2013年5月26日日曜日

15年 巨人vs金鯱 12回戦


10月27日 (日) 鳴海

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 2 3 0 1 6 巨人 64勝25敗 0.719 須田博
0 0 0 0 0 2 0 0 0 2 金鯱 25勝54敗7分 0.316 内藤幸三

勝利投手 須田博  33勝11敗
敗戦投手 内藤幸三 3勝9敗

二塁打 (巨)白石、中島、須田、永澤

勝利打点 白石敏男 7


中島治康3打点

 金鯱は10月12日の11回戦で巨人打線を1安打に抑えた内藤幸三が先発、巨人は須田博で迎え撃つ。

 内藤は5回まで巨人打線を1安打無得点に抑える。

 二試合連続で内藤に1安打に抑えられる危機に瀕した巨人は6回、先頭の白石敏男が左中間に二塁打、水原茂が四球でつないで無死一二塁、中島治康が左中間に二塁打を放って1点を先制、川上哲治は捕邪飛を打ち上げるがキャッチャー松元三彦が落球、命拾いした川上の左犠飛で2-0とする。

 5回まで須田から4安打を奪いながら無得点を続けてきた金鯱は6回裏、先頭の黒澤俊夫が四球で出塁、上野義秋が右前打を放って無死一二塁、松元は遊飛に倒れて一死一二塁、ここで内藤が右中間に二塁打を放って二者を迎え入れて2-2の同点に追い付く。

 巨人は7回、先頭の平山菊二が三塁に内野安打、呉波が死球を受けて無死一二塁、須田の送りバントが内野安打となって無死満塁、トップに返り白石が押出し四球を選んで3-2、水原は遊飛に倒れるが、中島が左前に2点タイムリーを放って5-2と突き放す。

 巨人は9回、二死後7回の守備から川上に代わってファーストに入っている永澤富士雄が右中間に二塁打、ライト室脇正信からの返球が逸れる間に永澤は三塁ベースを蹴ってホームに還り6-2として試合を決める。記録は二塁打とライト室脇の悪送球であった。

 須田博は6安打4四球9三振の完投で33勝目をあげる。


 本日は鳴海球場で巨人vs金鯱戦が行われました。大和球史著「真説 日本野球史」によると「昭和11年2月14日、横浜出帆の秩父丸で、巨人軍は、第二回アメリカ遠征に向かったが、送別試合と銘打って、2月9日から巨人対金鯱三連戦が、名古屋の鳴海球場で行われた。・・・日本初のプロ球団同士の試合は、こうして2月9、10、11日の3日間、名古屋市郊外鳴海球場で行われた。」とのことです。


 公式戦では昭和13年5月15日に鳴海球場でジャイアンツvs金鯱戦が行われました。公式戦における鳴海球場での巨人vs金鯱戦は本日が2度目ということになります。







                 *須田博は6安打完投で33勝目をあげる。









     *中島治康が3打点を記録した巨人打線。















*昭和11年4月15日付けで日本職業野球聯盟広報の第一号が発刊されました。この号に昭和11年2月9日~11月に巨人vs金鯱戦が行われたことが書かれています。














    *巨人の第2回アメリカ遠征の壮行試合として行われたものなので公式戦ではありません。










            *金鯱の欄にも巨人に勝った試合が掲載されています。







*当ブログが所有する聯盟広報及び聯盟ニュースは、鈴木惣太郎氏が保存されていたものです。










 

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