2012年1月9日月曜日

14年 タイガースvsセネタース 8回戦


8月15日 (火) 横浜


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 1 0 5 0 2 0 0 0 9 タイガース 37勝18敗2分 0.673 西村幸生 木下勇 若林忠志
0 0 0 0 2 0 0 0 2 4 セネタース 28勝26敗3分 0.519 金子裕 苅田久徳


勝利投手 若林忠志 10勝3敗
敗戦投手 金子裕       6勝10敗


二塁打 (タ)堀尾、西村 (セ)野口
本塁打 (タ)堀尾 3号、4号  景浦 3号



景浦将グランドスラム、ジミー堀尾文人は二発


 タイガースは初回、二死後ジミー堀尾文人が中越えに第3号ホームランを放って1点を先制する。更に2回、先頭の富松信彦が四球を選んで出塁、伊賀上良平の捕飛はバント失敗か。西村幸生四球、皆川定之右前打で一死満塁、トップに返り松木謙治郎が押出し四球を選んで2-0とする。

 タイガースは4回、先頭の西村が右中間に二塁打、皆川の二ゴロで西村は三進、松木の二ゴロをセカンド苅田久徳がエラーする間に西村が還って3-0、本堂保次右前打、堀尾四球で一死満塁、門前真佐人は一邪飛に倒れて二死満塁、ここで四番・景浦将がレフトスタンドに第3号満塁ホームランを叩き込んで7-0とリードを広げる。

 セネタース4回裏の攻撃で西村が尾茂田叶、柳鶴震、村松長太郎に四球を与えて二死満塁としたところで雨が強くなってゲームは中断する。後楽園はコールドゲームとなったが横浜では滅多に見られないファンのために一時間の中断後試合再開。タイガースのマウンドには肩が冷え切った西村に代わって木下勇が上がる。金子裕に代わる代打浅岡三郎は右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 タイガース5回の攻撃からマウンドには苅田久徳の姿があった。苅田としては雨の中を一時間待ってくれた地元・横浜のファンへのサービス精神でしょう。セカンドには浅岡が入る。

 セネタースは4回、二死後横沢七郎四球、尾茂田叶右前打で二死一二塁、野口二郎が左中間に2点タイムリー二塁打を放って2-7とする。更に佐藤武夫四球で二死一二塁となったところでタイガースは三番手に若林忠志を投入、柳は三振に倒れる。

 タイガースは6回、一死後ジミー堀尾が苅田からレフトスタンドにこの日2本目となる第4号ホームラン、門前四球から捕逸で二進、二死後富松四球、伊賀上の右前タイムリーで9-2とする。

 セネタースは9回、先頭の浅岡が右前打で出塁、織辺由三左前打、苅田の三ゴロで織辺は二封、苅田が二盗を決めて一死二三塁、横沢が中前に2点タイムリーを放ち4-9、しかし尾茂田二ゴロ、野口二郎も二ゴロに倒れてゲームセットを告げるサイレンが夕闇迫る横浜の空に高々と鳴り響く。試合開始は3時50分、一時間の中断を挟んで試合終了は6時30分であった。


 苅田久徳投手の登板は昭和13年9月24日のジャイアンツ戦以来二度目のこととなります。苅田は横浜・万代町の出身、関内駅のすぐ近くであり、横浜平和公園球場は回覧板を配って回れるくらいの地元になります。寿小学校時代は横浜少年野球大会に優勝して全国大会準々決勝まで進出していますが、この時の写真が苅田の自伝「天才内野手の誕生」に掲載されています。同著には苅田のピッチング練習時の写真も掲載されていますがどうやらサイドハンドのようです。本牧中学から法政大学に進み、ひょんなことからプロへの道に進むこととなりました。本日のタイガースの勝利投手・若林忠志も本牧中学から法政大学に進んでいますがこちらは日本の中学を卒業しないと法政に進めないために法政大学関係者が若林をハワイから本牧中学に編入させて法政に進ませたものです。南海の劉瀬章も同じ道を辿っています。

 本牧中学は後に旧制横浜中学に吸収されて現在の横浜高校となっていますので、苅田、若林、劉瀬章は松坂や成瀬や涌井や荒波や愛甲や永川と並んで横浜高校野球部OBということになります。






*プロ入り二度目の登板となった苅田久徳投手のピッチング。







*東京六大学野球カード。左から法政大学時代の苅田久徳、若林忠志、立教大学時代の景浦将。



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