2011年7月23日土曜日

14年 金鯱vsジャイアンツ 1回戦

3月24日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 1 0 1 0 0 0 3 金鯱             2勝2敗 0.500 中山正嘉
1 0 1 0 0 0 0 0 0 2 ジャイアンツ 4勝1敗 0.800 楠安夫 川上哲治


勝利投手 中山正嘉 1勝1敗
敗戦投手 川上哲治 2勝1敗


二塁打 (金)野村
本塁打 (金)佐々木 1号

二人の中山


 ジャイアンツの先発ピッチャーは楠安夫、先発マスクは吉原正喜が怪我の模様で中山武が被る。中山は昭和11年までジャイアンツの正捕手として澤村栄治とバッテリーを組んでいた。兵役のため戦列を離れていたが昨年帰還した。昭和13年10月8日付け読売新聞は「武勲の中山三年ぶり球場へ」の見出しで「昨年(昭和12年=筆者注)九月・・・敵前上陸の激戦に奮戦、右踵に重傷を受けて療養中だった歩兵伍長、巨人軍中山武捕手はこの程除隊となり先月末上京して巨人軍に復帰したが今日から足掛け三年振りに颯爽たるユニフォーム姿を現すこととなった」との記事を写真入りで伝えている。昭和13年11月17日の最終戦、13年秋・阪急vsジャイアンツ5回戦の最終回にマスクを被っているが、昭和11年以来のスタメンマスクは本日の試合となる。

 金鯱は初回、トップの佐々木常助が楠から左翼スタンドに先頭打者ホームランを放って1点を先制する。

 ジャイアンツは1回裏、先頭の呉波が四球で出塁、水原茂の遊ゴロはショート瀬井清からセカンド五味芳夫に転送されるが五味が落球する間に呉は三塁に走り無死一三塁、水原二盗、白石敏男三振で一死二三塁、中島治康が中犠飛を打ち上げて1-1の同点に追い付く。

 ジャイアンツは3回、先頭の水原の三ゴロをサード岡野八郎が一塁に悪送球する間に水原は二塁に進む。白石の一ゴロで水原は三進、中島の中前タイムリーで2-1とするが続く千葉茂の右飛に中島が飛び出し9-3と渡ってダブルプレー。

 金鯱は4回、先頭の小林茂太が四球で出塁、武笠茂男の左翼線ヒットで小林茂は三塁に走る、レフト三田政夫からの三塁送球はセーフ、これを見た打者走者の武笠が二塁に走るがサード水原からセカンド千葉に渡ってタッチアウト。一死三塁となって瀬井清が右前に同点タイムリーを放って2-2、野村高義も中前打で続いて一死一二塁、ジャイアンツベンチは楠本をあきらめて二番手に一昨日完封した川上哲治を投入する。中山正嘉が四球を選んで一死満塁、しかし岡野の投ゴロは1-2-3と渡ってダブルプレー。
 金鯱は6回、先頭の武笠は右飛、続く瀬井の記録は「5.6-3」ということでサードゴロを水原が弾くが白石がバックアップして一塁に刺したものでしょう。無死二走者でジャイアンツを出された花の13年組野村高義が古巣を見返す左中間二塁打、中山が中前にタイムリーを放って3-2、中山は自らの決勝タイムリーを守り抜いて金鯱が快勝、ジャイアンツは今季初黒星を喫する。


 ジャイアンツは楠安夫の先発ということで継投を考えていたと思われるがスタメンファーストには永澤富士雄を起用して川上哲治をベンチに残した。21日に登板したスタルヒンは26日のセネタース戦に温存ということで予定の継投策であったのであろう。この辺は前川八郎が家庭の都合で退団した影響が出ている。ということで、未だ川上哲治は打者に専念しているわけでは無い。


 中山正嘉は7安打1四球5三振の完投で今季初勝利、2失点ながら自責点はゼロであった。決勝タイムリーも放って獅子奮迅の活躍を見せる。中山正嘉は今季25勝をあげることとなるが、この日から真のエースとしての道を歩み始めたと言える。一方、ジャイアンツの中山武は戦場での負傷から立ち直ることができず右飛と遊飛の二打席で平山菊二と交代、この後も怪我からの復活はならず現役を引退することとなる。しかし戦後も永く球界と関わることとなる。読売巨人軍はこういう人材を大切に面倒をみるところだけは評価できる。




     *真のエースとしての道を歩み始めた中山正嘉。






     *昭和11年以来のスタメン出場となった中山武は二打席で交代。



0 件のコメント:

コメントを投稿