2014年4月4日金曜日

生き残り策



 昭和16年8月18日付け読売新聞は昨日の大洋vs巨人7回戦を次のように報じている。


 「・・・この最高峰を行く敢闘魂が18回の力闘による疲労の故と第二試合の時間的余裕がないという理由をもって引分を宣告されたことは実に奇怪千万な措置であり聯盟が標榜する真摯敢闘引分廃止の一枚看板を冒涜すること甚だしく、敢えて引分を申出た大洋軍苅田監督並にこれを容認した二出川審判主任の措置は断乎糾弾すべきであるとともに頬被り主義の聯盟人の優柔不断な態度は全く論外であることを指摘したい。」



 この試合を「引分け」とすることは軍部の命令に違反することとなる。ところが連盟は苅田の申し出に組みした。このままでは軍部に睨まれるだけ、ということで、読売新聞はこのような記事を書かざるを得なかったのでしょう。この業界あげての柔軟性こそが、昭和19年までプロ野球を生き残らせたのである。






 

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