2015年1月25日日曜日

17年 名古屋vs大洋 5回戦 その1


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 ・・・・・ 
0 1 1 0 0 ・・・・・  名古屋
0 0 0 0 0 ・・・・・  大洋

二塁打 (名)古川


序盤は名古屋ペース

 後楽園の第三試合は名古屋が西沢道夫、大洋が野口二郎の先発で午後2時40分、島秀之助主審の右手が上がりプレイボール。塁審は一塁が沢東洋男、三塁が池田豊の三氏。池田豊は第一試合から3試合連続出場となった。

 名古屋は初回、先頭の石丸藤吉がワンボールからの2球目を左飛、木村進一は初球ファウルからの2球目を中前打、桝嘉一はファウル、ストライク、ボールでカウントツーワン(当ブログではストライクを先にコールする‟日本式”を採用していますのでご了承ください)、次の4球目に一走木村がスタート、桝が右前に鮮やかにエンドランを決めて一死一三塁と先制のチャンス到来。スコアカードからは桝の右前打で木村が三進したことは分かりますが、エンドランがかかっていたかどうかまではスコアカードからは分からない。しかし、昭和17年6月15日発行「野球界」に「初回に桝がエンドランを決めた」と書かれています。ここで眠っていた野口二郎が目を覚ましたか、飯塚誠は三球三振、古川清蔵もツーワンから三振に倒れる。

 「真説日本野球史」によると、野口二郎が飯塚の打席からカーブを使うようになったことが野口へのインタビューで判明している。

 大洋は1回裏、中村信一が初球を叩いて中飛、濃人渉は3球ファウルで粘りツースリーから四球、しかしツーナッシングと追い込まれた浅岡三郎が遊ゴロ併殺に倒れて無得点。


 名古屋は2回、先頭の吉田猪佐喜がワンストライクからの2球目を左前にヒット、野口正明は2球ファウルからの3球目を叩いて遊ゴロ、これをショート濃人がエラーして無死一二塁、西沢はワンツーからの4球目を遊ゴロ、これは濃人が軽く捌いて一走野口正明を二封して一死一三塁、併殺失敗とも見えますが併殺できる当たりであったか否かは定かではない。続く芳賀直一の初球も遊ゴロ、三走吉田が突っ込み、濃人からのバックホームはセーフ、野選が記録されて1点を先制する。トップに返り石丸藤吉は初球を左邪飛、木村はワンボールからの2球目を叩いてセカンドライナーに倒れてスリーアウトチェンジ。

 大洋は2回裏、先頭の野口二郎がワンワンからの3球目を三ゴロ、野口明がワンボールから左飛、村松長太郎がツーボールナッシングからの3球目を叩いてレフト線にヒット、しかし山川喜作はワンボールから三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。


 名古屋は3回、先頭の桝がツーツーからの5球目を三ゴロ、飯塚がツースリーから四球を選んで一死一塁、古川がツーワンから1球ファウルで粘り5球目をレフト線に二塁打して一死二三塁、野口二郎は昨日林安夫と投げ合って朝日を完封した疲れからかここまで4安打と立ち上がりから打ちまくられている。「野球界」によるとここで一悶着あった。最初島秀之助球審は左翼ポールの外側に当たったと見てファウルと判定した。後楽園球場のポール際の構造はポールの内側が木柵で外側がコンクリートとなっている。島秀之助主審はボールが大きく跳ねたことからポール外側のコンクリートに当たったと判定した。ところが古川の打球は一旦ポール内側の木柵に当たってから外側のコンクリートに当たって大きく跳ね返ったのであった。目の前で見ていた外野スタンドの観客が騒ぎ、名古屋の抗議もあったが、池田塁審が木柵に当たってからコンクリートに当たって跳ね返ったところを目撃しており、二塁打に訂正された。続く吉田はツースリーから1球ファウルで粘って四球を選び一死満塁、野口正明は力が入ったかワンボールからの2球目を強振するが三邪飛、西沢がワンストライクから遊ゴロ、これを又も濃人がエラーする間に三走飯塚が還って2対0とする。なおも二死満塁のチャンスが続くが芳賀がワンボールから叩いた打球はピッチャーフライとなってスリーアウトチェンジ。

