2013年5月16日木曜日

本塁打競争



 読売新聞社主催第4回日本野球優勝大会ではホームラン競争が行われました。昭和15年10月11日付け読売新聞は「この大会の興趣を一掃深めるものに初の試みとして“本塁打競争”がある。これは18日から3日間各日正午から挙行するもので各球団から大物打ちの強打者3人ずつを出す・・・各球団が飛ばした本塁打の数によって順位を決する・・・」と伝えています。


 「初の試み」というのが、日本野球優勝大会史上初であるのか、我が国プロ野球史上初の試みであるのかは定かではありませんが、後者の可能性もあります。これまでも試合前のアトラクションは行われてきましたが、ダイヤモンド一周競争、遠投競争、鶴亀競争などは見られましたがホームラン競争は確認しておりません。



 10月18日は阪急、南海、阪神が出場。山下実(阪急)が3本、清水秀雄(南海)が2本、井野川利春(阪急)が1本、吉川義次(南海)が1本、ジミー堀尾文人(阪神)が1本、あとは新富卯三郎(阪急)、岩本義行(南海)、本堂保次(阪神)、伊賀上良平(阪神)が0本で阪急が優勝しました。


 10月19日は名古屋、翼、金鯱が出場。服部受弘(名古屋)が1本、柳鶴震(翼)が1本、あとは松尾幸造(名古屋)、吉田猪佐喜(名古屋)、小島二男(翼)、佐藤武夫(翼)、森田実(金鯱)、柴田多摩男(金鯱)、黒澤俊夫(金鯱)が0本で名古屋と翼が優勝しました。チームで0本の金鯱は“失格”と記録されています。なお読売新聞には翼軍は「東京翼」と書かれています。


 10月20日は巨人、ライオン、黒鷲が出場。川上哲治(巨人)が3本、鬼頭数雄(ライオン)が2本、亀田忠(黒鷲)が1本、あとは中島治康(巨人)、中尾輝三(巨人)、広田修三(ライオン)、菊矢吉男(ライオン)、中河美芳(黒鷲)、サム高橋吉雄(黒鷲)が0本で巨人が優勝しました。


 決勝再試合となった10月21日も巨人とライオンで本塁打競争が行われました。不明(ライオンの選手ですが字が不鮮明で判読できず)が2本、広田修三が2本、鬼頭数雄が1本、川上哲治が1本、中島治康が1本、吉原正喜が0本で試合には敗れることとなるライオンが優勝しました。



 黒鷲から出場したサム高橋吉雄は昭和12年を最後に兵役に就いていましたが帰還して10月13日の南海戦で9回二死から代打に登場してプロ野球に復帰しました。なお、この試合の実況中継では筆者の勘違いにより高橋輝彦と書いておりました。お詫びして訂正させていただきます。本文は訂正済みです。高橋吉雄はこの後代打で快打を連発して終盤戦では四番を打つこととなります。今季は13試合に出場して36打数10安打、2割7分8厘のハイアベレージを記録することとなります。当ブログの古くからの読者であればご存知のとおり、戦前屈指のホームランバッターです。






 

0 件のコメント:

コメントを投稿