2015年1月17日土曜日

17年 朝日vs南海 5回戦


5月21日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 朝日 13勝18敗2分 0.419 福士勇 池田勝彦
0 0 4 0 5 0 0 0 X 9 南海 21勝12敗 0.636 川崎徳次

勝利投手 川崎徳次 6勝5敗
敗戦投手 福士勇     3勝3敗

二塁打 (朝)広田
三塁打 (南)北原

勝利打点 北原昇 2

猛打賞 (南)北原昇 3


北原昇、満塁走者一掃の三塁打

 朝日は初回、今季好調のトップバッター坪内道則が左前打で出塁、五味芳夫がストレートの四球を選んで無死一二塁、岩田次男の三前送りバントをサード柳鶴震が一塁に悪送球、犠打エラーが記録されて無死満塁、鬼頭政一は一邪飛に倒れて一死満塁、内藤幸三の二ゴロ併殺崩れの間に三走坪内が還って1点を先制する。なお一死一三塁から重盗を試みるがキャッチャー室井豊からの送球をセカンド北原昇が折り返しバックホームして五味を刺しスリーアウトチェンジ。

 南海は3回、先頭の中野正雄の左飛をレフト室脇正信が落球、柳の一塁線バントが内野安打となって無死一二塁、トップに返り国久松一の三前バントも内野安打となって無死満塁、猪子利男は三振に倒れて一死満塁、ここで北原が左中間に走者一掃の三塁打を放って3-1と逆転に成功、岩本義行は歩かされて一死一三塁、室井の三ゴロの間に三走北原が還って4-1とする。

 南海は5回、先頭の国久がストレートの四球で出塁、猪子が右前打、北原も中前打で続いて無死満塁、岩本が左前に2点タイムリーを放って6-1、一走北原は三塁に進みバックホームの間に打者走者の岩本も二塁に進んで無死二三塁、室井がストレートの四球を選んで再度無死満塁、岡村俊昭の中犠飛で7-1、川崎の二ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、中野が中前に2点タイムリーを放って9-1、柳も右前打で続いて二死一二塁、打者一巡して国久が右飛に倒れてようやく長い攻撃が終わった。

 朝日は6回から池田勝彦がプロ入り初登板。池田は8回まで南海打線に3個の四球を与えたが無安打に抑え無失点で切り抜ける。

 川崎徳次は余裕の投球で2回以降6回まで無安打ピッチング。7回、先頭の伊勢川真澄に左前打を許すが池田の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。8回、先頭の坪内に三塁内野安打を打たれるが五味の投ゴロで坪内を二封、岩田の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。9回も一死後内藤にレフト線ヒットを許し、広田に四球を与えて一死一二塁、しかしここも伊勢川のセカンドライナーを捕球した北原が走ってきた一走広田にタッチして無補殺併殺を記録して試合終了。

 最後の3イニングを3連続併殺で切り抜けた川崎は5安打7四球4三振の完投で6勝目をマークする。


 決勝の三塁打を放ち、守っても3つの併殺を決めて重盗も刺した北原昇については、当時の「野球界」にも精彩を欠く苅田久徳を凌いで当代随一の二塁手であると書かれている。昨シーズンをもって千葉茂が応召したが、千葉が残っていても北原がNo1二塁手でしょう。戦前の二塁手では「苅田か千葉か」と言われるのが一般的ですが、当ブログの読者であれば北原昇が苅田、千葉と並ぶ名二塁手であったことがご理解いただけるでしょう。


 朝日の二番手として登板した池田勝彦は3回を投げて無安打3四球無三振無失点。池田のプロでの登板はこの試合だけなので、生涯防御率は0.00となります。池田勝彦は京都の四条商業の出身。明治33年に京都府立簡易商業学校として開校し、昭和11年に市立四条商業学校となり昭和23年にその歴史を閉じた。おそらく同校出身のプロ野球選手は池田勝彦だけでしょう。京都市歴史資料館のサイトによると、現在の御所南小学校第二運動場に「市立四条商業学校」跡地の石標が建てられているとのことです。





*川崎徳次は完投で6勝目をマーク。四条商業学校出身の池田勝彦はこの試合が生涯唯一の登板となった。














 

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