2012年8月9日木曜日

15年 名古屋vs南海 3回戦


4月20日 (土) 鳴海

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 5 0 0 5 0 2 2 14 名古屋 12勝6敗 0.667 村松幸雄 河村章
2 0 0 0 0 0 0 0 0  2  南海       7勝13敗1分 0.350 劉瀬章 政野岩夫 木村勉 天川清三郎

勝利投手 村松幸雄 6勝1敗
敗戦投手 劉瀬章     2勝3敗
セーブ      河村章   1

二塁打 (名)桝、吉田 (南)藤戸
三塁打 (名)村瀬 2

勝利打点 桝嘉一 2


村瀬一三、2試合連続三塁打2本

 今日と明日は昭和13年5月14、15日以来となる鳴海球場で公式戦が開催される。

 南海は初回、一死後藤戸逸郎が左中間に二塁打、国久松一が中前に先制タイムリー、センター石田政良からのバックホームをキャッチャー三浦敏一が後逸する間に国久は三塁に進み、ワイルドピッチで国久がホームに還って2-0とする。南海が元気だったのはここまでであった。

 名古屋は3回、村松幸雄の三ゴロをサード戸田与三郎がエラー、トップに返り石田が遊撃内野安打、村瀬一三が四球を選んで無死満塁、南海はここで先発の劉瀬章から政野岩夫にスイッチ、しかし桝嘉一がノーツーからの3球目を左中間に走者一掃の逆転二塁打、3-2とする。続く大沢清の遊ゴロをショート藤戸が一塁に悪送球して無死一三塁、ピッチャー政野からの一塁牽制でファースト末崎隆行が離塁した三走桝を刺さんと三塁に送球するがこれが悪送球となって桝が生還し4-2として大沢も三塁に進んでなお無死三塁、吉田猪佐喜は浅い中飛に倒れて一死三塁、中村三郎の遊ゴロに三走大沢が飛び出し三本間に挟まれてタッチアウト、サード戸田は二塁に向かう打者走者の中村を刺さんと二塁に送球するがこれが外野に抜ける悪送球となる間に中村がベースを一周して5-2とする。

 名古屋は6回、二死後村松がストレートの四球を選んで出塁、トップに返り石田もストレートの四球、村瀬が左中間に三塁打を放って7-2、桝が左前にタイムリーを放って8-2、大沢が右前打を放って二死一二塁、吉田が右越えに走者一掃の二塁打を放って10-2とする。

 南海は7回表、政野が先頭の中村を四球で歩かせたところで三番手として木村勉を投入、木村はヒットと四球で無死満塁とするが村瀬を投ゴロ併殺に仕留める。

 名古屋は8回、先頭の桝がストレートの四球、大沢が右翼線にヒット、吉田もストレートの四球を選んで無死満塁、中村がワンスリーから押出しの四球を選んで9-2、南海は四番手として天川清三郎を投入、三浦の遊ゴロ併殺の間に三走大沢が還って12-2とする。

 名古屋は9回、一死後石田が中前打から二盗に成功、村瀬がこの日2本目の三塁打を放って13-2、桝は三振に倒れるが大沢がこの日4本目のヒットを左前に放って14-2として大勝する。

 村瀬一三は18日のライオン戦に続いて2本の三塁打を放った。これで村瀬のヒットは4本連続三塁打となった。

 大沢清は6打数4安打を記録して今季通算54打数19安打、打率3割5分9厘で首位打者に躍り出た。

 名古屋は村松を6回で休ませて7回から17日に登録されたばかりの小倉工業-門鉄(門司鉄道局)出身のサウスポー河村章がプロ入り初登板、河村は3イニングを無安打2四球1三振無失点に抑えて当ブログルールによりセーブが記録された。なお、Wikipedia本文には「小倉工業から門司鉄道管理局、八幡製鐵所を経て、1940年に名古屋軍へ入団」と書かれている(2012年8月8日現在)が、昭和15年4月17日付け読売新聞には「小倉工、門鐵出身」と書かれている。「日本プロ野球記録大全集」には「小倉工 門鉄局 八幡製鉄」と書かれているので八幡製鉄から名古屋入りしたと勘違いしているようですが、応召帰還後に昭和23年に金星スターズでプロに復帰するまで八幡製鉄で投げていたものです。昭和21年、22年の都市対抗野球で八幡製鉄の投手として登板している記録が残されています。Wikipediaでも「経歴欄」では上から「名古屋 八幡製鉄 金星」となっています。応召を挟んで戦前、戦後にプロで活躍している選手にはこのパターンがよく見られますので資料の見方も注意してください。複数のソースから確認されることをお薦めします。更になお、河村が所属していた頃の全国の「鉄道管理局」は「鉄道局」に改称されていますので河村の出身は「門司鉄道管理局」ではなく、「門司鉄道局」となります。










*名古屋は村松幸雄-河村章のリレーで大勝する。村松は6勝目、河村はプロ入り初登板で初セーブを記録した(当ブログルールによる)。














        *名古屋打線は12安打で14得点。










2 件のコメント:

  1. 遅ればせながらHP5万ヒットおめでとうございます。

    河村章のように戦後のプロ野球復帰前の経歴がゴチャゴチャになっている事が多々ありますね。
    ちなみにですが、河村投手の旧姓は中村といいまして、中村姓だった小倉工時代は36年春選抜、37年夏の甲子園大会にそれぞれ補欠、正一塁手として出場しています。

    個人的に浅原直人の経歴が一番手間取っています。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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  2. コメントありがとうございます。

    この辺を調べるには原データを一つ一つ当たっていくしかありませんね。NPB機構に頼っていても何も進歩しません。我々がやらないと。

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