2020年5月10日日曜日

21年 巨人vs中部日本 5回戦


7月14日 (日) 後楽園 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
0 0 0 0 1 0 1 0 0 2 巨人 27勝16敗1分 0.628 諏訪裕良 
0 0 1 0 0 2 0 2 X 5 中部 14勝21敗2分 0.470 井上嘉弘 西沢道夫 服部受弘 

勝利投手 西沢道夫 3勝6敗
敗戦投手 諏訪裕良 4勝4敗
セーブ     服部受弘 1 

二塁打 (巨)川上 (中)三村
三塁打 (巨)多田 (中)笠石、古川、大沢
本塁打 (巨)千葉茂 1号

勝利打点 (中)西沢道夫 1


杉浦清監督、初陣を飾る

 本日は後楽園と金沢市設で2試合ずつ。後楽園の第1試合は午後1時7分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 投手陣が苦しくなってきた巨人は諏訪裕良が6月24日以来の先発。ここらで救世主が欲しいところであるが・・・。


 巨人は2回表、先頭の黒沢がストレートの四球で出塁、一死後多田が右前打、二死後諏訪が四球を選んで満塁とするが、トップに返り呉新亨は左飛に倒れて無得点。


 中部は2回裏、先頭の木下政文の当りが左中間に飛ぶがレフト黒沢が好捕、二死後笠石徳五郎が右中間に三塁打、しかし井上嘉弘は三ゴロに倒れて無得点。


 巨人は3回表、先頭の山川が三塁線にセーフティバントを決めて出塁、続く千葉のライト線の当りをライト笠石がファインプレー、川上は右前打、黒沢はストレートの四球で一死満塁、中部の杉浦清監督はここで先発の井上をあきらめて西沢道夫をマウンドに送り、中島治康監督の三邪飛をサード木下が好捕、多田の左中間を抜くかという当りもレフト岩本にナイスキャッチされて無得点。


 中部は3回裏、先頭の三村が四球を選んで出塁、二死後古川清蔵の中越え三塁打で1点を先制する。


 巨人は5回表、先頭の千葉が四球を選んで出塁、川上のライト線二塁打で無死二三塁、黒沢の当りは左中間に飛ぶがレフト岩本が又もナイスキャッチ、三走千葉はタッチアップからホームインするが、二走川上は飛び出しており「7-4」と送球されて犠飛とダブルプレーが記録される。もちろん、公式記録ではこの当時は「犠飛」は記録されていない。左打者の左中間への当りはレフト方向に切れていくのだから川上のボーンヘッドであった。


 巨人は6回表、一死後諏訪が中前打で出塁、しかしトップに返り呉新亨の遊ゴロが「6-4-3」と渡って又もダブルプレー。俊足の呉を遊ゴロでゲッツーした三村勲-鈴木秀雄の二遊間コンビの守備は、「好守」の記載は無いが高く評価できる。


 中部は6回裏、先頭の小鶴が左前打で出塁、一死後藤原鉄之助は四球、笠石に代わる代打加藤正二が中前打を放って一死満塁、ここで西沢が中前に2点タイムリーを放ち3-1と勝ち越す。


 巨人は7回表、一死後千葉がレフトスタンドにホームランを叩き込んで2-3と追い上げる。


 巨人は8回表、一死後多田が右中間に三塁打、杉浦監督はここで西沢に代えて三番手として服部受弘をマウンドに送り込み、巨人も宮下に代えて代打に近藤貞雄を起用する白熱の場面、近藤のカウントワンボールワンストライクからの3球目に三走多田が三本間に挟まれ「2-5-2」と転送されてタッチアウト、3球目はストライクであるがスコアカードからは見逃しか空振りかの区別はできない。スクイズのサインを近藤が見逃したのか、サインが出ていないのに多田がサイン違いでスタートを切ってしまったのか、スクイズをウエストされて近藤がバットを出したが空を切り多田が三本間に挟まれたのか、近藤はこれまでも度々代打に起用されているのでスクイズのサインは出ていなかったかもしれないが、裏をかいてスクイズに行ったところをウエストされたのかもしれない。いずれにしても試合の結果を大きく左右するプレーであった。


 中部は8回裏、先頭の服部の当りは遊ゴロ、これをショート宮下の代打近藤に代わってこの回からショートに入っている三好主が一塁に悪送球、続く三村の一ゴロを今度はファースト川上が二塁に悪送球、トップに返り岩本は中飛に倒れて一死一二塁、鈴木に変わる代打大沢清が右中間に三塁打を放ち5-2として試合を決定づける。続く古川が四球を選んで一死一三塁、小鶴のカウントツーストライクナッシングから一走古川がスタート、小鶴は3球目で三振、キャッチャー多田が二塁に送球すると三走大沢もスタート、セカンド千葉が折り返しバックホームして大沢はタッチアウト、重盗による三振ゲッツーが記録された。

 リリーフ服部は最終回を三者凡退に抑え、プロ入り初セーブを記録する。もちろん、公式記録ではこの当時は「セーブ」は記録されていない。

 守備と走塁にミスが続出した巨人と対照的に、中部は好守を連発して投手陣を盛り立てた。


 この日から指揮を執る杉浦清監督が初陣を飾った。代打策と継投策が鮮やかであったが、この時巨人ベンチで杉浦の継投策を見ていた近藤貞雄が後に「投手分業制」を確立させることになる。



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