2010年12月27日月曜日

13年春 阪急vs金鯱 2回戦

5月21日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 阪急 5勝4敗 0.556 森弘太郎 石田光彦
0 0 0 1 0 0 0 2 X 3 金鯱 4勝6敗 0.400 古谷倉之助


勝利投手 古谷倉之助 1勝4敗
敗戦投手 石田光彦     2勝2敗


二塁打 (阪)黒田 (金)小林茂
本塁打 (金)小林茂 1号


小林茂太、獅子奮迅の働き

 現在三連勝の阪急は森弘太郎の先発、一方金鯱は古谷倉之助でダブルヘッダー連勝を狙う。

 3回まで1安打に抑えられていた金鯱は4回、この回先頭の小林茂太が右中間に二塁打、古谷が一塁線に送りバントを決めて一死三塁、二死後武笠茂男の打席にワイルドピッチで生還して1点を先制する。

 4回まで毎回安打の阪急は5回、一死後上田藤夫が三塁に内野安打、続く黒田健吾が右翼線に二塁打を放ち上田は三塁に進み、ライトからの返球の隙を突いてホームに還り1-1の同点とする。この場面は翌日の読売新聞には「単打の上田が黒田の二塁打に続く宮武の遊ゴロで生還する」と記述されています。確かに続く宮武三郎は遊ゴロに倒れていますが打点は記録されていません。上田の生還の記録は字が小さすぎて判別しづらいのですがセカンドとキャッチャーが絡むプレーの間に生還していることは分かりますので恐らく中継プレーの隙を突いた走塁であったと考えられます。この間守備側にはエラーは記録されておりません。因みに読売新聞の記事は全て署名入り記事であり、現場で取材しているケースも多く大変参考になるのですが、現場の記者がつけてきたスコアブックを見て記事を起こしているにすぎないとしか思えないミスも散見されますのでご注意ください。

 阪急は7回まで3安打に抑えている森弘太郎を下げて8回から石田光彦をリリーフに投入するがこれが裏目に出た。すなわち、金鯱は8回、一死後江口行男が四球で出塁、瀬井清は中飛に倒れるが続く小林茂太が右翼ポール際にホームランを叩き込んで3-1とリードする。

 古谷倉之助は9安打を浴びながら2四球1三振の完投、久しぶりにヒットは打たれながら得点は許さないというのらりくらり投法が決まって今季初勝利をあげる。

 翌日の読売新聞には「阪急がこれという武器もない森を8回から石田に代えたのは当然の策で」と記述されている。後年名投手となる森弘太郎も、この時点ではまだこの程度の評価であったことがうかがわれる。

 なお、昨年の金鯱の主砲小林利蔵が兵役で抜けたため「小林」姓は小林茂太だけとなりフルネーム或は小林茂の表記は必要なくなりましたが、小林利蔵は昭和14年には戦地から戻ってきますので、このままの表記で行きたいと思います。

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