2012年5月11日金曜日

14年 名古屋vsジャイアンツ 11回戦


11月4日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 3 0 0 0 0 0  3 名古屋     36勝52敗4分 0.409 松尾幸造 村松幸雄
0 0 0 0 1 0 1 0 0  2 ジャイアンツ 62勝26敗3分 0.705 スタルヒン


勝利投手 村松幸雄     5勝3敗
敗戦投手 スタルヒン 38勝15敗


ジャイアンツ、緊張感欠く
 
 スタルヒンの前に3回まで無安打の名古屋は4回、先頭の桝嘉一が中前打で出塁、大沢清の右前打で無死一三塁、加藤正二は二飛に倒れるが中村三郎が中前に先制タイムリーを放って1-0、続く三浦敏一のレフトへのライナーを平山菊二が落球して一死満塁、芳賀直一は浅い右飛に倒れて二死満塁、松尾幸造の二ゴロをセカンド千葉茂が一塁に悪送球する間に三走大沢に続いて二走中村も還って3-0とする。


 ジャイアンツは5回、先頭のスタルヒンが中前打で出塁、トップに返り白石敏男の二ゴロの間にスタルヒンは二進、本日も二番に入っている平山菊二の三塁内野安打で一死一三塁、平山が盗塁を決めて一死二三塁、千葉の二ゴロで三走スタルヒンがホームを突くがセカンド中村からのバックホームにタッチアウト、中島治康の三ゴロをサード芳賀がエラーする間に平山が還って1-3としてなお二死一三塁、中島が二盗を決めて二死二三塁、しかし川上哲治は二ゴロに倒れる。


 ジャイアンツは7回、先頭のスタルヒンが左前打で出塁、トップに返り白石が四球を選んで無死一二塁、名古屋ベンチはここで先発の松尾幸造をあきらめて村松幸雄をリリーフに送る。平山は中飛に倒れて一死一二塁、千葉の投ゴロで一走白石が二封されて二死一三塁、千葉が二盗に成功した際、キャッチャー三浦からの送球を受けたセカンド中村が三走スタルヒンを刺そうとした送球が悪送球となる間にスタルヒンが還って2-3としてなお二死二塁、しかし中島は一ゴロに倒れる。


 復帰後好投を続ける村松幸雄はこの日も3イニングを1安打無四球1三振無失点に抑えて5勝目をあげる。先発の松尾幸造は6回3分の0を7安打3四球2三振2失点、自責点ゼロに抑え、チームがリードのまま降板してその後同点に追い付かれていないので現行ルールでは松尾に勝利投手が記録されて村松にセーブが記録されるところであるが、公式記録では村松に勝利投手が記録されている。


 ジャイアンツは二度の得点後の好機に川上と中島に打順が回ってきたが共に凡ゴロに倒れて追加得点を奪えなかったことが敗因である。中島は4打数無安打、中島以上に元気の無い川上は第三打席で永澤富士雄を代打に送られて引っ込められている。昭和14年はジャイアンツの第一期黄金時代のスタート年として歴史に残ってはいるが、終盤になってスタルヒン、中島治康、川上哲治が調子を崩してもたついた事実は当ブログが再発掘したものである。リベラ、平山、白石、中尾等がカバーしてなし得た優勝であった訳である。


 優勝を目前にしながらもたつくジャイアンツに対して、翌日の読売新聞・鈴木惣太郎の論評は厳しく叱責している。「巨人軍攻守の拙劣さは“プロ野球の元祖”の名声を傷つくること甚だしきものがあった」。平山のエラーに対しては「・・・平山はポロりと落し、而も平山は笑いながらベンチに戻ってきたが緊張を欠くこと甚だしい」。


 2012年5月8日、巨人の阿部は9回に捕飛を落球し、DeNAに3点取られて引分けに追い付かれた。伏線は試合前にあった。翌日の日刊スポーツ・篠塚のコメントは「巨人阿部にとっては後悔することになったかもしれない。9回表2死二塁。捕っていれば試合終了だった捕飛を落球した。まさかのプレーだが、後悔しただろうことは、その3時間前の行為だ。試合開始直前のシートノックで、勝呂守備走塁コーチが、最後に打ち上げる捕飛を数回ミスした。ベンチに引き揚げかけたみんなを押しとどめるように「もう一回打ってください」と要求。勝呂コーチは、今度は完璧な捕飛を打ったが、阿部は笑いをとろうと思ったのか、打球も見ずにベンチに向かって歩いていた。確かに、なかなか捕飛をあげられなかった勝呂コーチも悪いが、阿部の行為はコーチに対してとるものではない。この日、初めてみた宇都宮のファンからも、いい印象には映らなかったはずだ。また、結果的に捕飛を取れなかったことで勝利を逃したとあっては、頭に残ってしまう」。


 スポーツジャーナリズムのあるべき姿は、昭和14年においても、2012年においても変わるものではない。


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