2016年9月18日日曜日

茶会と野球史


 昨日はKさんが主催する「野球茶席の会」に出席させていただきました。

 数か月前、神保町の「BIBLIO」に顔を出したところ、Kさんが店主のOさんと「野球茶会」の打ち合わせをしており、「宮武三郎のバットで作られた炉縁」と「キャッチャーマスク型の香合」が使われると聞いて、「行きます!」と即答していました。「予約客」第一号です(笑)。


 スタッフの打ち上げに、何故か一般人として飛び入り参加し、宗和流師匠の家元と酔っぱらいながら意気投合してたわいのない会話をしていたところ、野球には無頓着な家元から「鈍翁」(どんのう)、「小川捕手」という単語が出てきました。


 「それは宮武とバッテリーを組んでいた小川年安のことでしょうか」、ということで、アイパットで「Wikipedia」から「小川年安」を検索すると「妻は吉田多嘉で、明治の大実業家益田孝の孫娘・初代小田原市長の益田信世の娘に当たる。多嘉は益田孝の妾で信世の母・タキの姓だった吉田姓を引き継ぎ、小川を婿として迎えていた。その為小川の結婚後の姓は吉田であり・・・」と書かれています。


 家元のお話しでは「鈍翁」とは茶人としても高名であった益田孝氏のことで、孫娘の婿に野球選手など最初は反対していたようですが、小川が戦死したため追悼の意を込めて小川のポジションに因んで「キャッチャーマスク型の香合」が作られ、小川年安とバッテリーを組んでいた「宮武三郎のバットで作られた炉縁」が作製されたのではないかとの推論に至ったとのことです。 


 短命に終わった宮武も戦後は「粋人」として生きていたようなので、「炉縁」にバットを提供したことは強く推認できます。資料的価値としては、バットのメーカーが「Tanaka&co」と刻印されている点でしょう。小川年安について、野球関係の資料からは茶道界とのつながりなど聞いたことがありませんでした。資料とにらめっこしているだけでは、野球史を解き明かすことはできませんね(笑)。

 なお、「宮武三郎のバットで作られた炉縁」と「キャッチャーマスク型の香合」は、永く行方が不明だったようですが、近年になって偶然、慶応義塾大学 茶道会が所有する運びとなり、昨日拝見させていただくことができました。



*宮武三郎のバットで作られた炉縁。





*「S.Miyatake」の名前が刻印されており、メーカーは「Tanaka&co」のようです。






*小川年安を追善する「キャッチャーマスク型の香合」。作製の経緯は茶道界でも謎のようです。





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