2016年9月22日木曜日

被三塁打率10割


 阪神が西鉄に大敗した試合をお伝えしましたが、この試合で阪神三番手として登板した内野手・大橋棣は4イニングを2安打に抑えました。この2本は、何れも野口明に喫した三塁打です。

 大橋のプロでの登板はこの1試合だけなので、通算被安打2本、通算被三塁打も2本で、被安打数を分母、被三塁打数を分子として割り出した「被三塁打率」は10割となります。


 大橋棣は旧制浪中から関西大学に進み強肩のショートとして鳴らしました。昭和17年に阪神に入団した時は既に32歳と峠を越しており、松木謙二郎は著書「タイガースの生いたち」に「大橋自身は助監督のつもりで入団したものだったが、これは本社重役の反対で実現せず、二年間ベンチのヤジ将軍をつとめただけで退団した。」と書いている。松木は昭和17年で一時阪神を退団しており、昭和18年の大橋の登板には触れていないので、「投手・大橋棣」については当ブログが初めて世の中にお伝えしたしたこととなります。


 1本だけなら他に事例があるかもしれませんが、通算で2本以上の複数の被安打を記録した投手で、「被三塁打率」10割は史上唯一の記録でしょう。


 大橋棣氏は戦後、米子東高校の監督として甲子園に出場、社会人野球でも監督を務めるなどアマチュア球界の発展に寄与し、2004年に94歳の高齢で亡くなられたそうです。


2 件のコメント:

  1. 大橋棣については、例の選手名鑑を作っている時に面白い逸話を幾つか見つけてまとめていたのですが、HDDの何処かへ消えてしまいました…。
    昭和29年、米子東高の監督として夏の甲子園大会に出場していますが、その代表をかけた東中国予選の決勝戦で、判定を巡る大騒動に巻き込まれています。
    岡山県の関西高との決勝戦は0対0で迎えた9回裏サヨナラ安打で甲子園出場を決定しましたが、この一打が左翼線上にライナーで落ちる微妙な当たりで、フェアかファウルかの判定を巡って大騒動に発展しました。この打球にフェアの判定を下したのが、元金鯱の佐々木常助(当時は益田産高監督)で、真っ先に抗議に飛び出したのが、関西高の四番遊撃手で主将、翌年に阪神へ入団した浅越桂一でした。
    場所が岡山県野球場でしたから、600人余りの暴徒化したファンがグラウンド内に押し寄せ、武装警官が出動する事態に。一説によれば、決勝戦は賭博の対象されていて、関西高の敗戦で大損した人間が多くいたとも。米子東に人的被害はありませんでしたが、2時間近くも球場内に閉じ込められました。

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  2. 佐々木常助は浜田中学出身、新宅、梨田、和田の先輩となりますね。

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