても何の意味もないわけで、中継に入ったのは隠れた大ファインプレーである。

 大東京は14回裏、一死後近藤が執念の右翼線二塁打を放つが鬼頭右飛、藤浪光雄遊ゴロで得点ならず。大東京の15回裏は三者凡退。
 阪急は16回、先頭の宇野左前打で出塁、島本義文が送って一死二塁、しかし石田が遊飛、西村は二ゴロに倒れて16回裏へ。薄暮迫るなか大東京は16回裏、村田、大友、漆原は三人とも三振、すでにボールは見えずらくなっており、これは「もうやめましょう」という意思表示であろう。あるいは死力を尽くした試合は引き分けで良しとする意思表示か。決して敗退行為ではない。

 試合開始3時45分、試合終了6時42分、プレー・スピーディを旨とする職業野球(2010年3月25日付け当ブログ「前夜」参照)らしく、延長16回を3時間以内で終了させる。球審沢東洋男、塁審川久保喜一、金政卯一、この日甲子園に詰めかけた1,448人の観衆のうち何人が試合終了まで観戦したのでしょうか。
 

2 件のコメント:

  1. 職業野球がスピーディな試合運びだった事は当時でも有名でした。反対に東京六大学野球は二時間、三時間近くの試合がほとんどでしたので、六大学の試合に馴れたファンが職業野球を観戦すると入場料を損したように感じたそうです。

    しかし、一部の評論家は職業野球のキビキビとしたスピーディな動きはとても良いと評価していたようです。

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  2. 現在のプロと学生野球が逆転しているようですね。人気がでれば驕りもでるのはいつの時代でも変わりないようです。

    河野安通志が日本運動協会を立ち上げた理由は間違った方向に進んでいる学生野球を正すには野球統制令ではなく、正当なプロ野球を作るしかないという考えからだったようです。

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