2015年8月2日日曜日

17年 東西対抗



 昭和17年の東西対抗は夏季リーグ戦終了後、秋季リーグ戦開始の前に行われた。


 後楽園球場で8月29日、31日、9月1日に、西宮球場で9月5日、6日、7日と合計六試合が行われている。


 当時の読売新聞には、後楽園の三試合は「第2回日本野球東西選抜対抗戦」、西宮の三試合は「第6回日本野球東西選抜対抗戦」と書かれている。東西対抗は昭和12年から三試合ずつ行われてきたが、昭和16年には東西で三試合ずつが行われ、後楽園の東西対抗は「第1回」、甲子園の東西対抗は「第5回」と書かれている。これを受けて昭和17年も後楽園の三試合は「第2回」、西宮の三試合は「第6回」とされたようだ。


 昭和16年の読売新聞には、後楽園の東西対抗は「読売新聞主催」、甲子園の東西対抗は「聯盟主催」と書かれている。昭和17年の読売新聞にも後楽園の三試合は「本社主催」と書かれており、これが「第2回」とされたようだ。西宮の三試合は特に「聯盟主催」とは書かれていないが、これは昭和17年になると新聞記事自体が大幅に削減されていることに起因していると考えられる。昭和12年から通算6回目の東西対抗は西宮の三試合を指すと考えるのが妥当であろう。


 昭和17年8月29、31日、9月1日に後楽園で行われた「第2回読売新聞主催東西対抗」は東軍が2勝1敗で優勝し、水原茂が「最高殊勲選手」に選出された。


 9月5日に西宮球場で行われた「第6回東西対抗」1回戦は東軍野口二郎と、西軍森弘太郎、若林忠志の継投で延長21回0対0で引分けに終わった。6日の2回戦は東軍がサヨナラ勝ち、7日の3回戦は北原昇の決勝打で西軍が4対2で東軍を降している。北原は第1戦こそ8打数0安打であったが、2回戦は4打数2安打、第3戦は4打数2安打2打点の活躍を見せて「最高殊勲戦士」に選出された。


 水原茂はこの東西対抗を最後に応召し、シベリア抑留から帰国するのは昭和24年のこととなる。北原昇は8月5日の朝日戦で負傷退場してから公式戦に出場するることはなく、この西宮球場の東西対抗3試合に出場したのが最後の舞台となった。胸を病んでいた北原は戦場で戦病死したと伝えられており、帰ってくることはなかった。


 

3 件のコメント:

  1. 水原茂が応召されるまでの経緯ですが、後楽園でおこなわれた東西対抗戦のあと、9月3日に巨人大洋連合軍7-1千葉クラブ、巨人3-0大洋のダブルヘッダーを終え、稲毛海岸で潮干狩りをしている時に赤紙の一報が届いたそうです。
    越智正典は、水原の出征について次のような秘話を書いています。
    ……
    九月十二日、水原さんは大船駅を発った。汽車が発車したとき、見送りにきた長男・信太郎くんが、突然にホームを走り出した。
    「おとうさんといっしょに、ぼくも戦争に行くんだ」
    信太郎くんは五歳であった。飯田蝶子さんが、後ろから抱きとめた。奥さんが送って行ったから、飯田さんは信太郎くんをあずかり、撮影所に連れて行き、食堂に入ると、まだあったソーダ水をとった。
    信太郎くんが泣くのをやめて聞いた。
    「おとうさんはどうして野球から戦争に変わったの?」
    水原さんの奥さん、松井潤子さんと撮影所の仲間だった飯田蝶子さんは「あんなに胸をしめつけられたことはなかった」とよくいっていた。
    ……
    『誰も書けなかった巨人軍』

    昭和17年の最高殊勲選手賞は本人不在のため、信太郎氏が代理で表彰を受けました。

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    1. 水原の自伝「華麗なる波乱」には、赤紙が来たのは9月1日と書かれています。書いたのはゴーストライターの可能性がありますが、本人も目を通しているはずですね。
      昭和17年になると西日本出身の巨人の選手は関西遠征の時に「謎の欠場」が多く見られます。水原も7月21日の甲子園の阪神を最後に欠場し、巨人が後楽園に戻った7月24日~7月27日の試合には姿を見せておらず、関西に戻った8月1日の西宮球場での阪神戦から戦列に復帰します。この間、高松に帰って徴兵検査を受けていたのか。この時33歳の水原に徴兵検査というのも不思議な話ではありますが。
      「華麗なる波乱」にも飯田蝶子や吉川満子が新太郎君の世話をしてくれたと書かれています。飯田蝶子と言えば、若大将シリーズのおばあちゃんですね。

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    2. 『華麗なる波乱』は"野球殿堂シリーズ"として焼き直しされたもので、もとは『わが野球人生』です。『わが野球人生』は、水原が、東映の監督を辞めた後、週刊ベースボール上で連載していました。藤本定義の『覇者の謀略』も同様です。
      水原の応召が遅かったのは、苅田久徳のように、アメリカ遠征の時のパスポート返還がされていなかったのかもしれません。

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