2013年2月16日土曜日

ピンポン外交



 2013年2月10日に荘則棟が亡くなりました。少し遅れましたが謹んでご冥福をお祈りいたします。


 ということで、当ブログ初の卓球ネタとなります。筆者の父は卓球団体でインターハイ優勝、国体にも出場していたようです。筆者が小学生の頃はよく真間小学校の体育館に連れていかれて相手をさせられました。父はカットマンだったのでオーバースピンをかけなければ返球できません。当時の小学生でアマチュアレベルとはいえトップレベルのカットマンの打球をオーバースピンをかけて返球していたのは筆者くらいでではないでしょうか(笑)。こっちは野球がしたくて仕方がないのに体育館に連れていかれるのには閉口しましたが。


 65年の世界選手権で優勝した荘則棟が文化大革命で失脚したことは小学生時代には知っていました。その荘則棟が71年に日本で開催された世界選手権に出場することになったのです。但し、この大会では団体では優勝しましたが、シングルスでは中国政府の方針によりカンボジアの選手と対戦することができず、2回戦で棄権敗退しています。


 バスを乗り間違えたアメリカ選手を荘則棟が歓待したことにより運命に翻弄されることとなります。当時の中国選手はアメリカ選手と接触することが禁止されていましたが、この事件が報道されると中国政府は逆に外交カードとして利用することを思い付き、「ピンポン外交」が開始されることとなります。当時の世界大会では圧倒的実力を誇っていた中国選手が必ず相手にワンセットを与えるのが当たり前でした。


 四人組の逮捕により再度失脚した荘則棟は4年間投獄されますが1980年に再度復権して中国卓球界の指導者となります。荘則棟のプレースタイルは中国卓球の伝統である“前陣速攻”です。筆者も父のカットボールを返す時は卓球台から離れていましたが、通常は前陣速攻でした。福原愛ちゃんも前陣速攻です。卓球のようなインターナショナルな競技はオリンピックでも生き残ります。野球も、一部の地域だけに限定せず、グローバルに展開しなければいつまでたってもローカルスポーツのままで終わることでしょう。






 

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