 大洋は3回裏、先頭の佐藤武夫が初球を遊ゴロ、織辺由三はワンボールから二飛、トップに返り中村がツーツーからの5球目を左飛。ここまで名古屋は野口二郎に投げさせているが大洋打線は淡白な攻めが目立つ。3回まで野口二郎の投球数は57球であるが西沢道夫のそれは29球に過ぎない。


 名古屋は4回、先頭の石丸藤吉がワンボールからの2球目を三ゴロ、ワンストライクからの木村の打球は右前に抜けたがライト浅岡からファースト野口明に送球されて木村はアウト、ライトゴロが記録される。桝はツースリーからの6球目を選んで四球で出塁、飯塚は2球ファウルの後三ゴロに倒れる。

 この試合でライトゴロが記録されたことは「本邦初公開」となります。「真説日本野球史」には誤って「木村は中飛に倒れた」と書かれています。

 木村が打ったのはスコアカードからはワンストライク後の2球目と見えるがちょっとストライクの表示が変わっているので3球目の可能性がある。筆者のカウントではこの回の野口二郎の投球数は「13球」であるが、スコアカードには「14球」と記載されている。

 大洋は4回、先頭の濃人はツーワンからの4球目を左飛、浅岡がツースリーから四球を選ぶが、野口二郎は初球をサードライナー、野口明も初球を叩いて一ゴロに終わる。


 名古屋は5回、先頭の古川はスリーボールナッシングから2つストライクを選んで左飛、吉田はファウル、ボール、ファウルからの4球目を二飛、野口正明は初球を三ゴロ。

 大洋は5回裏、先頭の村松が初球を三ゴロ、山川はツーワンから1球ファウルで粘るが三振、佐藤はワンストライクからの2球目を遊ゴロに倒れる。


 ここまで野口二郎は当ブログのカウントでは81球、公式記録では82球。野口は球数が多いが、西沢道夫は49球と快調なピッチングを続けている。

・・・その2に続く







*名古屋4回の攻撃、木村進一の第3打席は「9-3」と記録されておりライトゴロとなります。「真説日本野球史」には何故か「木村中飛」と記載されています。











 

2 件のコメント:

  1. 大和球士が何のスコアカードを見たのかが気になります。

    shokuyakyu様がお持ちのスコアカードの内容は、恐らくNPBが公式に保管しているものと同様のものと推察されます。
    戦前についてのスコアは、広瀬謙三が記載したスコアを戦後になって山内以九士が改めて清書したそうです。山内が整理したスコアについて石崎龍は、
    「あらゆる資料を克明に点検して補正したものだ。ボールカウントの記載がないのは、そのためだ」
    と書いており、現在までに1リーグ時代の公式記録の基になっているのは、山内盤だと考えられます。
    広瀬が実際に記載したスコアカードは現存していないのかもしれません。

    大道文こと田村大五もベースボールマガジンで連載していた『プロ野球の謎とロマン』で、延長28回のスコアを写真つきで丸ごと紹介しており、四回に名古屋の木村進一がライトゴロに倒れたのが、はっきり認識できます。掲載されていたスコアはshokuyakyu様と同じタイプ、いわゆる選手名がゴム印で記されているものでした。

    http://baseballgleaning.blog.fc2.com/

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    1. 木村進一のライトゴロの場面をアップしました。

      このスコアカードは戦後山内以九士が清書したバージョンです。選手名スタンプの押し間違いも認められます。この清書作業を実際に知っている千葉功さんに聞いた話では、間違いが起きるのも致し方のない状況が推認されます。

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